ページ15 深夜徘徊
東の空に明けの明星が薄っすら見え隠れする頃。
オレは一人、シェルターを抜け出した。
考えなきゃいけないことがあり過ぎて、まったく眠れなかったのだ──。
シェルターの外はとても静かだった。
この病院には多くの人が集まっている。
その中にはケガ人も多く、またもしもが合った場合にもすぐに治療を受けることができる病院は避難所としても都合がよかったのだろう。
そんな彼らも、またいつ狂暴なモンスターが襲ってくるかもわからないという不安と恐怖で、とてもゆっくり眠ることなどできるはずがなかった。
せいぜい震える身体を毛布に包み、身を寄せ合って夜が明けるのを待つ。
話し声などはほとんど聞こえて来ない。
そのせいか、余計にあちらこちらから聞こえる鼻をすするような音が妙に胸を締め付けた。
学校や会社帰りで家族や友人などと離れ離れになってしまった者。
負傷し、病院に運ばれ、身動きが取れなくなった者。
モンスターに襲われて大切な人を失った者。様々であった。
連絡を取るにしても、停電以降は電話やネット回線も繋がらない。
みんな不安で堪らないのだ──。
オレは何となく数時間前にモンスターと戦った病院の入口まで来ていた。
崩れた塀や門を塞ぐように瓦礫などが集められ、警備の人達が交代で見回りをしているのが遠目に見える。
──それを見て少し安心して踵を返した。
見つかって声をかけられるのも気が引ける。
それにしても、『ノエル・シュトラス』か……。
オレはこの名前を知っている。
昔やっていたオンラインゲーム『ソードオブアビス』内のシュトラスの森にあるエルフの里のNPCの名前だ。
「たまたま同じ名前ということは……、やっぱないよな」
しかし、そこでのNPCの役目は、冒険者と呼ばれるプレイヤーにいくつかのクエストを配布するただの案内人だった。
会話するどころか何度話しかけても決められた定型文を話すだけのNPC。
そのNPCが現実世界に現れて、あんなにも普通の人達の中に溶け込んでいる。
外見は兎も角、中身はNPCどころかAIにすら見えない。
オレ達と同じように考え、自分で行動する、飯をあんなに幸せそうな顔で食べ、うまい物には目がなくておかわりと駄々をこねる……。
それが機械の制御するプログラムだとは到底思えなかった。
そして、昨日の戦い。
間違いなくオレはゲームキャラクターのステータス情報を、現実世界で引き継いでいる。
その力を使い、オレはあのモンスターを倒した。
ただ、一年以上前に辞めたゲームの細かなステータスなんて覚えているはずもない。
そこでゲームなどでお馴染みの『ステータスウィンドウ』を出せないか頑張ってみたモノの、いくら念じたりポーズを決めても何も現れることもなく……。
ただただ虚しさが残る結果となったのだった。
くっ。もっとかっこよく叫ばなきゃだめなのか?!
……わからん。
ただ、あそこで『ゲームの力』を使えなかったら、間違いなく死んでいたのはオレだった。
それだけは痛いほどわかる。
生か死か。
あれは間違いなく、ただの殺し合いだった。
仮にゲームの力が使えるオレが死んだらどうなるのか。
街などで生き返ることが本当にできるのか?
試すような真似はしたくないし、命は一つだからこそ、人はその一度きりの人生を必死に抗うのだと思う。
そして、もし左雨さんがあの時魔法が使えなかったら、今頃ノエルは……。
そう考えると恐怖で身の毛がよだつ。
周囲に人影なし。
「──よし、誰も居ないな」
せーのっ。
今ならジャンプすれば建物の上に飛び上がれる気がした。
さすがに一度の飛躍で病院の屋上までは行けるわけがない。
それでもいくつかのベランダを経由して屋上まで辿り着けた。
もう完全に人間離れしている……。
左雨さんの話で電気が止まっていることは知っていた。
それでも自分の目で確かめたかったのだ。
「真っ暗だ──」
現在病院は最小限の電力を自家発電で賄っている。
そして、周囲が暗闇に閉ざされている中で、唯一ぽつりとこんな時間でも松明が焚かれ続けられているこの避難所はとても異質に見えた。
月明かりで薄っすら照らされる市街地。
屋上から見渡せる限り、他に明かりがついている場所なんてどこにもなかった。
その上、至るところで黒煙が立ち上がっている。
駅はあっちの方か。
たしか大型モンスターが暴れていたとか。
……まだ、いるのかな。
──カチ、カチ、カチ。
ふと病院とシェルターの間で妙な音が聞こえ、視線を落とした。
何か金属をリズミカルに打ち付けるようなそんな音。
カチ、カチ、カチ。
オレは音の正体を探るため、屋上から飛び降りた。
そして見つけた先には、杖を突くお婆さん。
音の出所はあの杖かな。
そう思ったオレはお婆さんに声をかけることにした。
「おはようございます。どちらまで行かれますか? ご案内しますよ」
「これはこれは……、ありがとうございます。申し訳ありませんがお言葉に甘えさせてもらいますね」
見た目通りのとても優しそうなお婆さんだった。
オレはその手を取ってゆっくりと歩き始めた。
「こんな時間なので娘を起こすのに気が引けてしまい、一人で出て来てしまいましたが、この眼のせいか、満足に歩くこともままなりません」
年は取りたくないですねと微笑むお婆さん。
恐らくこのお婆さんは視覚障害者なのだろう。
話し方や雰囲気から少し上品な感じを匂わせるこのお婆さんは、杖で身体を支えるのではなく、自分の少し前に障害物がないかを確かめるように、地面を叩いて進んでいたのだ。
眼も見えず、こんな夜更けに。
しかも今はいつ何が起こってもおかしくない状況なのだ。
いったい一人でどこに行く気だったのだろう……。
「昨夜の騒ぎで避難して来た人達も皆、疑心暗鬼になっております。あなたみたいなお優しい方が居てくれるととても心強いですね。ふふふ」
昨日のモンスターの襲撃のことを言っているのだろう。
今はだいぶ落ち着きを取り戻したけど、自衛隊による避難サイレンにより、襲撃が合ったことは一般人にも知らされている。
そして通路は塞がってはいないが、その両端には病院やシェルター、テントから溢れた多くの人達が毛布に包まって、眠れぬ夜に途方に暮れていた。
「いえ、このぐらい当たり前ですよ」
「娘も早くこんな良い方と一緒になってくれれば良いのですが……」
溜息をつくお婆さんに、まだ15歳のオレはなんと返していいものかわからず苦笑した。
「ですが、この眼のせいなのか気が付くこともあります」
いくつも立ち並ぶ簡易テントの前。
そこで急に立ち止まったお婆さんは、優しく微笑みながら口を開いた。
「あなたはとても優しい。しかし、どこか少し怖がっているようにも思えます」
物を言わさぬ言葉にゴクリと息を呑み、中学時代のことが頭を過った。
「以前に何があったかは存じませんが、人の痛みを知る者は強くも、そして優しくもなれるのだと思います。人生無駄なことは何一つありません。昨夜はモンスターからここを守って下さって、本当にありがとう御座いました」
そう告げ、一礼したお婆さんは踵を返して、テントへと入って行った。
あれ?
モンスターと戦ったのがオレって言ったっけ……?
自衛隊本部と書かれたテントを見上げ、ざわりと焦燥感に駆り立てられた。