第36話 その胸に秘める策です
行列のできる店、海猫亭
・・・その店の看板とも言うべき木彫りの海猫の前で、マユミは立ち尽くしていた。
マユミの演技はただ一人の客にも届かなかった、当然収入は0である。
「マユミ・・・」
「お嬢様、しばらくそっとして差し上げましょう」
マユミを励まそうと声を掛けようとするエレスナーデをゲオルグが引き留める。
しばらくすると店の行列は消化され、店内から客の姿が消えていった・・・どうやらピークタイム以外は客の入りが少ないようだ。
客数が程々の時間を狙うのも難しい・・・吟遊詩人にとって仕事のやりにくそうな店だった。
「悪いなお嬢ちゃん・・・わかってもらえたと思うが、ここはこういう店なんだ」
客が減って暇が出来たのか店主・・・バクストンが店から顔を出す、心なしか申し訳なさそうにしている。
「悪い事は言わねえ、歌うんなら他の店を探したほうがいい」
「でも先生は歌ってたんですよね?毎日のように・・・いったい先生はどうやって歌ってたんですか?」
マユミは先程から感じていた疑問を口にする・・・ヴィーゲルがマユミと同じ失態を毎日繰り返していたとは思えない。
バクストンはその質問に答えようとする素振りをみせるが、すぐに首を振って返答を拒んだ。
「ヴィーゲルのやつはだな・・・いやいや、お嬢ちゃん・・・これを俺が答えちまって良いのかい?」
「え・・・」
「あいつがお嬢ちゃんに何も言ってないってことは、自分で考えて答えを見つけろっていう事なんじゃあないか?ってことさ」
「あ・・・」
(そうか、これはヴィーゲル先生からの課題なんだ・・・)
おそらくヴィーゲルは何らかの手段でこの状況を打開してのけたのだろう・・・だがそれを聞いて真似をするのではマユミの成長に繋がらない。
だからあえて何も知らせずにこの状況に放り込み、どうすべきなのかを自分で考えて答えを出させようとしているのだろう。
(先生・・・私がんばって乗り越えてみせるよ)
「おう、いい顔になったじゃねえか・・・あいつが弟子にとるだけの事はあるってもんだな」
「まだですよ・・・まだまだこれからです」
「良い方法が思いついたらいつでも来てくれ、楽しみにしてるぜ」
「はい、近いうちに、必ず・・・」
(本当に、私はまだまだだ・・・)
思えば、この世界に来たばかりの自分は恵まれ過ぎていた・・・『女神の酒樽亭』では最初から注目を集めていたし、初回はヴィーゲルの演奏とエレスナーデのサポート付きだ。
それを自分の実力などとは思ってはいないが、どこかで慢心していたのかも知れない。
バクストンに再戦を誓い、振り返るとエレスナーデとゲオルグが心配そうにマユミを見ていた。
「二人ともごめんなさい、心配かけちゃったよね?」
「その様子だともう大丈夫そうね・・・大丈夫よね?」
「うん、もう大丈夫」
よほど心配していたのだろう・・・念を押してくるエレスナーデにマユミは笑顔で答えた。
どうすればいいかはまだわからないが、必ず攻略してみせる・・・そんな決意を胸に『海猫亭』を後にするマユミだった。
「さて、これからの予定はどうしますか?」
「うーん、どうしようか」
なんとなしに停泊中の船を眺めながら港を歩いていたマユミ達。
帆船にガレー船に・・・現代ではなかなか見られないような船がたくさんあった・・・このまま船を見て回るのも悪くはないのだが・・・
「なら市場の方へ行ってみない?マユミに服も買ってあげたいし・・・」
「そんな、悪いよ・・・」
「いつまでも私のお下がり、というのも悪いわよ・・・良いから行きましょう」
(・・・ナーデのお下がりも私にはもったいないくらいなんだけどな・・・)
しかしマユミも服に興味がないわけではない。
昔の自分ならどうせ何を着ても同じとファッションに無頓着であったが、今の自分の体形なら色々な服が似合うだろうし、エレスナーデのメイクのおかげで顔も可愛いとくれば楽しくないわけがないのだ・・・お下がりを借りた毎日の着替えも、マユミの密かな楽しみの一つになっていた。
「そうだね、私一人でも着れるような簡単な服とかあると助かるかも・・・」
「!・・・そ、そうよね、そんな服も便利よね・・・じゃあ行きましょうか」
一人でも着れる服がほしいと聞いて軽く動揺するエレスナーデ・・・彼女もまたマユミの着せ替えを密かな楽しみにしているのだった。
港を離れ大通りを抜けて市場のある方へ向かうと、大小の商店が建ち並ぶエリアにたどり着いた。
衣服を扱う店もいくつか見て取れる・・・さっそくその中の一つに入ってみることにした。
(やっぱりみんな高そうだな・・・)
出来れば自分の稼ぎで買えるような物が良いのだが・・・侯爵令嬢であるエレスナーデはお金に糸目をつけそうになかった。
「ナーデ、やっぱりあんまり高いのは・・・」
「遠慮しなくていいのよ?」
「や、ほら私吟遊詩人でもあるわけだし・・・そういう服は不自然というか・・・」
「ああ、それもそうね・・・なら吟遊詩人風の服を探しましょうか」
それがどんな服かはわからなかったが、あからさまに貴族用の高級品は避けられそうだ。
結局、可愛さ優先でのチョイスになったらしく、吟遊詩人とは関係なさそうだったが、しばらく試着という名のファッションショーをさせられた後、動きやすそうな服を何点か購入する事になった。
気になるそのお値段は・・・銀貨で50枚程。
(ううぅ・・・ちゃんと返せるといいなぁ・・・)
別に返す必要は全くないのだが、まるで借金地獄に捕らわれたかのような気分になるマユミだった。
購入した服は荷物持ちたるゲオルグに持たせ、今度は市場を見て回る。
船で運ばれてきた香辛料や野菜、果物など、侯爵領では見かけなかった物もここでは手に入るようだ。
甘い大根のような野菜も見つけた、こちらではこれを煮詰めて砂糖が作られるようだ。
そういえば侯爵領で甘いものを食べた事がないのを思い出したマユミは、この大根の砂糖を一瓶、買ってもらう事にした。
パン屋での経験を生かして菓子パンの一つも作って振舞おうという腹積もりだ。
「これでマユミがパンを?」
「うん、うまくいくかはわからないけど、がんばって甘くておいしいのを作るよ」
「そ、そう・・・うまくいくことを祈ってるわ・・・」
「こ、今度は大丈夫だからっ!」
以前マユミが作った激苦ほうれんそうソテーを思い出したのか、顔をひきつらせたエレスナーデ。
マユミもそれには気付いたらしい。
(くぅぅ・・・がんばって汚名返上しなきゃ・・・)
充分にショッピングを楽しんだマユミ達は、そろそろ伯爵の城に引き返すことにした。
その道すがら・・・一つの露店がマユミの目に留まった。
(絨毯?・・・売れ残りかな・・・)
残っているのはその絨毯が一枚だけのようだ・・・
厚みがあり、ふかふかで手触りが良い・・・寝転がっても気持ちよさそうだ。
「これが最後の一つですか?」
「最後と言うか、そいつは一つだけしか仕入れてないんだ・・・これからの季節には不人気でね」
これからの季節・・・もうすぐ夏になるのだろうか・・・つまり今は春?
その絨毯はふかふかで温かそうだが、夏となると少々暑苦しいかも知れない。
「あんた達は北の方の人かい?買ってくれるってんなら安くしとくよ」
「そう言われても・・・」
露天商も硬い石畳の上に座りっぱなしで疲れているのだろう・・・その厚手の絨毯を敷けば楽になるのだろうが・・・売り物を使うわけにもいかないのだ。
(あれ・・・今・・・)
何かがマユミの中で引っかかった・・・売り物を使う?・・・違う、そこじゃない・・・その厚手の絨毯を・・・
(これだ!)
「わかりました、その絨毯を買いますから、目一杯安くしてくださいっ!」
「マユミ?!」
「お願いナーデ、この絨毯が必要なの」
「・・・しょうがないわね・・・それで、いくらまでまけてもらえるのかしら?」
・・・エレスナーデの鋭い眼光が露天商を捕らえた。
「もってけ泥棒!」
エレスナーデが目一杯値切った結果、その絨毯は銀貨1枚で購入する事が出来た。
「ぬぅううう・・・」
荷物持ちのゲオルグが大変なことになったが、彼にもプライドがあるらしく荷物を一人で持つと言って聞かなかった。
・・・その姿に申し訳なく思いながらも、マユミは確かな勝算を感じていた。
(うん、これならいける・・・)
その小さな胸には秘策あり・・・絨毯の値段である銀貨1枚以上、それが明日の目標だ。
果たしてマユミさんは無事にリベンジに成功して、ほうれんそうの汚名を晴らす事が出来るのか?
・・・そっちじゃないですね・・・海猫亭ですね。
ちなみにヴィーゲルさんとマユミさんで解決方法に違いを出そうと企んでおります。