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百合と何度もファーストキスを  作者: ささやか椎
第3章 田舎暮らし
111/126

111、桃香の夏

 

 これは、今からおよそ2か月前のことである。


 ある日曜日の午後、中学三年生の桃香は、初瀬屋のロビーのソファーのすみに座り、混雑するロビーを見回していた。


(あ、先生たちもいる)


 鹿野里の住人のほとんどが今日、初瀬屋に集合していた。夏祭りに関する大会議が開かれているからだ。


「ええ、皆さーん! 夏祭りと言えば、何を思い浮かべますかー?」


 小学5年生の綺麗子が、ロビーの奥にある大きなテレビの前に立って、会議を仕切っている。


「浴衣で盆踊りデース!」

「なるほど! 盆踊りね! ふむふむ。他にはー?」


 綺麗子はまるで学校の先生のような様子で、ホワイトボードに「ぼんおどり」と記した。綺麗子の字はかなり雑で、バラバラになった乾燥そうめんの破片のようだが、勢いがあって面白いので、桃香は好きである。


「ヨーヨー釣りとか、どう?」

「素晴らしいー!」

「神社の蔵にあった神輿みこしもぜひ使ってくれ」

「お神輿も採用ー!!」


 ホワイトボードにはたくさんの案が並んでいった。


 ここで、美菜先生が元気よく手を上げて綺麗子に質問をした。


「ねえねえ! 綺麗子ちゃんは何をやりたい?」

「よくぞいてくれました!! 私は絶対、獅子舞です!!」


 綺麗子はそう答え、ボードにやたら大きく「ししまい」と書いた。

 獅子舞というのは、年末年始に活躍するイメージがあるが、地域によっては夏祭りにも出現するバケモノである。綺麗子にとって獅子舞とは、最高にカッコイイ人形遊びであり、一度でいいから中に入って獅子を動かしてみたいと思っているのだ。


「じゃあ、この中から実際にやるものを選ぶわよ!」


 先生たちや銀花さんの意見を参考にしつつ、夏祭りの中身を決めていった。準備期間が限られているので、実現可能かどうかは大人の判断に頼ることが多いのだ。


 先生たちが話し合っている時、桃香は早くも、自分が何を担当することになるのかが気になり始めた。


(私はどれやればいいかなぁ)


 遠慮がちな桃香は、なるべく目立たない役職がいいのだが、鹿野里住人の全員が主役にならなければ成功しないビッグイベントであるから、楽はできそうにない。


(やるなら、キャロリンさんと一緒がいいなぁ・・・)


 キャロリンに恋しちゃっている桃香は、いつもこんな風にキャロリンのことを考えてしまうのだ。

 桃香は、少し離れたソファーで、小学1年生のアテナちゃんと肩を組んで座っているキャロリンに目をやった。


(あっ・・・!)


 すると偶然、桃香とキャロリンは目が合ってしまったのだ。


(ん・・・あ、あれ・・・?)


 しかし、よく見るとキャロリンは桃香の目ではなく、胸の辺りをじっと見ていた。やがてキャロリンは、会議の盛り上がりにまぎれてソファーから離れ、桃香に近づき、少し興奮したような囁き声で言った。


「ねえねえ、桃香っ」

「な、なぁに?」

「桃香の胸、また大きくなったデース!?」

「えっ!」


 好奇心旺盛なキャロリンは、いつもなんとな~く桃香の胸を気にしているのだ。


(そ、そういうこと、人前で言わないでよぉ・・・!)


 桃香は恥ずかしくて、胸を隠すようにしてキャロリンに背を向けた。キャロリンは目を輝かせながら桃香の胸を覗き込もうとしている。

 非常にピュアな性格をしたまま、性的なものに関心を持つようになった少女は、このような厄介な女になるわけだが、桃香は正直まんざらでもない。


「それじゃあ決定ね!! いよいよ分担していくわよ!」


 綺麗子がそう号令を掛けると、桃香の胸ばかり見ていたはずのキャロリンが、急に顔を上げた。


「私と桃香は盆踊り担当になるデース!」

「え、ええっ!? わ、私も?」

「私のママはデザイナーだから浴衣も準備できるデース! あと、桃香がダンス好きって言ってマース!」

「い、言ってないんだけどぉ~・・・」


 桃香は苦笑いしているが、内心、とても幸せである。


(キャロリンさんと一緒だぁ・・・! 恥ずかしいけど、う、嬉しい・・・)


 桃香の腕をぎゅっと抱いてきたキャロリンの肌の温もりを感じながら、桃香は頭がぽわ~となってしまった。




 その夜、桃香は自宅の桃園商店で、お風呂に入っていた。


「はぁ・・・」


 桃香の家のお風呂は年季が入っていて、おまけにちょっと狭いが、何十年も丁寧に整備して使っているから、桃色のタイルがピカピカに光っている。


 桃香はお風呂に浸かりながら、窓からこぼれてくる夏の虫の声やカエルたちの合唱に耳を傾け、のんびりキャロリンのことを考えている。この時間はとっても幸せだ。


(キャロリンさん、喜んでたなぁ~)


 夏祭りを特に楽しみにしているのが、キャロリンと綺麗子であり、夏の終わりに咲かせる一花を夢見て目を輝かせる二人の様子に、桃香はとっても癒されるのである。桃香も、彼女たちの夢のために尽力するつもりだ。


 ところが、桃香の脳裏に、ちょっとした心配事が浮かんできた。


(あれ・・・。鹿野里でお祭りをやって、どれくらいのお客さんが遊びにきてくれるんだろう・・・)


 鹿野里の夏祭りは、数十年前にその歴史が途絶え、今年新たに始まるのである。鹿野里は確かに三日月農業で有名だが、お祭り自体の歴史的、文化的知名度はゼロなのだ。


(どうしよう・・・キャロリンさんたち、あんなに楽しみにしてるのに、お客さんが3人くらいしか来なかったら・・・!)


 あんなに無邪気なキャロリンがガッカリしている顔を想像するだけで、桃香は胸が痛んだ。桃香はとっても繊細で優しい心の持ち主だから、他人の悩みまで背負い込んでしまうのである。


(たくさん来てくれるといいけどなぁ・・・)


 桃香はキャロリンの笑顔を思い浮かべながら、湯舟の中で膝を抱えた。もにゅっと寄ったおっぱいの谷間に小さなお湯だまりが出来た。






 盆踊りの練習は、神社の境内で行われた。


 夏休みに入ってからは猛暑が続いているが、石段を上り終えたあたりからは大きな木々が爽やかな木陰を作っているので、意外と快適である。本番と同じ場所で練習するのも、成功への近道かも知れない。


「百合と月美はミュージックプレイヤーの操作をやって下さいデース」

「わかりましたわ」


 その日は百合と月美が一緒にいてくれた。

 ローザの図工教室がある日だったので、二人は神社の石段の下にあるローザの喫茶店にいたから、盆踊りの練習をちらっと見に来てくれたのだ。


「本番はここに綺麗子がいて、太鼓を叩くデース」

「そういえば、綺麗子さん太鼓頑張ってるかな~?」

「初瀬屋まで音が聞こえてきますわよ」


 綺麗子はあんなに獅子舞をやりたがっていたのに、和太鼓の係が必要と聞いて気が変わり、太鼓係になったのだ。和太鼓に憧れていたらしい。

 彼女はアヤギメ神社にあった古い和太鼓を自宅に持ち帰り、毎日のように音楽に合わせて練習しているから、昼下がりの鹿野里には太鼓の『ドドンドドン! ドドンドドン! カンカン!』という音が響くようになった。熱中している時の綺麗子の集中力は凄まじく、日が暮れるまで音が続くこともある。


「じゃあ、音楽掛けますよ~」

「オッケーデース!」


 百合の操作で『笠馬かさま音頭』という曲が流れた。

 城下町でもある笠馬市の魅力を歌った100年近く前の盆踊りソングであるが、歌詞の中に「鹿野しかのの春の桜狩り」という文言が登場しており、鹿野里とも縁があるのだ。かつての鹿野里の夏祭りにも使われていたかも知れない曲だ。


 桃香とキャロリンは、百合のスマホを借りて、笠馬の観光協会が作った盆踊りレクチャーの動画を確認しながら踊っていった。家で自主練習はしてきたのだが、人前で踊るのは初めてだったので桃香はとっても緊張した。


 ちなみに、Tシャツ姿で盆踊りを踊ると、大きなそでがある浴衣と違って手の動きなどが丸見えなので、誤魔化しが効かないから、なかなか恥ずかしいものである。ステップや腕の動きを覚えたつもりでも、手首の返しなど、細かい部分は難しいからだ。


「桃香ぁ~! もっと、こうデース!」

「こ、こうかな?」

「こうデ~ス!」


 キャロリンは物凄くダンスの才能があるわけではないが、とにかく盆踊りを楽しんでいるので、踊りに力強さと躍動感があった。桃香はキャロリンに教わった動きをそのまま実践していった。例えそれが間違っていても、キャロリンと一緒に過ごすこの時間が最高の宝物だからだ。


 蝉時雨が弾む木漏れ日の中、盆踊りの曲に合わせて、キャロリンの白いシャツが舞い、金色の髪が揺れる様子は、まるで夢の中みたいに幻想的で、桃香はうっとりしてしまった。


「ねえ月美ちゃん、私たちも盆踊り練習しとく?」

「え、ど、どうしてですの?」

「なんとなく♪」


 百合が月美を誘い、桃香たちと一緒になって踊り出した。クールな月美は結局ほとんど踊らず、音楽プレイヤーの説明書に目を通していた。照れているのが丸分かりである。


 ちなみに百合と月美は、獅子舞をやる係だ。

 綺麗子が太鼓の係になったので、代わりに百合たちがやることになったのである。


 獅子舞のセットを借りる当てがなかったので、百合たちは獅子を図工教室で自作することになったのだが、口をパカパカ動かせる獅子はおろか、獅子っぽい顔すら上手く作れそうになかったので、少々軌道修正をすることになった。


 鹿野里の象徴はやはり、鹿なので、百合たちは獅子舞ならぬ『鹿舞しかまい』をしようと考えたのだ。鹿の顔なら発泡スチロールと和紙でいい感じに作れそうだったからだ。百合たちはローザさんから発泡スチロールカッターの使い方を学び、可愛い鹿ちゃんを鋭意製作中である。


「ふー! 今日の練習はこんなもんでいいデース!」

「おつかれさま、キャロリンさん」


 盆踊りの練習が一通り終わった。ここで、桃香はキャロリンに気付かれぬよう、こっそりと百合と月美に近寄った。


「つ、月美ちゃん、今日の夕方、初瀬屋に寄っていいですか・・・?」

「え? もちろん、いいですのよ」

「ちょっと銀花さんに相談があるの。お話したいなぁって」

「あら、そうですの。分かりましたわ」


 桃香は、あの日お風呂場で感じた一抹の不安を、銀花さんに相談しておこうと思ったのだ。





 夏の夕方は、色んな香りがする。

 広大な田園を駆け抜けてくる風が、火照ったような草と土の香りを運び、初瀬屋の玄関からは、焼いた三日月野菜の香ばしい匂いと味噌汁のいい香りが漂ってくるのだ。

 入道雲はオレンジ味のソフトクリームのようなパステルカラーに色づいていて、柔らかな夕空をバックに優しく輝いていた。


 桃香は、初瀬屋の玄関から先へは上がらず、その場で銀花さんが来るのを待った。


「あら桃香、私に相談があるの?」

「は、はい!」


 銀花さんはとってもクールで格好いいので、名前を呼ばれると桃香は少しドキドキしてしまう。


「あの、私少し、不安なんです」

「どうしたの?」


 銀花さんは表情がほとんど変わらない女性であるが、声はいつだって優しいので、冷たい感じが全くしない。何でも相談できる雰囲気があるのだ。


「夏祭りの準備を、皆で一生懸命頑張ってるけど・・・お客さんが全然来なかったら、その・・・ガッカリしちゃうかなって思うんです・・・」


 それを聞いた銀花は、ロビーの奥の窓から差す夕焼けに頬を染めながら、穏やかに微笑んだ。


「桃香、あなたはとてもいい子ね」

「え・・・」

「自分がガッカリするんじゃなくて、他の子がガッカリするのが可哀想、っていうことでしょう?」

「あ・・・は、はい」

「桃香のその気持ち、私好きよ」

「は、はぁぅ」


 桃香は顔を真っ赤にしてしまった。桃香はキャロリンに恋しているのに、時折このように、色んな女性にキュンとしてしまう、いけない乙女なのだ。


「大丈夫よ、桃香。誰もガッカリしない、素敵な夏祭りになるわ」

「素敵な・・・?」

「そうよ。私、全部知ってるの」


 桃香のふわふわの髪を、銀花の指が優しく撫でた。


「桃香」

「はい・・・」

「当日の朝も、いつも通りラジオ体操をしに、ここへいらっしゃい」

「え?」

「楽しい夏祭りにしましょうね」

「はいぃ・・・」


 桃香には、銀花がどんなことを考え、何を知っているのか、想像もできないわけだが、なんだかとっても気持ちが軽くなった気がした。銀花さんが「なんとかなる」と言ってくれたら、本当になんとかなりそうな気がしてくるのだ。


 その日の星空は、いつもよりちょっぴり透き通って見えた。





 初瀬屋の裏手の鏡川に、赤とんぼがよぎる季節になってきた。

 ついに、八月の最後の週、夏祭り当日がやってきたのだ。


 桃園商店の二階の自室で目を覚ました桃香は、東側のカーテンを開け放ち、窓も開けた。

 まだ蝉も眠っている時間帯の鹿野里は、夏の終わりの最後のイベントを前にして、しっとりした静寂に包まれている。


 桃香は、銀花さんに言われた通り、忘れずに夏休み最後のラジオ体操に向かった。ラジオ体操は6時30分からだ。



 初瀬屋の玄関前には百合がいた。ラジオ体操の会場は初瀬屋の前なので、一番乗りはいつも百合か月美である。


「おはよう、百合ちゃん」

「おはよう桃香さ~ん。いよいよお祭りだね」

「うんっ」


 二人はスタンプで一杯になったラジオ体操カードを笑顔で見せ合った。今日でスタンプはコンプリートだから、お菓子の詰め合わせが貰えるはずだ。


「そういえば、月美ちゃんは?」

「すぐ来ると思う」


 月美の姿を探して桃香は玄関を覗き込んだ。

 すると、エプロン姿の銀花さんと月美が小走りで外に出てきた。たった今、電話で何かの連絡を受けたような感じである。


「おはよう桃香。ラジオ体操、皆勤賞ね」

「は、はい! おはようございます!」

「ラジオ体操より先に、ちょっと面白い光景を見ることになるわ」

「えっ?」

「ほら見て」


 銀花さんは、朝日が差す大通りを指差した。

 桜の木が並ぶ大通りは南北に走っており、彼女が指差したのはその南の果てである。あちらは笠馬の市街地へと続いている。


「あっ」


 桃香の視線の先で、何かが光って見えた。


 朝日を受けて白く輝きながら姿を現したのは、観光用の大型バスだった。


 バスはぐんぐん近づいてきて、静かな朝に不似合いな大きなエンジン音を立てながら初瀬屋の駐車場に入ってきた。バスが停まると、自動で開いた扉から先頭で下りて来たのは、桃香も知っている女子高生だった。


「おはようございます、銀花さん! 花菱はなびし女学園です!」


 毎年水泳の授業でお邪魔している花菱女学園の生徒会長、翼さんだ。


「ホントに気が早いですわねぇ」

「やあみんな! 何かの足しになればと思って、美術部がたくさん灯篭とうろうを作ってくれたから、私たちだけ朝一番に来て並べようと思ったんだ! 昼頃に残りの5台がくるよ!」

「ええ!! 5台ですの!?」

「そうさ! みんな鹿野里の夏祭りを楽しみにしていたんだ!」


 桃香も思わず「5台ですか!?」と声を上げてしまった。200人近くの高校生のお姉さんたちがお客様としてお祭りに来てくれるということなのだ。こんなに大勢が来てくれるなんて、子供たちは誰も予想していなかった。


「おぉ! 翼が来てるデース!」

「キャロリンちゃーん! 綺麗子ちゃーん! 約束通り、遊びに来たよぉ!!」

「ようこそデース!!」


 ラジオ体操にやってきたキャロリンと綺麗子が、手を振りながら桜並木を駆けてくる。光の中で飛び跳ねるキャロリンたちの様子がとても可愛くて、まるで天使みたいだなと桃香は思った。


(あぁ、良かったぁ・・・全然、心配いらなかったんだ♪)


 繊細な桃香がひと夏抱えていた不安と心配が、完全にほどけて消えた瞬間である。


「桃香。今日の夏祭り、楽しみましょうね」


 銀花さんの手が桃香の肩に優しく触れた。顔を上げた桃香は、銀花さんへのお礼も込めて、精一杯元気な返事をした。


「はいっ!」


 また一つ、大きく成長した心優しい桃香の夏に、ラジオ体操の音楽が響き始めた。

 

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