113、ヨーヨー風船
涼しげな水面に、ヨーヨー風船がひしめき合っている。
「月美ちゃんこれは!?」
「いや、それは全然ダメです」
「どうしてぇ? 可愛いじゃん!」
「私、ピンク色は好きじゃありませんの。子供っぽいですわ」
ヨーヨー釣りの出店に立ち寄った百合と月美は、釣るべきヨーヨーを二人で見定めていた。百合は既に自分のヨーヨーを獲得したのだが、月美がどのヨーヨーを狙うかずっと迷い続けているのだ。
「じゃあこれは!?」
「あら。なるほど、んー、それはかなりいいですわねぇ」
「紫色で、白とブルーの線が入ってるね。すごく綺麗だよ」
「では、それにしますわ」
月美はついに、紫色の綺麗なヨーヨーに狙いを定め、百合のほうに体を寄せた。
(あ、月美ちゃんがこっち来た・・・)
百合は自分の肩が月美の肩に触れてしまわないように少しだけ横にずれた。首のあたりに夏の日差しをジリジリと感じる。
Wの形をした釣り金具を、月美は慎重に水に沈めた。月美の真剣な眼差しの先で、金具が水底に向かってツーっと伸びていく。
(月美ちゃんの横顔、今ならじっくり見られるなぁ・・・)
浴衣姿の月美の美しさに、百合は頭がぼ~っとなってしまいそうだった。大人の女性を思わせる長いまつ毛と、あどけなさが残る柔らかそうな頬が、百合のハートを虜にした。
境内で綺麗子が打ち鳴らす和太鼓のテンポが速くなったタイミングで我に返った百合は、釣り糸の先に視線を戻した。すると、ちょうど金具は、ヨーヨーの輪ゴムの先に辿り着いていた。
「おー! いいよ! その調子!」
「ぬぬ・・・」
「いい動きぃ!」
「こ、こうで合ってます?」
「うん!」
つい5分程前まで全然乗り気でなかった月美が、今は真剣にヨーヨー釣りに取り組んでいる。彼女は、なるべく子供っぽい遊びに参加したくないといつも考えているわけだが、いざ参加するとなったら、恥をかかないようにかなり真面目に取り組むのだ。
例えば、学校の休み時間に、綺麗子が突如サボテンごっこを始めた日があった。
まるで古墳時代の埴輪のようなポーズで教室の隅に立っているだけの虚しい遊びであるが、好奇心旺盛なキャロリンや車椅子のルネちゃんが悪ふざけして参加し始め、少しずつ盛り上がっていったのだ。美菜先生が教室に来た時に、誰が一番サボテンっぽいか決めて貰おう、という流れになり、いつの間にか全員参加となってしまったのだ。
月美は綺麗子たちのサボテンごっこを見ないフリして読書していたが、やがて自分も巻き込まれることになと、突如として超リアルなサボテンの立ち姿を披露したのである。月美が北米の植物の映像特集で見たことがあるサボテンは、太陽に向かって真っすぐに伸びていたから、背筋をしっかり伸ばしてポーズをとったのだ。
教室に入ってきた美菜先生は、室内がテキサス州の国立公園みたいになっていることに驚いたわけだが、生来のノリの良さでサボテン選手権の審判をすぐに務め、伸びやかな立ち姿の月美を勝者に決定したのである。
というように、月美はやる時はやる女なのである。
「あ! いけそう!」
「えいっ・・・!」
「おー! すごーい!!!」
「釣れましたわ!!」
月美は見事、桔梗色の可愛いヨーヨー風船を釣り上げた。ヨーヨーから滴る水しぶきに、逆さまになった鹿野里が映っていた。
緊張から解放され、珍しくはしゃいでしまった月美は、百合と一緒にヨーヨーを見せ合って喜んだ。
「これ、結構難しいですわね」
「ね! 糸がふにゃふにゃだよね、水の中だと」
「先のフックがもっと重ければ楽ですのね」
「そうだねぇ、でも上手く取れたじゃん!」
「ま、これくらい朝飯前ですわね」
満足気に微笑んだあと、二人は急に我に返り、辺りを見回した。
この出店は、特に店主のような係がいるわけではなく、クッキーの缶の中に100円を入れてヨーヨーを釣るシステムなのだが、周囲にはいつの間にかかなり人が集まっていた。百合たちがヨーヨーを釣る様子を、花菱女学園の高校生のお姉さんたちが、見守っていのだ。
「おめでと~!」
お姉様たちは拍手してくれていた。
「と、取れました~」
百合は照れ笑いしながらそう答えたのである。
するとここで、二人は意外な一言を耳にすることとなった。
「ねえねえ!」
「は、はい」
「二人はさ、付き合ってるの!?」
その一言は、あまりにもさらっと二人の耳に入ってきた。
耳に入ってきた瞬間は、飛行機雲のような優しい軌跡を百合たちの心に描いただけだったが、その意味を二人が理解した瞬間、突如としてその軌跡が、穏やかだった青空を二つに割って、銀河ごと落ちてきそうな激しい流星雨を降らせたのだ。たぶん、ハートマークの流れ星である。
「い、いやいやいや! そんなんじゃないです!!! 友達です!!」
「そうなの? でも、なんかすごい、ラブラブ~!」
「ち、違いますぅ!!! ホントに!!」
百合は浴衣の袖をぶんぶん振って否定した。指に結んでいたヨーヨー風船が宙をブルンブルンと舞った。
月美は、自分の代わりに百合が全力で否定してくれたおかげでホッとしたわけだが、この時、少々違和感を覚えた。
(あら、百合さん、妙に慌ててますわね・・・)
数か月前の百合さんだったら「そうなんです~、ラブラブです♪」などと冗談を言って月美を困らせたに違いないのだが、今日は違ったのだ。
(もも、もしかして私、嫌われてますの・・・!? 本当に嫌がってる感じですの!?)
月美はこういう時、必ずと言っていいほど真逆の推理をしてしまう。
とにかく二人は、うっとりするような眼差しで自分たちを見てくるお姉様たちの一団から逃げることにした。
しかし、二人の動揺を誘う事態はこれで終わりではなかった。
すれ違う高校生たちのほとんどが百合と月美を見て目を輝かせ「わ~!」とか「素敵~!」などと言うのだ。
(カ、カップルだと思われてるぅ・・・!?)
(こ、硬派なお嬢様である私が、こ、こんな、辱めを・・・!!)
百合と月美は非常に恥ずかしかった。
高校生くらいのお姉さんというのは、他人の恋愛に敏感である。彼女たちの恋のアンテナは、百合と月美を結ぶ特別な感情を簡単に感じ取ってしまうのだ。
一見すると、小学6年生の女の子が二人、可愛い浴衣を着て夏祭りの会場を楽しそうに歩いているだけなので、二人はただの友達であるように思える。
しかし、お互いの表情を気にしながら、つかず離れずの絶妙な距離を保ってゆったり歩く様子は、なんとも抒情的であり、二人の頬がほんのり桜色に染まっているのも、彼女たちの関係が特別なものであることを示していた。
やがて、百合たちとすれ違った高校生たちが、うっとりするような声を上げた。
「あの子たち、かわいい♪」
「ラブラブだね~!」
それを聞いた百合と月美は、一層恥ずかしくなり、逃げるように速足で石段を下りたのだった。
(わ、私たちそんなにラブラブに見えるのかなぁ・・・!?)
百合は、心臓の辺りにガンガン燃える暖炉があって、内側から頬を焦がしているかのような熱を感じた。
真夏の太陽も、乙女たちの熱気に負けじと、強い日差しを鹿野里に注いでいる。
百合と月美は人混みを避けるように歩いていったので、いつの間にか鏡川沿いを歩いていた。田園風景を楽しむ浴衣姿のお姉さんたちの姿が、青々とした田んぼの波の中に点々と見えるが、かなり距離があるので、この場所なら一安心できそうである。
「な、なんか、すごい盛り上がりだったね・・・」
「ええ、まあ・・・」
月美はそう答えて口を閉じ、川沿いに並んだヒマワリの大きな葉っぱを指先で揺らした。「付き合ってるの?」と尋ねられた話は、二人の口から一切出てこないが、二人ともその事ばかり考えている。
祭囃子と和太鼓の響き。少女たちの歓声と蝉の声。そして小川のせせらぎ。
二人のささやかな沈黙に、夏の香りが流れ込んでくる。
百合と月美は、胸の中の火照りを冷ますのに必死なのに、夏祭りの盛り上がりのせいで、ドキドキは全然収まらなかった。
「す、少し、この辺お散歩する?」
「ま、まあ、百合さんがそうしたいなら、別にいいですけど」
月美は振り返らずそう答え、下駄の音をカラリカラリといわせながら砂地を歩いていく。
百合は、そんな月美の隣にぴったりと並んで歩きたかったが、パンダ一匹分くらいの距離を置いて、斜め後ろを歩いた。
(ふ、二人きりって・・・こんなにドキドキするんだ・・・)
ちなみに、百合と月美が二人きりで行動している理由は、鹿舞を担当したのがこのメンバーで、現在、他の仲間たちが忙しいからなのだ。だから、特に深い意味はないのである。
しかし、百合は幸せだった。
二人でいるところを誰かに見られると恥ずかしいが、一緒にいられてとっても幸せ・・・そんな不思議な気分だ。
さて、16時頃になると、境内でお神輿が始まる。
百合と月美はお神輿の係ではないが、見物したいと思ったので、再び神社に向かって歩き出した。しかし、やはり百合たちは歩いているだけでキャアキャア言われてしまった。
(こ、これじゃあ夏祭りゆっくり楽しめないなぁ・・・)
幸せなのは確かだが、堂々と会場を歩けないのは非常に残念である。
月美も同じ気持ちであり、自分たちが恥じらいの檻の中にいるような気分だった。もっと翼を広げて夏祭りを楽しみたいものだ。
(でも、百合さんと一緒にいたいですわ・・・! 別行動は絶対イヤですのよ・・・!)
複雑なお年頃なのである。
さて、二人が神社の石段に向かってローザの喫茶店の前を通りかかると、聞き覚えのある声に呼び止められた。
「あ、百合ぃ~!」
「ルネちゃん! かき氷屋さん、頑張ってるね」
「うん! ねえねえ! ちょっと大事なニュースがあるわよ!」
車椅子のルネはローザと一緒に喫茶店の前でかき氷屋の屋台を開いている。
体が弱いルネは、いつでも屋内で涼めるようにこの場所の出店を担当したのだが、かなり元気に頑張っており、車椅子から立ち上がって、イチゴのシロップが掛かった美味しそうなかき氷をお客さんに手渡していた。
「あらぁ百合ちゃん月美ちゃん! ちょうどいいところに♪」
「あ、ローザさんもお疲れ様です!」
「二人にお願いがあるのよ」
「え、なんですか?」
ローザはなぜか水着姿であり、薄手のパーカーを羽織っていた。ビーチにいるセクシーなお姉さんスタイルであり、ここが海の家であるかのような錯覚を招いた。
「実はね、花菱女学園の生徒会長の・・・なんていう子だっけ」
「翼さんですか?」
「そうそう! 翼ちゃんの知り合いが、打ち上げ花火を用意してくれてるらしいの」
「え!」
翼はかなり庶民的な感覚を持っている人間だが、非常に有力なお嬢様でもあるため、ちょっと知り合いに声を掛ければ打ち上げ花火くらい用意できてしまうわけである。翼は銀花さんたちと相談し、白馬山近くの丘から花火を上げることになったようだ。
「そこそこ大きな花火らしいわ~」
「へ~!」
「それで、日が暮れた直後に打ち上げ始めるらしいんだけど、神社の境内から見るのがいいらしいのよ」
「なるほど、眺めいいですもんね」
アヤギメ神社がある山から北東を望めば、ちょうど白馬山へと続く森や丘が見えるのだ。花火が上がる時間は、神社付近に集合すべきなのである。
「それでね、百合ちゃんと月美ちゃんにお願いがあるの。まだ花火の件はほとんどの人が知らないから、あちこちに教えて回って欲しいのよ」
「あ、なるほど!」
「私とルネちゃんは今手が離せないのよぉ、お願~い♪」
大繁盛しているかき氷屋からローザとルネが離れるわけにはいかないのだ。ここは百合と月美の出番かも知れない。
「月美ちゃん! 引き受けよう!」
「そうですわね。私たちでやりましょう」
鹿野里の子供たちに暇なタイミングはないようだ。全員で協力して夏祭りを成功させるのである。
「じゃあ、お願いね、百合ちゃん月美ちゃん♪」
「はい!」
二人はルネに手を振ってから、軽やかに参道の石段を駆け上がった。まずはお神輿の見物客たちに花火の件を知らせ、その後は鹿野里じゅうに知らせにいくつもりである。
「皆さーん! 翼さんの計らいで、打ち上げ花火を上げて貰えることになりましたー!」
「神社の境内から見るのがオススメですわー! 日が暮れる頃に、この山の上のほうに来て下さーい!」
百合と月美の声に、お姉様たちは歓声を上げた。
「えぇ! 花火!? すごいじゃん!」
「さすが翼様ねぇ~!」
「早めに見晴らしがいいところ行きましょう!」
周囲は、花火の話題で持ち切りだ。
百合と月美はこの時、不思議な快適さを感じた。
花火の件をあちこちに知らせて回る、という大義名分を得たことで、二人一緒に夏祭りの会場を堂々と歩けるようになったからだ。
(やった・・・! これなら、堂々と月美ちゃんと一緒にいられる!!!)
(皆さん花火の話題に夢中で、どなたも私たちのことをカップルだなんて指摘しなくなりましたわ!!!)
ようやく息ができた感じがして、二人は上機嫌になった。
「日が暮れてすぐ、打ち上げ花火がありまーす!」
「境内からよく見えますわー!」
「ぜひお越しくださーい!」
「お越しくださーい!」
二人は声を上げながら、神社の周りを歩き回った。
とても気分が良かった百合と月美は、どちらからともなく、ヨーヨー風船を手でつきながら歩くようになった。ヨーヨー風船のポシャンポシャンという音が、木漏れ日の中で涼しげに弾んだ。
「あっ」
「あら」
いつの間にか二人はピッタリと肩を並べて歩いていたから、ヨーヨーのゴム紐が絡んでしまった。
「あは、ごめんごめん♪」
「取って差し上げますわ」
大きな大きなクヌギの木の陰で、絡まったヨーヨーを月美がほどいてくれることになった。
夏祭の賑わいの裏で、二人きりの小さな世界が生まれた。
絡まった紐に気を取られている月美お嬢様の横顔を盗み見ながら、百合はまたしても、胸を高鳴らせた。
(い、いけない・・・最近の私・・・月美ちゃんにドキドキしすぎだよ・・・)
月美の綺麗な指先や、そよ風に揺れる黒髪に、百合はときめいてしまった。
(さっきも、カップルですかって言われて、あんなに慌てちゃって・・・)
浴衣姿の月美は、本当に人形みたいに美しいのだ。
(月美ちゃんに・・・こんなにドキドキ・・・。どうしてだろう・・・)
そんな疑問が浮かんできた時、百合のヨーヨー風船が半円を描くようにして月美の手元から離れた。
「取れましたわ」
「あ、ありがと・・・」
「じゃあ、行きますわよ」
百合の熱い視線に全く気づいていない超鈍感な月美お嬢様は、そう言ってさっさと歩き出してしまった。
木陰に立ち尽くす百合は、手の中のヨーヨー風船の模様をぼんやりと見つめた。なんだが、胸の中が眩しいような感じがした。
(どうして・・・ドキドキするのかな・・・)
その答えが出るより先に、月美が戻ってきて「何してますの?」と百合を急かすので、考え事は中断になってしまった。今はとにかく、花火のことを皆に知らせるのが先だ。
鹿野里の夜空に花火が打ち上がる、3時間前のことであった。