第34話 完全敗北です
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港町オルトレマーナの海猫と言えば、王国に暮らす猫好きたちの間では人気の猫の一つだ。
猫科の動物は基本的に水を嫌う傾向があるが、水を得意とする種類も少なからず存在する・・・この海猫もその一つなのだが、この猫を人気たらしめているのは『泳ぐこと』ではない。
もしもあなたがこの港町に立ち寄る事があったなら、ぜひ港の桟橋付近まで行くことをお勧めする。
きっとそこで、たくさんの猫達がごろごろと寝転がる愛らしい姿を見られることだろう。
ただし一つ忠告をしておく、猫達に心奪われたとしても決して近づいてはならない。
とても臆病な彼らが寝転がっていられるのは、人間が近くにいない時だけなのだから・・・
ミハエル・オイゲン著『街灯と探検』より
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「海猫・・・みんな逃げちゃった・・・」
すっかり猫達が去ってしまった港でマユミは立ち尽くしていた・・・『海猫』に触れてみたい一心で猫達を追い掛け回した結果である。
どうやら、そのもふもふの毛皮にマユミが触れる事は叶わなかったようだ。
(そろそろ、気が済んだかしら?)
エレスナーデ達にしてみれば普通の猫とそう変わらない認識なのだが、マユミが嬉しそうにはしゃぐのでしばらく見守っていたのだ。
さすがにもういいだろうと本来の目的を思い出せるべく声をかける。
「マユミ、海猫亭には入らなくていいの?」
「あ・・・ごめん、つい・・・」
我に返ったマユミはやっと当初の目的を思い出したようだ。
海猫亭まで引き返し、その扉を開ける。
「いらっしゃい!」
がたいの良い親父の声が店に響く・・・おそらく彼がこの店の主だろう。
マユミはさっそく仕事の話をしようと彼に声をかける。
「あのー」
「おう、空いてる席に座ってくんな」
「あ、はい・・・」
勧められるまま目の前のカウンター席に座る。
マユミに続いてその両隣にエレスナーデとゲオルグが座った。
「じゃあ、注文が決まったら呼んでくれよ」
「ちょ・・・待ってください」
そのまま厨房の方に引っ込みそうな店主を慌てて呼び止める。
「どうした?何か食えないもんでもあるのか?」
「そうじゃなくて、お仕事の話で・・・ええと、ヴィーゲルさんって人わかります?」
店主のペースに乗せられそうになるのを堪え、マユミは仕事の話を切り出す。
まずは『馴染みの店だから自分の名前を出せ』と言っていたヴィーゲルの言葉に従ってみることにした。
「ヴィーゲルってうと、吟遊詩人のヴィーゲルか?・・・お前、あいつの女なのか?」
「違います!」
「じゃあ娘か、それとも妹か?あいつならずいぶん前にこの街を出てったっきりだな・・・今どこにいるかはわからないぞ」
「や、弟子なんですけど・・・ここで吟遊詩人の仕事をさせてもらえないかなって・・・」
「あいつの弟子なのか?へぇ~あいつが弟子をねぇ・・・ここで歌うのは別に構わないが・・・師匠はこの店の事をなんか言ってたか?」
「?・・・いえ、馴染みの店だからここで歌ってみろと言われたくらいですけど・・・」
それ以外の事を言っていた覚えはない・・・マユミがそのまま伝えると、店主は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「あの野郎・・・なぁ嬢ちゃん、ここで歌うのは構わないんだが・・・出来れば他の店にした方が良いとは言っておくぞ?」
この店には何かあるのだろうか・・・見たところ『女神の酒樽亭』と大差はないように感じるのだが・・・しかし店主が気を使って言ってくれているのは間違いないだろう。
「・・・でも、ヴィーゲル先生はここでよく歌ってたんですよね?」
「ああ、毎日のように、歌って、はいた・・・な・・・」
妙に歯切れが悪いのが気になるが、ヴィーゲルも歌っていたのなら問題はないはず・・・
とりあえずやってみない事には始まらない・・・マユミはそう判断した。
「なら、私にもやらせてください・・・弟子として教わるだけの事は教わってきているので・・・」
「そこまで言われちゃ仕方ねぇ・・・いつでも好きに歌ってくんな」
「ありがとうございます」
いささか不安を感じる流れだったが、店主の許可を取り付けたのでマユミは適当な場所に陣取り、楽器の用意を始める。
「・・・でも大丈夫かしら?あの様子だと絶対に何かあるわよ」
「しかしその何かが全く想像つきません・・・ですがマユミ殿の実力ならば・・・」
「そうね、そこは私も心配はしてないけれど・・・」
(や、それは買い被りじゃないかな・・・)
エレスナーデ達の評価が妙に高い事の方がマユミとしては不安であった。
もうすぐお昼の時間だ、客の数が増えてきたところで始めよう・・・マユミがそう思っていると大勢の客が一気にやってきた。
船乗りだろうか・・・日に焼けた肌をした屈強な男達が次々に店内へ入って来る。
海猫亭は瞬く間に満席となっていった・・・
(よし今だ、始めよう・・・)
ポロロン
楽器を鳴らし、前もって用意していた口上を語る。
「皆様お初にお目にかかります、吟遊詩人のマユミと申します・・・まだ拙い身ですがここで歌わせて頂こうと思います、よろしくお付き合いくださいませ」
・・・やる演目だが、マユミのレパートリーは増えていないので、自ずと『女神の酒樽亭』で披露した話になる・・・とはいえ、一度やった事があるというのはやりやすい。
だが・・・
「定食大盛りひとつ!」「二人前くれ二人前!」「こっちは3人前だ!」
(あれ・・・)
店内で語るマユミに客達の反応は一瞬視線を向けただけ、だった。
矢継ぎ早に飛び交う注文、そして料理が来たらひたすら掻っ込み、席を立つ・・・客達はマユミの話などまったく聞いていないかのようだ。
それもそのはずで・・・
「後が詰まってんだ、はやくしろ」
「食い終わったんならどけよ」
入り口の方から聞こえるそんな声に押されるかのように、店内は次々と新しい客に入れ替わっていく・・・店の外には順番待ちの行列が出来ているのだ・・・そう、『海猫亭』は行列の出来る店だった。
この客の人数に対応するために店側も昼のメニューを定食に限定して厨房の回転速度を上げている。
この状況では、ちょっと時間が経てばもう語り始めた頃にいた客など残っていない・・・
しかし一度語り始めた話を止める事も出来ず、マユミはそのまま話を続行するしかない・・・
(どうしよう・・・このままじゃ・・・)
気持ちだけが焦る中、時間は流れ・・・マユミは語り終えた。
客達は無反応、拍手も喝采も欠片もなかった。
呆然と立ち尽くすマユミだが、そのままでは店の邪魔になる・・・エレスナーデ達はとりあえずマユミを店の外に連れ出すのだった。
「そうか・・・あれはこういうことだったんだ」
マユミは先程の店主の反応を思い出していた・・・確かに他の店でやった方が良いだろう。
「あまり気にしてはダメよマユミ、店があんな有様じゃ・・・仕方ないわよ」
そう言ってマユミを励ますエレスナーデだったが、マユミはなかなか立ち直れずにいた。
それは、マユミがこの世界に来てから初の敗北、声優としての・・・
マユミの完敗と言えた・・・
マユミさん敗北回。
たまにはそういう事もあるものです。
水を恐れずに泳げる猫というのは現実にも結構いるようです。
でも猫って水に濡れると毛がぺしゃってなって可愛さがダウンしますね。