12、四人五脚
いよいよ体育祭が始まろうとしている。
が、応援席に腰かけている百合は、まるで動物園のパンダ状態であった。
「百合様ー!」
「なんてお美しいのぉ!」
「こっち向いて下さーい!」
青い空には黄色い声が飛び交った。
「百合様ー! 二人三脚、頑張って下さいねぇー!」
「キャー! かわいい!」
「あ・・・私、眩暈が~」
体育祭の会場となったグラウンドには当然、ビドゥ以外の学区の生徒たちもいるから、初めて百合を見る子も多いため、とにかく百合たちの周囲は大変な混雑となったのだ。
「はい、皆さーん、離れて下さーい。ご自分の応援席にお戻りくださいねー」
百合の公式ボディーガードであり、おまけに彼女に恋をしてしまっている月美は、百合の身を守るのに必死になった。大声を出すと自分のイメージが崩れてしまうと思った月美は、なるべくクールな対応を心掛けた。
「皆さ~ん! 百合の写真を撮るのは1ダリアよ!」
綺麗子も月美の真似をしながら、百合に近づく生徒たちを上手く捌いていた。1ダリアというのはおよそ100円なので、かなりリアルな数字である。本気で言っているのかも知れない。
「・・・綺麗子さん、勝手にお金儲けしないで下さる?」
「いいじゃない別に。それにしても百合の人気ってすごいわねぇ!」
月美も綺麗子に負けていられない。百合を狙う同級生や先輩たちをしっかりと追い払い、社会秩序と百合の安寧を守るのが月美の仕事だ。
(月美さんたち、頼もしいなぁ~)
百合は幼い頃からこのような状況を苦手としており、いつも申し訳ない気持ちになったり心を痛めたりしているわけだが、今日は月美たちがボディーガードをしてくれているのでちょっと心に余裕がある。
「おや、キミたちぃ、また来てくれたの~?」
百合は、青い小鳥の頭を指でそっと撫でながら、優しく微笑んだ。小鳥は気持ち良さそうに「ピヨ~」などと鳴いている。
小鳥とウサギと小鹿のセットは、いつもビドゥ学区で生活しているようなのだが、今日はストラーシャのグラウンドにまでやってきて、百合たちの周囲をうろうろしている。イベントには絶対参加したいようである。
『それではこれより、開会式を始めます』
やがて、吹奏楽団の迫力ある演奏と共に、本部席の放送係の可愛い声が広い空に響き渡った。さすがに着席しなければならない空気なので、百合の周りの生徒たちも名残惜しそうに散っていった。
月美もようやく、百合の隣の席に戻ることができた。小鹿がそばに立っていると周りに迷惑だと月美は思ったが、陸上競技場にあるような、段差のついた応援席であるため、伏せさせたら解決した。小鹿の背中にはお餅みたいに白いウサギが乗っており、すやすやと居眠りをしている。
『まずは、ストラーシャ学区の生徒会長、ローザ様よりご挨拶です』
月美はちょっと緊張した。
(ぬぬ・・・ローザ様のご挨拶ですのね・・・)
ローザは百合のことを狙っている生徒の中で最も強力で凶悪な女である。百合が今年いっぱいでビドゥ学区を去って、ストラーシャ学区に編入し、おまけに生徒会のメンバーにされてしまうのは、このローザの企みのせいである。
ローザは本部横の特設ステージに立ち、マロン色のゆるふわカールを風に揺らした。
『ハ~イ♪ みんなぁ、ごきげんよう♪』
相変わらずノリが軽いお姉様である。月美とは正反対の性格だが、ローザがしゃべりだすと観客席のあちこちから歓声が上がったので、やはりそれなりに人気の女性なのだろう。
『今日は待ちに待った体育祭よ♪ みんな、準備体操はちゃんとしたかしらぁ?』
ちなみにローザはスペイン出身らしいのだが、スペイン語よりも日本語のほうが上手いと噂されるほど日本語がペラペラである。
『お天気にも恵まれたし、自分の学区の優勝目指して、思い切り体を動かしてね。以上よ♪』
意外と普通のことだけを話して、ローザはステージを去ろうとした。
しかし、本部席にいた誰かに呼び止められ、何かを指摘されたらしく、再びスタンドマイクの前に戻ってきた。
『アヤギメの会長様から伝言よ♪ みなさん、ルールを守って楽しみましょうね。以上よ♪』
そう言ってローザは再びステージを降りようとしたが、また呼び止められて戻ってきた。
『アヤギメの会長様から伝言よ。ちょっとでもルールを破ったり、規定にないことをしたり、卑怯な真似をしたら即失格だそうよ。んもぅ、そんなこと当たり前じゃないの♪』
たぶん、去年の体育祭で何か卑怯な手段を使ったんだろうなと月美は思った。
「桃香さん、双眼鏡を貸して下さる?」
「あ、は、はい!」
「ありがとうございますわ」
桃香は遠慮の塊なので存在感を消しているが、ちゃんと月美たちのそばにいる。
双眼鏡を覗き込む月美を見て、百合は首を傾げた。
「どうしたんですか、月美さん」
「アヤギメ学区の生徒会長様ってどんな人なのかしらと思いまして」
月美たちはアヤギメの生徒会長に会ったことがない。入学式の会場にはいたはずだが、少なくとも月美は入学式の時、緊張しすぎて記憶がないので、実質はじめましてなのである。
「あの人かしら」
本部席に、それらしい人物がいた。
彼女は体操着の上から赤い着物を羽織っており、脚を組んだままローザのことを鋭い眼光で睨んでいた。
「どんな人ですか?」
「んー、悪い人ではなさそうですわね」
ローザを睨んでいるということは、月美たちの味方みたいなものである。日本人形みたいな美しい黒髪も、月美に近い感性を持っている証かもしれない。
『えー、とにかくみんなぁ♪ 正々堂々、ルールを守って優勝目指してネ♪』
ローザは応援席に投げキスをして、ステージを降りていった。とりあえずストラーシャ学区には負けたくないなと月美は思った。
「月美さん、百合さん、調子はどう?」
我らがビドゥ学区の生徒会長、アテナ様が、月美たちの席にやって来たのは、盛り上がりを見せた100メートル走が終わった頃だった。
「アテナ様、ごきげんよう・・・! 調子は良いですわ!」
月美はちょっと緊張しながらご挨拶をした。いつもクールなアテナ様は月美の目標である。
「二人三脚はもう少し後だけど、体を動かしておいたほうがいいわよ」
「わかりましたわっ」
「わかりました!」
月美が立ち上がると、百合も一緒に腰を上げた。
言うまでもなく今日の二人は、いつも以上に一心同体となる必要があり、そのことで二人は頭がいっぱいだ。
(百合さんと二人三脚・・・色んな意味で失敗できませんわ・・・!)
月美は恋のドキドキと競技への緊張感を両肩に乗せたまま、瞳はしっかりと前を見据えていた。
(月美さんと二人三脚・・・絶対走り切ってみせる・・・!)
百合の胸ももちろん高鳴っている。なんと言っても今日の二人三脚は、二人の関係が今よりもっと親密になるチャンスなのだ。
『二人三脚、無事に走りきれたら、私を月美さんのお友達にして下さい・・・』
今までただのルームメイトだった二人が、もっと仲良くなれる魔法の約束を、二人はしているのだ。
幼い頃から孤独感に包まれて生きてきた百合にとって、今日はとても大事な決戦の日なのだ。
(月美さんと・・・お友達になってみせる!!)
友達というのがどういうものか、百合は知りたいのである。
「ゆ、百合さん」
月美が、自分の髪をサッと撫でながら百合に声を掛けた。
「なんですか、月美さん」
「・・・きょ、今日はとにかく、私の足を引っ張らないで下さいね、文字通り」
「はい! 頑張ります!」
月美ももちろん百合と友達関係になれたら嬉しいのだが、ちょっと恐ろしくも思っており、おまけに彼女は素直でないから、このような冷ややかな台詞しか言えないのである。実に不器用なお嬢様だ。
「私たちもウォーミングアップするわよ!」
「は、はい・・・!」
綺麗子と桃香も応援席を出て、グラウンドの隅っこでクラゲのような謎の体操を始めた。彼女らは月美たちと同じ二人三脚の、しかも全く同じレースに出ることになっている。同じビドゥ学区であるため敵同士ではないので、一着と二着を彼女たちで独占することが目標となる。三着までしか得点は入らないので、頑張って走らなければならない。ちなみにビドゥが赤、ストラーシャは青、アヤギメは緑のハチマキを身に着けている。
「綺麗子さんたち、頑張ってますね♪」
百合が月美に耳打ちしてきた。
「ま、まあ、そうですわね・・・」
4人は一緒に練習してきた仲である。綺麗子と桃香の膝の絆創膏の一つ一つに宿る物語を、月美たちはよく知っている。
「百合さん。・・・私たち4人で、一着と二着になりますわよ」
「はい!」
青空の下で、百合はヒマワリのように笑った。百合にとって、こんなにわくわくする体育祭は初めてだった。
『次の競技は、お待ちかねの二人三脚です!』
応援席に、波打つような歓声が沸いた。
「百合さんたちが走るわよ!」
「がんばってぇー!」
「こっち向いて走ってー!」
「月美さん素敵ぃ!」
他の学区の生徒すら月美と百合のコンビを応援しているようである。すやすやと居眠りしていた青い小鳥たちはビックリして応援席から飛び退いた。
スタートラインへの行列に、月美たちは並んだ。
トクントクンと音を立てて弾む心臓の鼓動をBGMに、月美は精神を集中させることにした。
(顔が赤くなりませんように・・・顔が赤くなりませんように・・・)
月美は百合と密着すると意識が猛烈にふわふわとしてしまい、頬もじんじんして赤くなる。今日は大勢に見られているから、なるべく冷静になる必要がある。
「ねえ月美!」
「ん・・・なんですの。私今、瞑想してますのよ」
すぐ隣のレーンで走る綺麗子が、月美の脇腹を肘でつっついてきた。
「練習の成果、見せてやりましょ!! 月美! 百合!」
「え」
綺麗子のまっすぐな眼差しに、月美はなんだか心の中が透き通った気がした。小学生のような純粋さを見せられて、妙にリラックスできたのだ。
「そうですわね。綺麗子さんと桃香さんも、頑張って下さい」
「もちろんよ!」
綺麗子の隣の桃香も、遠慮がちに微笑みながら頷いた。
やるべきことはやったのだ。後は自分たちを信じて駆け抜けるだけだ。
赤いハチマキで、月美と百合は片足を結び付けた。
これを運命の赤い糸と感じる生徒が多いため、二人三脚は注目され、きゃあきゃあ言われるのである。
月美たちの順番がどんどん迫ってくる。
スターターピストルの破裂音が空にこだまする度、月美の前に立つ走者たちが一列ずつ旅立ち、ゴールテープの向こうへ消えていくのだ。その僅かな間隔の中に、彼女たちのドラマが凝縮され、結果までもたらすのだから、ピストルの音は小説の表紙と裏表紙みたいなものかも知れない。
「月美さん、肩、組もう」
「は、はい」
二人はいよいよ肩を組んだ。
練習の時も散々やっていたスタイルであるが、体操服姿で肩を組むと、お互いの体温を柔らかに共有するような一体感があって、月美はいつもよりドキドキしてしまった。百合の胸の横の辺りがポヨンと月美に密着して、月美は思わず声をもらしてしまいそうになった。なにしろ相手は、目が合っただけで気を失うと言われている学園一の究極の美少女である。これくらいの反応で済んでいる月美の理性はむしろ強靭なほうである。
「それでは次の走者は前へどうぞ!」
月美たちの番だ。
それぞれの学区から2組ずつ、合計6組が同時に走る。月美と百合は、隣の綺麗子・桃香ペアに目で合図をし、頷き合ってからスタートラインに立った。さあ、自分たちの団結力を見せる時である。
歓声が静まった一瞬を、スターターの生徒の凛々しい声が貫く。
「位置について! よーい!」
月美は百合の体温を感じながら、二人の足を結んで揺れるハチマキをじっと見つめた。
パンッという銃声に破られた静寂な精神世界は、ほとんど無意識とも呼べるフィジカルな活動に即座に生まれ変わり、二人の体を前へ進ませた。練習通りの「いち、に、いち、に」という掛け声も、自然に二人の間で始まり、全ての機構が前進のために合理的に組まれた機関車のように、安定したスタートを切ることに成功したのだ。
(いけますわ!)
月美がそう感じた、次の瞬間、彼女の視界の片隅に、想定外の出来事が映る。
「うにゃぁ!」
ネコのような声を上げて、地面にド派手に倒れ込んだ少女がいたのだ。それは他でもない。山田綺麗子である。
(綺麗子さんが転んだ・・・!)
その事実を月美が理解するまで、長い時間は掛からなかった。人は集中力を発揮している時、時間の流れがゆっくりに感じられる時があるが、今の月美の精神はそんなスローモーションの中を疾走していると言える。
(綺麗子さんが転びましたわ・・・! ずっと一緒に練習をした、綺麗子さんが!)
当然桃香も一緒に転倒したわけであり、彼女たちのコンビは一等争いから去ったことはもちろん、怪我をした場合はゴールすら出来ないという最悪の状況に陥ったのである。
月美の掛け声が小さくなったことに違和感を覚え、百合の思考が現状の把握を急ぎだした。百合の視界には綺麗子たちの転倒が直接捉えられていなかったが、「うにゃぁ!」という声や、それと同時に足元に舞ってきた一瞬の砂煙などを通じ、状況を概ね察した。
(綺麗子さん・・・! 桃香さん・・・!)
隣のレーンから足音が聞こえてこない。百合は無意識のまま掛け声を続け、前へ前へと走り続けたが、頭の中には大きな迷いが生じた。
このまま自分たちだけがゴールしていいのか、という迷いである。
それは百合にだけでなく、月美の胸の中にも生じた感覚であった。
一緒に練習をしていた二人だからよく分かるのだが、綺麗子は一度転ぶと結構大きな怪我をする。保健室にこそお世話にはなっていないが、絆創膏一つでは足りないような大きな擦り傷を膝や腕に作ってしまうのだ。綺麗子はいつも張り切って二人三脚をするため、失敗する時も派手なのである。
綺麗子さんと桃香さんがゴールできない・・・それは予感というよりは、経験に基づく確信となって月美たちの思考を支配した。
「いち、に! いち、に! どうっ・・! しますっ・・・! かっ・・・!」
リズムは崩さぬまま、月美は百合にそんな風に声を掛けた。
二人は開会式で言われた言葉を忘れてなどいなかった。『ちょっとでもルールを破ったり、規定にないことをしたら即失格』という事実と、『最後まで走り切ったら二人は友達になる』という約束が頭によぎる中で、月美たちは選択を迫られたのだ。
しかし、これは難しい選択ではなかった。
この時二人はトップを走っていたのだが、結論はすぐに出た。
「助けにいきましょう・・・!」
「わかりましたわっ・・・!」
二人は上手にスピードを落とし、初めてこの試みとなる方向転換をこなした。すると、スタート地点付近で膝をつく綺麗子と、それを支える桃香の姿が見えたのである。
「戻りますわよ! せーのっ! いち、に! いち、に!」
グラウンドは騒然となった。一位独走だったハイパー美少女コンビが、突如踵を返し逆走を始めたからだ。
「ど、どうしたのかしら、お二人!!」
「忘れ物かしら!?」
「んなわけないでしょ・・・」
「綺麗子ちゃんたちを助けにいったんだわ!」
「ええ!?」
観客たちの理解も少しずつ追いついていった。
「綺麗子さん! 大丈夫ですの!?」
綺麗子は膝から血を流していた。しかも足首をひねってしまったらしく、立ち上がることも出来ていなかった。
「な、なんで戻って来たのよ・・・!」
「友達だからですわよ」
「え?」
その一言には、綺麗子だけでなく、百合もドキッとしてしまった。いつもクールな月美さんが、こんなアツい台詞を言うなんて予想外だったからだ。ちなみに、台詞を言った月美自身もちょっと照れた。
「い、いいですから、肩を貸して下さい」
「う、うん・・・! アリガト・・・」
綺麗子は頬を染めながら、小声でお礼を言った。
月美は百合と二人三脚をしたまま、反対の腕で綺麗子を支えた。
そう、月美はただのポンコツお嬢様ではないのだ。心優しく、情に厚い、弱い者の味方なのである。
(月美さん・・・優しい人だなぁって前から思ってたけど・・・凄いよ。凄いかっこいいよ・・・)
月美の横顔を覗き込みながら、百合は人知れず頬を染めた。
一連の流れに言葉を失っていた実況解説の生徒が、マイクを使ってこう叫んだ。
『こ、これは! 四人五脚です! 友情の四人五脚ですねぇ!』
応援席にいた生徒たちは我慢できずグラウンドにどんどん下りてきて、4人に声援を送った。青い鳥やウサギや小鹿たちも生徒に混ざって月美たちに熱い眼差しを送った。
「ルール違反の失格で構いませんわ! 綺麗子さん、桃香さん、百合さん! 私たち4人で、ゴールまでたどり着いてみせますわよ!」
「うん!」
「はい!」
「はい!!」
百合は涙が出そうだった。これがきっと友達というものなんだなと百合は思った。もう孤独な美少女白浜百合はいなくなったのである。
「せーのっ!」
4人は声を合わせて走り出した。綺麗子の足を庇うようなゆったりした速度であるが、練習通りの息の合った走りである。
ゴール前は三色のハチマキの生徒たちが一緒になって月美たちに声援を送っており、大変な人だかりであった。誰からともなく4人のために用意されたゴールテープが、やけに白く美しく月美たちの瞳に映った。
『ゴールです!! ビドゥ学区の2組が今、協力し合ってゴールしました!』
長くて短い月美たちの二人三脚物語が今幕を下ろした。あまりの大歓声に迎えられたため、クールな月美はとても恥ずかしくなった。自分がなんだか全然お嬢様らしくない熱血なことをやってしまったような気がして、照れくさくなったのである。が、別に悪い気分ではなかった。
ゴール地点に、保健係を連れた着物姿の先輩がやってきた。半分目を閉じているような、少し怖い表情をしたアヤギメ学区の生徒会長様である。
「おい。勝手な真似をしおって。貴様らは失格じゃ。1ポイントもやれぬぞ」
喋り方が想像以上に時代劇っぽかったので月美は驚いたが、失格は覚悟していたので納得の処遇である。
「はい。申し訳ありませんでしたわ」
アヤギメの会長は、半目のまま冷たく月美や百合を眺めた。
「ルール違反はルール違反。競技者としては失格じゃ」
彼女の眼差しは氷のように冷たかった。
「じゃが、友人としては合格じゃろうな」
「え?」
「おいお前。いい友達をもったな。もう怪我はするなよ」
「あ・・・は、はい!」
「久々に面白いものを見させてもらったぞ」
アヤギメの会長は、下駄をカランカラン言わせて本部席に帰っていってしまった。彼女は普段から目つきが悪いのであって、決して怒ってなどいなかったのである。
「すごいわ、浄令院様に認められるなんて!」
「そうよ、あの毒舌で有名な浄令院様に!」
「ローザ様に弁論で完勝して、野生動物を目で追い払う、あの浄令院様に!」
とんでもない人物のようである。
とにかく、月美たちの二人三脚は終わった。
無事に走りきれたわけではないが、まさに「友人としては合格」の活躍である。普通に走り切った時よりもずっとずっと、彼女たちの友情は深まったと言えるくらいである。
「月美さん!」
応援席に戻りながら、百合は月美の背中に声を掛けた。
「な、なんですの・・・?」
「月美さん! 私・・・私!」
二人には分かっていた。あの時、目先のゴールを目指さず、心を一つにして綺麗子を向かいに逆走を始めた瞬間から、二人は完全に友人同士になったのである。
「私ずっと・・・夢見てたことがあるんですけど・・・!」
「え・・・? ゆ、夢ですの?」
友達にして下さい、と言われると思って心の準備をしていた月美は、ちょっと動揺してしまった。顔が赤くなっているはずなので、振り返ることもできない。
「実は私・・・」
百合はしばらくもじもじした後、意を決して声を上げた。
「私、月美さんのこと、月美ちゃんって呼びたいの!」
「ひっ!」
月美にとってこれは、完全に予想外のお願いであった。
しかし、友達同士になるということは、よそよそしい丁寧語などやめるのが普通であるから、百合のお願いはごく自然な希望である。断る理由など見つけられなかった。
「か・・・」
月美はちょっぴり、声が震えた。百合さんから「ちゃん」付けで呼ばれる日が来るなんて夢にも思っていなかったからである。
「か・・・勝手にして下さい・・・」
「わぁ・・・!」
百合は嬉しくって嬉しくって、頬を夕焼け色に染めた。
二人に降り注ぐ太陽は、爽やかな初夏の香りである。
「ありがとう! 月美ちゃん!」
そろそろ、百合の花の季節なのである。