555 【 ? 】
神は1から9の数字を組み合わせて遊ぶ。並べて遊ぶ。並べて遊ぶ。
1と9。1と9と3。2と9と3。2と8と4と6。6と9と3と4と2と……。
重複してもいい。6と6と3と2。
その組み合わせは、 ? 通り。
……
私立チュートリアル学院。児童の他に、障害者、高齢者の福祉・養護施設が付設されている近代的学舎である。生徒が主に利用する、専攻科目ごとにおかれた研究室などの教室が密集する校舎の中の一室で。
白衣を着た竜代は敵と対峙していた。
相手は、美術室に飾られていた絵画。原色を多用している強烈な色彩タッチのその絵は、面白い事に20世紀初頭のフォーヴィスム(野獣派)を思い起こさせている。
「姿を現せ」
竜代の低く重い声が敵を呼んだ。敵、絵画がそれと竜代は決めつけている。
『野獣』自身から特有の信号が出されている事を踏まえ足がかりにして。潜伏している場所を特定する事など、とても容易い事だったのだ。
そして竜代は一人で、敵の前へと出向き面していた。
『……』
絵画は話さない。しかし。
「このまま、お前自身のプログラムを破壊してやろうか……それもいいが、せっかくなんで正体の一つでも晒してみたらどうなんだ」
何故か敵を煽る竜代。すると敵は、空間をねじ曲げて絵画からジェル状のものとなって飛び出してきた。アクリルの絵の具が融け出してきたかに思える。ガソリンでも撒き散らしたかのような光めくグラデーションな色彩をしていて、鮮やかではあるが不快な色だと人は眉をひそめるかもしれない。
「構造のプログラミング次第で、姿形は自由に変えられる。だがそれができるのは、ソースコードの一つでも理解可能な技術者だけだ」
ジェル状の敵は床の上を蠢いている。時々、触手を真似て手を伸ばしている……手なのかそれはと疑いたくはなるけれど。
「バグ化には関係のない事か」
苦しんでいるのか助けを求めているのか。敵は這いながら、竜代に近づこうとしているようだ。きっとそれは本能。バグ化はしたが、生きようという意志はある。
「教えてやろうか、フィギュア・サークル世界においてのプログラミング基本概念」
相手を見下すつもりはないが、そうも見えてしまう竜代の冷めた視線が敵を貫き冷凍へ固体へと凝固させてしまいそうだった。
「1、自己が何なのかを明かさねばならない『証明』。2、言われた事は必ず実行し やり遂げねばならない『義務遂行』。3、自己を守らねばならない『護身』。この3つだ。ロボット工学や家電製品の3原則と混同しないように。似てはいるが、お前はロボットでも機械でもない、基盤プログラミングから逸れた者」
わかったか? というような顔で敵を見つめた。
「これより上の第0条があるが。――各個体の先よりも全体未来を優先せよ……『種の存続』だ。覚えとけ」
竜代は白衣のポケットから『探索爆弾』を一つ取り出した。
そして、敵の頭上に放り投げる。ボン! と教室内だけの程度に爆発音は広がった。白い煙が敵を中心に発生し、細かいゴミなどを巻き上げる。しばらくして治まった後に姿を再び現した敵の一部分には、『5』という黄色いゴシック体の数字が浮かび出ていた。
「5リズム、か……傍観、観察者、の数字だな。なるほど、絵だからか? 生徒を見ていて楽しめたか?」
話し返す事の不可能な相手に竜代は、一方的ともとれるような会話をしていた。ひとり言は続いていきそうだった。
もしや やっと語れる相手を見つけた喜びが口を軽くしているのだろうか。楽しみ、喜び。それは単にほぼ働かないはずの感情から来るものなのか別の本能から送られてくる言葉や行動にしかすぎないのか……不明だが、とりあえず わかっている事は。
竜代はこの部屋に来てから、一度も顔を崩してはいないという事だった。
「感情か……」
竜代は探索爆弾が入っているのとは違う、白衣の胸元についているポケットに手を当てた。少し固形に膨らんでいた。『何か』が入っているらしい。
『……』
ぐたり、と。壁に寄りかかって『立つ』フリをするジェル状の敵。赤子のようだ。弱々しくもあり、強くなろうという本能部分を垣間見ているようでもある。
竜代の頭の中には、別の思考が渦巻いていた。
『5』回 急所を叩けば敵は滅びる。はずなのだ。
竜代の思考は、『決定』される。
「試させてもらうか……新薬」
気にかけていた胸ポケットから、彼の言う『新薬』というものを取り出した。それは手で握れるサイズの小瓶に入った透明の液体。貼られているラベルには、“感情”を意味する言語が書かれている。
「地球人にあって俺らには欠けるもの……加えると、どうなるか」
初めて竜代は口元を歪ませる。
小瓶の蓋は捻り空けられ、中の液体は敵へと振りかけられた。『ギシャアアァアッ!』
金物でも掻いたような悲鳴をあげた。
敵は暴れ、暴れ、暴れて。触手を、体を、狂い踊らせた。シュウウと、ガスが発生しゴムの臭いが屋内に充満していく。竜代は手の甲で鼻のあたりを庇い、目を細めた。一歩、一歩と後ろへ自然に足は下がる。
何かが、敵の内部で起こっている……竜代は目が離せなかった。
好奇の心は、感情か? 本能か?
やがて敵は、くぐもった音を発していく。『リュウ……ダイ……』
名前を呼ばれ、竜代は焦りの表情を見せた。
「何故名前を知っていた?」
疑問をそのまま口にする。『フ……ハ……ハ……』敵は笑う。
目の前の結果に、竜代は驚きを隠せない。身の危険さえ本能的に感じていた。
『今マデ見テ来タモノヲ言葉二シタダケダ……生徒ノ名前モ……言エルゾ……』
最初に聞き取りにくかった発音は、徐々に流暢さを増していた。言葉が正確に発音される。たった数分の間の事だったが、この極端な変わりように竜代は舌打ちをせずにはいられない。
バグ化生物は進化を遂げた。進化と言い切れるのかは定かではない。
『知性ヲクレテ、感謝、スル』
それが合図だった。
グバッ!
自由自在に伸び縮みできる体を思う存分にと広大に。竜代をすっぽり包み込もうと始め反動をつけ背を天井近くにまで高く伸び出してきて。竜代に襲いかかってきた。『グルル……』
敵の唸り声。竜代は抵抗できず、くるまれてしまった。
「……」
竜代は捕まる。巨大ジェリーフィッシュにでも絡められているに似ていた。
“感情”を備えた『野獣』は、解き放たれ……た。