1話 日常トノ別レ
「ハアッ、ハアッ……」
しんどい。死んでしまいそうだ。
僕は現在、所属している剣道部で放課後の活動を行っていた。
いつもの数倍は負荷が掛かるハードなメニューに、部活が始まって一時間も経たず音を上げているところだ。
「オォーイ、三沢ァ! 踏み込みが甘めえって何回言わせんだ! やる気ないなら帰れ!!」
「……っす……」
「あぁ!? 聞こえねぇな! もっと声を張れよ! 」
「……ぁい!」
生唾を飲み込む暇もないほど息が上がり、言葉を発する余裕が無いため、自分でもよくわからない返事になってしまった。
僕は剣道でよくキツいと言われている"追い込み"という練習をしている。追い込みとは、下がる相手を追いかけながら打ち込む練習のことだ。
普段であればテキトーな動きをしていても怒られないのに、現在進行で剣道部の部長から熱い指導をいただいている状況には、ある訳があった。
「三沢、次だ次ィ!! 太田とそのまま実戦形式の練習試合を始めろ!! ……何歩いてんだよ。走れ!!」
いやいや、休み無しかよ。せめて水くらい飲ませろよ……。
そんな願いも虚しく散り、ふらふらな状態のまま練習試合は始まった。
太田は三年生で、部活内では二番目に実力があると言われている先輩だ。もちろんそんな人と、既に満身創痍の僕が相手になるはずはない。
瞬く間に竹刀を弾かれ、間髪入れずにがら空きの面を打たれた。僕は吹き飛ぶように後ろへに倒れむ。
痛たいし力も入らない。これはもう動けないな。
しかし、そんな状態でも部長はそれを許してはくれなかった。
「おい、何寝てんだ? "練習試合"っつってんだろ。俺が『やめ』と言うまで続けろ!!」
いやいや、最近入部して初めてまともに運動をしたばかりの僕に、そこまでのポテンシャルを求めんじゃねぇよ。
なんて、そう言い返すなんてことは臆病者の僕には到底不可能だった。
動けないままいると、試合相手の太田が僕の面を掴んで乱雑に引き寄せた。隙間から怒りに満ちたおっかない顔がチラついたので、思わず顔を背ける。
太田はそんな態度が気に入らなかったのか、僕への怒りを露にした。部長と対照的で落ち着いた口調だが、これはまた違った怖さがあった。
「……三沢よぉ。お前さ、そんなんで久保田の意思、継ぐ気あんのか? 俺達がどんな想いでこの最後の大会に懸けてるのか、分かってないだろ。だからテキトーな剣道やって、そこに転がってるんだよな?」
知るか。
それもこれも全部、僕の所為じゃない。
久保田という三年生が、僕が今こうして理不尽な目にあっている状況の元凶なんだ。
久保田は最後の大会を控えた大切なこの時期に、事故を起こして右脚を骨折した。
それだけを聞くと、志半ばで大会出場を断念することになった可哀そうな先輩だ。けれども、どうやら夜に無灯火で自転車を飛ばしたことが事故の原因らしい。
しかも、急いでいた理由が見たいテレビ番組があったからとか。録画予約しておけよ。
お察しかもしれないが、三年生最後の大会の団体戦に、久保田の代わりで僕が出場することになったのだ。うちの高校はそもそも生徒数が少なく、剣道部に入部する学生もほとんどいないため、大会に出場出来るのが一年生の僕しかいなかった。
……マジで勘弁してくれ。
大会まで二週間もないのに、今年剣道を始めたばかりで初心者の僕が勝てるようになる訳がないだろう。
何をやっても焼け石に水なのは目に見えている。にもかかわらず、知性が無いこのバカ共は根性論で、キツい練習に耐えればどうにかなると思ってやがる。
あぁ、今すぐ退部して逃げ出したい。逃げ出したいんだけども……。
「……すみません! 僕にまだ頑張らせてください!」
なんて、僕は思ってることと真逆のことを口にしていた。
ホントにどうかしてる。でも、怖いから逆らえないんだよなぁ。今までの経験上、一番の保身的な行動とは、激流に身を任せて従うことなのだ。
「ならさっさと立てボケがぁ!! どさくさに紛れて休んでんじゃねぇぞ!! 根性見せろや!!」
「……はいっ!!」
口は空きっぱなしで涎がたれ、焦点は定まらないが、これ以上ダラダラしているとまた怒声が飛ぶから僕は立ち上がった。こうして、内心は不本意ながら、練習試合は再開されてしまった。
結局その後、いつもの終わる時間よりも二時間半ほど過ぎてから、地獄の様な練習は"一時的な"終わりを見せた。これが一昨日から始まって、大会が終わるまで続くことを考えると吐きそうになる。実際に練習中には吐いた。
現在は真っ暗になった夜道を歩いて帰宅中だ。気分まで真っ暗になりそうなため、部活のことをあまり考えないように、全く別のことを考えることにした。
僕の名前は三沢七翔。高校一年生だけど、中学生とか、たまに小学生高学年とかに間違われることもあるほど背が低くて顔が幼い。それはコンプレックスなのだけども、加えて髪がサラサラなのが嫌で、あまり自分の容姿は好きになれない。
とある先輩曰く、何だか無性にいじめたくなるような顔をしているらしい。ふざけんな。
うちの家系には、先祖代々受け継がれてきた歴史ある剣術の流派がある。
何故か高校生になってからそのことが学校中で噂として広まってしまった。その噂は剣道部の耳にも入り、僕は先輩たちからスカウトを受けることになったのだ。
当時は、優しい先輩ばかりだし入ってみてもいいかなぁ、なんて甘く考えていたのだが、入部して才能が無いとわかるや否や僕に対する態度は一変した。
まず、僕が部活中にわからないことを聞いても「お前に構っている暇はない」と一蹴され、何かを教えてもらったことはほぼない。それにも拘らず、特に今回の一件のように、教えてもらえなかった動きを出来て当然の如く要求してくる。活動内では、基本的に理不尽なことを言われることがとても多い。
そして、活動外には主に食べ物や飲み物を買わせたりするパシリとして扱い、ちょっとした休み時間でさえ呼ばれることもあった。気に入らないことがあれば、わざわざ人気の無い所まで連れて行って喚き散らかすのだから、精神的にも参ってしまう。
つまるところ、うちの剣道部の部員たちは、外面は仲間想いの素晴らしい熱血漢だが、裏では都合のいいように後輩を使うゴミ〇ズ集団なのである。
――気が付くと結局、僕は部活のことを考えてしまっていた。仕方がないからどうすれば大会が終わるまで楽をして乗り切るか考えることにする。
そもそも、僕は入部のきっかけとなった、うちの受け継がれてきた剣術のことをあまり知らない。小さい頃にその剣術の事について教えて欲しいと祖父に頼み込んだことがあるが、剣を使わない練習ばかりだったため、一か月もしないうちに僕が飽きて止めてしまったそうだ。
当時の記憶からの印象では、"剣を使わない剣術"という表現がしっくりとくるため、果たして剣術として機能しているのかすら疑問だ。
それからというものの、僕が自発的にうちの剣術と関わることはなかった。
そんなうちの剣術だけど、実は今になって興味を持っていた。というのも、『剣先の軌道を予測し、攻撃を避ける』ことが基礎である剣術なので、これを"練習の時に活用出来ないか"と考えていた。
活用のイメージはこうだ。
例えば練習試合では、僕の小さい体型を活かしつつ、うちの剣術のなんかすごい技を交えてひたすら攻撃を避け続ける。すると、相手からの有効打突を回避できるため、勝負はつかず部長からも怒られない。更に、経過時間をできるだけ延ばし、相手に出来るだけ沢山の攻撃を誘発して疲れさせることで、僕はより楽に攻撃を避け続ける。練習時間も減る!
よし、完璧な作戦だ!!
善は急げだ。早速、帰ったら祖父に剣術について詳しく聞いてみることにしよう。
そういや、なんて名前の剣術だっけ?確か――――
「ほう、『緒和多流剣術』を学びたいとな?」
うちの代々伝わる剣術の名前は、"緒和多流剣術"というようだ。
帰宅した時は既に夜遅い時間だった。祖父はもう寝てしまったかと思ったが、運良く今日はまだ起きていた。
僕は剣術について教えてもらうために、祖父のいる和室の寝室にいる。部屋には必要最低限の物しか置かれていないためか、何だかとても広く感じた。
誠意を見せるために祖父の正面に向かって正座をして、例の件について頼み込んでいたところだ。
「う、うん……」
「お主がまだ六つの時も、こうして頼み込んできたのう。はて、なにゆえ剣術を学びたいか?」
「……剣道の大会が近いから、上達のために参考にしようかなぁ、なーんて……」
何故か祖父は、緒和多流剣術の話題を持ち出してから厳粛な面持ちへと変わっていた。思わず萎縮してしまい、しどろもどろな返答をしてしまう。僕が幼い頃に頼み込んだときには、こんな緊張感はなかったはずなんだけど……。
「……七翔よ。まさかとは思うが"邪な理由"で、ご先祖様が代々受け継いできた剣術を学ぼうとはしておらんだろうな?」
「ゔっ」
"剣術を使って楽をしたい"という邪な理由がある僕は、図星を突かれて思わず変な声が出てしまった。緒和多流剣術は心まで読めるのか!?
祖父は温厚な性格なのだが、一度怒ると収拾がつかなくなるタイプだ。万一機嫌を損ねてしまうと、剣術を教えてもらう機会を失ってしまうかもしれない。
何か、何かこの危機を脱するための言い訳を考えなくては……!
「あぁ……えっと、いや、そのぉ…………」
「…………」
恐らく何も言わない状況からして、全てお見通しでである可能性が高い。
祖父は表情を変えず、こちらをじっと凝視したまま動かなかった。老人とは思えないほど体格がいいので、それだけでも迫力がある。
都合のいい言い訳は思い浮かばない。僕は悪あがきとして、とりあえず何か発言をしなきゃと考えていた。
しかし、沈黙は祖父の言葉によって破られた。それは拍子抜けするほど予想外なものだった。
「……なぁんてな! 七翔よ、よくぞまた緒和多流剣術に興味を持ってくれたのう。じいちゃんは嬉しいぞ!」
祖父は突然そう言いながらガハハと笑っていた。急に発せられた大声が怒鳴られたものだと思ってビクッとなるが、恐る恐る祖父の顔を見返してみると、先程の面持ちとは一変して楽しげな表情をしている。
「あは、あははは……」
は?
何だかよくわからなかったが、気付けばとりあえず愛想笑いを返していた。
「えっと、じいちゃん。怒ってないの……?」
「ふむ。何故、怒る必要がある? その地味さ故にうちの家系ではだーれも興味を示さない剣術だ。それを学びたいと言ってくれるだけで、わしにとっては大変喜ばしいことじゃよ」
「で、でも、さっきからずっと怖い顔して……」
「ガハハ、それは嬉し過ぎて感極まってしまってのう。ついつい強ばった表情をしてしまったようだわい」
なんだそりゃ。
はぁーーーー。身構えて損したわ。
溜まった疲れもあり、怒りの感情が生まれることはなかったが、ただただどっと疲れが上乗せされた気分だった。
まぁ、剣術を教えてもらえるなら何でもいいか。
既にかなり疲労していたので、早く本題に入って基礎的な部分くらいはサラッと教えてもらうことにした。ぶっちゃけもう寝たい。
「それでなんだけどさ。今日は簡単に、緒和多流剣術がどんな剣術なのかってことだけ教えてもらってもいい?」
「もちろん、よいぞ。どれ、こっちについてきなさい」
思考停止して言われるがままに後についていった。
祖父は床の間の前まで行き、龍が描かれた掛け軸をチョイと引っ張る。すると、床が機械音と共にスライドしながら開かれていった。全自動でゆっくりと底が上がっていき、中から"飾られた刀"が現れる。
僕はそれを始終ポカーンと見ていた。
「ほれ、これが緒和多流剣術"元祖"のご先祖様が愛用していたと言われている刀じゃよ。……時に七翔よ、この刀を見て何を感じるかのう?」
その刀は誰が見てもボロボロで小汚い刀だった。鞘にすら納められていない刀身は、全体に渡って刃こぼれを起こし、至る所が錆びていた。
「うーん、大切に保管してる割には、あんまり手入れされていない刀なんだなって印象かな。刀に関しては素人だから間違ってるかもしれないけど、風化しただけでこんなにボロボロにならない気がするよ」
「うむ、中々いい所に目を付けたのう。実は、緒和多流剣術は相手の急所を突くことが出来る武器であれば、何を扱ってもよいとされておる。言わばこの刀は、どんな劣悪な状態の刀でも、相手を打ち負かすことが可出来る、緒和多流剣術そのものを象徴した刀でもあるのじゃよ」
へぇ。
より一層それが本当に剣術なのか疑問に思えてきた。
聞いた話から推測するに、恐らく弓や銃ですら使うことを許容されるのだろう。
もはや剣術とは……。
「それで一体、どうやって相手と戦うの?」
「それはな……ここじゃよ」
不敵な笑みを浮かべながら、祖父は自らの頭を指でトントンと叩く。
つまり、頭を使うということは……。
「頭突き?」
「違うわい! 全く、切れ者なのか阿呆なのか……。つかめない男よのう、お主は」
祖父はがっくりと肩を落として呆れ顔をしたのち、先ほどの言葉の意味を説明し始めた。
「緒和多流剣術の真髄は"戦略"じゃ。どんなに過酷な環境や著しく変化する状況においても対応できるように、常に頭を働かせて最善の行動をする。これが緒和多流剣術の基本的な本質なのじゃよ」
「そうなんだ。それで、なんか具体的に型とか構えとかないの?」
僕は明日から実際に使える様な動きが欲しかった。
戦略がどうこう言われても正直使えるかわからないしな。
「もちろん、独自の型や構えも存在しておる。しかし、お主にそれを教えるにはまだ早い。緒和多流剣術を十分に扱えるようになり、境地へと至ったその時に明かすとしよう」
なんだそりゃ。勿体ぶりやがって。
僕としては部活の練習で役立ちそうなことは何としても知りたい。
……何とか聞き出せないだろうか?
「……じいちゃん、僕は何としても次の大会で勝たなきゃいけないんだ! 一体どんな型なのか、それだけでも教えてはくれないかな……?」
本当は練習で楽するためだけどね。
「ならぬならぬ。残念じゃがそれは出来ぬのじゃ。理由は、緒和多流剣術の歴史的背景にも隠されておってのう。ご先祖様の一念通天の想いによって生まれたかの剣術は、その境地に至るまでの順序を準えねば、真の意味で会得することが出来ぬのじゃ」
祖父は明後日の方を向いて、しみじみと噛み締めるように話を続ける。
完全に自分の世界に入っており、まるで僕がいることを忘れているかのようだ。
「そう、それは約300年前まで遡り、剣術の名前もまだ無い歴史から始まる。当時、剣の修行に明け暮れていたご先祖様は――――」
厄介なことになった。
老人特有の長い語りが始まってしまったようだ……。
こういう時に話に割って入れない僕は、ただひたすら終わるのを待つしかなかった。
「――――で、幼初期より――――まだ知識は――――培った剣術から――――」
面白味のない昔話は、既に半分も話を追えていなかった。
ただでさえ疲労で眠いのに、このままでは寝落ちてしまう。
「――――――――には――――――――で――――――――の――――――――」
んん……これはだめだ。
立ちながら寝てしまいそう。
「――――――――――」
も、もう限界だ。
僕は頭をこくんと落とす。
その反動で、前に倒れ込むような形でよろめいた。その先にはなんと、刀身むき出しの刀があった。
「いかん!! 危ないぞ七翔!!」
祖父の声で僕はハッと目を覚ます。
目の前には既に、刀身が差し迫っていた。
あぶねぇ! と、咄嗟に身体を反らし、刀の柄を掴んだ。
まさにその時――――
プツッ
一瞬にして辺りは、草木の生い茂る森へと変わる。
祖父の方を振り返ってみたが、そこに姿は無かった。