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百合と何度もファーストキスを  作者: ささやか椎
第3章 田舎暮らし
109/126

109、常連客

 

 里山の自然は、旅行客の心を癒してくれる。


 本日、鹿野里にやってきたのは、笠馬かさまの地域新聞の若い女性記者5人だ。


 歴史と自然と科学が調和する笠馬市の魅力を記事にして全国に伝えることが、彼女たちの使命である。特に鹿野里は三日月野菜で世界中から注目が集まっているため、定期的に記事が作られているのだ。


「あ! あの日陰に小さな鹿がいるー!」

「可愛い~!」

「写真撮りたわぁ~!」


 三日月野菜に関する情報は毎日のように様々な媒体で紹介されているため、今回はシンプルに、鹿野里の豊かな自然をテーマにしようと彼女たちは考えている。つまり、ほとんどただの観光だ。


「この村、ホントに空気が美味しいなぁ・・・」


 5人いる記者たちの中で注目すべきは、今年入社したばかりの小柄な女性だ。初めて鹿野里にやってきたこの女性の名を、仮に花子はなことし、彼女の旅を追ってみることにする。


「わっ!」


 森の小道を歩く花子は、足元の木の根につまずいて転びそうになってしまった。

 花子はかなり真面目なので、デジタルカメラの充電が切れていないか頻繁にチェックしていたから、足元をよく見ていなかったのだ。


「花子、大丈夫?」

「あ、はいっ。すみません」

「森の中なんて、滅多に歩かないもんね」

「そうですねぇ。でも、すごく気持ちがいいです」


 蝉の大合唱と、弾けるような木漏れ日に包まれて、花子はずっとわくわくしている。


「ねえ花子、あの辺りの写真も撮っておこうよ!」

「わかりましたっ」

「ちょっと皆ぁー! 記事の内容もしっかり考えるんだよ!」

「はーい!」


 花子は暑さも忘れ、夢中になってシャッターを切っていった。




 さて、本格的な散策は明日以降になるから、今日は早々に旅館へ行くことになった。

 5人は車に乗り、鹿野里にある唯一の旅館、初瀬屋へ向かった。17時にチェックインの予定なので、丁度いい時間である。


「初瀬屋さんはなかなか良い旅館よ~!」

「へ~。先輩たちは何度か泊まってるんですよね?」

「うん! 毎年この時期に泊まってるのよ」

「毎年ですかぁ、常連なんですねぇ」

「そうねっ」


 初瀬屋は鹿野里のほぼ中央にあるから、観光の拠点にピッタリなのだ。


「着いたわ!」

「お~」


 田畑に囲まれた桜並木のメインストリート沿いに、瓦屋根の美しい旅館が現れた。あれが初瀬屋である。


 車が駐車場に入った時、花子は旅館のエントランス前に立つ三つの人影に気付いた。


(あれ、従業員さん・・・かな?)


 一人は大人だが、他の二人は子供のように見えた。


「おっけーい。じゃあ下りよう! 忘れ物ないようにね!」

「はいっ」


 とにかく、花子は先輩たちと一緒に車を下りることにした。


 車のドアを開けると、蝉の声が耳に眩しかった。夕方になっても暑さは衰えていない。

 懐かしさと新鮮さが混ざり合ったような、深い緑の香りに包まれた花子は、目の前の旅館の楚々そそとした趣きに一瞬で心を掴まれた。


(わぁ、綺麗な旅館・・・!)


 小さいけれど上品で可愛いという点では和菓子のようであり、古いのにどこか新しい感じがする点では螺鈿らでん細工のようでもあった。和洋折衷な意匠いしょうが随所に見られ、ちょっとした文化財のような存在感である。この旅館は絶対記事にするべきだろうと花子は思った。


「いらっしゃいませ」

「いらっしゃいませっ」


 花子は、不意に耳の飛び込んできた華やかな声にドキッとした。

 振り向くとそこには、着物姿の美人な若女将と共に、はんてんを羽織った小学6年生くらいの少女が二人おり、花子たちに向かって丁寧にお辞儀してくれていた。


(わぁ、可愛い・・・)


 少女たちを見て、花子は少し、うっとりしてしまった。


「花子、暑いから早く入るよっ」

「あ、はいぃ!」


 花子は慌ててキャリーケースを持ち、先輩や従業員さんたちについていった。





 お部屋まで案内してくれたのは、小学生の二人だった。


「へ~、それじゃあ百合ちゃんは、今は初瀬屋さんから学校に通ってるのね!?」

「はい」

「まだ11歳なのに、いつもこんな風にお手伝いしてるのー?」

「いえ、今日が初めてです・・・」

「そうなのぉ! 偉いわ~」

「かわいい~」


 案内してくれた従業員さんとお部屋でおしゃべりをするのは、旅行の小さな楽しみの一つである。「お暑い中、お越しいただきありがとうございます」とか「本日はどちらへ行かれたのですか」といった質問をしてくれるタイミングがあるので、そこでゆっくりおしゃべりを楽しんじゃうわけだ。


 案内係というのは、夜のお食事の準備に関わっていないことが多いし、社交的な従業員であるケースも多いから、10分や15分、お部屋に引きとめておしゃべりしても大丈夫である。たぶん。



 二人の少女の名前は月美ちゃんと百合ちゃんである。

 花子の先輩たちは月美ちゃんのほうは知っていたのだが、百合ちゃんとは初めて会ったのだ。


「それにしても、月美ちゃん大きくなったわねぇ!」

「あ、ありがとうございますわ・・・」

「一年間で凄く大人っぽくなりましたよぉ」

「そ、それは、どうも・・・ですわ」

「銀花さんに似てきたわねぇ!」


 月美ちゃんは女将の姪っ子であり、クールな雰囲気のお嬢様である。


(可愛いなぁ・・・)


 花子は月美と百合を見比べながら、少しもじもじしてしまい、座布団の上に座ったまま、カバンを開けたり閉めたりを繰り返した。

 花子は別に女の子に興味があるわけではなく、ましてや小さい子にドキドキするタイプでもないのだが、あまりにも月美と百合が美少女だったから、さすがに見とれてしまったわけである。



 二人が部屋から去った後、今日撮影した写真を整理したり記事の計画を練ったりしているうちに、日が暮れていった。

 部屋の窓から見える鹿野里の西の空が、茜色から紫色に移り変わっていき、やがて銀色のビーズの暖簾のれんを掛けたように美しく輝きだした。


(わぁ・・・! 星空の写真、撮りたいなぁ・・・)


 けれど、花子たちが持っている普通のカメラではこの夜空の美しさを写真に収めるのは無理だろう。もっと良いカメラを持ってくればよかったと花子は思った。




 お食事は3階の広間に用意してもらった。

 鹿野里産の三日月野菜をふんだんに使った、豪華なメニューである。


「それでは、ごゆっくりどうぞ」

「はーい。ありがとうございまーすっ」


 女将の銀花さんがお辞儀をして広間を出ていった。

 花子は、また月美ちゃんや百合ちゃんとおしゃべりできるのを期待していたのだが、彼女たちはお膳を並べるのを手伝った後、早々に下の階へ下りていってしまった。花子たちのお布団を敷いてくれるのだ。


(今頃、あの月美ちゃんって子が、百合ちゃんにお布団の敷き方を教えてるんだろうなぁ・・・。すごく可愛い・・・)


 夕食を食べながら、花子はなんとなくずっと百合たちのことを考えていたから、先輩たちの話があまり頭に入ってこなかった。




 さて、食事の後はお風呂である。

 本当は食事の前に入浴して早々に浴衣姿になりたかったのだが、さすがにまだ暑かったので、気温が下がるのを待ったのだ。今なら夕風の心地良さを感じながらお風呂を楽しめるだろう。


「花子! 一緒のロッカーにしよう~」

「え、ええ~・・・?」

「しかもこの小さいロッカーね♪」

「狭すぎですよぉ~・・・」


 実は花子は笑顔がとってもカワイイので、先輩たちはいつも花子を笑わそうとしてくる。


 お風呂前の水分補給が大事であることをしきりに主張する健康意識が高い先輩が、自販機で全員分のジュースを買ってくれたので、花子は脱衣所の椅子に座ってそれを飲んだ。トマト風味のスポーツドリンクときいて花子はかなり不安になったが、飲んでみると非常に美味しかった。鹿野里に限らず、笠馬市は変わったジュースが多い。


 先輩たちが服を脱ぎ始めた頃、花子は何気なくこんなことを言った。


「夜空が綺麗に撮れるカメラ持ってくれば良かったですねぇ」

「え?」

「立派な記事にできたと思うんですよ。鹿野里の空気の綺麗さを伝える記事に」

「カメラあるわよ、星空用のやつ」

「え!? ホントですか!」

「うん。ていうか、ここにあるわよ」

「え?」


 なぜこの先輩は脱衣所にカメラを持って来ているのか。


 先輩が差し出したのは、大型のセンサーと暗闇に強いレンズが付いた、本格的なカメラだった。


「すごーい! 私、今からこれで撮影してきていいですか?」

「今から?」

「はいっ」

「まあ、そうね、お風呂上りだと風邪引きそうだし。私も一緒にいくわ!」

「いえ、先輩たちは先にお風呂行ってて下さい! すぐ戻ってきますので!」

「そっか、分かった。気を付けてね!」

「旅館のすぐ外ですから、大丈夫ですっ」

「了解!」


 ジュースをご馳走して貰ったお礼のつもりで、花子は一人で撮影に向かったのである。




 ところが、この撮影が想像以上に長引いたのだ。


 なにしろ花子の頭上には、見たことがないような満天の星空が広がっており、絶対に記事に載せたいと思うような写真が次々に撮れて、やめ時を見失ってしまったからだ。少し角度を変えるだけで、写真の主役となる星座が大きく変化するから、撮影が非常に楽しく、時間を忘れてしまったのである。まるで宇宙旅行をしているかのような感動だ。

 しかも、明日の夜が綺麗に晴れている保証もないので、今日できる限り撮影しておくのは正解であった。


「おーい! 花子ぉ!!」

「あ、先輩! いい感じで撮れてますよ!!」

「もう9時だよ!!」

「えええッ!?」


 気が付いたら、先輩たちはもうお風呂から出てきてしまっていたのだった。





「ま、一人でお風呂も悪くないか♪」


 先輩たちと一緒にしばらくは星空撮影を続けていた花子だったが、9時半を過ぎたあたりでようやく大浴場に向かった。明日の夜は皆で一緒に入るつもりである。


 花子は誰もいない脱衣所で服を脱ぎ、タオルを抱えて大浴場の扉を開けた。しかしそこで、大事件が起きたのだ。


「あっ!」

「あっ!」


 なんとそこには小学6年生の百合ちゃんがおり、大浴場の湯舟に片足を入れた状態のままビックリして固まってしまっていたのだ。





 花子と百合は、広い湯舟に肩を並べて浸かっている。


「い、いつもこの時間にお風呂なんですか・・・?」

「い、いえ、もう少し早く、入ってます・・・」

「あぁ、そうですか・・・」


 なぜか花子も丁寧語になってしまっている。


 百合は食器洗いなどのお手伝いを全て終えた後、てっきりお客様たちがもう全員入浴を終えたと思って、大浴場を使い始めたのだが、そこに遅れて花子がやってきたわけである。


 二人は妙に緊張してしまい、しばらくの間、無言になってしまった。


(わぁ、美少女と二人きりになっちゃった・・・なんとか、気さくに会話しないと)


 入浴時にしゃべらなくてはならないルールなどなく、むしろ静かに過ごしていいはずなのだが、花子はなんとなく、百合が緊張していることを察しているため、会話しようと思ったのだ。


 一方の百合も、話題を必死に探していた。


(どうしよう、お客様相手に何をしゃべっていいか分からないなぁ・・・)


 万が一何か失礼なことを言ってしまったら、銀花さんや月美ちゃんにも迷惑が掛かってしまうと思うと、百合は身動きが取れなくなってしまったのだ。

 ちなみに花子は22歳なので、ちょうど百合の二倍の年齢なのである。簡単に仲良しになれる感じではないのだ。



 しかしここで、ちょっとした偶然が起こった。


 沈黙を持て余した二人が、相手の顔色をうかがおうと、同じタイミングでゆっくりと相手に顔を向けたのである。


(あ・・・)


 完全に目が合ってしまった。

 お風呂のお陰でちょっぴり顔色が良くなっている二人が、お互いの綺麗な瞳をじっと見つめ合ったのである。


「ふふっ♪」


 そして、どちらからともなく、二人は笑ってしまった。相手も自分と同じような気持ちなのだと分かったからだ。


「な、なんかごめんね、緊張しちゃって!」

「いえ、私のほうこそっ!」


 ちょっぴり仲良くなった花子と百合は、鹿野里や学校についておしゃべりした。考えてみると、花子は職場では一年目の新人だし、百合も鹿野里の子供たちの中では新米だから、共通点が多くて気が合うのである。


「ねえ百合ちゃん、鹿野里にさ、有名な山があるんでしょ?」

「え? 神社のところですか?」

「そこかなぁ。谷の向こう側にあるらしいけど」

「あ、じゃあ違いますね。どこの山だろう」

「どこだろうね。私、写真で見ただけなんだけど、凄く綺麗だったよ、景色が」

「へ~。山の名前ってなんですか?」

「なんだったっけ、なんか綺麗な名前だったんだよね」

「綺麗な名前・・・?」

「あ、白馬はくば山だ!」

「へ~白馬山ですか! 皆は知ってるのかな」

「有名みたいだよ」

「行ってみたいなぁ~」


 すっかり友達みたいに打ち解けてしまったのだ。



 やがて、小学生の百合がのぼせてくるわけである。真夏に長湯はすべきでない。


「あっ! 百合ちゃんそろそろ出る? 暑いでしょ?」

「あ、はい、そうですね。すっかり長風呂しちゃいました。花子さんは?」

「じゃあ、私はもうちょっとしてから出るね♪」

「わかりました、それじゃあ、お先に!」


 湯舟から出た百合が恥ずかしそうにタオルで体を隠すので、花子はなるべく彼女の体を見ず、顔だけを見て「またね!」と挨拶をした。

 百合は「はいっ!」と言ってお辞儀をして、脱衣所のドアへ向かっていった。百合はドアの前で体を拭き始めたのだが、花子はなるべくその様子を見ないようにした。胸などをジロジロ見つめたら失礼だし、何かに目覚めてしまいそうだったからだ。


「あ! 花子さん!」

「え、な、なぁに!?」


 もう脱衣所に行ったと思っていた百合がペタペタと歩いて戻ってきたので花子は驚いた。


「私たち、鹿野里で夏祭りをやろうと思ってるんです。良かったら、遊びに来てください♪」

「夏祭り!? え、絶対行くー!」

「絶対来て下さい♪ 八月の最後の週の日曜日です。友達が作ったチラシがあるので、あとで渡しますね!」

「うん! ありがとう!」

「こちらこそ! それじゃあ、また!」

「はーい!」


 そして今度こそ、花子は大浴場に一人きりになった。


 花子は肩まで湯に浸かりながら、天井を見上げ、窓から入ってくる涼しい夜風に向かってふーっと一息ついた。


(はぁ~・・・なんか私、すごく幸せ・・・)


 胸の中で星がまたたいているような、ロマンチックな充実感に包まれたのだ。


(初瀬屋、絶対毎年来ようっと・・・)


 こうしてまた一人、初瀬屋のリピーターが増えたのであった。

 

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