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百合と何度もファーストキスを  作者: ささやか椎
第3章 田舎暮らし
107/126

107、ひとときの悪女

 

 アヤギメ神社には、心地良い風が吹き抜ける。


 夏休みに入ってから暑い日が続いているが、神社は小さな山の頂上付近にあるので風が良く通るし、大木の陰があちこちにあるから、避暑地と呼ぶにふさわしい爽やかさだ。


「ついたぁ・・・!」


 長い石段を一人で上ってきた百合は、脱いだ帽子を団扇うちわ替わりにしてふわりふわりとあおぎながら、神社の周りの大きな木々を見上げた。


「大きい~・・・」


 蝉しぐれの降り注ぐ鮮やかな緑色が、はるか頭上で太陽を遮っている。枝から枝へと渡っていく風は、シャワーのような涼し気な音を立てて、汗ばんだ百合の首元を心地よく撫でていった。


(一人だけで鹿野里を歩くのって、ちょっと新鮮かも♪)


 百合はグ~ッと伸びをして、緑の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。


 ローザの喫茶店で毎週開かれている図工教室は、夏休みに入ってからも通常通り続いており、今日も百合たちはカフェに集まって物づくりを楽しんでいた。今の時期はとにかく、夏祭りに向けた大小の飾り付けや出店の準備が主な活動であり、図工というよりは日曜大工の教室みたいになっている。


「えーっと、ここを測ればいいのかな」


 百合はローザから借りた巻き尺を使って、石畳の幅を測ることにした。石畳は、この神社の巫女である千夜子先輩が毎朝掃除しているらしく、ほとんど砂が被っていなかった。石の表面は少しでこぼこしており、日なたでは熱く、日陰ではひやっとしていた。


「ここは、3メートル・・・30センチ、だね」


 百合はメモを取り出し、数字を記録していった。

 ボールペンの先についた星型の小さな飾りがチャランチャランと音を立て、蝉しぐれの中に可憐な響きを加えた。都会育ちの百合は、自分が大自然の中に溶け込んで暮らしていることを実感して、胸がドキドキした。


「よし、あとは、どこだっけ」


 百合はローザのメモを確認しながら、他の場所も測っていった。

 お祭りの装飾を作る際に必要な寸法は、既にローザがほとんど調べてくれてあったのだが、いくつか調べ忘れた個所があったので、今日は百合が代表して測りにきたのである。

 ちなみに、月美と綺麗子とルネは、現在ローザの喫茶店で提灯ちょうちんを作成中だ。和紙と割り箸だけで作れる簡単な提灯なので、現時点で80個近く完成しているが、まだまだたくさん欲しいのだ。


「えーとここは、2メートル・・・」


 その時、何か物音を聞いた気がした百合が顔を上げると、石段近くの鳥居のそばに人影が見えた。

 物音の正体は、その少女が石段の最後の一段に軽くつまずいて、鳥居の柱にペタッと両手をついた音だった。彼女は他でもない、月美である。


「月美ちゃん! 提灯ちょうちん作ってたんじゃないの?」

「は、はい。その、忘れ物を届けに来てあげたんですわ・・・感謝して下さい」


 月美は自分が転んだ瞬間を見られていないかヒヤヒヤしながらも、クールな表情を作って百合に歩み寄り、小さなメモ帳を差し出した。


「肝心のメモ帳を忘れるなんて、しょうがない人ですわねぇ」

「えっ」


 そう言われて、百合は咄嗟に自分が持っていたメモ帳をポケットに隠した。月美が持ってきてくれたのは確かに百合のメモ帳なのだが、百合はローザのメモ帳を持ってきていたので、実は必要ないのである。


(月美ちゃん、わざわざ私のために持ってきてくれたんだっ!)


 お嬢様に恥をかかせてはならないと百合は思ったのだ。


「ありがとう、月美ちゃん!」

「はい、どうぞ」


 手帳を百合に手渡した月美は、何も言わずにその場でもじもじして、自分の前髪をいじったりしていた。


「あ、もしかして月美ちゃん、少し手伝ってくれる?」

「あら、お手伝いですの? どうしてもと言うなら・・・仕方ありませんわね」


 月美は少し嬉しそうにそう答えたのである。




 二人が協力してあちこちを測り始めると、いつもの動物たちが集まってきた。


「あら、何か来ましたわ・・・」

「ん?」


 樹齢二百年以上の木々が多いこの辺りでも、ひと際大きな木の陰から、いつもの小鹿がひょっこり現れ、のんびり歩きで近づいてきた。背中には青い小鳥のピヨちゃんが乗っており、身を乗り出して「お、人間じゃ~ん。暑いのに何やってるピヨ~?」みたいな顔をしている。


 月美は石畳の上にしゃがみ込み、巻き尺の端を押さえていたのだが、どこからともなくやってきた白いウサギが彼女のスカートの下に入り、指先をくんくんしたり、手の甲に乗ろうとしたりしてきたので、少々焦った。


「わ・・・ちょっと・・・お邪魔ですわよ・・・」

「ふふっ♪」


 その様子が可愛くて、百合はくすくす笑った。なぜか月美お嬢様は動物から大人気だ。



 手水舎ちょうずやという名で呼ばれる、神社の手洗い場の横幅を測りながら、百合はまじまじと月美の横顔を見た。

 清水のせせらぎがよく似合う、透明感のある素肌を見ていると、百合は吸い込まれそうな気持ちになる。何かしゃべらないと頭がぽーっとなってしまいそうだったので、百合は話題を探した。


「綺麗子さんとルネさん、順調に提灯ちょうちん作れてるかな」

「いい感じで作ってましたわよ。今、和紙を染めてます。ローザさんも手伝ってくれてますから、大丈夫ですわ」

「そうだね」

わたくし、いまだにローザさんとお呼びしていいのか、ローザ先生とお呼びすべきなのか、迷ってしまいますわ」

「あ、私も。喫茶店を経営してる優しいお姉さんってイメージ強いもんね」

「そうですわね。でもあの人、数年で日本語をマスターしちゃうくらい勤勉な方ですから、尊敬できますわ」

「うん。私もローザさんみたいに、勉強頑張らなきゃ」


 百合と月美にとって、ローザは尊敬できる女性なのである。

 三日月農業を研究するかたわら、自力でカフェを開店し、さらに地域の活性化のために子供向けの図工教室まで開いてくれる、親切で格好いいお姉さんなのだ。




 が、残念ながらそれは、真実と少し違うと言わざるを得ない。




「ル~ネちゃん♪ この部屋、暑かったら遠慮なく言ってね」

「あ、はい。大丈夫です。丁度いいです」


 風鈴の音が駆け抜けるローザの喫茶店は、エアコンを効かせなくても不思議な爽快さがある。神社への石段のそばにあるこの喫茶店は、北の山の森を抜けた瑞々みずみずしい香りにいつも包まれているのだ。


(今はチャンスだわ~♪ この部屋にルネちゃんと綺麗子ちゃんしか残ってないもの♪)


 まだ誰も気づいていないが、ローザはとんでもない女好きであり、隙あらば乙女心をもてあそぶ、生粋きっすいの悪女なのだ。

 彼女は現在、車椅子の美少女ルネちゃんに狙いを絞っており、色仕掛けできるタイミングを根気良く待っていたのだ。本気でルネに恋しているわけではなく、ただの遊びであるから性質たちが悪い。


(さ~て、あとは綺麗子ちゃんがいなくなれば完璧よ♪)


 綺麗子は図工が好きなので、普段の騒がしさとは打って変わって、黙々と作業をしている。

 小さな三角形に折った和紙を水に浸した後、その角だけを絵の具で染め、そーっと広げると綺麗な模様ができるのだが、綺麗子はこういう作業が大好きなのだ。


「できたぁー! ローザ先生これどう!? すごい!? すごい!?」

「すごいわよぉ♪ 紫色が花みたいに広がってて綺麗だわぁ~」

「やった~! これ乾かしてくるー!」

「は~い♪」


 綺麗子はご飯タイムの子犬のようなハイテンションで、喫茶店の外にある物干し用のスペースに駆けていった。


(チャ~ンス!!)


 恐ろしいことに、ローザにチャンスが訪れてしまった。

 ローザはルネの隣の席へ行き、敢えて椅子には腰かけず、中腰になってルネの作品を覗き込んだ。


「あらぁ~、ルネちゃんのもいい感じね♪」

「は、はい」

「折り方がとても丁寧よ。きっと綺麗に染まるわ♪」

「はい・・・」


 ルネは内心、ドキドキしていた。


(ローザさん・・・いい匂いがするなぁ・・・)


 まだ小学5年生のルネにとって、大人のローザの色気は刺激が強かった。ローザはシャンプーやボディークリームの香りにこだわっているから、近寄るだけで相手をキュンとさせてしまう場合があるのだ。


(あ、和紙を折る手がゆっくりになったわ♪ 動揺しているのかしらぁ?)


 ローザはこういう時に大きな幸福感に包まれるのだ。全国の乙女諸君は、このようなダメな大人になってはいけない。


(ん~、まだ綺麗子ちゃん戻って来ないわね。よぉし)


 ローザは次に、ルネの視界に入りやすい位置へ移り、胸を寄せるように意識して、再び中腰になった。


「ルネちゃんってさぁ」

「はい」


 ルネは顔を上げた。


「学校では、どんな係をやってるの?」

「学校では・・・」


 ここでルネは、完全にローザの作戦にハマってしまったのである。


 まず、ローザくらいおっぱいが大きくてセクシーな女性は、自分の胸に視線が向けられることに慣れているわけだが、そのほとんどが、盗み見されるようなパターンなのである。例えば、大学の学食で食事中、斜め前に腰かけている女性に不意に目を向けると、彼女が思いっきり自分の胸の辺りを見ていた、というような感じだ。


 しかし、小学生というのは、大人よりもセクシーな刺激に弱く、対処法も知らないため、互いに目を合わせて話している途中でパッと視線を落とし、胸を凝視してしまうパターンが多いのだ。これではバレバレである。しかも一回おっぱいの辺りに目をやってしまうと、なぜか目が離せず、そのまま会話を続けてしまうケースが多いのだ。おっぱいとしゃべっている感じである。


 ルネはまさにその状態になってしまったのだ。


「学校では・・・黒板係です・・・」

「あら、黒板消す係?」

「は、はい・・・」

「車椅子なのに、上のほうまで頑張って手伸ばすのね。偉いわぁ♪」

「あ・・・立ち上がるのは簡単にできますから・・・大丈夫なんです」


 ルネはサッパリ話が頭に入らず、無意識に返事していた。ローザのシャツのボタンは上から3つも開いており、彼女の胸の谷間がかなりはっきり見えてしまったからだ。ツヤのあるモチモチしたおっぱいがとっても生々しくて、ルネの意識はまるで磁石のようにローザの胸に吸い寄せられて離れなくなってしまった。


(わぁ・・・すごい・・・)


 ルネは完全に固まってしまったのだ。


 それを見たローザの喜びは言うまでもない。


(いや~ん! 可愛いいいいいい!! ルネちゃん、顔が赤くなったわぁ~!!!)


 どうしようもない女である。

 ちなみに、ローザはこのような色仕掛けを故郷のマドリードで散々やってきたのでよく知っているのだが、人の顔が赤くなる場合、早ければ3秒で顔色が変わり始め、10秒も経てば完全に赤くなるのだ。ルネは色白なせいか、頬や耳の色の変化が特に早かった。


(ん~、次はどうしようかしら~♪)


 ここでそっと胸元のボタンを閉じる、という戦法もある。そうするとルネは『あ! まずい! 見てたのバレちゃった・・・!』となり、さらに恥ずかしがってくれるはずなのだが、今後ローザに対して慎重になってしまう可能性があるので、やめておくことにした。今はルネを泳がせておくほうが楽しいとローザは判断したのだ。


(よ~し、このポーズのまま、ルネちゃんの髪に触ってみちゃお♪)


 何も言わずに少女の前髪を優しく整えてあげる作戦、である。そのままの流れで頬に軽く触れたり、頭を優しく撫でたりすれば、もう少女のハートはローザのものなのだ。


(そ~れ♪)


 ルネの前髪にローザはそっと手を伸ばした。


「ローザさん、ただいまっ」

「ただいま戻りましたわ」

「二人で全部測ってきました~」


 突然カフェに戻ってきた百合と月美の声に、ローザは華麗に反応し、流れるように胸元のボタンを一つ閉じると、一瞬でルネから距離を取った。


「あら、おかえりなさい♪ わざわざありがとう♪ ジュース飲んで涼んでっ」

「ありがとうございまーす!」


 そのすぐ後、綺麗子も屋内に戻り、いつもの図工教室の風景に戻った。

 ローザは子供たちの提灯ちょうちん作りを丁寧にサポートし、優しく笑ったり、上品にアイスティーを飲んだりしたのである。


(さっきの・・・何だったんだろう・・・)


 ルネはまだ、身も心も火照っていた。


(なんか、夢見てたみたいな感じ・・・)


 ルネはローザの横顔をそっと見つめながら、夢と現実の間で見てしまった大人の色気の世界を、小さな胸の中で何度も上映して、その日の午後を過ごすことになった。

 ピュアなルネを守るために、鹿野里住人は早くローザの本性に気付くべきなのだが、残念ながら、この悪女の色仕掛け遊びはまだまだ続くことになるのである。

 

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[良い点] このお姉さん、だめなやつだっ笑
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