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迷宮、ダンジョンなどというものを内包する街キャスカム。その街の外れにあるスラムに住む少年、サザムは晴れ渡る朝に走っていた。短く切り揃えられた黒髪は風に舞い、年に見合わない立派な体躯は風に濡れてぼろの一張羅は体に張り付く。しかしそんな事などお構いなしにサザムは走っていた。
「こっちにいたぞ!」
「追え、殺せ!」
背後にあがる声に追い付かれないよう、サザムは走っていた。
スラムに住むならず者であるサザムは子供でありながら人一倍体が大きく、またそれ以上に力が強かった。迷宮を有するキャスカムには各地から夢を抱いたならず者が集まり、当然そんなならず者の間で絶対に通用するものは腕っぷしだった。それ故か子供ながらに大人顔負けの力を持つサザムは自然スラムの子供たちの顔役と扱われた。
しかしこの日サザムは子分の一人にはめられたのだ。その子分はサザムの右腕といって良い少年で、面倒を嫌うサザムに代わってスラムの大人との交渉を務めてくれていた少年だった。右腕の少年が喧嘩を売られたと言うので連れられてみれば、そこにいたのは弩で武装したスラムの大人の一団だったのだ。
その一団は最近キャスカムに来たラスカムという男が率いていて、スラムで台頭し始めたラスカムは非常に頭が良く、残虐非道で知られる男だった。スラムの数少ない水源を抑え、高値で売り払う。その力で広げた勢力は強く、ラスカムの隣で笑っていたかつての右腕の少年もその力で釣られた一人だというのは考えるまでもなかった。
サザムは馬鹿ではなかった。たとえ大人顔負けの力を持つといえども十を越える数に囲まれてはどうしようもない。加えてラスカムは容赦なく構えた弩で射かけるような男であることを知っていた。
幸いだったのはスラムは道も建物も乱雑で脇道も多く、サザムは他の街から来たならず者どもよりスラムを知っていたことだ。弩を射かける暇さえないほど一目散にサザムは逃げた。
走るサザムは自然と街はずれのスラムからキャスカムの中心にある迷宮に向かっていた。もう随分と前に追手の声は聞こえなくなっていた。しかしスラムには敵しかおらず、かといって街でまっとうに暮らしていけるだけの学も伝手もない。そんな典型的なならず者の行く先などこの街には一つしかなかった。たとえそれが霞のような夢を餌に愚か者どもを食らう地獄だとしても。
乱雑だった道も建物もいつしか整然としたものになったころ、サザムはついに迷宮のあるキャスカムの中心へとたどり着いた。円上の広場には商人の売り込む声や賭けに興じる者たちで溢れていた。しかしそれらの人々は決して広場の中央に近付こうとはしていなかった。中央へと歩みを進めるものは、サザムのようなぼろぼろの姿の者ばかりだった。
迷宮は貴族だろうとお尋ね者だろうと誰でも入ることができた。迷宮への入り口には短いながら列ができており、そこには鎧を纏った屈強な男が幾人かいた。またそれ以上にサザム同様大した装備もない者がいる。それらはやはりサザム同様に生活に窮した者共だ。しかし安全。少なくとも列に並び、迷宮に入り、そして死ぬまではそれを得られるのだ。
列は次々と進んで行った。幾度か広場に来たことのあるサザムも挑戦者に視界を阻まれて迷宮がどのようなものかまでは知らなかったが、どうやら迷宮の入り口はただの壁のようだった。白い壁に赤黒く難解な紋様が描かれている。それに向かってなおも進むと人がするりと壁に消えていく。よく見ると右隣にもまた同じような紋様の壁があり、じっと見ているとちょうどそこから人が出てきた。なるほどあれが出口かとサザムは理解した。
出てきた男は良い身なりをした騎士に抱えられ、周りでは商売人や見物人が割れんばかりの歓声があがった。男のなりは傷にまみれ、服などぼろぼろの腰まき程度しかなかった。しかし男は夢を掴んだのだ。手に持つ剣は無骨ながらも美しく、様々な財宝を抱えている。その時ばかりは列を進む足が皆止まり、目を爛々と輝かせて男を見ていた。夢は霞のように曖昧なものではなく、たしかにそこにあったのだ。
やがて目の前の男が消え、いよいよサザムの番が来た。といっても感慨にふける間などない。相も変わらず後ろには列が続いているのだから、サザムは急かされるように迷宮に入った。