ページ6 可愛いの前では皆、無力
「いつ目を覚ますかわかんなかったから……」
これが左雨さんが眠っているオレから離れなかった理由らしい。
看護婦さんが「なかなか離れなくて大変だった」って茶化していたのは、ガチのやつだった。
いやいや。
どんだけ心配されてるのオレ。
そんなに心配されるほど親密度を上げるイベントあった?
まだ高校入学して、知り合ってから一ヶ月ちょいだよ?
いや、嬉しいけどさ。
ご飯ぐらい食べてくれよ。
もしかして、トイレは……。
ふと頭を過った。
そんな、まさかね……。
うっ。
空腹の胃が縮こまるような気がして胸のあたりを抑えた。
愛が重い、愛だけに。
こ、ここは素直にお礼だけでも。
「そっか、ありがとう」
「うん……」
そんな気まずかった空気は、受け渡し場所にできた人集の喧騒な雰囲気に吹き飛ばされた。
行き交う人は次第に足を止め、野次馬は増えつつあった。
「一杯だけなのっ!」
「じゃけん、何度も言うとるじゃろうが……」
その両者の声は次第にヒートアップしているようで声に力が入っていた。
離れた場所にいる自衛隊の人達もチラチラとそちらを気にしているように見受けられる。
(なんだろ?)
(行ってみよ)
左雨さんと頷き合って野次馬に加わった。
「こんなに美味しいお鍋は初めて食べたの」
後姿しか見えなかったが、なぜか女の子が絶賛していた……。
薄緑のロングケープのフードを頭から被った女の子。
その手には空の使い捨て発泡どんぶりが握られていた。
「嬢ちゃん、褒めてくれるのは嬉しいんじゃが、これは病院から分けてもらったもんでえっと無いんだ。じゃけん一人一杯までと決まっとるんよ。すまんな」
「うぅ~、一杯、一杯だけなの~……」
「親父、ケチケチすんなよ!」
「女の子が可愛そうじゃねェか!」
「引っ込め筋肉っ!」
どうやら周りの野次馬共は女の子の味方らしい。
相対するは、5月の肌寒さを物ともしない半袖姿に鍛え上げられた胸板と太い腕の筋肉親父。……って、店長?!
犯罪者みたいな図体と強面な顔で溜息を付くバイト先の店長がそこにいた。
見る人が見たら厳ついおっさんが女の子を困らせてる図であった。
食い下がる女の子も大概だが……、まったく何やってんだよ。
「はい、すいませんねぇ、通りまーす」
人垣をかき分けて、オレは店長に話しかけた。
「店長、オレの分をこの子にあげるんでそれで多めに見てやって下さい」
「おい、優人じゃねぇか! 心配したぞ、お前ェ」
こちらを見るなり頬を緩ませて、その厳つい腕でオレの頭をガチリと掴むとぐりぐりと振り回す。
ちょ、オレ、ケガ人!
二日ぶりの再会には見えない勢いで店長は喜んでくれた。
これでも心から心配してくれているのだ。
それがわかるからこそ、オレにとって掛け替えのない人である。
「す、すみません。こちらもいろいろありまして……」
オレはギブスでガチガチに固定された右腕を軽く持ち上げた。
店長はそれを見て、一言「そうか……」と言うとようやく頭から手を外してくれた。
痛ェ。頭割れるわっ!
手加減しろよ!
「優人には適わねェな。嬢ちゃんにも特別に注いでやるよ」
ケガ人のオレの分を渡してしまうと当然オレの分が無くなってしまう。
店長としてはそんなことしたくない。
オレの糸が伝わったようで店長は苦笑しながら折れてくれた。
「わー、ありがとうなの」
女の子は両手を挙げて飛び跳ねて喜びを顕わにした。
そして周囲からは歓声が沸いた。
「よかったな嬢ちゃん!」
「あんちゃんでかしたぞっ!」
「ウヘヘ……、可愛いなぁ……」
おい、一番最後の奴!
誰か捕まえろ。
◇
この店長が切り盛りする店と出会えたことは、本当によかったと思う。
まだ冬の寒さが残る3月中旬。
初めての一人暮らしに胸を躍らせていたオレ。
福岡から広島駅に着いたオレは、重い荷物を抱えたまま寮に向かう前に飯にすることにしたのだ。
『やっぱり広島と言ったら、お好み焼きでしょ!』
駅を出てすぐ目の前に見える商店街。
お昼を過ぎているのに、どこも行列でいっぱいだった。
オレはその中の一つに並んだ。
「寒っ」
しかし、3月中旬とはいえ、あまりの寒さに店を変えようか迷っていると。
『お待たせしました。次の方どうぞぉ』
か、可愛い……。
その瞬間寒さなど、どうでもよくなった!
可愛さの前では寒さなど合ってないようなモノなのだ。
いや、心はすでにポッカポカだ!
それから20分ほど待ったが、その時間はあっという間だった。
きっと、並んでいる客全員に暖かいお茶を配ってくれた定員さんのおかげだ。
ようやく順番が来て、注文した時のオレの顔は気持ち悪いぐらいに緩みっぱなしだったと思う。
そして待ちに待った広島風お好み焼きは、『オレのところへ』やって来た。
……そう、『オレのところへ』やって来たのだ。
広島に着いたばかりで荷物が多かったオレは座敷席に座った。
二人用ぐらいのそれほど広くない、靴を脱いで畳の上に座るタイプの席だ。
オレはカウンターが正面に見えるように、壁に背を付けて座ったのだ。
しばらくして注文したお好み焼きが運ばれて、事件はその時に起こった……。
専用のトレイにお好み焼きを乗せて運んできた定員さん。
その足に滑り込むように別のお客さんが「会計を頼む」と椅子を引いたのだ。
定員さんは豪快に転んでしまい……。
お好み焼きは宙を舞い、座敷の鉄板を飛び越えて。
その一部始終を正面から見ていたオレのところへ。
いや、ホント、引越しの手荷物に着替えが入ってて助かった。
火傷したかと思うほど熱かったけど……。
あの定員さんは悪くない!
周りを見ない自己中な客がすべて悪いのだ!
その後、定員さんと店長に何度も謝られてすぐに許した。
まぁ店長はどうでもいいけど、可愛い子に謝られたらすぐに許しちゃうよね。
何で引越しの荷物を持っているかとか話しているうちに、たまたま募集していたアルバイトに店長が誘ってくれたのだ。
どの道バイトは探すつもりだったので棚から牡丹餅で飛びついた。
決してやましい気持ちが合ったからではない。
あ、ちなみに後からわかったけど、あの可愛い定員さんは店長の娘さんだった。
どうやったらあの厳ついおっさんから、こんな可愛い子が生まれるんだよ。