111 【 地球・近未来 】
初任務だあ ―― !?
地球にて。
制服姿のあずさ。白いブラウスの襟を出し卵色の手編み風セーターを着て、茜地チェック柄のリボンを胸元に着けている。同じチェック柄のスカート、黒のハイソックスを履いて半端に伸びていたストレートの髪は後ろで きちんと ひとつに束ねていた。
軽量 小型パソコンの入った指定カバンを肩から さげて持っている。
私立チュートリアル学院 中等部 施設前の昇降口で、あずさはキョロキョロと目を運ばせ登校してくる生徒を眺めていた。
しかし結構な時間が過ぎていくにつれ。ついに ため息をついてしまう。
「先生まだかなー。何処に いるんだろう……」
待ち合わせているわけでは なかったが、同じ地、同じ日に来る事には なっていたはずで。あずさは竜代が通りがからないかと期待して待ち伏せていたのだった。
後ろを振り返り、ビル並に高く そびえたっている校舎を見上げた。奥に ある体育館と思わしき建造物の屋根のソーラーパネルは、空で さんさんと輝き放射している太陽光エネルギーを電力に変えて思う存分に これでもかと機能して働いている。
体育館の周辺には、車椅子に座った お年寄りや小等部の生徒達が集まって騒いでいた。これから何かしらの競技でも屋内で するのだろうか。車椅子に乗った人の手には、厚さは薄いが一見スマートフォンにも見える物を持っていた。
見える物、とは言ったが。実際には そうだった。それ ひとつで通信や意思表示が できる。ただ、扱う者が高齢者や障害者などの場合は機能の面で第2、もしくは3者の手に よって使用 範囲が制限される事と なっていた。
学院内は完全アクセシビリティ(バリアフリー)化をめざすと校訓の ひとつとして掲げられている。
あずさが校章の上掲された壁を見ると、ちょうど予鈴が鳴ってしまった。有名作曲家が作曲した覚えやすいメロディが響いて始まりを知らせている。
チンチロリーン。……
「もう先に来てるのかも……」
あずさは待つのを諦めて、昇降口の中へと消えていった。……
1年A組の教室では、数学の授業が行われている。
「この場合。−1+xに対してy軸方向に――」
と、教壇に立った竜代の授業が行われていた。
新任の挨拶は簡単に済まし、黒板では なく電子ボードの前で生徒に関数を教えていた。横長のデスクは その形を緩やかに弧を描いて階段上に幾重にも並び、生徒は連なって各イスに座り教師の授業を受けている。教壇に立つ者の話は充分に聞き取れるよう配慮が なされていた。
そして生徒は入学時に支給された小型で軽く薄いノートパソコンを開き、キーボードで字を打ったりペンタッチで直に書きノートをとったり、隠れて好みの絵を描いたりと自由に使えるように なっている。
インターネットでアニメや自分の家の隣近所の様子などが見放題だが、残念ながら授業時間の間は禁止され回線は強制的に遮断されている。
視力や聴力の弱い生徒にも負担が かからずに済むように、パソコンでボードの字を見たり繋げた補聴器 越しで教師の声を聴いたりと。
顔を、ボードや教壇に向ける必要性は特に ないのだが。
( …… )
竜代は、ふと気が つく。
自分に向けられている女生徒達の熱い視線に。
比較的、女生徒の方が人数の割合が多かった。そして。
瞳にハートマークを作り、竜代の端整な顔を見ているだけなのか好き勝手に妄想と暴走しているのか、心の中から王子様とでも呼びかけているのかは わからないような顔で授業を受けていた。
竜代は頭をポリポリと……掻く。
(何だか やりにくいなあ……)
明日から仮面でも被ろうか、と あまり笑えない冗談を思いついていた。
そんな竜代の思いとは裏腹に。
女生徒達の それぞれは単純に喜びあって噂していた。
(「新任の先生、当たり! これから数学 好きに なれそー」)
(「めちゃイケ顔じゃーん」)
と、机上に開けているノートパソコンに隠れて前後と左右の席同士で囁きあう。
そして それらはバッチリと。タッチペンを持つ手を小刻みに震わせている あずさの耳にも届いていた。
ぷうっ。
両ほっぺたは、風船のように膨らんでいる。
怒ってい……た。
(先生が教師で勉強を教えてくれる……それは いいんだけどッ)
完全なる嫉妬。こめかみ あたりがピクピクと動いている。
グググ……。
ペンを握り潰すくらいに強く突きたてて持っていた。
(先生は絶対に…… わ、た、さ、な、いッ!)
一度 燃えたぎった火は消せそうに なかった。
「次の問1。加藤あずさ」
続けて授業を進行していた竜代は、あずさを当てた。
劫火の勢いで あずさは答える。
「x=1です!」
イスから乱暴に立ち上がってコブシを握っていた。
「x=2だ」
竜代の冷ややかな返しが あずさへと。
授業は問題なく普通に終わっていった。
(答え間違っちゃった……)
先ほどの授業が終わり、休憩時間。あずさは机に突っ伏して答え間違いを悔やんでいた。きっと後で竜代に こっ酷く叱られるのでは、と思いながら。
落ち込んでいる あずさに、クラスメイトの女子が3人やって来て声をかけた。「加藤さん!」
頭を上げて声の した後ろを振り返ると、「おーい、転校生!」と。小さな小花の装飾されたピンどめを着け肩まで伸びた髪が可愛らしく外ハネに なっている女子が白い歯を覗かせていた。
隣には、肌が色黒だが大人っぽく見せようとストレートのロン毛を垂らしている女子。
さらに その隣には、ショートヘアで目立ちそうに なく地味で小柄な女子が いた。
3人は3人で盛り上がっていたようで、まだ転校してきたばかりの あずさに気軽に呼びかけに来てくれたのだった。
「次、理科室だよ。一緒に行こ!」
高めのテンションに あずさは驚いて目を丸くしてしまう。
あずさが戸惑ったのには、違う理由も あった。「どうしたの?」
不思議に思った内の ひとりが聞いてきた。
「う、ううん! 何でもない」
慌てて次の授業の用意をし始めたのだった。
違う理由。そう。
あずさは、こういった『集団生活』というものに不慣れだった。と同時に、学校で友達同士で笑いあった事などない……。
地球に来て、地球の学校に来て、地球の友達と時を過ごす。
全てに おいて あずさにとっては新鮮な事だった。初めてだった。
感激に、しばらく酔いしれる。
(忘れてた! 私、今日から『地球人・中学一年生』だったっけ!)
あずさはパソコンを持って彼女らと合流し。談笑しながら教室を出て行った。
理科室までは外庭に繋がっている渡り廊下を通らなければ ならない。行き交う生徒達とも すれ違いながら、あずさ達は2人ずつ並んで歩いていた。
「ね、ねえ。最近さ、変わった事って なかったかな?」
緊張から だいぶ打ち解けてきた あずさは。いい調子のまま、聞きたかった事を聞いてみる事に した。女子達は お互いの顔を見合わせている。
そして3人とも あずさを指さしてみたりした。
「いえ。私の事では なくてですね……」
おいおい、と あずさは心の中でツッコミを入れる。本日 転校生として参った あずさは その対象になると言っているのだろう。
「だあーって、こんな半端な時期に転校生と! 新任の先生が来るだなんてさ。珍しい事でしょ?」
ピンどめの女子が言った。もっともで ある。
「そ、それは そうなんだけど。もっと別の事で何か ないかなと……」
あずさは身を引く思いで謙虚に なった。何か手がかりは ないかと……期待しながら。
「別の事ぉ……?」
「えー、何だろう」
疑問が飛ぶ。渡り廊下は通りすぎ、上の階へと行くためにエレベータの呼び出しボタンを押した。隣に螺旋状に上へと続く広めの階段も あるが、大概の生徒は楽をしたがって使わない。たまに授業中に、節足動物をモデルとして造られた円形の虫型お掃除ロボが床の上を這いずりまわって床を磨いているさまが見受けられる。
「そういえばコイツ、先月 先輩に告って振られたんだってよー」
「言うう!? それ今ここで!」
と、話は脱線しそうな気配だった。すると次の授業を知らせる予鈴の電子音メロディが流れた。
リンリンリン。ポリプロピレ〜ン 。
エレベータの開閉ドアは開き、あずさ達は乗り込んだ。
上の階へと動き出す箱の中で、あずさは軽く息をつく。
(手がかりなし、か)
本当は舌打ちしたいくらいだったが、諦めて壁に身をもたれさせて落ちつけた。
(まあ いいや。後で先生に……)
目を伏せていると。
地味だったショートヘアの女子が いつの間にか あずさの隣に来ており、耳元で囁いた。
「出るのよね……」
と。
真顔で、坦々と言葉だけを吐くように呟いた。
あずさは黙ったまま。女子の言い出した事に耳を傾ける。2人の前に いる もう2人の女子は女子で、何やら巷で人気の田舎カフェやスローフードの話などで盛り上がって騒ぎ こちらの会話は耳には入っていないようだった。
「私、放送部なんだけど……」
聞いていなくても構わず。ショートの女子は あずさの方では なく自分の前を見ながら言う。
「先輩達が言ってたの。放送室、美術室、音楽室、理科室、保健室……校内中を、『化け物』が徘徊してるって」
何処か暗い表情の彼女が言い終わると、エレベータは4階に辿り着きチンと甲高い音をたてた。
開いたドアから あずさ達は出る。あずさは傍目には わからないが、心中では敏感に反応していた。
(あるじゃん! そーいう噂!)
ただの噂だったが、手応えを感じて手を固く握り締めていた。
超高層マンションの34階。窓から見える東都スカイツリーの期間 限定ライトアップは ひと際 目立ち、都会一帯での甲夜の主役と なっている。
脇役と なった周囲のビル街光を目下に見下ろして、竜代は淹れたばかりで熱いマグカップに口をつけながら あずさの話を聞いていた。
あずさが話し終わった後。竜代は特に驚きも なく香り立つコーヒーをゆっくりと味わい飲む。
「人間だって鈍感じゃないさ。噂くらい別に あったって それが普通だろう」
竜代の立ち姿が映っている光機能性セラミックス薄膜 窓ガラス。太陽光を浴びるだけで掃除の手間の かからない その曇りの ないガラスには、竜代の後ろで背もたれを抱えるように反対に座っている私服の あずさの姿も映っていた。
「うん……そうだね」
たいして手がかりの掴めなかった事に がっかりしていた。『化け物』が出ると聞いて興奮していたテンションは竜代の返答で冷めきってしまっていた。
「任務内容の確認だ言ってみろ。思い出せ」
元気の ない あずさに、竜代は問う。あずさは竜代に見つめられ一瞬たじろいだが、すぐに気を取り直して。
自分達が いたフィギュア・サークルで局長の言っていた、『任務 内容』を思い出し答えていった――。
管理局長室で。
局長は竜代と あずさの2人を前にし、スクリーンと なった窓の面に表されたポイントを捉えながら説明していった。2人は一字一句 逃さない聞き流さないよう真剣に耳に入れる。
局長は言っていた。
「ここに野獣化 生物の反応ポイントが ある。君ら2名の任務は。ここの――地球という星の住人として潜り込み、野獣を見つけ出して直ちに抹殺し。報告する事だ――」
……
局長の言葉を思い出した あずさは、ポツリと言った。
「バグ化した野獣を……見つけ次第 退治する事……」
「そうだ」
竜代は さも当然のような頷きしか返さず、デスクの上の書類の中から一冊の黒表紙ファイルを手に取り。パラパラと挟まれていた紙をめくっていった。
「反応ポイントは、あの中等部 校舎。それは わかってる。後は何処に いるのか。もしくは……『何が』バグ化したか、なんだ」
竜代の説明を真剣に聞いていた。
「知能を持っていると厄介だな。昼間は姿を変えているのかもしれない」
「……」
まだ、何にも身元が わかっていない見えない『敵』……野獣――。
あずさ達の住む所『フィギュア・サークル』から もたらされたもの。いつから そうなってしまったのかは わからない。何が きっかけで そうなってしまったのか。宇宙各地で、バグ化してしまった奴らは確認されるように なった。
幸いバグ化生物 特有に持つ信号というものが あり、その発見は すでに遂げているフィギュア・サークルの住民は最大限に それを利用して、こうして あずさ達のような者達を現場へと派遣する。
あずさ達は地球人では ない。人間とも違う。構造が違う。仕組みが違う。根本が違う。
『数』『数字』が『情報』と なりプログラミングされ、それ特有のセントラル プロセッシング ユニットを経て具体化され形を成す。具体化されなかったもの。または歪み具体化されたもの。それが。その不幸な者達が。
―― 野獣。
あずさ達の与えられた任務とは。反応が確認されたポイントの野獣を発見 次第、始末する事だった。
こうした任務は竜代に とっても あずさ達に とっても。初めてと なる。
(知能……だったら初任務で厄介な仕事だなあ……)
あずさの心中に嫌な吐息が広がった。
それは、竜代の『過去』に大きく関わっている。