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百合と何度もファーストキスを  作者: ささやか椎
第3章 田舎暮らし
116/126

116、手のひら

 

 百合の部屋の窓辺に、新しい朝が訪れた。


 布団を跳ね除けて体を起こした百合は、カーテンの隙間から洩れる真珠色の輝きをぼんやりと眺めながら、昨日の夏祭りの出来事を思い返した。


(夢・・・?)


 頭の中に掛かった霧を晴らすため、百合は無意識のうちに窓に這い寄り、カーテンを開けた。


 透き通った朝の風が窓の外の小枝を優しく揺らし、鏡川に映る秋の空が静かに輝いている。秋が訪れた事以外、特別なことは無いようだ。


(月美ちゃんは・・・?)


 まだ寝ぼけている百合は、色々と考えを巡らす前に、部屋の出口へと向かっていた。ドアノブはほんのり冷たかった。


「ひっ・・・!」


 百合がドアを開けた瞬間、廊下で誰かが小さな声を上げ、逃げるように右のほうへ駆けていった。


(え?)


 廊下に顔を出した百合は、その誰かの姿を探して廊下の奥に目を凝らした。東の窓から差すまっさらな光がとっても眩しい。


「月美ちゃん・・・?」


 百合は廊下の角に向かってそう呼びかけた。


 すると、観念したように、月美がゆっくりと顔を覗かせてきた。お留守番中に花瓶を割っちゃった犬がこんな感じの顔をすることがよくある。


「おはよう、月美ちゃん!」

「お・・・」


 月美は明らかにいつもよりドキドキしている様子であり、頬がほんのり、朝焼け色である。


「お・・・おはようございます・・・はい・・・・あの・・・はい・・・」


 百合は確信した。どうやら昨日の出来事は、夢ではなかったようだ。



 そう、二人は昨日から、ほぼ恋人同士なのである。

 ほぼと言わなければならない理由は、月美が百合に対し明確に「好き」の気持ちを表現していないせいである。が、百合の告白を受け入れた点と、昨日の月美の様子を思えば、両想いであることは明らかだ。百合も月美の気持ちをほとんど察してる。



「いただきまーすっ」


 今日の朝食は、全て銀花さんが作ってくれた。

 銀花さんが作る朝食はどれもとっても美味しいのだが、貴重な鹿野里産のハチミツを入れたヨーグルトは格別だった。ニホンミツバチによる百花ひゃっかハチミツで、鹿野里じゅうの三日月植物のミツを集めたものだから、まさにこの村の味なのである。フローラルで華やかな香りと、フルーティーで繊細な味わいに、百合は感動した。


 が、その感動が一瞬で頭から消えちゃうくらい、百合と月美はお互いのことを意識していた。


(今、足伸ばしたら、月美ちゃんの足つんつんできちゃうなぁ・・・)


 テーブルの下でイタズラしてみようかなと百合は思ったが、すべすべの素足が触れ合う感触を想像して照れてしまい、何も出来ない。トーストを頬張った瞬間、目が合ってしまったので、百合はすぐに目を逸らした。


「二人とも、どうかしたの?」

「え! いや! なんでもないです! えへへ」


 ちょっぴり動揺する百合を見た銀花は、綺麗な目を丸くして首を傾げた。

 恋人らしいコミュニケーションは、二人きりの時だけにするべきだなと百合は思った。




 さて、いよいよ久しぶりの登校である。

 今日は始業式だけで終わる日だが、夏休み中の宿題の提出日でもあるので、荷物は多かった。


「じゃ、じゃあ、い、いきますわよ」

「うんっ!」

「もたもたしていると、置いていっちゃいますから・・・」

「はい♪」


 靴を履いた月美は、いつも通り、すたすたと先に歩き出してしまった。今日の月美はコスモスの模様が入った紺色のワンピースである。


 蝉たちの声が山々で響いているが、広大な水田を渡ってくる風は涼しくて、秋めいていた。


(二人きりだー・・・!)


 百合はこの時を待っていた。

 横断歩道を渡り終えた百合は、小走りで月美に追いついて肩を並べ、彼女の横顔を覗き込んだ。月美は知らん顔をして歩いているが、耳が赤かった。


「月美ちゃん」

「・・・なんですの?」

「つーきみちゃん♪」

「・・・な、なんですの?」

「えい♪」

「あっ・・・!!」


 百合は月美の肩に自分の肩をふわっと押し当ててみた。二人は半袖だったから、ひじの辺りまで、素肌が触れ合った。


「ス、スキンシップは、やめて下さいます?」

「でも、私たち恋人同士なんだし♪」


 そう言うと、月美はでんでん太鼓のように激しく首を横に振った。


「い、いや、いやいや! まだ恋人同士と決まったわけではなくて、その、百合さんが私を、す、す、好きって言っただけであって! わたくしはまだ言ってなくって・・・!」


 言葉の端々から本心が見えまくりである。


「まだ言ってないってことは、いつか言ってくれるってこと?」

「わ、わわあああ! い、言いません!!」

「じゃあ、月美ちゃんの恋心は、秘密ってこと?」

「はい!!」

「ふふっ♪」


 ポンコツな返答をする月美の様子を見て、百合は幸せな気持ちになった。熱々のトーストの上でとろけるバターのように、幸せが胸いっぱいに広がったのである。今すぐ山に向かって走り出したいような気分だ。


 そこで百合は勇気を出し、月美に手を差し出してみた。


「・・・手ぇ、繋ぐ?」

「ひっ!!」


 月美はびっくりした時、しゃっくりみたいな声が出る。


「手ぇ繋ごう♪ 誰も見てないよ」


 差し出された百合の手のひらを、月美はじっと見つめた。

 月美は決断を迫られてしまったのである。人間は危険が迫った時などに、一瞬で全神経を集中させて様々な考えを脳内で巡らせるから、時間がスローモーションになったように感じられる場合があるが、今の月美はまさにその状態だ。

 吹き抜ける里山の香りが、二人きりのドキドキの瞬間を優しく包み込んだ。


「百合~! 月美ぃ~!」

「うっ・・・!」


 月美は、ほんの少し動かしかけた右手を勢いよく引っ込めて、道路の脇に飛び退いた。


「おっはー!」

「おおお、おはおは、おはようございますわぁ!!」

「どうしたの月美? なんで顔赤いの?」


 月美はすべすべの黒髪を手ぐしでささっと整えるフリをしながら顔を隠した。百合も胸のドキドキを隠すために変な照れ笑いをした。


「百合たち~、宿題やった!? 自由研究」

「う、うん。私は初瀬屋のお仕事とか三日月農業について調べたよ」

「あら、なんだか普通ねぇ~」


 綺麗子は、抱えている画用紙の束を得意げに掲げた。


「私の研究はこれよ!」

「それなぁに?」

「緑色のワニは意外と少ない! っていうテーマの自由研究!」

「・・・え、どういうこと?」

「色んな図鑑でチェックしたけど、ほとんどのワニはグレーか茶色なのよ! ワニイコール緑色ってのは先入観ってわけ。だからこれからワニのイラストを描く時は、黒か茶色で塗りなさいね!」


 さすがは綺麗子。おバカキャラなのに目の付け所が他の人とちょっと違う。


「じゃあ学校へレッツゴー!」

「お~」


 このようにして、二人きりの時間はあっさり終わってしまった。

 月美と目を合わせた百合は、「セーフ」とジェスチャーで伝えた。手を繋ぐシーンを危うく見られるところだったからだ。二人の関係は、しばらくは誰にも内緒でいたいものである。



 桃園商店の前を通り、弓坂を上がり終える頃、百合たちはキャロリンや桃香と合流した。学校の前まで来ると車椅子のルネちゃんもおり、集団登校の様相になった。



 そんな時、人知れず冷や汗をかいている少女がいた。


 月美お嬢様である。


(・・・わ、わたくしさっき、百合さんに何て言いましたっけ?)


 恋人同士だよね、と言われた時、自分がどのように返事をしたのか、月美は思い出せないのだ。


わたくし、百合さんなんて好きじゃないです、みたいに言っちゃってませんわよね・・・!?)


 あの時はとにかくアガっていたので、月美は記憶がないのだ。


 もしも百合さんを傷つけるようなことを言っていたら、取り返しがつかないと思ったのだ。先程は明らかに、月美の気持ちを探るためのやり取りだったからだ。


わたくしも、百合さんのことが大好きですのに・・・。恋人同士がいいですのに・・・。こんな幸せをしてしまったら・・・わたくし立ち直れませんわ・・・)


 百合がせっかく手を繋ごうと誘ってくれたのに、それに反応しなかった点も大後悔した。心がずぅーんと重くなった月美は、新学期の初登校だというのに、暗い顔でうつむいて歩いた。学校の近くになると、足元には松ぼっくりがたくさん落ちている。



 校門の前には柳生やぎゅう先生がおり、侍のようなキレのある挨拶をしてくれた。夏休み気分が抜けない生徒も、ここで目が覚めることだろう。


「おはようございます!! 生徒諸君がお元気そうで何よりです!!」


 ただ、柳生先生は異常に謙虚で、生徒に対しても敬語や丁寧語を使うので、いまいち迫力がないかもしれない。


 久々に足を踏み入れた校庭には、昨日巫女さんをしていた千夜子がおり、ジャージ姿で落ち葉の掃き掃除をしてくれていた。一番年上の千夜子は登校も早いのだ。



 こんないつもの日常が、月美をさらに焦らせた。このまま以前の毎日に逆戻りしてしまい、夏の魔法が解けてしまうような気がしたのだ。


 ちなみに、二人の状況をかなり正確に把握している百合は、『月美ちゃんと両想いである確率95%!』くらいに思っているから、非常に幸福な気分で登校中である。月美とは大違いだ。



 花壇の香りがそのまま流れ込む昇降口には、美菜先生がいた。たまたま通りかかったらしい。


「美菜先生~! 自由研究やってきたよぉ!!」

「綺麗子ちゃんえら~い」

「ワニは黒か茶色なのよ!」

「あ、今の綺麗子ちゃんみたいに!?」

「え! 私そんなに日焼けしてるぅ!?」

「うん♪ 水着の紐の跡見えるよぉ」

「えへへへへへ」


 綺麗子は「日焼けしてるね」と言われると喜ぶタイプの子である。


(百合さん・・・もう、手を繋ごうって言ってくれないのかしら・・・。まあ、こんなところでは、もちろん無理ですけれど・・・)


 靴を履き替える百合の背中を見ながら、月美は切ない気分になった。

 恋人のような触れ合いが、もう行われないんじゃないかと思うと、月美の心の中のモヤモヤは大きくなるばかりである。このまま友人同士の関係に逆戻りになってしまいそうだ。



 しかし、次の瞬間、月美にちょっとしたチャンスが訪れる。

 美菜先生や少女たちの笑い声が昇降口から廊下へと移っていくと、百合と月美の二人だけが残されたのだ。月美の心臓はドキリと跳ねた。


 振り向いてみたが、校庭にいる千夜子や柳生先生からは、こちらが見えないようである。


(どどど、どうしましょう・・・もしわたくしがさっき、百合さんなんか嫌いですわ、とか言っちゃってたら、それを訂正しないといけませんわ・・・! じゃないと、嫌われちゃいます!)


 恋する乙女は、こんな風に何もかもを考えすぎる傾向がある。


(す、好きですって言えばいいんですの・・・? いやいや、絶対そんなの言えない!!!)


 それが言えたら苦労しないのだ。


(それとも・・・わたくしたちは恋人同士ってことで問題ありませんのよ、って言えばいいんです・・・? いや、だめだめ! 恥ずかしすぎますわぁああ!!!)


 迷っているうちに、二人きりの一瞬は風のように去ってしまうだろう。

 月美は上履きのかかとの辺りを整えるフリをして、必死に考えたが、全く答えは出なかった。


「月美ちゃん、行こう♪」

「あ・・・」


 百合が振り向いて微笑んでくれたが、すぐに前を向いてしまった。


 その時、月美の足は反射的に一歩前へ踏み出していた。


 そして先程、百合の手を握り損ねた右手を差し出し、勢いのまま百合の手に触れたのだ。


「え・・・!?」


 びっくりしたのは百合である。

 あんなに照れ屋なお嬢様が、突然、自分から手を繋いでくれたからだ。


「つ、月美ちゃん・・・?」


 百合の目に映る月美お嬢様は、まるで寂しがり屋のネコちゃんのようで、久々に遊びに来てくれた親戚のお姉さんが帰っちゃうのをイヤがっている時の表情によく似ていた。右手で手を繋いだまま、恥ずかしそうに左手を口元へもっていった月美は、上目遣いで百合を見つめている。


 百合は月美のことを愛おしく思うと同時に、ちょっぴり申し訳なく思った。どうやら、何かの行き違いで、月美に寂しい思いや不安を与えてしまったようだからだ。


 手のひらの温もりと共に、お互いのハートを共有できよう、百合は精一杯の気持ちを込めて、月美の勇気に感謝を表した。


「ありがとう、月美ちゃん♪」


 そして百合は、ちょっぴり月美の耳に唇を寄せ、まるで妹大好きなお姉ちゃんのような優しいささやき声で言ったのである。


「私も、大好きだよ」


 月美は幸せすぎて、頭がクラクラしてしまった。


 百合の言葉に月美は何も答えなかったが、その代わりに、潤んだ瞳を向けたまま小さく頷いた。



 お互いの手のひらの優しい温もりと柔らかな感触が気持ちよくて、二人は抱きしめ合うように指をからめた。昇降口を吹き抜ける風がお互いの髪をふわっと揺らした。


 恋人同士でやりたいことや行きたい場所はたくさんあるが、こんな風に見つめ合い、手を繋いでいるだけで最高に幸せであるという、ラブラブの第一歩に二人が気付かされた瞬間であった。


「百合たちぃいー!」

「ひいっ!!!」

「早く教室来てー! 黒板消しが新しくなってるわよ!!!」


 まるでガーデニングのように、二人の初恋はゆっくりゆっくり育まれていくのである。

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 全部尊すぎて語彙がもう死んでるんだが… この二人甘すぎて砂糖が口から溢れそう…
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