ページ1 プロローグ
ゲームの中のように毎日モンスターと戦いクエストをこなしてお金を稼ぎ、何のしがらみもなく自由に世界を旅して、多くの冒険で仲間を増やし共に歩み、共に戦い、共に笑い涙する。そんな物語のような世界で生きていきたい。
──そう、夢にまで想い描いて憑りつかれたようにネットゲームをしていた時期があった。
ただ強さを。誰にも負けない絶対の強さを求めて、終わりなき時を彷徨うかのように。
所詮データ上で数字が0と1変わるだけ。
現実は、モニターの前にいる自分は。
『君はその先にあるものを見たいと思わないかい』
現実は理不尽で満ちている。
努力は報われず、それまで積み上げたモノが簡単に崩れていく。
──それでも。
それでも諦めなかったその先に何があるのか。
『僕はその為に君に多くの理不尽を与えよう』
◆
我が校の学食には、代々上級生から口伝いに受け継がれている秘密の裏メニューがある。
それがこれだ!
カツとじ定食の裏メニューとして考案された『カツ丼』。
一見、カツ丼と聞くとどこにでもあるように思われがちだが、ここのカツ丼はそこらのカツ丼とはわけが違う。
毎日数百、いや、多い日で千食を超える数の学食を作るおばちゃん達によって、考えに考え抜かれ完成したこのカツ丼は、素早く作れ且つ美味さを極限まで追及された逸品である。
卵とタレの絶妙な甘さに加え、肉を包む衣はカリッと揚がり、なのに中の肉がふわっふわで噛むと肉汁が……ぁ。
「ここい~い?」
昼休み、オレは食堂のおばちゃんを誑し込み、もといサービスで山盛りにしてもらったカツ丼に舌鼓していると突然クラスの女子に話しかけられた。
が、例え可愛い女の子に声を掛けられようと、この食欲を誰が止められよう。いや、止まらない!
うーん、美味……。
返答がないのを肯定と捉えたのか、彼女達はオレのテーブルの向かいにずかずかと腰を下ろした。
「ていうか、あんたまたそれ食べてんの?」
「古賀も一度食えば忘れられなくなるさ」
「そんな脂っこい物、私には永遠に必要ないわよ」
そう言って古賀は野菜たっぷりヘルシー弁当を広げた。
というか野菜のみだった。何これ? 自分で作ってんの?
すっげー睨みながら草食系女子ってアピールだろうか。ぜんぜん笑えない。
どう考えても肉食系だろ。これ……。
「あはは、影山くんほんっと美味しそうに食べるよね。私もそれにすればよかったかなぁ」
古賀の隣で学食のうどんを冷ましている左雨さんの笑顔で場が和む。
その笑顔だけで古賀の弁当のことなんてどうでもよくなってきた。
是非とも左雨さんにもこのカツ丼を食べて欲しいと切に願う。
まぁガチで進めれば、天使の笑顔を浮かべた左雨さんにドン引きされそうなので願うだけだ。願うだけなら誰も不幸にはならない。
「左雨さんは今日学食?」
この二人が食堂にやって来るのは珍しい。
普段は教室で弁当を食べているはずだ。
「それがさぁ、愛が寝坊しちゃって今日は学食なのよ」
「えへへ、起きたら7時25分だったよぅ」
ちなみに0時間目が始まるのは7時30分からである。
あ、ありえねェ。
古賀は実家だけど、オレと左雨さんは寮生であり、学校からは確かに近い。
だが、5分で辿り着ける距離なんかじゃない。断じてないのだ。
ましてや弁当なんて作る時間はなかったのだろう。
それはわかる。
普通に考えたら遅刻だけど、何故だか入学から一ヶ月ちょっと経った我がクラスの学級目標である『無遅刻無欠席』は、未だ記録を更新している。
そう、今朝もギリギリだったけど、間に合っていた。
「いったい今回はどんな魔法を使ったんだよ」
「いやぁ、私も今朝はもうダメかと思ったよ」
あははと、はにかむ左雨さん。
いや、普通に可愛いだけどもっ!
年齢イコール彼女居ない歴のオレは騙されない。
オレが全力で走って10分はかかる距離を5分で登校できるはずがない。
それこそ、魔法でも使わない限りは……。
しかし、この世界にそんなゲームや物語の世界のような『魔法』なんて物は存在しない。
あるのは理不尽な現実だけ。
遅刻という崖淵がすぐそこまで迫っているだけなのだ。
一人暮らしで誰にも起こしてもらえない寮生には、特に朝が辛いのだ。
夜、眠ったら最後。目が覚めたら授業が始まっている時間かもしれないという恐怖を毎日味わうなんて、オレは嫌だ。
そんなのおちおち寝ることもできないじゃないか。
余計起きるのが遅くなるわ!
もっと安心して睡眠を取りたい。
「あっ、そうそう響子ちゃん! この間見つけた近道のおかげなのっ!」
かなり伸びてしまったうどんにようやく手を着けた左雨さんが急に声を上げた。
勢いよく両手を力強く振り回しながら。
うん、それ行儀悪いから手に持った箸は置こうね。
ん?
「……近道?」
その瞬間、古賀の口元がニヤリと笑う。
──来る。
その笑顔にオレは身構えた。
綺麗なバラには棘がある。
古賀の場合、性格はともかく、見た目は美人だ。
そして実力テストはまだだが、左雨さん曰くかなり頭もいいらしい。
高校も左雨さんに合わせて決めたとか……。
そんな棘だらけの古賀にまんまと絡めとられ、ここ最近オレは自ら進んで彼女達に飲み物を差し出すのだ。
それは決してたかられているわけではない。
親愛の証なのだ。
「ねぇ影山、あなたも愛と同じ寮生だったわよね?」
学校が運営する高層マンション。
駅近で、中はワンルームマンションとなっている。
一階には食堂があって飯が美味い。
そう、飯が美味い!
オレは神妙な顔でコクリと頷いた。
「実はこの間、学校の帰り道に寮までの近道を見つけたんだけど……」
「ジュース一本っ!」
焦らすように言葉を切る古賀に、オレは人差し指を一本立てて先を促した。
高校進学のために引っ越してきたばかりで、まだこの辺りの地理に疎く、放課後にはバイトもあるオレには喉から手が出るネタだった。
「ジュース”一人”一本ね」
「……わ、わかった」
念のためもう一度言っておこう。
決してたかられているわけではない。
ないったらない。
◇
放課後、バイトに向かう途中で脇道に進路を変えた。
辺りは五月初めの夕暮れ時、人気もない裏道を少し不安になりながら、目印の『古民家の垣根道』を見つけて安堵する。
バイト先は、学校から寮を抜けた先の駅前にある。
古賀から聞いたこの近道は、なんと本当に学校から寮までを3分ほど短縮できるものだった。
それでも3分なのだ。
近道を使っても7分はかかる。
どういうことだ……。
まだ秘密があるとでも言うのだろうか。
あと2分。
まだ何かあるはずなんだ……。ぐぬぬ。
この僅かな時間が遅刻するかどうかを大きく左右させる。
他に二人は何も言っていなかった。
全てを語らず小出しにする辺り、古賀の賢さを感じて溜息を吐き出した。
きっと明日もまた飲み物を献上してしまうだろう。
それでもこの情報にはそれだけの価値があると思うからこそ、オレは喜んで対価を支払うべきだろう。古賀さん、なんて恐ろしい子。
「きゃああああああああああああああっ!!」
?!
突然の叫び声にオレの思考はすぐに現実に引き戻された。
今の声、左雨さん?!
こっちの方から声がしたような……。
目の先には開きっぱなしの裏戸が風になびき、ギギギと音を立てた。
オレは不安と一緒に焦燥感を飲み込んだ。
──ゴクリ。
意を決し、民家へ不法侵入を試みた。
襲る襲る裏戸から入り、叫び声のした中庭へ。
「すみませ~ん、どな、たか……ぁ?!」
複数の者と目があった。
それは後退る左雨さんを囲むように3匹。
一瞬、子供かと思った。いや、子供の方がよかった。
膝より少し大きいぐらいか。
やせ細った体躯にぼろ布を巻き付けただけ。
手には錆びて切れ味の悪そうな刃物。
漫画やゲームでしか見聞きした事のない、この世界に居るはずの無い生き物達だった。
ゴ、ブ……リン?
咄嗟に頭に浮かんだ。
「ギィ!」
「影山くんっ?!」
一番奥に居た奴が声を上げたのと左雨さんの声がほぼ同時に上がる。
すぐ近くに居た1匹がオレの斜め後ろに回り込み、もう一匹は正面に。
よく統率の取れた素早い動き、嫌な予感しかしない……。
「おいおい、こりゃあ遅刻確定だな」
かっこ付けて呟いてみたが、首筋を伝う冷や汗は正直だ。
今にも前後の2匹が襲い掛かってきそうだ。
……あ、わかった。こいつらアレだろ。
着ぐるみだ。
包丁持ってコンビニに強盗が押し入る時代だ。
着ぐるみ着て包丁持って、女子高生が襲われてもおかしくない。
なるほど、最近の着ぐるみはよく出来てるな。
ふふふ、しかし相手が悪かったな。
オレは中学の時に何度も大勢に囲まれた経験がある。
こういう時どうすればいいか、イメトレ済みだッ!
「先手必勝の教科書アタック!!」
「ギャッッ?!」
まさか先に攻撃を受けるとは思っていなかったのだろう。
正面にいた着ぐるみ強姦の顔面に大量の教科書が詰まった鞄がクリーンヒット。
そのまま物凄いスピードで飛んで行く。
それに激怒した後ろのもう一人がすかさず襲い掛かってきた、が。
オレの準備はすでに整っている。
「……からの、教科書アッパーッ!」
今度は振り向き様に振り子の容量で下から鞄を振り上げる。
ドンッ!
重い衝突音。
着ぐるみ強姦は弧を描いて、庭の垣根を飛び超え隣の家まで飛んでいった。
おぉ、ホームラン。
中の人は大丈夫だろうか。
本来なら2発目は敵の股間に決まるはずの技だ。
破壊力は申し分なさそう。
毎日くそ重い教科書を持ち帰りしててよかったー。
これまじで凶器だよな。
そして、仲間が吹っ飛んで怯んでいる最後の一人に駆け寄り、三度目の教科書アタックをくれてやった。
ふぅ、決まった!
戦いにずるいも卑怯もへったくりもない。
勝利こそがすべてなのだ。
「左雨さん大丈夫?」
差し詰め、お姫様を助けに来た映画のワンシーンのように。
尻餅をついて固まったままの左雨さんに、オレは右手を差し出した。
そして不意に左雨さんが叫んだ
「だめええええええええっ!!」。
えっ?
「ギィィィイイイィィッッ!」
下からオレを見上げる左雨さんだけが、ソレに気づけた。
オレの眼には突然緑色の物体が空から降って来て地面に激突したようにしか映らなかった。
遅れて右腕に熱が走る。
地面に刺さった刃物を引き抜こうとするソレを認識した。
木の上に隠れて居たとかなんて卑怯なっ!
数秒前の自分の勝利宣言を棚上げにしてオレは内心叫んだ。
そして体を半回転させ、まだ地面に刺さった物が抜けずにいるソレに目掛けて、左手に持つ鞄をブチ当てた。
「グェッ?!」
勢い余って鞄も一緒に飛んで行ってしまった。
痛ェ。
くそ、完全に油断した。
見ると、制服を巻き込んで肘上からぱっくりと傷口が開いていて、血がポタポタと溢れだしていた。
制服買ったばっかなのにどうしてくれるんだ!
よし、周囲にはもう居なさそう。
「ぁぁ……、影山……くん、腕が……」
左雨さんが目に涙を浮かべていた。
オレはそれを制して早口で告げる。
「見た目ほど痛みはないから大丈夫、それより早くここから離れよう。あいつらがいつ目を覚ますかもわからないし、他にもまだ居るかもしれない」
負傷した右腕を後ろに隠し、左手で左雨さんの手を取り、オレは走り出した。
◇
もっ、もう、無理っ!
どれだけ走っただろう。
オレはコンクリートの地面にダイブした。
「ぜぇー、ぜぇー」
大の字になって荒い息を必死に整える。
くっそ、どうなってんだよ!
「大丈夫? 影山くん……」
「あ”ぁ~、てか、左雨、さんっ、早すぎ」
初めはね、オレが繋いだ手を引っ張って走っていたんだ。
それがいつの間にか追い抜かれ、気が付けばオレの方が引っ張られているという醜態を晒していた。
「私、中学で陸上部だったから……」
全く息の切れていない左雨さん。
そしてオレはピンと来た。
これか!
目覚めてから5分で登校の秘密はっ!
このスピードと体力ならば5分で辿り着けるのだろう。
足早ェ……。
いつまでも仰向けになったまま、スカートの中を覗いていても悪いのでそろそろ起き上がろうとして。
起き上がろうとして……。
あれ……。
オレは再びコンクリートの地面と抱き合っていた。
視線の向こうには、大盤振る舞いに垂れ流した血の痕。
あ、やべっ、血を、流し過ぎた、かも……。
全身の感覚がなくなっていき、意識がどんどん薄れていく。
これあかんやつや。
薄れゆく意識の中で、何度もオレの名を呼ぶ左雨さんの声が木霊した。
──はは。
最期に女の子の手も握れたし……、もう悔いは、ない……な。
◆
この日、世界中で多くのモンスターが確認された。
明らかに現存生物とは違う彼らの中には、銃やミサイルすら物ともしない文字通りの化物が含まれ、人々はその命を落とした。
多くの者が悲鳴を上げる中、ゲームや物語に関わりの深い日本の若者を中心にこの日のことを後にこう呼ばれるようになった。
異なる世界と繋がった日『ログイン』と。