ページ27 学校占領 その7
……。
…………。
『あらあら、響ちゃんはもうおねむかい?』
『うぅ~、まだ眠くないもんっ』
そう言って私はお婆ちゃんの膝の上で目を擦った。
『ふふふ、それじゃもう少しだけ続きを読んであげようかね』
『うんっ』
絵本の中のお姫様はとっても綺麗なドレスを着ていた。
まるで自分がお姫様になったような……。
そしていつものように、いつの間にか眠りについてしまうのだ。
その暖かくて心地いいその膝の上で……。
「……ぅ……、うぅ……」
お腹の上の重みで意識が戻ってくるのを感じた。
ゆっくりと瞼が持ち上がり姿が見えてくる。
「世良……先輩……」
私のお腹に蹲っていたポニーテイルがビクッと顔を出した。
「だからっ……言ったじゃないっ! ダメだって!! ……うわあああああっ」
いっぱいいっぱい心配してくれたのだろう──。
「……すみません」
再び泣き出した先輩に私は素直に謝った。
その横では清水先輩も泣いてくれていた。
二人とも、……ごめんなさい。
助け、呼べませんでした……。
──何か、夢を見た気がする。
とってもとっても懐かしくて温かい……、そんな夢。
もう思い出せない……。
世良先輩が落ち着くのを待って起き上がった。
「何、これ……」
力なく横たわる4人。
先ほどまで自分と一緒に学校から抜け出そうとしていた4人の無残な姿がそこにあった。
私はその中でも一番酷い有様だった森先輩の横で崩れた。
怒り、悲しみ、憎悪といった負の感情が込み上げてくる。
どうして……。
どうしてこんな酷いことができるの。
そりゃ、森先輩は短期で、怒りっぽくて、簡単に挑発に乗ってしまうような人だったけど、不器用ながらも私を気遣ってくれていたことのも知ってる。
毛布を出す時だって自分からみんなに声を掛けて動いていた。
校長先生やみんなを助ける為に、周りの人達を説得し、人を集め、作戦会議を開き、中心となって世良先輩や先生達と打ち合わせをしていた。
先陣切って助けを呼びに出たこの人を誰が責められよう。
それなのに……。
私達が……、いったい何をしたって言うのよっ。
こんなの……こんなの……ないよ……。
頬から一筋の涙が零れ落ちた。
痛み、苦しみ、不安、恐怖。様々な感情に渦巻いて、私達は未だ希望の見えぬ三日目の夜明けを迎えた。
朝になってジャー先を始め、他の2人の先輩達は目を覚ました。
そして教えてくれた。
私が意識を失った後、ジャー先と2人の先輩は私を護って戦ったらしい。
「すぐにボコボコにされたけどな」
と、ジャー先が苦笑しながら。
私だけ対したケガがなかったのは、最後尾で一番初めに意識を失ったのもあるだろうけど、この3人が護ってくれたおかげなのだろう。
私はこんなにも色んな人に助けられ、心配され、護られていた。
そのことに気付いた時、私の涙は堰を切るように再び流れ出していた。
そんな私を清水先輩が、世良先輩がやさしく抱きしめてくれて、一緒に泣いてくれた。
「古賀ちゃんは頑張ったよ」
「うぅ……、はい」
きっと普段の生活の中では、気付くことはできなかっただろう。
私は一人で生きているんじゃない。
多くの人に助けられて生かされているのだと。
だから、私もそれを返そう。
この人達のために何かしたい。
何ができるかわからないけれど、その気持ちは確かにここにあった。
私の中で何かが芽吹き始めた瞬間だったのかもしれない。
時刻は午前11時半。
体育館の大きな掛け時計の秒針がカチカチと動く音だけが響き渡る。
たった一日、……たった一日で人はこうまで絶望に打ちひしがれるモノだろうか。
もう誰も喋ろうとはしなかった。
未だに目を覚まさない校長先生とその隣に寝かされた森先輩。
理不尽なまでにその傷跡を見せつけられては、次はあの二人の隣に寝かされるのが自分かもしれないという恐怖に戦き、誰一人として己を奮い立たせて立ち上がる者は現れなかった。
思えば、もう丸一日何も食べていない。
空腹を水で誤魔化し、毛布に身を包み、時が流れるのを一刻一刻と待つだけ。
それも、もう限界に近かった。
所詮、戦争も経験したことのない平和な世界で育った一般人なのだ。
突然の理不尽に立ち向かえるほど、身体もそして心も強くはなかった。
誰もが先の見えない未来に暗澹な表情をしている。
そして、ついにその時が来た。
「──音がする」
ポツリと世良先輩が呟いた。
音?
耳を澄ませると確かに聞こえる。
──バサバサバサバサ。
この音は……。
「ヘリだッ!」
誰かが叫んだ。
その言葉に連鎖するように周囲から歓喜の声が上がる。
「助けが来たんだ!」
「俺達助かるの?!」
「や、やった……」
バサバサバサバサバサバサ。
プロペラが空気を切る音は徐々に大きくなっていき、それは確信に変わりつつあった。
──助かる。
そう思った時、体育館の扉が激しく開かれた。
ドンッッ!
慌てて入って来たのは黒ずくめの男だった。
男は入るなり、私達の顔をじろりと見渡した。
そして私と目が合った。
「……ぁ」
まずい。と思った時にはもう遅かった。
「おい、そこのお前ッ」
男が速足でこちらに駆け寄って来る。
その瞬間言葉に言い表せないほどの不安に駆り立てられ、背筋が凍る思いで顔を伏せた。
まずいまずいまずい。
こっちに来る。
「着いて来いッ!」
俯いたまま両膝を抱える私の片腕を鷲掴みにして無理やり掴み上げた。
「い、嫌っ!」
私も腕に力を籠める。
「いいから来いッ」
抵抗も空しく、力ずくに男は私を引きずって扉に行こうとした。
その時──。
「だめえええええええええッッ!!」
声を上げた世良先輩が私に飛びついたのだ。
男と私の目が見開かれる。
「古賀ちゃんは連れて行かせない!」
「もうやめて下さいっ!」
更に、ハッとした清水先輩までもが世良先輩の上から飛びついた。
「放、せッ」
「きゃっ!」
前後に引っ張られる腕の痛みに顔を歪めたのも束の間、男が世良先輩の肩に足を乗せそのまま引きはがすように足の裏で突き飛ばした。
世良先輩ッ?!
覆いかぶさっていた清水さんごと後ろに倒れた二人は、すぐに起き上がり、再び私に飛びかかろうとしていた。
それをずるずると引きずられていく私が静止した。
唇を強く噛み締め、顔を横に振る。
もういい。もういいんです。
もうこれ以上私のために傷つかないで下さい!
今度は、私がみんなを護る番だ。
私があのヘリで着た人達に助けを呼びに行く。
自分にそう言い聞かせた。
みんなを助けるんだ!
最後に世良先輩が泣き崩れる姿が目に焼き付いた──。