幕間 恐怖の笑う女
一人の女がいた。
引き締まった長い脚と腕、よく手入れされた腰まである長い黒髪。
そのとんでもなくスタイルのいい美貌で、すれ違う男達は誰もが振り返る。
しかし、そんな視線など当の本人はどうでもよく思っており、これっぽっちも気にした様子を見せない。
ゴミみたいな男など居るのも居ないのも同じである。
おもむろに大きく口を開けた。
「はぁ~あ、眠ィなぁ」
詰まらねぇ講義しやがって、次同じような授業したらぶち殺してやる。
大学の教授に悪態をつくのもいつものことである。
◇
女が初めてこの世界に歓喜を覚えたのは5歳の時であった。
それは年末の特番で生中継されたボクシングの世界タイトルマッチ戦。
お互いに譲ることを知らない鬼気迫る闘志の鬩ぎ合い。
そして意地とプライドの攻防。
その熱い戦いに彼女は魅了された。
生まれつき身体能力に恵まれていた彼女は、すぐにボクシングジムに通い始め、毎日大人達を相手に研鑽を重ねた。
そして小学4年で始めて出場した大会の全国大会決勝で対戦相手を開始3秒で沈めるという前代未聞の記録を叩き出したのだ。
ボクシング界の将来を揺るがす期待の新人として話題になった。
しかし、表彰台に上がった彼女の顔は曇っていた。
──こんなもんか。
当時、彼女の通うボクシングジムでも大人達ですら、彼女に敵う者はいなくなっていた。
つまんない……。
彼女は悟る。
自分が求めていたモノはここにはもう無い、と。
幸い、彼女の親は金と権力を持っていた。
ボクシングを辞めた彼女は、親の金を使って様々な格闘技に手を広げた。
そしてすべてにおいて飛び抜けた成績を叩き出したのだ。
彼女は求めた。
あの時感じた高揚感をもう一度味わいたい。
その為なら何でもする、何でも差し出そう。
自分の果てることのない欲求を満たす者はどこにいるのだ。
──彼女は強過ぎた。
どんな競技でもすぐに強くなり、敵がいなくなる。
そんなことの繰り返し。
つまんない……。
自分の求めるモノはどこにも無い。
そう、彼女は孤独だった。
どんなに強者と呼ばれた者でも彼女の前では、ただの雑魚に成り下がる。
彼女と渡り合える者など世界中に一人として居なかったのであった。
当時18歳。
たまたま、そう、たまたまである。
気まぐれに昔の恩師を訪ねて足を運んだボクシングジムで耳にしたのだ。
「面白いオンラインゲームがある、暇つぶしにどうだ?」
なんだそれ?
クズみたいな奴等がやるもんだろ。
面白くなかったらぶっ殺すぞ。
口にはしなかったが内心では盛大に罵倒していた。
なぜなら、『面白い』なんて言葉は彼女にとって禁句なのだから。
その言葉を聞くだけでイラつき、吐き気がする。
自分を楽しませることができるモノなど無いに決まっている。
それが18年間生きて来た彼女の出した答えであり、求めるモノは手に入らないという諦めでもあった。
オンラインゲームなど当然初心者である。
何となく機材を買い揃えゲームの世界にログインした。
初めてのチュートリアルはただの作業だった。
その後、村の近くにある狩場に出てモンスターを倒す。
これもただの作業だ。
つまんねェ……。
彼女は一人、黙々と作業を熟した。
どんな格闘技でも基礎を繰り返すことによって身体がそれを覚え、強くなる。
彼女はどんなに詰まらなくても、初めてすぐに投げ出したりはしなかった。
それが彼女の良いところでもあるのだろう。
そして出会った──。
一人の少年と。
自分よりずっと年下に見える、その少年との邂逅に彼女は震えた。
何故なら、その少年はとても凄かった。
そのカリスマに皆が付き従う。
そして何より、強かった。
ゲーム上のレベル差を埋めるほどの彼女の格闘スキルを駆使したPS。
己のすべてを出しても倒すことのできない相手が今、目の前にいる。
それは彼女が18年間ひたすら求めて来たモノだった。
彼女は狂喜乱舞した。
あっという間にレベルを上げ、装備を揃えた。
気が付いた時には、彼女はゲームに完全にはまっていた。
周りの者を次々に蹴落としていった。
通常プレイヤーに無い格闘知識を彼女は持っている。
レベルと装備が整えば彼女に敵うモノはいない。
そのはずだった。
そしてそのレベル差を埋めても尚、届かない現実がそこにはあったのだ。
いくら手を伸ばしても、その少年の背中は大きく、そして届かない……。
ありえない。
でも、それが現実──。
笑いが止まらなかった。
あぁ、面白い。
なんなんだこいつは。
俺様をもっともっと楽しませろ。
そして、何の前触れもなく少年は消えた──。
ログインしなくなったのである。
もちろん、理由は聞いた。
『リアルが忙しくなった』のだと。
よくある話だ。
だが……、それはそれである。
彼女には決して受け入れることができなかった。
行き場のない怒りをさらにゲームにぶつけた。
有り得ない人数の敵に一人で突っ込んだりという形で……。
周りの者はそれを面白がり、自然と彼女について来る者好きまで現れた。
自然と少年がいた場所に彼女が収まり、皆がそれに続いた。
それでも、彼女の中の渇きが満たされることは二度となかった。
やはりあの少年でなければダメだ。
自分にはあの少年が必要なのだ。
彼女は待ち続けた。
少年が己の前に再び現れるその日を。
◇
ふと立ち止まる。
どこかで子供の叫び声が聞こえた。
そう、遠くない。
「チッ」
……面倒な。
と、思いつつ彼女は叫び声が聞こえた方へ身を潜めた。
物陰からそっと覗く。
っ?!
彼女は突然脳天を撃ち抜かれたような衝撃を受けた。
見開いた目に映ったモノは、人間でも動物でもない。
小さな少女を襲うモンスター。
そして、そのモンスターが問題だった。
「フォレスト オーク……」
何故?
いや、なんで?
己の頭の中でたくさんの疑問が浮かぶ。
だが、考える時間は彼女にはなかった。
「チッ」
豚の化身は手に持つ斧を少女に振り下ろそうとしていたのだ。
彼女は全力で駆けた。
そして早過ぎるそのスピードに一瞬驚いたモノの、長年鍛え抜かれた身体能力がすぐにその誤差を修正する。
駆けたスピードのままモンスターを蹴り飛ばした。
ズドオオオオオンッ!
蹴り飛ばされた豚の化身は、すぐ近くに合ったビルにめり込み、黒い霧となって消え失せた。
立ち込める砂煙の中で彼女は歓喜に震えた。
「あは、あはは、あははははははははははははははッッ」
考えるよりも先に身体が、本能が悟った。
これは俺様の世界だ。
力こそがすべて。
俺様の欲しい者がある世界だ。
あいつはこの世界に絶対に居る。
ふふふ、俺様は知ってんぜェ。
あいつはほっといても必ず俺様の前に現れる。
そういう少年だ。
まずは、仲間を集めるとしよう。
さぁ、新時代の幕明けだッ──。