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君へのラブレター

作者: novel_no_bell

「!」

 驚いて声が出そうになった口を、立花良介はあわてて手で押さえる。

 教室にいるクラスメイトがこっちを見ていないことを確かめ、改めて机の引き出しの中から、《それ》が見えるように少し取り出した。

 これは……どうみても――。

「おはよう」

 不意に背後から声をかけられた。

「夏休み、どこか遊びに行ったりしたか?」

 《それ》を引き出しに素早く戻し、良介は後ろを振り返った。そこには、隣のクラスの足立直樹が立っていた。

「おはよう。旅行には行ってないな。直樹は?」

「僕も同じ」

 直樹は残念そうに肩を落としてみせる。

「その分、新学期はワクワク楽しく過ごしたいと思ってる」

 先ほどから教室内の他のクラスメイトの口から、東京や大阪のテーマパーク、中にはハワイに行ったという声も聞こえてくる。

「……そうだね」

 良介は特に今の学校生活に不満を感じていないので、新学期はいつも通り穏やかな日々を送ろうと考えている。いや、考えていた。

 朝礼五分前を告げるチャイムが校舎に響き渡る。

「行くか、朝礼」

「ごめん、ちょっとやることがあるから、先に行っといて」

 直樹が教室から出ていくのを見届けると、再び机の中にある《それ》に目を向ける。

「やっぱり、どうみても、ラブレター、だよな」

 良介の手には、一枚の折りたたまれた便箋が入っていることを窺わせる白い封筒が握られていた。これが自分宛てのラブレターであれば、良介にとってのワクワク楽しい新学期の幕開けになっただろうが、実際はそうではなかった。

 そのラブレターが入っていると思われる白い封筒には、『白川穂香さんへ』と書かれていた。

 新学期初日の朝、良介の机の中には、他人宛てのラブレターが入っていた。


 朝礼の時間も、そして今の一時間目の国語の時間も、良介はただひたすらラブレターのことについて考えていた。

 白川さんは良介のクラスメイトだ。中学生とは思えないほど大人びた美しい顔立ちをしており、多くの男子生徒に人気があるという噂をよく耳にする。だから、別に白川さんにラブレターを送る生徒がいても何ら不思議ではない。問題は、どうして白川さん宛てのラブレターが良介の机の引き出しの中に入っていたのかということだ。もし誰かに自分の机の中を見られてしまったら、良介自身が白川さんにラブレターを送ろうとしていると勘違いされてしまうだろう。その事態を避けるため、先ほどからラブレターの入った封筒を肌身離さず持ち歩いている。

 シャープペンシルのノックボタンを額にコツンコツンと当てながら、この先のことを考える。

 良介にとっての最大の問題は、このラブレターが見つかってしまうことではない。このラブレターをどうするのかということなのだ。

 このラブレターを書いた人物――ここではAとしておこう。今回の場合だと、Aは良介の机を白川さんの机だと勘違いして、誤ってラブレターを良介の机に入れたと考えるのが妥当だろう。つまり、Aは、もうすでに自分が書いたラブレターを白川さんが目にしていると考えているに違いない。そして、これは小説やドラマの見過ぎと言われるかもしれないが、多くの場合ラブレターは、差出人は受取人とどこか人気のない場所で、“その日”に出会うことを伝えるための文面であると、良介は考えていた。つまり、このラブレターに関して、今日中に何とかしなければならないということである。もちろん、入れる机を間違えたAに非があるのは間違いなく、良介がこのラブレターに対して何かしなければならないというわけではないのだが、それでも、良介にとって、このラブレターを見て見ぬふりをすることは、自身の心に何らかのマイナスの影響をもたらすと感じており、このラブレターをどうにかしたいと必死に思考を巡らせているのである。

 窓側の最前列に背筋良く座る白川さんの後姿を遠目に見ながら――ん?

 良介の頭に一つの大きな疑問が浮かび上がった。

 白川さんの座席は、教室の窓に一番近く、しかも黒板に一番近い最前列である。対して、良介の座席は、廊下に一番近く、前後では真ん中付近の位置にあたる。

 Aはラブレターを出そうというくらいだから、間違いなく白川さんの座席の位置は把握していただろう。にも関わらず、白川さんの座席の位置とは全くもって間違いようのないように思われる良介の机の中に手紙が入っていた。これは一体全体どういうことなのか。

「――かくして、謎は謎のまま、闇の彼方に葬られたのであった」

 先生の朗読を耳にしながら、良介は自身の現状の課題も葬ってはくれないものかと切実に願っていたのであった。


 二時間目は音楽の授業であり、良介は音楽室へと足を進めていた。

 現在直面しているこの課題を何とかするためには、二つの方法があると良介は考えていた。一つ目は、自分が周りのクラスメイト達の目を何とかかいくぐって、白川さんの机の中にラブレターを入れるという方法。これは、休み時間や移動教室の時間を上手く使えばとても理想的で実現性も高いと思われる。良介はこの方法を取ろうと考えていた。二つ目の方法として、差出人であるAを特定するという方法もあるが、これをするには手掛かりが少なすぎるし、Aは良介のような他のクラスメイトに、今回の手紙に関して知られたくないと考えているかもしれない。このような考えをもって、良介は何とか他の人に見つからないようにして、ラブレターを白川さんの机の引き出しに入れようと考えていた。

「そうだ、次の音楽の時間にトイレとかで授業を抜け出して、教室に戻って手紙を白川さんの机に入れるという考えはどうだろうか」

 いや、音楽の授業のときはクラスの扉の鍵は閉まっている。そしてその鍵は日直が持っている。そうなれば、音楽の時間にクラスに戻るためには、何とかしてクラスに戻る口実をつくり上げ、日直から鍵を借りる必要がある。

 ……そんなうまい口実があるのだろうか。

 前方を歩くクラスメイトをぼんやりと見つめながら、今にも思考回路がショートしそうなほどに良介は頭をフル回転させていると、一つの名案が降ってきた。

「これだ!」

 前方を歩いていたクラスメイトが、何事かと良介の方を振り返る。

 良介は何でもないということを身振りで示し、クラスへと引き返した。


「すみません、リコーダーを教室に忘れました。取りに行ってもいいですか」

 あの後、良介はクラスに戻り、わざとクラスにリコーダーを置いてきたのだ。クラスがもぬけの殻となっているこの状況で、クラスへと一人で戻るために――が、そうは問屋が卸してくれなかった。

「あ、先生すみません。私も教室にリコーダーを置き忘れてしまいました。私も取りに戻ってもいいでしょうか」

 同じくリコーダーをクラスに置き忘れた人物がいたのだ。

「分かりました。立花君と白川さん、取りに行ってらっしゃい」

 しかもよりによって、その人物は当の白川さんなのだから、良介にとって災難極まりといった状況だった。いや、彼にとっての災難の極みはラブレターが自身の机に入っていたことだろうか。

 良介は背筋良く歩く白川さんの後ろを、肩を落としながらついていった。


「立花君、どうしたの? そんなに沈んだ表情をして」

 良介の少し前を歩いていた白川さんは、肩ほどまである黒髪をなびかせながら振り返る。

 あなたのせいです――と思わずにはいられない良介であったが、白川さん本人には何の責任もないので、そんなことを言えるはずもなかった。

「……お腹が減ったから」

「……っ、な、なに、それ!」

 お腹を抱えながらその場で体を丸め、涙目になりながら彼女は笑う。

 恥ずかしくなった良介は彼女の脇を通り過ぎ、先にクラスへと足を運ぶ。

「ご、ごめんって――っ!」

 謝ったかと思えば、すぐにその場でお腹を抱えて白川さんはまた笑い出していた。


「着いたね」

 クラスに着くまでに何とか白川さんの目をかいくぐる方法はないものかと頭を悩ませていた良介であったが、クラスの扉の前に着くころにはもう手立てがないとあきらめていた。クラスの扉の鍵を開けていると、白川さんは歩いてきた廊下を戻っていくようにして足を進めだした。

「ごめん、ちょっと用事。私の分のリコーダーも取っておいてもらえるかな。ロッカーに入っているから――よろしく!」

 詳しい理由も言わないまま、彼女は廊下をステップのような軽やかさで走っていった。

「……何だったんだ」

 とはいえ、これで彼女の引き出しにラブレターを入れる絶好の機会が訪れたことになる。彼女はいつ戻って来るかわからない。まずは早急に彼女の机にラブレターを入れ、その後、リコーダーを取ることにしようと良介は即座に考えた。

 扉の鍵を開けると同時に、自身のズボンのポケットの中からラブレターの入った白い封筒を取り出す。白川さんの机に向かって一直線に駆け寄り、彼女の机の引き出しの中を覗き込む。封筒が入るスペースを見極め、白い封筒を握り締めた手をそこに滑り込ませた。

「よし!」

 柄にもなく思わずボクシングで勝利した選手のように、誰もいない教室で拳を高々と振り上げた――いや、見ている者がいた。

「……っ、な、なに、してる、の――ふふ!」

 なんと白川さんが教室に戻ってきていたのだった。一体どこの場面から自分の行動が見られていたのか、良介は気が気でなかった。

 仮に自分が白い封筒を入れる瞬間を目撃されているとすれば、それは致命的すぎてどうしようもないくらい最悪だ。その後の勝利のポーズからのみ見ていたのだとすれば――それはそれで心に刺さるものがあるが、今はとやかく言っている場合ではないと思われる。

 ――封筒を入れた瞬間を見ていたのか、それとも見ていなかったのか――。

 良介の心臓はとても激しく拍動していた。今にも破裂してしまいそうだと感じるほどである。

 いまだに笑い続けている白川さんを見ながら、良介は何とか言葉を紡ぎ出した。

「よ、よう。どこ行ってたんだ」

 自分が白川さんの机に手を入れていたのを見たかどうかなんて、とても直接本人に聞けることじゃない。もし、幸運にも白川さんがその瞬間を見ていないのであれば、自分から犯罪を暴露する間抜けな犯罪者みたいなことになってしまう。

 良介は白川さんの顔をじっと見つめ、次に彼女が返す言葉に、文字通り全身全霊を持って耳を傾けていた。

「ん、それはレディーに聞いちゃいけない質問だよ、立花君」

 その返答の意味がよくわからず、良介の頭と体はますますヒートアップしていた。

「で、どうして私の机に手を入れていたのかな」

 オーバーヒート――良介はその場で崩れ落ちた。


「ふーん、そういうこと」

 良介は一通りの事情を説明し、現在、白川さんの手には、例のラブレターが握られていた。

 彼女は自分の机の中からハサミを取り出して、封を開けると、中に折りたたまれて入っていた手紙を読み始めた。

 どうしてよいかわからず、そわそわしている良介に、その手紙が渡される。

「……読んでいいの?」

「うん」

 良介はその手紙に目を通し始めた。


 白川穂香さんへ

 今日の放課後、特別棟の屋上で待っています。


「……やっぱり、ラブレターだった」

 当の本人である白川さんは、このようなラブレターを貰い慣れているのか、どことは吹く風と言った調子で、特に喜んでいるとかそのような感じではなかった。先ほどまでと変わらず同じような様子である。

「で、どうしたらいいと思う?」

 判断を委ねられ、良介は何がどうなっているのか、よくわからなくなっていた。

「どうって言われても……。放課後、その場所に行ってみればいいんじゃないかな」

「君も一緒に来てくれる?」

「……なぜ?」

 ラブレターが白川さんの手に渡った以上、もう自身は関係ないと良介は考えていた。後は、白川さんと差出人Aの間の問題であると。それに、達成感から絶望感へと感情の起伏が激しかったのもあってか、良介は疲れ切っていた。

「レディー一人で行かせるつもり? どんな危険な人物が待っているかもしれないのに」

 それだったら行かなければいいのではないかと、ふと脳裏をよぎったりした良介だったが、もちろん白川さんの前でそのようなことは言ったりしない。言ったとしても、自身が言いくるめられてしまうだろうと、この数十分の会話で良介はなんとなく感じ取っていた。

「……わかったよ」

「それでよし」

 向日葵のような笑顔を浮かべた白川さんは、いつの間に取ったのか、手にしたリコーダーを前に後ろにと大きく振りながら、クラスを飛び出していった。

 音楽室に戻ると、音楽の先生から、帰ってくるのが遅いと叱られたのは、また別の話だ。


 その後の三限目、四限目に関して穏やかな時間を過ごしていた良介は、このまま放課後までのんびりと過ごすことができると考えていた。しかし、四限目が終わり、昼休みの時間になると、白川さんが机へとやってきた。

「ねえ、一緒にご飯食べない?」

 クラスの視線が良介と白川さんの方へと集中する。普段ほとんど話さない二人がいきなり昼ご飯を一緒に食べようとしているだなんて周りにとって不可解以外の何物でもないだろう。もちろん今回の場合は白川さんが一方的にご飯を食べようと言ってきているわけなのだけれども。

 周りの視線を気にして、良介は何とかその場をかいくぐろうと考えていた。

「いや、俺は――」

「ラブレターのこと、みんなに言っちゃうよ」

 白川さんは良介の耳元に顔を近づけると、そっとささやいた。

 ラブレターに関する何をどのようにしてみんなにばらすのか、良介は嫌な予感しかしなかった。もちろん客観的事実からすれば、ラブレターに関して良介がばらされて困ることなど何一つないわけだ。むしろ、白川さんの方が何らかの影響を受ける可能性の方が高い。しかし、白川さんが事実をみんなに伝えるとは限らない。根も葉もないような話をされる可能性もあった。例えば、良介が白川さんにラブレターを出したことにされてしまうだとか――。そんなことは平穏な学校生活を望む良介にとって害以外の何物でもなかった。

 良介は教室を出ていこうとする白川さんの後を追いかけた。


「で、どうしてご飯一緒に食べようなんて言い出したわけ?」

 白川さんと良介は空き教室の一つに来ていた。どのようにしてその教室の鍵を手に入れたのかに関して、良介は何も聞かなかった。聞いたらよくないことにさらに巻き込まれてしまう気がしていたからである。

「立花君はどう考えているのかなと思って」

 白川さんは適当な机の上でお弁当箱を広げる。どうやら本当にご飯を食べるみたいだ。

「お、たまご! たーまーご」

 たまごソングを歌い始めた白川さん。俺も白川さんから二列ほど離れた位置にある机に座り、朝コンビニで買っておいたサンドイッチをレジ袋から取り出す。

「お! たまごあるじゃん!」

 いつの間にか俺の席の隣に移動していた白川さんは、たまごサンドに目を輝かせていた。

「……ほしい?」

 髪の動きで風力発電できるのではないかというくらいに、白川さんは頭を上下に振る。

 その姿が面白くて、良介はくすりと笑いながら、二つ入りのサンドイッチの内の一つを白川さんへと手渡す。

「っふ、ふあい」

 たまごサンドに食らいつきながら話す白川さんが何を言っているのか、良介には理解不能だったが、とにかく喜んでくれているみたいで何よりである。

「あ! じゃない。危うく本題を忘れるところだった」

 たまごサンドを食べ終えた白川さんは、「あぶない、あぶない」と汗をぬぐうような仕草をしてから話を続ける。

「立花君は、あの手紙についてどう考えているのか聞きたいなと思って」

「どうって……白川さんと上手くいったらいいなと思うよ」

「そう、いう、ことが、聞きたいんじゃー、ない!」

 漫才風の口調でリズミカルにそう言った白川さんは、良介の方に顔を近づけてきた。

「だーかーら、私が聞きたいのは、あの手紙を誰が書いたのかってこと」

 それは――白川さんにラブレターが見つかるまでは、差出人Aを探しだすという案もあるにはあったけれど、だけど、白川さんにラブレターが渡った以上、別にAが誰かなんて考えなくても、今日の放課後直接会えばわかることなのではないかと思う良介であった。

「立花君が私の立場だったらどう? 会う前に誰が手紙の差出人なのか知りたいと思わないの?」

 知りたくないのかと言われれば、知るに越したことはないと思う。

「でしょ! だったら考えてみて、この手紙の差出人が誰なのか」

 白川さんはとても楽しそうに「はーんにーんさーがし」と歌い始めた。もしかしたら楽しそうに見えるのは、たまごのおかげなのかもしれないけれど。

 考えないとクラスに帰してくれないだろうということで、良介は考え始める。

「……まず、差出人は白川さんの机の場所を知らなかった。つまり、他のクラスの生徒である可能性が高い」

 白川さんの周りの机にラブレターが入れられていたのであれば、入れる机を間違えたという可能性も考えられるが、今回の場合は、両者の机の場所は全然違っていた。つまり、差出人は白川さんの机の場所を知らなかった。同じクラスの生徒であれば、少なくとも白川さんの机の場所を知っているだろう。

「……うん、妥当な判断だろうね。だけど、わざと、私宛の手紙を立花君の机の中に入れた可能性も考えられるよね」

 ……確かにその可能性もないとは言えないが、もし仮にそうであったとして、差出人はどうしてそのような回りくどいことをしたのだろうということになる。

「冗談、冗談。可能性の低い選択肢も考慮していたら、きりがないからね。立花君のさっきの仮定で推理を進めようじゃない。さあ、続きはどんなふうに考える?」

 推理――それほど大層なものではないのだけれど。とても楽しそうに口笛を吹きながら、白川さんは良介の話に耳を傾けている。

「そうだな――差出人は白川さんの机の場所が分からない。だけど、何らかの手掛かりのようなもの、例えば教科書に書かれた名前などを手掛かりに白川さんの机を割り出そうと考えていた。しかし、昨日までは夏休みであり、生徒全員は教科書を自宅に持ち帰る決まりになっているため、その手掛かりが失われていた。そのため差出人は路頭に迷って、近くの机――それが俺の机だったわけだが、そこに白川さん宛てのラブレターを入れることにした」

 良介の答えを聞いた彼女は、しばらく考える人のポーズをとっていた。

「……いくつか疑問が残るよね。まず、私は夏休みなんか挟まなくても毎日教科書を持ち帰っているということ」

 ……そうですか。まじめですね。

「その情報は犯人が知りえないことだとしても――」

 この人、差出人のことを犯人呼ばわりしちゃってるよ。

「それでも、他にも大きな疑問がある。考えてみて。もし仮に立花君が犯人だとして、私にラブレターを出そうとしているとして――なんか嫌だけれど、まあ仮にの話だから」

 とても傷ついた。良介はとても傷つきましたよ。

「誰のかもわからない机にラブレターを入れる? クラスにある机の数は約四十だから、確率は二・五パーセント。とても高い確率とは言えない。今回は、立花君のような人にたまたま渡ったから、犯人にとってある程度望ましい状況になったとは思うけれど、それでも仮におしゃべりな女子の机にでも入っていたとしたら、あっという間にクラス中、全校中に広まって、犯人は袋叩きにされているところよ」

 白川さんは女子の方々と仲がよろしくないのでしょうか。自身のことは棚に上げて、もっと友達とは仲良くしましょうと思わずにはいられない良介であった。

 ただ、確かに白川さんの言っている通りだと思う。今回の差出人の行為はあまりにも不可解な行動と言わざるを得ないだろう。

「だったら、白川さんは一体どんな風に考えて――」

 五時間目の開始五分前を告げるチャイムが校舎に鳴り響く。

「ま、考えなくても放課後になればわかるでしょ」

 ……今までの話の全てに水を差し、白川さんは教室を後にした。


「……まさか」

 放課後、良介は白川さんに半ば強引に特別棟の屋上へと連れていかれた。放課後に特別棟の屋上にいる物好きはいないだろうから、おそらくそこにいる人物がまず間違いなくラブレターの差出人に間違いないだろう。

 そのように考えていた良介は、屋上で待っていた人物に驚きを隠せなかった。

「やあ、良介、それに、白川さんも――来てくれてありがとう」

 直樹だった。良介の幼馴染で、隣のクラスの足立直樹が待っていた。

 別に、直樹であっても何ら不思議ではない。直樹が白川さんにラブレターを出したからといって、たまたま差出人が良介の知っている足立直樹であっただけで、その可能性も十分にあったわけだ。

「本当に立花君は、たまたま差出人が足立君だったって思ってるわけ?」

 どうしてここで、白川さんがそのようなことを言うのか分からない。

「真実はいつも君のすぐそばにある――ちゃんと考えて」

 いつも笑っている顔が印象的な白川さんが、真剣な表情をして良介の顔を見つめている。

 良介はどうしたらいいのかもわからず、直樹の方に視線を移した。

「さあ良介――僕がここにいることそのものが大きなヒントになっている。白川さんの言う通り、僕がここにいて、良介がここにいて、そして白川さんがここにいて――三人がこの場所に今集合しているのは、たまたまなんかじゃない。これが一体どういうことなのか、良介はどのように推理する?」

 推理――またか。推理だなんて自分にはできっこない。

「良介、そんなに卑屈にならなくていい。これはあくまでも推理だ。もっとくだけた表現をすれば、単なる想像と言ってもいい。良介、さあ、想像の羽をはばたかせ考えよう」

 いつもは穏やかな調子の口調が特徴的な直樹が、こんなにも楽しそうに話す姿を良介は初めて見た。

 白川さんも、ワクワクしてたまらないとでも言いたげな眼をしていた。

 推理することは、そんなにも楽しいことなのだろうか。自分にも推理する資格があるのだろうか。

「だーかーら」

 うつむいていた良介の顔を下から覗き込むようにして、白川さんが良介の瞳の奥を見つめる。

「資格じゃないんだって。推理するうえで最も大切なのは、論理性や頭の回転の速さなんかじゃないの。一番大切なのは、覚悟だよ。推理をしてやるっていう覚悟。それがあれば、それさえされば、三人もいるんだから、絶対に正しい答えを見つけ出せる」

 しまった、言い過ぎた――そう言って白川さんは自身の口に手で蓋をした。

 その姿がとても可愛らしく同時に面白く、良介はくすりと笑う。

 確かに、今の自分に足りないものは覚悟なのかもしれなかった。

「わかった。考えてみるよ」

 良介が考えている間、白川さんと直樹は、一言も言葉を発することはなかった。

「じゃあ、推理を始めようか」

 これが今の自身にできる最大で最高の推理だ。良介は二人の顔を交互に見つめながら、話し始めた。

「まず、直樹は今朝、俺が登校する前に、例の白い封筒を俺の机の中に入れた。昨日までは夏休みで教室の中には入れなかったからね。次に、俺の机の中に、どうして白川さんへのラブレターをいれたのかだけれど――あ、そうだ、ラブレターと言ってしまったけれど、実際はラブレターではないよね。これは単なる手紙だよね」

 そう、これはラブレターではなく手紙。

「少し話が前後するけれど、直樹は白川さんにラブレターを渡すことが目的ではなかった。単なる手紙として渡すことを目的としていた。これがどうしてかと言えば、理由はいろいろあるけれど、一番は今の直樹の様子を見て、かな。とても白川さんのことが好きだという風に見えないしね」

「まあ確かにね」

 今の発言で白川さんを傷つけてしまったのではと、良介は気が気でなかったが、当の白川さんの表情は依然として楽しそうな笑みを浮かべていた。

「白い封筒の中身がラブレターでなくて手紙だったとして、話を続けるね。その手紙をどうして白川さんの机ではなく、俺の机に入れたのか。普段から俺の教室に来ることの多い直樹なら、まず間違いなく白川さんの机の位置を把握することは容易だった。なのにどうして俺の机の中に手紙を入れたのか。これは、白川さんがこの場に来る可能性を高めるためだ。白川さんは女の子だし、一人で屋上に来てほしいという手紙を受け取ったとしても、不審に思ってこない可能性も大いにある。そこで、俺の机に手紙を入れ、俺と一緒にこの屋上に来るという選択肢を白川さんに与えることで、白川さんがこの場に来る可能性を高めるという目的だったんだ」

 二人はとても楽しそうに良介の話に耳を傾けている。

「そして、直樹がここに白川さんを呼んだ理由は一体何なのか。告白ではないのだとすれば、その目的は一体何なのか」

 正直言って、この理由が良介にとって一番難しかった。直樹がどうしてこのようなことをしたのか、幼馴染の良介でも未だによくわからないというのが正直な気持ちだ。それでも――それでも覚悟を持って推理に臨んだ以上、最後までやりきる覚悟も必要であると良介は感じていた。

「部活。部活を始めようとしていたんじゃないかな」

 それを聞いた直樹は、目を大きく見開いた。間違っていただろうか。

 それでも自分で拡げた推理は自分の手で収束させなければならない。

「今朝、直樹は、新学期を楽しくワクワクしたものにしたいと言っていた。それで直樹の学校での生活を楽しくワクワクするためにはどうすればいいのかを考えていたんだ。そこで、今パッと思い浮かんだのが、部活だよ。直樹は部活に入っていなかったし、白川さんの部活をしているという話は聞いたことがない。それに、そう考えれば、俺をここに呼んだ理由にもさらに説明がつけられる。部活を始めるには最低三人必要だからね」

 推理には穴が多すぎて、良介自身の主観も多分に含まれていて、とてもではないが説得力のある推理であったということはできない。いつからか下を向いて話をしていた良介は、そのままの姿勢から動けない状態だった。

 パチ、パチ、パチパチパチ。

 その音に良介は顔を上げた。そこには、拍手をする直樹の姿があった。

「いや、素晴らしい推理だったよ。やっぱり僕の思った通り、良介は推理に向いている」

「……今の推理が、当たっていた、のか」

 良介は信じられない気持ちでいっぱいだった。

「そうだね、正解と言ってもいいんじゃないかな。ねえ、白川さん?」

「そうね」

 どうしてそこで白川さんの名前が出てくるのだろうか。

「実は、白川さんの手に手紙が渡った時点で、白川さんには伝えておいたんだ。手紙の差出人が僕であることを」

 良介は手紙を読んだときの記憶を思い出す。しかし、どこにもそのような情報はなかったはずだった。

「私が立花君に渡したのは何だった?」

 手紙。彼女は確かに手紙を渡したはずだ。もしかして、渡す直前に手紙を入れ替えていたとか。いや、そんな暇はなかったはずだ。じゃあ、一体どうやって手紙を――。

「わかった?」

 良介は深く頷いた。

「白い封筒、だよね」

「そう、白い封筒の中には、立花君に見せた手紙の他に、もう一枚小さな紙きれが入っていたの。そこには、足立君の名前と、君も一緒に屋上まで連れてきてほしいってことが書かれていた」

 そうだったのか。道理で白川さんは自分を一緒に屋上に連れていくことに積極的だったわけだ。

「じゃあ、あのときリコーダーを忘れたのは――」

「あれは偶然。あのときはまだ私手紙のことを知らなかったし」

 それはそうか。

「それと、良介。君は一つ大きな勘違いをしている」

 直樹は良介と白川さんのいる方へと近づいていく。

「良介は言ったね。白川さんがここに来る確率を高めるために、手紙を良介の机に入れたと。だけど、それは違う。僕は、良介にここに来てもらうために、白川さんへの手紙を良介の机の中に入れたんだよ」

「……それは、一体どういうことなんだ」

「もう白川さんは推理しているよね」

 直樹は白川さんに確認事項とでもいうように問いかける。

「ええ。つまり、足立君は部活の話をすれば、絶対に私が入るってわかってたってことだよね」

 直樹は満足そうな表情を浮かべている。

「それってまさか――」

 良介は今までの白川さんの様子からある一つの考えが浮かんでいた。もちろん、白川さんと過ごしたのは今日がほとんど初めてといってもよく、そんな良介に白川さんの何が分かるのかと自分自身でも言いたくなっているけれど、それでも、そういう部活だと考えれば、白川さんが入る可能性はとても高いと良介は直感していた。

「そう、推理部」

 推理を聞く白川さんはとても活き活きとしていて、推理が大好きなのだなと良介は今日一日の彼女とのやり取りで感じていた。

「僕は白川さんは絶対にこの部活に入ってくれると考えていた。彼女が無類の推理好きであることは有名だからね。だけど、僕は――良介。君にも推理部に入ってほしかった」

「……どうして」

「それは、君に推理の才があるからだ。良介、推理するのに一番大切なものは何だと言った? そう、それは覚悟だ。だけど、それと同じくらい推理するのに大切なことがある。それを良介は持っている」

 直樹は良介から一瞬視線を外し、小さく息を吐いたかと思うと、言葉を続ける。

「他人のことを想う力だよ」

 良介はただ呆然と立っているしかなかった。他人を想う力だって……そんなもの自分にはない。

「一生懸命だったじゃない。足立君の手紙を何とかして他の人に見つからないようにして、私のもとへ届けようとしてくれてたじゃん」

 私に見つかっちゃったけどね。白川さんは楽しそうにくすりと笑う。

「それは、差出人や白川さんのことを想っての行動だったんだろ。今回は、良介の他人を想う力――共感力を試すための最終試験も兼ねていた。まあ、お前とは幼馴染だから、心配はしていなかったけどな」

「私も立花君――良介君って呼ばせてもらおっかな。今日から一緒の部活なわけだし。良介君は十分に他人のことを想う気持ちがあると思うよ。今日一日一緒にいてよくわかった。その気持ちは推理するうえでとても大事だよ。それは単に、犯人の気持ちを考えることができるっていうこともそうだけど、それにもまして、推理するときに自分の周りの人たちのことを考えるのはとても大切なことだから」

 夕焼けに照らされた白川さんの笑顔は、まるでドラマの一シーンみたいに言葉にできないほどにきれいで、良介はその光景に見とれていた。

「白川さん、僕のことも、是非名前で――」

 よし、じゃあ、さっそく部活開始だね!

 白川さんは学校内へと続く扉に向かって走っていく。

 赤く照らされた校舎の屋上には、後に続く二つの影があった。


 


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― 新着の感想 ―
[良い点] 白川さんの女性らしい仕草、男心をくすぐるからかい口調。 素晴らしい出来だと思います。 [気になる点] この作品が評価されない理由がわからない [一言] 私なら他人宛てのラブレターが入って…
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