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百合と何度もファーストキスを  作者: ささやか椎
第3章 田舎暮らし
118/126

118、ほっぺ

 

 初瀬屋のロビーには、古い本棚があった。


 70年ほど前から初瀬屋にあるきり製の本棚で、長らく大事にされてきたのだが、いよいよ傷みが激しくなってきたので、新しい物に交換することになった。物を載せる度に小さな木くずがパラパラと絨毯の上に落ちるようになってしまったので、仕方ないのだ。


 で、棚を新調するこの機会に、不要な本を整理することにした。今日はその譲渡会なのである。


「桃香はこれがオススメデース!」

「どれ?」

「世界のケーキ大全集~!」

「わぁ・・・素敵。でもこれ、お腹空きそう・・・」


 日曜日の午後の初瀬屋には、鹿野里じゅうの色んな人たちが集まっていた。

 桃園商店の前に「初瀬屋にて、本、お分けします。古い図鑑、児童文学など」という張り紙を掲示してもらったところ、思いのほか反響があったのだ。


 ハイパー美少女の百合は、先程から小学一年生のアテナちゃんに寄り添い、彼女が好きそうな本を探していた。


「あ、これ見て、英語で書いてある絵本だよ!」

「英語?」

「うん! 外国の絵本だね!」

「なんて書いてある?」

「んーとね、クマサンハ、トッテモ、カワイイヨ~!」


 百合が英語っぽくそう言うと、アテナはニヤッと笑っていた。アテナちゃんは鹿野里でも最年少だが、百合たちが言う冗談のほとんどを理解できる賢い子だ。


(あ、百合さんとアテナさんが、あんなに仲良さそうに・・・!)


 クールビューティーお嬢様の月美は、百合とアテナの様子を羨ましそうに見つめながら、テーブルでコーヒー豆を挽いていた。子供はジュースや麦茶を飲んでいるが、大人にはホットコーヒーを振舞うのだ。

 涼しい季節になってきたので、ロビーの大きなガラス窓から、広大な田園を眺めながら飲むホットコーヒーは格別である。午後の光が弾ける金色の穂の上を、風の波が優しく吹き抜けていく様子がよく見えるのだ。


(ア、アテナさん・・・! 百合さんとあんなにピッタリくっついて・・・う、羨ましいですわ・・・!)


 月美は百合とほぼ恋人同士という関係であるにも関わらず、まだほとんどイチャイチャしたことがない。夏祭りの時は百合のほうから抱き着いてくれたが、あれが最も印象的なものであり、あれ以降はスキンシップがほとんどない。鹿野里の皆に内緒、というルールが、二人の間に常にはんぺんのようなふわふわクッションを一枚挟んでいるのだ。


「つ、月美ー! こぼれてるデース!」

「わわ!!」


 挽いたコーヒー豆に向けてケトルを傾けていた月美は、お湯をたっぷりテーブルにこぼしてしまっていた。百合のことを考えている時の月美は非常にポンコツであるが、恋愛中の乙女はだいたい皆こんな感じである。


「はい、アテナさんと百合さん・・・ジュースですわ」


 月美は、アテナと百合にジュースを持ってくると、すぐにプイッと背を向けて去っていってしまった。嫉妬中のお嬢様は、いつもよりちょっと魅力的に見えるから不思議である。


(あ、月美ちゃん妬いてる♪)


 月美の心情を察した百合は、その可愛さに思わず笑ってしまった。アテナに「ちょっと待っててね♪」と言った百合は、食器を片付けようとする月美に背後から近づき、耳元に唇を寄せた。


「ジュースありがと♪」

「ひっ!!」


 百合は月美に天使のような笑顔を見せて手を振りながら、また元の場所へ戻っていった。

 幼いアテナに妬いているのがバレバレだったようで、月美は恥ずかしかった。




 2時間ほどすると、ほとんどの来客が初瀬屋を後にしていた。

 綺麗子たちが百合と月美を遊びに誘ってきたが、本棚の引っ越し作業があるため、二人は外出するわけにはいかなかった。子供たちはしばらくの間トランプに似た室内ゲームで盛り上がっていたが、やがてそれぞれのおうちへ帰っていったのである。みんな自分の好きな本を貰っているので、帰り道もウキウキだった。


 ロビーの人影が減って静かになると、それまで陰に身を潜めるように気配を消していたある人物が、百合の元へとやってきた。


「おおきに~」

「あ、舞鶴先生っ」


 保健医の舞鶴先生だ。彼女はいつも眩しそうに目を細めており、自分で「仏さんみたいやろ~?」と言うこともあるが、顔立ちは意外と洋風なので、印象派画家が描く貴婦人のような雰囲気でもある。


「百合ちゃんって、月美ちゃんと仲ええなぁ♪」

「え! まあ、どうでしょう・・・。あはは・・・」


 百合は変な笑い方で誤魔化した。月美は少し離れたロビーの隅でカーテンタッセルを整えている。

 舞鶴先生は少しの間、笑みを浮かべたまま二人を見比べていたが、厨房のほうから姿を現した銀花さんを見つけて嬉しそうに口を開いた。


「あ、銀花さーん、カモミールティーご馳走様でしたぁ」


 銀花さんは返事の代わりに舞鶴先生にお辞儀をした。銀花さんのお辞儀はいつも通りとても美しく、社会人のためのマナー講座の動画に出てきそうな完璧なものだったが、何も言わずに頭を下げるだけだったので、それを見た百合は、不思議なよそよそしさを感じた。


「ほな、また♪」

「は、はい!」


 舞鶴先生は百合の肩に手のひらをトンと置いてから、初瀬屋を去っていった。本を貰いにきたわけではなく、無料のハーブティーを飲みにきただけらしい。やはり変人である。





 やがて、ロビーは百合と月美の二人だけになった。

 午後の日差しが柔らかに舞い下りる絨毯の上を歩き、百合は月美の隣へ向かった。スリッパを脱いで歩く絨毯はとても気持ちいい。


「すごーい、ほとんど本なくなったね」

「そ、そうですわね・・・」

「新しい本棚が寂しくなっちゃうかな」

「大事な本や使える本は確保してありますから、大丈夫ですわよ」

「そっかそっか」


 月美は硬派なお嬢様だが、実は声がとても可愛いので、二人きりの時に耳のそばで彼女の声を聞くと、誰でもキュンとなってしまう。彼女に恋している百合は当然、ドキドキしてしまうわけである。


「ねえ、ちょっとソファに座ろ♪」

「え・・・!? な、なんですの?」

「いいから♪ ん~、なんか面白い本ないかな~?」


 百合はテーブルの上に残った本の中から、『猫がいる絵画集~秋冬編~』という可愛い感じの画集を選び、ロビーのソファーに腰を下ろして、月美を手招きした。たくさんあるソファーの中でも、ここは景色が一番よく見える人気の席だ。


「おいで♪」


 百合は自分の隣をポンポンと叩いた。

 月美はしばらくの間、胸の前で手をさすったり指を組んだりしてもじもじしていたが、百合が少しだけ遠くにズレてくれたのを見て、しぶしぶソファーに座った。が、月美が座ったとたん、百合は彼女の右側にスッと寄り添った。


「な、なんでそんなにくっつきますのよ・・・!」


 月美はひそひそ声でちょっぴり怒ったわけだが、全然嫌がっていないのがバレバレなので百合は動じなかった。


「一緒にこの本見るには、これくらい近づかないと、ね♪」

「べ、別に・・・わたくしはその本にそこまで興味持ってませんわよ・・・」

「いいから♪ ほら」


 百合は、自分の左足の太ももと、月美の右足の太ももの間に本を広げた。大きめの図鑑を横向きにしたような形の画集なので、二人の間に広げるにはピッタリの大きさだ。


「まえがき、この本は、様々な画家が描いた、ネコが登場する絵を集めた画集です」

「意外なところにネコが隠れている場合がありますので、探してみてください。ですって」

「じゃあ、先に見つけたほうが勝ちね」

「は、はあ・・・」


 真面目な絵画の本かと思いきや、ゲームブック的な楽しみ方も推奨されているらしい。


 最初のページをめくると、見開きで夕暮れの砂浜が広がった。パステルカラーのピンクが水平線から広がり、空のブルーと優しく交わる風景は、二人の目を惹きつけた。三日月のような綺麗な形のビーチである。


「ネコ、どこだろうね♪」

「んん・・・」


 とても美しい画集であるが、二人はとにかく、お互いのことを意識してドキドキしているから、正直ネコがどこにいるかなんてどうでもいい。なので、なんとな~くの意識で、探し始めることにした。


 お互いの心臓の音が聞こえてきそうな、優しい静けさである。

 厨房のほうから銀花さんが食器を洗う音がかすかに聞こえてくるため、完全に二人きりの時間とは言えないかも知れないが、逆に考えれば、銀花さんは今ロビーにやってこないことを保証する音でもあるから、ある意味安心だ。


「あ、ネコいましたわ」

「え! どこ?」

「ほら・・・ここ」


 左側のページの空に浮かぶオレンジ色の雲が、よく見ると猫の形になっており、小生意気な顔でピースをしていた。もっと普通の猫がいると思っていた二人は、ちょっと笑ってしまった。


「なんか、面白いね♪」

「べ、別に」


 そう言って笑いながら、不意に二人は目を合わせてしまった。


 愛する人の瞳の中で、幸せな午後のひとときが輝いていた。


「ん・・・」


 二人は照れながら目を逸らした。

 ここから先はもう、お互いを完全に意識してしまって、ネコ探しどころではなかった。


 ページをめくると、秋のスイスの高原のような景色が広がっていた。夕焼けが作り出す大胆な陰影の中に、紅葉したカエデの木が鮮やかに輝いている。


 二人は高原の夕焼けをゆっくり見回しながら、ネコを探した。


「どこかにゃあ~?」


 百合はそんな風に呟きながらも、自分の左肩の辺りに感じる月美の温もりに意識を持っていかれていた。


(もう少し、ラブラブなことしてみたいなぁ~・・・)


 思い切りもたれ掛かる、手を握る、あるいは・・・ほっぺにチューをする、などが候補であるが、いざラブラブチャンスが訪れると、なんだか勇気が出なかった。百合は月美に対して結構グイグイいける少女であるが、まだ小学6年生だし、初恋の相手に出せる積極性には限界があった。


 しかし、ここで、百合にとって非常に意外な出来事が起きる。


 なんと、月美お嬢様のほうから、百合にもたれ掛かってきたのだ。


(え・・・!)


 もたれ掛かったといっても、ほんの少し肩をむにっと押し当ててきた程度だが、恥ずかしがり屋のお嬢様が自分から百合に甘えようとするのは珍しいのである。


(月美ちゃん・・・)


 月美のシャンプーの香りに百合は動揺した。

 どうやら、月美は先程のヤキモチタイムにかなり忍耐を削られていたようで、ようやく訪れた二人きりの時間に、お嬢様のダムから恋心がちょっと溢れてしまったのである。


 緊張で百合は体が固まってしまった。本当は「月美ちゃ~ん」などと言いながら自分ももたれ返し、頭をポンと合わせたいところだが、首の辺りに入った力をどうしても緩められず、背筋せすじが真っ直ぐなままであった。


 その代わりに百合は、左手の指先で月美の太ももの辺りにそっと触れてみた。


 西の窓から入ってくる風が、二人の素足を優しくくすぐっていく。

 スカートを履いているせいか、太ももの内側辺りがスースーして切ないような感じがした百合は、本が落ちないように気を付けながら足を組んだ。右脚が上になるように足を組んだ結果、体が少し月美のほうに向くことになった。


 ついさっきまで仲良くしゃべっていたのに、不思議な無言時間が生まれている。


 その無言は、空っぽのコップのように空虚で気まずいものではなく、ホットココアがいっぱいに入ったマグカップのような甘~い時間だった。二人は、胸の底がぽかぽかして、体の芯がじんじんして、頭がぽわぽわしていた。


 百合が右手を伸ばして月美の脚に触れると、月美は体をビクッと震わせ、そっぽを向いてしまった。が、しばらくしてゆっくりと、本当にゆっくりと、指先を百合の手に絡めてくれたのだ。


(月美ちゃん・・・)


 少し俯いた月美の横顔がとても可愛くて、百合は体じゅうがじんじんしてしまった。


(月美ちゃん・・・大好き・・・)


 この先、どんなにつらい事や悲しい事があっても、私はずっと月美ちゃんに味方でいたいな・・・百合はそんな気持ちになった。これがきっと、「愛おしい」という感覚に違いないのだ。

 さらに不思議なことに、この「愛おしい」という感覚を、百合はずーっと以前から月美に対して抱いているような感じがした。そしてこれからもずーっと続いていくと思っているから、百合の胸の中に「永遠」とも呼べる愛情の広がりが生まれたのである。


 そんな無限の愛に突き動かされた百合は、まるで悪いことをするかのような後ろめたさを感じつつも、どうしても我慢できず、まるで吸い寄せられるように、顔を月美の耳の辺りに寄せていった。


 そして、耳と頬の間くらいの、すべすべ素肌に、百合は優しく唇を押し当てたのだった。


 チュッ・・・。


 初めての、ほっぺチューである。


「あっ・・・!」


 月美は反射的に肩をすくめ、身を縮こまらせ、顔や耳を燃え上がるようにみるみる赤くした。


(ひゃあああああああああああ!!! ゆ、ゆ、百合さん!!! な、なな何をしますのよぉおおおおお!!!!!)


 月美は心の中でそう叫ぶが、逃げ出すわけでもなく、ただじっとしていた。まるで二度目のチューを待っているかのようである。ほっぺから広がって全身を駆け巡る百合のラブラブエナジーに、月美はゾクゾクしてしまった。


 その様子を見て、百合は二回目、三回目のチューをしていったのである。


 チュッ・・・チュッ・・・。


 少しずつ場所を変えながら、優しく優しく、月美に口づけしていった。


 チュッ・・・チュッチュッ・・・チュッ・・・


 月美の柔らかくて温かいほっぺから始まり、首の辺りに向かって、百合はキスを繰り返した。


(月美ちゃん・・・大好き・・・大好き・・・)


 心の中で愛を伝えながら、百合はチューをしていた。


 月美は心臓が大爆発しちゃいそうなドキドキの中で、百合のキスを受け続けた。今にも倒れてしまいそうなくらい体がふにゃふにゃにとろけていくのを感じた月美は、まるでジェットコースターに乗る人が安全バーにつかまるように、無意識のうちに百合の手を握っていた。


「あっ・・・あ・・・んっ・・・」


 月美は、百合にキスされながら、この最高に幸せな瞬間を一生忘れないだろうなと思った。


「わっすれ物デース!!!!」

「うっ!!!」


 こういう時、大抵邪魔が入る。

 キャロリンの声を背中で聞いた百合と月美は、いつの間にか絨毯の上に落ちていた本を拾い上げ、大急ぎで開いた。


「あ、百合と月美、二人で何してるデース?」

「え!! あ、あのね・・・えーと!」

「ね、猫探しを!」

「猫探しデース?」

「うん!」


 キャロリンは不思議そうに本を覗き込んだ。百合たちは本は逆さまに開いていたのだ。


「なんで逆さまデース?」

「あ!!」


 キャロリンは、ロビーに置き忘れていたライトグリーンのキャップを頭に被ると、「今日はトマトカレーデース!!」などと言いながら風のように走り去っていった。



 キャロリンの背中を茫然ぼうぜんとした顔で見送ったあと、互いに目を合わせた百合と月美は、我に返って猛烈に恥ずかしくなり、ソファーに倒れこんだり、背もたれに顔をうずめたりして笑った。恥ずかしさと幸福感から芽を出した笑いはなかなか収まらず、1、2分してようやく二人は落ち着き、静かに見つめ合った。夕焼けが、二人の頬を照らしている。


「・・・本、運ぼうか♪」


 百合の優しい声に、月美は恥ずかしそうに前髪をいじる仕草をしながら「・・・はい♪」と答え、珍しく笑顔を見せたのである。


 百合たちはこの日、恋人同士の関係がもたらしてくれる幸福を、ほんの少しではあるが、感じることができたようだ。

 

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[良い点] ぎゃぁぁぁぁぁ(尊死) 甘くて暖かな空気が…尊すぎます!!!!
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