ページ5 誓い
引き続き左雨愛視点です。
「はいっ!」
「え?!」
病院内の休憩所に着くなり、先ほどとは違う笑みを浮かべた看護婦さんにスマホを手渡された。
通話中……。
看護婦さんを見ると力強く頷いた。
何故かな、すっごく嫌な予感がするよ。
「──もしもし?」
「こんばんわ、影山優人の母です」
え?!
「あ!」
危うく再びスマホを落として壊すところだった。
え? ええ?
一瞬で頭の中が真っ白になる。
看護婦さんに視線で説明を求めると「がんばっ!」とジェスチャーをして手術室の方に戻って行った。
…………。
数秒間スマホを見つめる私。
この場から逃げ出したい衝動を抑え、大きく深呼吸してスマホに話しかけた。
「──こ、こんばんわ。私、影山くんと同じクラスの左雨愛と言いひゃす」
あぅ。看護婦さんのせいだ。声が裏返っちゃったよ。
響子ちゃん助けて!
「看護婦さんからお話は聞きました。あの子を病院まで運んでくれたそうで本当にありがとう御座いました」
これが影山くんのお母さんの声。
凛としてて優しそうな感じ。
でも、その声はどこか震えているように感じられた……。
無理もないよね。
今すぐ駆けつけたいに決まっている。
自己紹介の時に『実家は福岡』って影山くんが言っていたのを思い出した。
新幹線で2~3時間らしいけど、それも今は止まっている。
それに、違う。
「ち、違うんです! モンスターに襲われている私を影山くんが助けてくれたんです!」
お礼を言わないといけないのは私の方だ。
「……そう、あの子が」
「私がっ、私が巻き込んでしまって……、そのせいで大ケガを、本当にっ、本当にごめんなさい!」
影山くんが大ケガをしたのは全部私のせい。
私が巻き込んでしまった。
「大丈夫よ、あの子があなたを助けたというのなら、きっとそれはあの子に取って必要なことだったのでしょう」
「必要な……こと、ですか?」
「ええ、あなたには話しても良いかもしれませんね」
影山くんのお母さんは昔日の記憶を辿るように語ってくれた。
ただのダメな母親と自慢の息子のお話ですと前置きをして。
「あの子は、小さな頃はサッカー部のキャプテンで、友達も多く毎日のように友達を連れて来るような活発で元気のいい子で、それはそれはもう可愛くて食べてしまいたいぐらいでした」
ぽかん。
今サラッと聞いてはいけないことが聞こえた気がした。
冗談、だよね。
影山くんの小さい頃かぁ。
どんなだったんだろう。
「中学2年に上がってしばらくしたある日、ドロまみれで帰って来た事があって、男の子ですし、喧嘩ぐらいするだろうとあまり深くは考えずにいましたが、その日以降ぼろぼろに汚れて帰ってくることが多くなり、さすがに私達も異変を感じて話を聞いたのですが、話しては、くれませんでした……」
喧嘩ぐらい……するの?
影山くんが?
私の知る影山くんからはまったく想像ができなかった。
影山くんは理由もなく喧嘩なんてするような人じゃない……、と思う。
「次第に学校にも行かなくなり、一人で部屋に引き篭もるようになりました。あの頃は私達も仕事の忙しさを理由に、あの子と真剣に向き合う時間を作ってやれませんでした。そのせいで私達が全てを知ったのは、それから一ヶ月も経った後のことでした」
続きを聞くのが怖い。
私が聞いちゃっていいの?
でも……。
「知らせを受けたのは一本の電話でした。当時クラスメイトだったお子さんの親御さんからで、始めは私も何が何だかわからなかったのですが、お話を伺っているうちに何だか納得してしまいました……」
──知りたい。
影山くんのことがもっと知りたい。
それが例え暗い過去だったり、本人が望まないものであっても、眼を反らしちゃいけない気がする。
「始めはたまたま通りかかっただけのようです。虐められているクラスメイトを見つけて、庇って戦い、その後も何度も庇い続けたそうです。一人でずっと……」
庇って、戦う? 一人でずっと?
私はその言葉の意味がわからなくて耳を疑った。
「そのお子さんも、あの子が学校に行かなくなる少し前に祖父母の所へ先に移ったそうで、その後はあの子も居ずらかったのでしょうね、親御さんの方も引越しの準備が出来たので最後にお礼と謝罪の電話をくださったそうです」
──うそ。
凄いよ。影山くん……。
それが正しいってわかっていても普通はそんなの真似できない。
巻き込まわて、目を付けられたら今度は自分の番かもしれない。
周囲が見て見ぬふりをする中で、一人で最後まで、守り切ったんだね……。
「それから一年ほどして急に広島の高校に行きたいと言い出して、さすがに勉強の遅れもあるので始めは無理じゃないかと思ったのですが、予備校に通って頑張っている姿を見ていると、私達もそれが嬉しくて、嬉しくて……」
誰よりも正義感が強く、やさしくて、困っている人が居れば誰だろうと助けちゃうんだね。
──あの時、私を助けてくれたように。
そう思うと急に立って居られなくなり、膝から崩れ落ちた。
知ってる。私の知ってる影山くんだ。
いつの間にか涙は堰を切るようにこぼれ落ちていた。
うっ、だってそれって……。
虐められている人を助けたから。
学校に居られなくなったんでしょ。
そんなことがあったら私なら助けなきゃよかったって絶対思うよ。
もし、助けなかったら。
巻き込まれて居られなくなることもなかったはずだって……。
──なのに。
そんな辛い経験をしたのに。
影山くんは私を助けてくれた。
今回は状況も違うかもしれないけれど、でもその結果、生死を彷徨うほどの大ケガをさせてしまった。
「ぐすっ、うぅ……」
「だからきっと、あなたを助けたというのなら、それはあの子にとって必要なことだったのだと思います」
「……はい」
なんとか絞り出すように返事をした。
胸が締め付けられる。
「一つ、お願いを聞いて頂けませんか」
お願い?
「私達は、あの子が辛い時に傍に居てあげることができませんでした。そして今も……。こんな時にご迷惑かもしれません。あなたの親御さんも心配しているでしょう」
ゆっくりと言葉を選びながら、その願いは語られた。
「だから、可能な限りで構いません。目が覚めるまで、どうかあの子の傍に居てもらえないでしょうか。自分のやるべきことを他人に押し付けてダメな母親と思われても構いません。どうか、どうか傍に……。あの子の傍に……、居ていただけないでしょうか……」
ただそれだけでいいんです、と。
縋るような懇願だった。
大事な時に傍に誰か居るだけでどれだけ救われるのか。
この人は本当の意味で知っているのだ。
過去に犯してしまった失敗で、たくさんたくさん後悔して。
本当は自分が傍に居たいはずなのに。
こんな状況じゃそれが出来ないから。
ダメな母親なんて思うはずがない。
思えるわけがない。
「……はい。やぐぞぐっ……じま、す。必ず、必ず……傍に」
自分でもちゃんと喋れているかわからなかった。
それでも、私は誓ったのだ。
影山くんの『傍に居る』と──。