ページ9 訪問者 その2
あ、これあかんやつや。
今度こそオレ死んだ。
──そう、思った。
ドンッ!。
しかし、衝撃は思いもしない方からやって来た。
ゴリラの腕とは逆方向。
オレは何かに突き飛ばされ地面に顔面から衝突した。
次の瞬間。
ゴキゴキッ。
鈍い音が木霊する。
「ノエルッ!!」
すぐさま振り向いたオレが見たのは、ゆっくり宙を描いて飛んでいくノエルの姿だった。
ドサッ。
ノエルはそのままバリケードの外で落下した。
「ヴォオオオオオオオオオオッッ!!」
巨大ゴリラは自身の胸を叩いて勝ち鬨を上げた。
くそ……、くそッ。
攻撃が当たる瞬間、ノエルはオレを突き飛ばして身代わりになった。
オレなんかの為に……。
視界が暗くなっていく。
「どいてぇぇええええええええええええっ!!」
えっ?!
バリケードの外で叫ぶ声に、オレはハッと顔を上げた。
見えない。
今ばかりは邪魔としか思えない自衛隊によるバリケード。
今の声は……、もしかして左雨さん?
ついて来たのか?!
向こうも気になる、が……こっちもまずい。
ノエルを吹っ飛ばし勝ち鬨を上げていた巨大ゴリラと眼が合う。
うん、わかってた。
次はオレの番らしい。
やばい、やばい、やばいっ。
どうするんだ、これ。
そこへ更なる混乱が降り注いだ。
ノエルが落下した方から声が上がる。
「おい、君ッ。しっかりしろ!」
「誰か早く担架を持ってこい!」
「二つだ! 二つ! 急げッ!!」
はあ?!
──二つ?!
思わず巨大ゴリラそっちのけで、振り向いてしまった。
依然としてバリケードの向こうは見えない。
チッ、どういうことだよ。
二つってなんだ?!
左雨さんに何か合ったのか?!
今すぐ向こうへ駆け寄りたいという気持ちに駆られた。
そんなオレに対し、無情にも一歩一歩。
地響きを立ててゆっくりと迫り来る巨大ゴリラ。
オレの混乱はピークに達していた。
落ち着け。落ち着くんだッ。
ど、どうすれば……。
一旦逃げるか……、いや、ダメだ。
オレが逃げれば、ノエルと左雨さんはどうなる?
ダメだ──考えろ。
何か、何かあるはずだ。
オレは何故生かされた。
その瞬間、再び巨大ゴリラと眼が合った。
その眼には怒りと、哀しみを孕んでいるように思えた──。
だが、そんなことは関係ない。
こちらだって被害が出ているんだ。
逃げるな、前を向け。
これは男と男の命を掛けた負けられない戦いだ。
あの眼がそう言っている気がした。
──覚悟を決めろッ。
大きく深呼吸をする。
目を瞑り、冷静になって、よく考えろ。
もう時間稼ぎなんてチャチなことを言うつもりもない。
この二日で経験したことは何か繋がりが合っただろう。
全ての五感を閉ざし、思考だけをフル回転させる。
──昨日のゴブリン。
そういえば、オレは何故アレがゴブリンだと思った?
あの時オレは見ただけで思ったのだ。ゴブリンだ、と。
普通なら気持ちの悪い子供や着ぐるみ、ゴブリン以外にも色々思いつくだろう。
でも、何故かオレは確信していた。
そして──。
シュトラスの森。
自称精霊使いの少女。
そしてこの巨大ゴリラ。
全ての点が一本の線へと終息し、ある仮説が導き出される。
思い至ってみれば何てことなかった。
ヒントはいくつも合ったんだ。
オレはこいつらを、知っている。
「はは、どうして気づかなかったんだろうな」
スッと静かに立ち上がり独り言を続けた。
「すまんな、オレにも守る者があるんだ」
「ヴォ、ヴォォ?」
オレの発言を吟味するように、巨大ゴリラが首を傾げる。
そして今度はオレの方から歩み出す。
一歩、歩むごとに過去の憧憬が、過去の栄光が、過去の仲間達が脳裏に蘇る、その記憶が鼓動を早くする。
思い出せ──、あの日々を。
思い出せ──、あの感覚を。
思い出せ──、あのゲームをッ!
『空気』が変わった。
そんな言葉が合っているのだろうか。
『狩る側から狩られる側へ』
ドンドンドンッ!!
本能的に何かを悟ったのか巨大ゴリラは、両腕を地面に叩きつけ地団駄を踏んで威嚇を始めた。
そして苦し紛れに勢いよく突っ込んで来た。
ドスンッ! ドスンッ!
4メートルを超える巨躯の突進。
ドスンドスンと足が地面に着く度に軽い地響きが上がる。
更に大きく振りかぶって強力な一撃を繰り出そうとしていた。
巨大ゴリラの握った拳は、オレの上半身をすっぽり包む大きさもある。
あんな物に殴られれば、オレの上半身は下半身とお別れするだろう。
周囲の声はすでに耳に入って来ない。
迫り来る巨躯、心なしか恐怖はなかった。
一歩、また一歩とオレは静かに歩む。
その時はすぐに訪れた。
放たれた右ストレートは、周囲の空気を震わせて、まるで大砲の如く。
その場にいた誰の目にも死を予感させるモノだった。
──だが、巨大な拳が当たる直前。
静寂と共に一つの『スキル』が発動した。
「影歩行」
放たれた巨大な拳は、散り行く黒い霧を霞めるだけに終わった。
「ヴォ、ヴォオ?」
何が起こったのか分からず、辺りを見渡す巨大ゴリラ。
たった今まで目の前に居たはずのひ弱な人間。
それが己の放った拳を前にして、何の手ごたえもなく、黒い霧と化した。
わけがわからない。
それは明らかな動揺だった──。
そこへ一つの足音が鳴り響く。
コツン。コツン。コツン。
一歩、二歩と影の中を忍び寄る足音。
巨大ゴリラの背後に回り込んだオレは別の『スキル』を発動させた。
何千、何万と繰り返し使い続けたあの『スキル』だ。
ゲームを辞めた今でも、身体が覚えている。
どんなモンスターにも急所となる場所は必ずある。
生物の源。その一点に狙いを定め全力の一撃を放つ。
「せいやああああああああッッ!!!!」
暗殺技:死すべく身体。
◆
名もなき男がいた。
男は強靭なその両腕で岩を砕き、大地を割った。そして、刃向かう者をすべて薙ぎ倒した。
いつしか男は森の覇者と呼ばれた。
時が経ち、男は守る者ができ、家族ができた。
ある日、狩りに出かけた男は、見知らぬ土地に転移した。
多くの忌避する眼に晒された男は狂気し、たくさんの者を破壊した。
そして男と同じように守る者を背負った強き者と出会い、その命を散らせた。