333 【 天才少年は 】
―― こんな論文、世間には発表せん!
―― 私に恥をかかすつもりか! 水島!
かつて竜代はフィギュア・サークルでも有権に値する大学で勉学と研究に明け暮れていた。
年が まだ若かった。格段に。
始めは天才少年や、神の申し子と。頭脳は もてはやされ、将来に期待されていた。
本人に とっては周囲の称賛など耳に入らない。少年だった彼は まだ、歪んでも いないし真っ直ぐ歩いているのかどうかも わからなかった。
『数』『数字』って何だろう? 何のために あるんだろう? どうして体が『情報』で出来ているんだろう……?
浮かんでは積まれ浮かんでは積まれていく疑問の数々が、山と なり幼い竜代の頭の中に整理され しまわれていく。蓄積されている箱の中の領域は有限だとしても、信じられないほどの広大さ だったのかもしれない。
彼は大人へと なるに つれて ひとつずつ疑問を解き明かしていこうとするだけなのだ――。
先は、わからない。
しかし。彼の そんな志を、周囲が いつも同じで見ていてくれるはずは なかった。
彼は数々の論文を書く。
子どもが作文を書くような感覚で、決して笑えないような論文を書く。
それは、天動説が地動説へと移り変われるくらいの衝撃的な内容だった。フィギュア・サークルの住人に とっては――。
『アグマリズムと知能解との交配』『切断された電脳線と配信されるナンバー[数]に ついて』『デバック感応システムと可能 制御』 ……
恐らくは地球の者に とっては なじみの ない事柄だが、フィギュア・サークルの者に とって それらは どれも斬新で衝撃的な ものだった。
比較的 温和だった竜代の通う大学内に、激しく旋風が巻き起こる。
竜代を見る目が変わる。
ある者は尊敬の眼差しを。ある者は狂喜の産声を。
また ある者は……やっかみ を。
彼を危険と見なした数は、年月と ともに増えていった。
―― 上の意見に逆らうな!
―― おとなしく言う事を聞いているんだ!
教授、権力者は竜代をおさえに かかる。
出る杭は打たれる。
(皆が先生の『失敗』を望んでいるんだ……)
あずさは細かくは知らなくとも、だいたいの素性を知っていた。
自信を持っている。自分が一番、竜代の近くに いて竜代の事をよく理解しているのだと。
今回の任務も、あずさは怪訝に受けとめていた。
何故、地球?
何故、遠くの星?
もし相手が知能を持った『野獣』なら……こんな厄介な仕事が初任務。
とても新人が なせる内容だっただろうか。
「先生!」
あずさはイスから飛びおりた。大げさに着地し、竜代の前で両腕をめいっぱいに広げて。
何も裏など ない、素直な笑顔を竜代にと捧げた。
「任務が成功したら、皆びっくりするかな!?」
屈託の なく明るい、竜代を信じきった顔――。
竜代は微かに笑い……目を伏せた。
「成功したら……な」
閉じた目の裏の視界には、これまでに過ごした時の街並が思い浮かぶ。
フィギュア・サークル。『数』『数字』が支配する世界。星。
地球で過ごす2人には、遠くの物語の章にと置き忘れてきたい面持ちだった。
「明日の夜……実戦だ、あずさ」
竜代の指令は、マンションから見下ろせる夜景へと向けられた。
(成功させなくちゃ……)
あずさも、窓に映る自分と竜代と暗い空に向かって決意を固めた。……
1。
『探索』 ―― ナンバーサーチ。
2の。
『情報 開示』 ―― ナンバー・ディスプレイ。
3だ!
『攻撃』 ―― ラン。
いいか、『基礎』を忘れるな――
竜代の“教え”の声は何度でも繰り返される。1、2の3。
それはリズムに のって。
それはリズムに のって。
難しい事では ない。リズムに のるだけだ――。
バグ化された野獣は、朽ちて滅びゆく。
(何処に いるの? ……『野獣』!)
放課後の学校の教室で。あずさは『友達』に呼び止められた。
昨日とは柄や形の違うピンどめをしている外ハネ髪の女子と、色黒肌のロン毛の女子。今日は2人だけだった。昨日、『噂』を提供してくれたショートヘアの女子は いないらしい。
「加藤さん」
席で帰り支度をしていた あずさは「ふえ?」と間の抜けた声で返事をしてしまった。
まだ生活には慣れていないらしい。
「ななな何でしょう?」
動揺は、そのままに。しかし特に気には されなかった。
「昨日の放課後、水島先生と何を話してたの?」
いきなりの質問。あずさは ますます心臓が飛び出しそうなほど動揺した。
「そのまま2人で帰ったって目撃の噂が あるんだけど?」
核心を突く。その通りだった。
あずさと竜代は別々に地球へ赴き、別々な所に住居を構えて住む事に している。しかし新入生と新任の教師。同じ日に2人は生活を開始した。そして。
昨夜は竜代が拠点と するマンションに訪れ、2人に課せられた『任務』に ついて今後の策を練る手はずだったのだ。
あまり具体的な策は打てずに終わった あずさは結局 帰ってしまったのだが。
そんな事を露とも知らない女子2人は、勝手な想像を展開した。
「まさか……」
「教師と生徒の……」
次の声は合わさった。
「禁断の……」
あずさはブッ! と吹き出し慌てた。「ち、違う!」
完璧に否定しながら心の中では なりたいけど、と呟いた。
禁断の。
敢えて その先は謎のまま。
背景 効果の薔薇が うっとうしい。
「それは、そのう……」
あずさは必死に言い訳を考えた。本日、帰宅してから再び学校へは戻って来る事に なっている。竜代との待ち合わせだ。
勿論、正体は明かせない。自分は野獣を倒しに来た宇宙人だとは。どうにか やり過ごす方法は ないだろうかと。
あずさは開き直る。
(ええい、適当だ!)
腹を決め、手先を組みながら物凄いスマイルを作ってみせた。みせてみた。
「先生とは、 親 戚 なの!」
笑顔のままに。
「母の従兄弟の伯父の嫁の隣の太郎の息子が花子なの! ――じゃ、急ぐから!」
と、あずさは言い捨てて駆け去って行った。片腕をしなやかにクネクネさせながら風に そよぐように。
呆然とするしかない友人2人を差しおいて。友人達は繰り返す。
「母の従兄弟の伯父の嫁の隣の太郎の息子が花子……」
つまりはオカマ。適当である。
「変わった事って あの子よねえ……転校生」
「手がスネイクに なってたしね……変な子」
どうやら適当の さじ加減を間違えた あずさは、しっかりと『変人』の称号を手に入れた。
そんな訝しげな友人2人の背後から、竜代が やって来る。
「加藤あずさは帰ったか」
ちょうど よいタイミングで姿を見せたと あって、「水島先生!」と友人達は歓喜の声をあげ盛り上がった。
「加藤さんと親戚って本当なんですか?」
「本人が そう言ってたんですけど!」
「教えて下さい! そうなんですか!?」 ……
今や竜代は全校 女子達の関心の的でも あったのだ。答えないわけにもいかず。
竜代は苦笑いをしながら「まあ……そうだね」と話を合わせるしか なかった。断じてオカマではないが、親戚、という事で落ち着きそうである。
そんな大人の余裕を見せた竜代だったのだが、フ、と目の光を変えた。
「で、君らに頼みが あるんだけど……時間、空いてるかな?」
口元は笑ったまま。しかし目は笑っていない。
これから夜が来る。
あずさが再び学校へと戻って来るはずだった。