第47話 ミーアちゃんは良い子です
小鳥の囀りが新しい朝の到来を告げる。
耳を澄ませば、遠くから波の音も聞こえてくるだろう・・・ここは、新市街に佇む小さな診療所。
暖かな陽の光が、その部屋に差しこんでいた。
部屋の中・・・寝台で目を覚ましたミーアは、2つの事に気付く。
一つは身体の傷からくる、ズキズキとした痛み。
そしてもう一つは、右手に触れる暖かな温もり。
その心地よさを手放したくなくて、もう少し触れていたくて・・・彼女はそれを抱き寄せる。
幸いな事に、早く起きろと彼女を叩き起こす人物は今はいないようだ。
ならばもう少し、このままでいよう・・・この一時の安らぎに、もう少し・・・
そのまま彼女は、再び眠りへと落ちていった・・・
(ええと・・・私は何をしていたんだっけ・・・)
身体に重さを感じながら目を覚ましたマユミは、記憶を辿る。
・・・確か自分は、病室で寝台に横たわるミーアの傍らで椅子に座っていたはず・・・
ではなぜ、その自分が寝台で寝ているのか・・・
そして、先程から感じる身体の重さ・・・そのせいでマユミはうまく起き上がれずにいた。
「う・・・うん・・・」
その重さから逃れようとマユミが身をよじるが、振りほどけない・・・何かがマユミにしがみついているようだった。
いったい何が・・・そこでマユミは、ようやくそれを・・・彼女を確認した。
「ミーアちゃん?!」
マユミの身体にはミーアがしがみついていた・・・先程振りほどこうとしたせいか、その身体は寝台の端へと追いやられ・・・今にも落ちてしまいそうだ。
「わわっ!」
慌てて動こうとしたマユミ、その身体を逃さぬとばかりにミーアがしがみついてくる。
マユミはじりじりと反対側の端に動くことで、ミーアを寝台の中央にまで持ってくる事に成功するが・・・
(・・・この分だと、しばらく起きられそうにないや・・・)
ミーアを見ると、とても安らかな顔で眠っていた。
マユミはその頭をそっと撫でてやる・・・とても大きな怪我をしているとは思えない。
さすがに今の彼女を起こすのは申し訳ないので、マユミはそのままの体勢で待つことにした。
やがてゲオルグがマユミを迎えにやってくるが、ミーアが目を覚ますまで待ってもらうことにしたのだった。
その後、どれくらい経っただろうか・・・ミーアはゆっくりと目を覚ました。
「ん・・・あれ・・・マユミ?」
「おはようミーアちゃん、気分はどう?」
「痛い・・・」
「!」
その声にはっとするマユミだが、ミーアの様子は落ち着いていた・・・怪我が悪化したわけではないらしい。
「そっか・・・じゃあ、お医者様を呼んでこないとね、放してもらっていいかな?」
「あ・・・ごめんなさい」
ようやくマユミにしがみついている事に気が付いたらしい。
慌ててマユミから手を放す・・・少し恥ずかしそうだった。
「気にしないで、ミーアちゃんもまだ甘えたい年頃だよね・・・」
「だ、大丈夫・・・」
顔を赤くして首を振るミーア・・・思ったほど身体の具合は悪くないかもしれない。
「そう?このマユミお姉さんでよければ、たっぷり甘えていいからね?」
幼げな外見なので子供扱いされることの多いマユミだが、
自分よりも見た目の幼いミーア相手なら遠慮なく大人として振舞える・・・マユミもたまにはお姉さんぶりたいのだ。
「じゃあ先生呼んでくるね、すぐ戻って来るから待ってて」
そう言い残して病室を出る。
病室の外ではゲオルグが不動の姿勢で待っていた・・・少し怖かった。
「どうやら、目を覚ましたようですね」
「うん、でもあの様子だともう少しついててあげた方がいいかも・・・」
「では、私は出直しましょう」
「あ・・・わざわざ迎えに来てくれたのにごめんなさい」
「いえ、では後ほど・・・」
そう言ってゲオルグは帰っていった・・・
マユミは医者の部屋へ向かおうとしたが・・・どうやらその必要はないようだ。
他の病室の患者を見終わった医者が病室から出てきたのだ。
「おはようございます、どうですか?彼女の様子は・・・」
「はい、思ったより元気そうに見えましたけど・・・」
「それは何よりです、やはり若いというのは良いですね・・・では彼女の診察を始めましょう」
診察の結果、やはりまだ数日は動かせないようだ、やはり座長を説得する必要があるだろう。
エレスナーデとゲオルグの到着を待って一座へ向かう事にするマユミだったが・・・
「あれ・・・何もない・・・」
・・・舞台のあった広場はもぬけの空となっていた。
広場には人っ子一人いない・・・たしかまだ数日分、公演が残っていたはずだが・・・
「どうして・・・一座の人達はどこへ・・・」
「認めたくないですが、彼らはおそらく・・・逃げたのではないかと」
渋い顔でゲオルグが答える・・・『夜逃げ』という言葉がマユミの脳裏に浮かんだ。
「そんな無責任な・・・」
「昨日の騒ぎでもう客を望めないと判断したのでしょうね・・・」
「じゃあミーアちゃんは・・・」
「治療費もかかるし連れていくにも足手纏いだから捨てていった、といったところかしら?」
「そんな・・・」
「これでミーアちゃんは独りぼっちになってしまったわけだけど・・・」
落胆するマユミにエレスナーデが続きを促すように語りかける・・・この後にマユミが言いそうな事はもう予想出来ていた。
「ナーデ、お願いがあるんだけど・・・」
「彼女の治療に合わせて私たちの滞在日数を増やす必要があるわね・・・伯爵にお願いしてみましょう」
「え・・・それって・・・」
不敵な笑みでマユミに応える・・・わかりきった内容のお願い・・・最後まで言わせないエレスナーデだった。
もちろん、そのお願いを断る理由はないのである。
「座長が・・・逃げた?」
彼女を置いて一座が逃げた事を知ったミーアの反応は薄かった。
元々奴隷商人に売り飛ばされる可能性まであったのだから、ある程度の覚悟はできていたのだが、マユミ達は知る由もない。
ちゃんと状況を理解できているのか不安になりながら、マユミは話を続ける。
「それでね、これからの事なんだけど・・・」
「これから・・・」
これから自分はどうなってしまうのか、ミーアは考える・・・怪我の治療が終わったら、やはりどこかに売られてしまうのだろうか・・・
もしも売られずに一人で放り出されたとしても、ミーアに出来ることなどない・・・どこかで野垂れ死にするのが関の山だ。
出来ることなら怪我など治らずにずっとこのまま・・・ここでマユミについていて欲しいと思ったが、それは無理な願いというものだろう。
ミーアはマユミが好きだが、マユミに迷惑はかけたくなかった。
(私を売ってもらおう・・・)
そして、そのお金をマユミに・・・そう考えたミーアだったが・・・
「もし良かったら・・・私達と一緒に来ない?」
「え・・・」
・・・思いがけないマユミの提案に、ミーアの頭の中が真っ白になった。
「私達、ミーアちゃんの怪我が治るまではこの街にいる事にしたから、怪我が治ったら一緒に侯爵領まで・・・」
「行く!今行く!すぐ行く!」
「や、怪我が治ってからじゃないと・・・長旅は身体に負担が掛かるし・・・」
「大丈夫、もう治った!行こう!」
「どう見ても治ってないわよ・・・」
「大丈夫・・・私がんばる・・・」
ミーアのものすごい食いつきに呆気にとられる一同・・・だがマユミはその姿にどこか既視感を感じていた。
(ああ、そうか・・・あれは私だ・・・昔の私・・・)
『私、東京に行く!東京の事務所に入る!』
「真弓、声優の事務所ならこっちにだってあるじゃないか」
『東京の事務所じゃなきゃ、アニメの仕事なんてもらえないよ』
「東京に行ったって事務所に入れるかわからないんだぞ?こっちなら養成所の推薦だってあるし・・・」
『絶対入れるよ!私がんばるもん!』
東京に出るために両親の反対を押し切って家を出た過去の自分と、今のミーアの姿が被った。
あの時の自分は視野が狭くなっていた・・・自分にはそれしか道がないと思い込んでいた。
東京に出るのは地元の事務所で小さな仕事で芸歴を重ねてからでも遅くなかった。
実家暮らしで働いて、十分な貯金を作ってからでもよかった。
他にいくらでもやりようはあった、焦らずにもっと効率よく立ち回れっていれば・・・あんな無理を重ねずに、無事にデビューできたかも知れない。
だがそんな自分の過去は、もう過ぎ去った話だ・・・大事なのは今のミーア・・・彼女をここまで焦らせているのはいったい何なのか・・・
『行く!今行く!すぐ行く!』
なぜ、今、すぐ、なのか・・・怪我が治るのを待てない理由は・・・
(ああ、そんなの簡単じゃない・・・)
・・・マユミはミーアを抱きしめた。
「・・・大丈夫だよ、私はどこにも行かない・・・ミーアちゃんを置いていかない、ミーアちゃんを置いて遠くに行ったりなんてしない」
ミーアが聞き取りやすいようにゆっくりと、しっかりと・・・置いていかないと言い聞かせる。
「・・・お父さんも、お母さんも・・・一座のみんなも私を置いていっちゃった・・・」
「そうだよね・・・一人で置いて行かれるのは嫌だよね・・・寂しいよね・・・」
マユミの腕の中でミーアが泣き崩れていく・・・今行かないと置いて行かれる・・・それが彼女の幼い心に根を下ろした不安と焦りなのだった。
「置いて・・・いかないで・・・」
「絶対に、置いて行ったりなんてしないよ・・・だから今は怪我を治そう?・・・ミーアちゃんが私を置いて遠くにいかないように・・・」
もし怪我を治さずに無理をすればそういう可能性だってある・・・マユミのその言葉は届いただろうか・・・
ミーアが弱弱しい声でそう答えたのをマユミは聞き逃さなかった。
「・・・わかった・・・がんばって、治す・・・」
「うん・・・ミーアちゃんは良い子だね・・・」
・・・あの頃の私と違って・・・
マユミはミーアの頭を撫でた・・・もうその姿が過去の自分と重なることはないだろう。
その後ミーアは、医者の指示をよく聞き、怪我の治療に専念した・・・
その結果、4日後には出歩く許可を医者にもらえる程に回復するのだった。
「マユミ、外へ出ていいって」
「あくまでもこの辺りを出歩く分に限る、って言ってたでしょ」
「でも・・・私はマユミと一緒にいたい」
「はいはい、伯爵様の許可は取り付けたから、今日から一緒にお城で寝泊まりよ」
「本当?」
「診療所にはちゃんと通うんだからね」
「うん」
・・・あれからミーアは、心なしか明るくなったような気がする。
このまま伸び伸びと育ってほしい・・・そんな風に願うマユミだった。
ミーアは売られることなく無事にマユミさんの仲間に加わったようですね。
この港街編もそろそろ終わりそうです。
整理券?の必要な奴隷市とかも考えていたんですが、なんか無駄になったっぽいです。