第33話 海の猫です
翌朝・・・マユミ達が港町で迎える初めての朝。
心地良い波の音を聞きながら、マユミゆっくりとベッドから出て大きく伸びをする・・・
「ああ、清々しい・・・こんなに気持ちの良い朝は初めてだよ」
ふかふかのベッドでたっぷりと睡眠をとったマユミはご機嫌だった。
身体が軽い・・・船旅の疲れはすっかりとれている。
部屋にエレスナーデの姿はなかった・・・おそらくマユミより先に起きたであろう彼女は食事でもしているのだろうか・・・
マユミは自分の荷物の中から竪琴を取り出し、練習を始める・・・もちろん手袋を着けるのも忘れない。
海からの波音をバックに竪琴の綺麗な音色が中世風の古城に響く・・・なかなか幻想的な雰囲気だ。
しかし・・・しばらくするとその音色に不協和音が混ざり始めた。
「あ、え、い、う、え、お、あ、お・・・」
マユミが竪琴を弾きながら発声練習を始めたのだ・・・曲に合わせて歌の一つも歌えれば良かったのだが、マユミには作詞作曲の能力はなかったし、何より声優としての発声練習が必要なのだ。
だがマユミは失念していた・・・築数百年のこの城にはたいした防音能力がなく、マユミの声がとても良く響くという事実を・・・
「マユミ?!あなたいったい何をやっているの?」
「へ?・・・いつも屋敷でやってた練習・・・だけど・・・」
マユミの声を聞いて慌てて駆けつけたエレスナーデに、今度はマユミが困惑するのであった。
当然城内に響きだしたマユミの不可解な声・・・それは伯爵の耳にも届いていた。
「いや、何かの儀式でも始まったのかと思ったよ」
「お、お騒がせしてごめんなさい・・・」
朝食の席で伯爵に事情を説明して謝罪するマユミ・・・迷惑行為とも言えるこの一件に、伯爵は気を悪くするでもなく、マユミの練習用に都合の良さそうな部屋を別に用意してくれた。
「地下には使われていない部屋があるから、次からはそこで練習するといい・・・後で地下室の鍵を届けさせるよ」
「何から何までありがとうございます」
「出来れば僕もその吟遊詩人の歌というものを聞いてみたいが、今は忙しくてね・・・あまり時間を取れそうにない」
そう言って彼は早々と食事を済ませ席を立つ・・・本当に忙しいようだ。
「伯爵様、大変そうだね・・・」
「さすがにこれ程の街ともなれば、問題も多いのでしょうね・・・」
「私が聞いた話では、この街は商人達の力が強く、しばしば伯爵家と衝突しているようです」
「うわぁ・・・やっぱりそういうのあるんだね・・・」
食事を終えて二人が出掛ける支度を整えた頃、ゲオルグが合流する。
昨日二人が休んでいる間、彼なりに情報収集を行っていたようだ。
政治家と企業の利権がどうとか・・・そんな現実世界の話をうろ覚えに思い出すマユミだった。
「それで、今日の予定だけど・・・先生に教えてもらったお店に行ってみようと思います」
「さっそく『仕事』をするのかしら?」
「とりあえずやっていいか聞いてみて・・・断られなかったら、かな」
「あのヴィーゲル殿の馴染みの店ということならば大丈夫でしょう」
「だといいけど・・・」
見知らぬ土地での最初の仕事だ、アウェーの空気の中でどれだけやれるだろうか・・・
「うぅ・・・もう緊張してきたよ・・・」
気を紛らわすのも兼ねて、3人は歩いて店に向かう事にした。
大通りを歩いていると、昨日の旅芸人の一座が宣伝活動をしていた・・・今日はビラ配りらしい、道を行く人々に団員達が積極的に声をかけて公演情報が書かれた紙を配っている。
マユミはその中から昨日の少女、ミーアを探す・・・そういえば昨日のパレードには参加していなかったようだが・・・
(あまりこういう宣伝には出てこない子なのかな・・・)
そう思いながら歩いていると・・・道の端の方にその姿を見つけた。
「あ・・・あの・・・おねがい・・・しま・・・」
昨日の練習の時とはまるで別人のような存在感のなさ・・・ミーアは消え入りそうな声でビラを配ろうとしているが、誰も受け取ってはくれなかった。
マユミはさっそく駆け寄ってそのビラを受け取る。
「ミーアちゃん・・・だよね?」
「あ・・・マユミ・・・」
「うん、昨日ぶりだね、ミーアちゃんはこの公演に出るの?」
こくり。
ビラを見ると、出演者の最初の方に彼女の名前が書いてあった。
マユミの知る世界の話では、メインの配役から順に書かれるものだが・・・
「ひょっとして・・・ミーアちゃん出番の多い役なのかな?」
「うん・・・ヒロインの役だって・・・だから・・・」
「そっかー、じゃあ私も見に行こうかな」
「本当?」
「うん、楽しみにしてるね、がんばって」
そう言ってマユミはエレスナーデ達の方へ戻っていく・・・さすがに今日ははぐれない。
「あの子・・・昨日の?」
「うん、ヒロイン役だって、見に行っていいかな?」
「そうね、公演が始まったら一緒に見に行きましょうか」
エレスナーデはそう言ってマユミからビラを受け取る・・・滞在予定の日数内だ、問題ないだろう。
マユミ達が去った後・・・
再び消え入りそうな声でビラ配りを始めるミーア・・・その頭を座長がわしわしと撫でた。
「やるじゃねえか、さっきの娘・・・あの身なりからするとかなり良い所の貴族だろう?」
「?」
貴族と言われても幼いミーアにはいまいち理解が及ばなかったが、座長は上機嫌に話を続ける。
「愛想のない奴だと思っていたが、良い金ヅルを捕まえてくれたな・・・売られると思って必死になったか?」
「金・・・ヅル?」
「おう、しっかり気に入られて、たくさん金をせしめるんだぞ」
「ちが・・・マユミは・・・」
何かを言おうとするミーアだったが、座長はもう彼女の言葉になど耳を傾けてはいなかった。
「お前らもミーアに負けてんじゃねえぞ!しっかり客をつかめ」
座長は意気揚々と団員達に発破をかけて回るのだった・・・
・・・・・・
・・・
港の近くにあるその店の名前は『海猫亭』というらしい。
店の入り口には海猫を象った木彫りの彫像が客を出迎えている・・・マユミはヴィーゲルにそういう話を聞いていた。
しかし・・・今、海猫亭にたどり着いたマユミ達を出迎えたのは木彫りの・・・
「猫・・・だよね・・・これ・・・」
・・・そこには、愛らしい猫の彫像が鎮座していた。
(海猫亭・・・海猫・・・まさか・・・)
そこでマユミは一つの疑念を抱き、それを確かめるべく海へと駆けだした・・・
「ちょっとマユミ、どこへ行くの?!」
急に走り出したマユミを見失わないように、エレスナーデ達が追いかける。
そして、そこで彼女達が目にした光景は・・・
にゃー、にゃー・・・
「猫だ、海の猫だよナーデ!」
お魚をくわえたその愛らしい姿は、『海の狩人』と地元の漁師たちに呼ばれている・・・
そう・・・『海猫』とは自ら海を泳いで狩りをするために独自の進化を遂げた、猫達の事であった。
「・・・だから、海猫なんじゃないの?」
妙に興奮した様子で猫達にちょっかいをかけるマユミを不思議そうに見るエレスナーデ達であった。
猫好きなら海猫と聞いて、一度はこれを思い浮かべる・・・はず。




