試合 下
水分補給をしているとジーっと俺を見つめるガキがいた。ザンだ。無視して一眠りしようとすると俺が寝そべる床の近くにしゃがみこんで俺を揺さぶってくる。
「なんだ。」
鬱陶しいので渋々構ってやるとザンは元気いっぱいの声でこう叫ぶ。
「オレに剣を教えてくれよ!」
声がデカすぎな。端で鍛錬している人も元気がいいな、坊主。あんちゃんもさっきの試合すごかったぜ。と余計な人物まで引き寄せる。
元から最低限の基礎は本人が嫌だと言っても叩きこむつもりだったから手間が省けてよかった。やる気があった方がいいに決まっている。でもザンが本気でするなら。
「俺に?コブノーに習った方がいいと思うぞ。俺が剣術のみで戦ったらコブノーの勝ちだ。」
そう、コブノーに教えてもらった方がいい。一番身近にいる基礎がしっかりしてる大人だ。
「じゃあ二人に教えてもらう!おっちゃんは教えてくれるか?」
そうきたか。コブノーに教えてもらったら俺が教えることなんてないんだけど。
「いいぞ。暇な時に稽古をつけてやる。」
「おっちゃんもこう言ってくれたぞ!サラルもお願い!!」
コブノーは人がいい。めんどくせぇな。俺がこいつぐらいの時は旅でもしてたか。コブノーやカイルと毎日手合わせをしていたな。
「分かった。気が向いたらしよう。」
なんも教えられねぇけど。
「やった〜!じゃあさ、今から教えてくれ!」
嬉しくて嬉しくてたまらないらしいザンはさっそく飛びついてくる。
今はやりたくなかったので目線をうろつかせて誤魔化しているとコブノーが今日は俺が先生だ!とザンに言ってくれた。ありがとうと身振りで示すとウインクをしてきた。ワルトの癖がうつったのか?お茶目なおっさんだ。
「そうだな、まずこれを持ってみろ。」
「重っ!なんだこれ。」
ザンは前世でいうバーベルの小型のやつを渡されて戸惑っている。たぶんコブノーが普通に持っていたからそれほど重くないとでも考えてたんだろ。
「お前は筋力がなさ過ぎるんだ。さっきも剣を持つだけで精一杯だったろ?そいつを100回上げ下げしても平気になったら教えてやっよ。」
それでいいのか?剣を振った方がいいんじゃ……いや、俺はやってもらってんだからなんも言わねぇぞ。
「絶対に教えてくれよ!おっちゃん!」
「もちろんだ。」
俺とコブノーとじゃ、コブノーの発言がより信頼できると俺は考えている。コブノーの積み重ねてきた確かなものが確実にあるからだ。
「サラルよ、カイルに勝つ勝算はあるのか?ナイフの他にも何か武器を持ってるのか?」
「毒針は持っているがカイルに使うわけにはいかないだろう。」
「あ!?間違えても使うんじゃねぇぞ!?」
「使わねぇよ。勝算なんてないさ。」
まさかかつての仲間に毒を盛るわけがない。今、俺は自由だから。
そうしているうちに試合の時間が迫ったきた。自然に俺はカイルと向きあう形で対峙している。なんか臨時の観客席みたいなものまで設置されて周囲がすごく賑やかになってきた。
「お前と対した会話もせずにこうなるとは思ってもいなかったが、騎士として負けるわけにはならん。勝たせてもらうぞ。」
「……俺はそんなに勝敗にこだわってないんだけど。そもそもこれに乗り気じゃなかったし。」
勝つ気満々のカイル。ここで手を抜けばどうせ怒るだろう。現役騎士のカイルに勝てるとは思ってもいない。
「用意はいいか?始め。」
なんかかけ声をかける人も王直々に手配されてすごくそれっぽい人がやってくれる。豪華だ。豪華さでいえば王族のワルトや桜樹がかけ声を行ったことが余程豪華だが、なにせ新鮮味に欠ける。我ながら贅沢な考えだな。
やはりと言っちゃあなんだけど、カイルはザンとチャンバラごっこをした時とは比べものにならないスピードで俺に接近する。
剣をまともに受けてみるが一撃一撃が重い。が、4年間これよりも重い攻撃を受けてきた俺には大したことはない。
問題なのは技術面。コブノーと同じ点で俺は苦戦する。それにカイルはコブノーと違って槍メインではなく剣をメインに扱うからコブノーよりもタチが悪い。
しばらくは均衡状態かと思っていたけどだんだん俺が不利になってきた。コブノーの時のようにいったん離れようとすれば、魔法を使えないコブノーと違ってバンバン強力な魔法を撃ってくる。その度に避けるしかない俺は逃げてばかりで攻撃ができない。ちなみに俺に当たらなかった魔法は騎士達数人がかりで消していた。
状況は、かなり悪い。コブノーとは違って急所をすれすれにかするカイルの剣筋のせいで体からは少なくない血が流れている。だからといってこの程度の傷には何とも感じなくなった自分が気味悪い。観客の女が血で騒いでいるのを見るとよほど血が出ているみたいだ。
「俺に勝っていた体術も今では衰えたものだな。魔法の使い方も忘れたようだが、怠けた己を悔やめ。」
体術の方はちっとも衰えちゃいないんだけどな。お前のクソ危ない魔法のせいで下手に使えないだけだ。
「うっせぇ。俺は魔法が使えなくなっただけだ。何もさぼってねぇ。」
まったくもって不本意だ。なんで俺がこんなことを言われなくちゃならない?騎士目指してプロのとこで剣の腕を磨いたであろうお前とは違うんだ。生きるのに必死だった点じゃお前に勝ってるだろうがね。
「お前の本気を見せろ!手を抜いているのが丸わかりだ!」
鬱陶しい。カイルの見当違いな叱責も、無責任に回りではしゃいで見ている人間も。なんかこの間まで無理矢理戦わされていた所とすごく近親感が湧く。命の危機がかかっていないだけで不愉快なことやじろじろと見られていることは変わりないか。
そんなこんなで気を抜いているとカイルの剣を避けそこねてもろに腹に剣が刺さる。カイルも慌てて剣を引っこ抜いたが遅い。
きゃあきゃあと悲鳴が上がるがそれとはまた別の怯えた声が耳に入るようになる。臭い臭い。汗と香水の匂いが鼻につく。死にかけてるせいか感覚が鋭くなってるのか、遠くの人間の声まで聞こえる。
「!?何だあの者は!!獣人がいるなどとは聞いていなかったぞ!!」
獣人?そんなのどこにもいねぇじゃねぇか。鍛錬場から慌ただしく人が逃げていくのに代わるように鎧をかぶった奴らが鍛錬場に入ってくる。王様はよほど豪胆なのかじっと俺の方を見ているだけだ。
何が原因で人々が怯えだしたのかは知らないが厄介そうなことなんだから王様も逃げればいいのに。騎士達の仕事が増える。
体が軽い。全感覚が一層鋭くなったようで音や匂いがはっきりと分かる。カイルに押されていた状況が一変する。一気にカイルの後方に回り剣を向けるとさすがに今まで俺が相手をした人間とは違い体をねじって俺の剣を受け止める。でもカイルも疲れてきているのか力が弱い。剣で俺が競り勝つとカイルはさっきワルトも使った防御魔法を展開する。だけど俺が蹴りを一発入れると防御魔法は一瞬で消え去った。脆すぎる。
「……サラルなのか?」
「そうだけど、何か?」
「その姿は何なのだ!?」
自分が圧されているから動揺してんのか?まだまだ甘いな、騎士様も。
防御魔法が砕け散ったので遠慮なく蹴らせてもらう。床にバウンドしたカイルはそれでも立ち上がって剣を構え直してはいるけど。遅い。
背後に回った俺に今度こそついてこれずに蹴り飛ばされる。大した力も入れてないのにこれだけ転がるってどうなんだろう。カイルこそ訓練不足なんじゃないか?
ゆっくりと起き上がったカイルは俺を見て叫ぶ。お前の声は嫌でも聞こえすぎるんだ。耳が痛くなるから叫ばないでほしい。
「まるで狼のようだぞ!?」
ふざけているのか?カイルも冗談が言えるようになったんだな。全く笑えはしないが。
暗殺時の記憶が蘇る。対象の家の天井裏に潜んでいた時のことだ。
『夜になったら白い人喰い狼がよく出るって噂、知ってるか?』
『やめて下さいよ。近所で人が立て続きに死んでるんですから。現れでもしたらどうするんですか。』
『触らぬ神には祟りなしって言うしな。この場合は神じゃなくて妖か。くわばらくわばら。』
その夜俺はその夫婦を始末した。そういえば運悪く俺が襲う時に目を覚ました他の対象も俺を見て「狼」って言ってたっけ。
ここまで来て嫌なことを思い出したもんだ。もちろん俺が手にかけた被害者達の顔は毎日嫌でも夢で見るので忘れるわけがない。
やる気が元からない上にやる気が削がれたので勝手に鍛錬場から退出しようとするとこの国の騎士達っていうか武士達?が俺の歩く邪魔をしてきたので躱して先に進む。手は上げなかった。避けるだけ。これから宿泊させてもらう国だから面倒事をおかすわけにはいかないから。
「まだ勝敗は決まってはいないぞ!おいっ!聞いているのか!」
いつの間にそんな脳筋になったんだろうなカイルは。俺は頭脳派だと思ってた。
後ろからヤンヤヤンヤと騒ぎながら武士達が追っかけてきたので鎧を着た彼らが登れないような屋根の上に移る。王宮というだけはあって普通の民家よりずいぶんと高い。だからといって落ちる気はないし落ちたとしてもどうとでもなる。
ぶらぶらと適当に歩いていたら開かれている窓のうちの1つから紙がひらりと風に乗って室外へと舞っている。風向きの具合で俺の近くに来た。これで持ち主に返さないのは悪いので顔の横を通り過ぎようとしていた紙切れを掴んで開いてある窓から室内に入る。
足音を立てずに室内に入ったが、目の前には腰の縮んだじいさんがいてありがとうの。と礼を言われて紙をペシッと奪われた。ちゃんと返すつもりだったがなんか腹立つな。
「見知らぬ客じゃのう。ペットとやらは持ち込み禁止ぞ?」
「ペットはいない。」
じゃがの。と鏡を渡される。意味の分からないまま突っ立っているとじいさんは鏡を見ろと言ってきた。鏡を見るぐらいどうということもないから見てみるとそこには色素の抜けた髪と頭の上に猫耳のようなものが生えた俺が写っている。なんだこれは。俺、旅のストレスで髪の色素が抜けたのか?過度のストレスを抱えると髪の毛が白くなるって聞いたことがある。猫耳は……たぶん誰かがいたずらでつけたんだろ。俺に何も察せられずにこういう芸当をする奴か。ワルトかコブノー辺りだろう。
まじまじと自分の顔面を見ていると髪が黒くなっていき、猫耳も消える。凝ったいたずらだな。犯人はワルトで決定だ。
「ぬう?お主ちと変わっておるな。実験体になる気はないかな?」
「お断りする。」
はあ?実験体とか何されるか分かったもんじゃない。それに俺の何が変わってる。ただの人間だ。
「そおか。残念じゃのう。ただお主は人間とそうでないモノとの間の子というだけじゃ。気にすることはないの。」
失礼なじいさんだ。人のことを実験対象として見やがって。
「なんでそんなことわかるんだ?」
俺は捨子だから親の顔は知らない。黒髪の女を見た気もするがはっきりいって覚えていない。
「そこから見えていただけじゃ。半獣人の姿になってからお主の動きは格段に上がっておった。」
どうやらじいさんは俺が入ってきた窓からカイルとの試合を見ていたようで、なるほど窓からはよく鍛錬場の様子が見える。つまりは俺のことを最初から見ていたのか。
俺の猫耳は不思議としかいいようがないが、この部屋の本の量には圧倒される。首が痛くなりそうな高さのある本棚にみっちりと本が詰まっている。本棚を見ていると体の痛みが増した。じいさんが俺の着ている着物をめくってカイルが剣でぶっ刺しやがった腹部を触っているせいだった。
「何すんだ。こっちは痛いんだぞ。」
「血が床に滴っておる。床を汚されるのは嫌いなのじゃ。」
痛みを感じておらんのかと思ったぞ。そう言って愉快げに笑うじいさんは部屋の隅から箱を持ってきて箱の蓋を開ける。見たところ薬のようで俺もよく世話になる薬が入っていた。治癒魔法を使いながらじいさんが薬を塗ってくれたお陰で怪我はすぐに治る。腹を剣で貫かれたっていうのにすぐに治るのだから、やはり魔法の威力は恐ろしい。
「じいさんは物知りなのか?」
「それはそうじゃ。ここの王とは幼馴染じゃ。魔法が好きで研究ばかりしておったらいつの間にかこうなっておった。」
本が好きな引きこもりらしい。自分の好きなこととはいえ、数年間も研究をずっとしていたその感覚は俺には考えられない。ここの王様と同年代ということはかなりの爺。王様もそうだが立って歩けているのが不思議だ。
「俺が魔法を使えるようにはならないのか?」
「一度使えたら使えるじゃろ。基礎から教えねばならんのか?面倒じゃのう。」
これを使えば魔法を使う感覚がすぐにわかるぞい。かつて魔法の学校でじいちゃん先生に見せられた本と同じものをずいっと渡される。ああ。このじいさんには俺の背中を見せないと分かってもらえないか。魔法を好きでずっと研究してたぐらいだから何か知っているかもしれない。
「違う。これを押されたんだが俺はもう一度魔法を使えるようになるか?」
上半身を空気に晒してじいさんに背中を見せるとおおお……と小さく呻き声を上げてじいさんは俺の背中一面にある火傷のうち最もひどい火傷の箇所をなぞった。体が小さく震える。未だにあの熱いモノを押しつけられた感触は肌に何かがかするだけでも思い出すのでこうしてなぞられるのはあまり嬉しくない。
奴隷の証として刻まれていたそれは奴隷身分から解放されると共に赤く発光しなくなり、火傷のようになった。俺の背中は火傷まみれなのでいまさら背中の傷は剣士の恥!とかは思わない。それに俺は剣術よりも体術の方が得意だし。
「おや。これは……すまんの若者。わしのせいでこのような体にしてしまって。」
一通り傷をなぞった後、着物を着せてくれたじいさんは労るように着物の上から傷跡を撫でてくれる。俺にとって気持ちのいいことじゃあないが、善意でそうしてくれていることは分かるので文句を言ったりはしない。
「?あんたがやったわけじゃねぇだろ。」
「これは元々キオワで今は教師をしている者とわしで創りだした魔法なのじゃ。殺人鬼の魔法使いを取り押さえるために創ったものじゃったが、やはりこのようなものは創るべきではなかった。」
声はちょっと震えている。彼の創りだした魔法の被害者が目の前にいるんだから当然か。あ、しくじった。大して面識もないじいさんに背中を見せるんじゃなかったな。俺が奴隷だったことがバレちまったじゃねぇか。この魔法を創った人物なんだから今どういった用途に使われているかぐらいは知っているだろう。
「で?魔法は使えるのか、俺は。」
じいさんがずっと黙ったまま俺の背中を撫でているので促す。背のちっせえじいさんがずっと俺の背中を撫でるのは辛いんじゃ?と後ろをちらっと見ればじいさんは魔法で浮いて俺の背中を撫でていた。
「使えんことはないが時間がかかる。魔法陣ごしの魔術になるからの。」
言いにくそうにそう言われた。魔法陣ねぇ。確かクソ面倒くさい手順だった気がする。魔法だって基本、術を唱えなければならないが、ワルトみたいな使い手までいくと無詠唱なんだからそのことを忘れがちになる。
「魔法陣……習った気がするけど忘れた。」
「これを使いこなせればよい。」
じいさんはふわっと浮かぶと本棚から読む気も失せるような本を取り出し俺に渡す。
「あんたまじで言ってんの?国語辞典8冊分以上の厚みあるじゃねぇか。」
「国語辞典?なんじゃそれは。」
そうか。ここには国語辞典なんかなかったな。
「なんでもねぇ。でもこんなに覚えきれねぇよ。それに戦ってる時にこんな複雑な形を書けるわけねぇだろ。」
こんなに膨大な量の知識を覚えきれればすごいだろう。だがこんな複雑な図を丁寧に書いている間に敵に攻撃されて終わりだ。そうするよりも体術を使った方がいい。魔法にはからきしになってしまうが、避ければいい話だ。
「じゃから時間がかかると言ったろう。わしの脳みそでも覚えきれたんじゃ。お主の若い脳みそなら絶対に覚えられるわい。」
あんたと一緒にすんな。あんたは魔法馬鹿だろ。
「それは世界に10冊あるかないかという貴重な本じゃが、特別に貸しておいてやろう。王城を出る際には返すのじゃぞ。」
そんなことを言われると緊張する。本の扱いは雑じゃない方だとは思うがボロっちい本だから破りかねない。
「ありがとうじいさん。」
それからはひたすら本に没頭した。気がつくとじいさんがランプに光を灯していて外は真っ暗だ。
「ありがとうじいさん。今日はこれぐらいにして帰る。」
破れると怖いのでじいさんに本を返してから部屋を出ようとすると、部屋の鍵が開かない。
「なあ。鍵かかってんだけど。」
「おおすまん。お主を追っかけておった煩い武士どもが戸を叩いて喧しかったから防音と戸が開かん魔法をかけておったんじゃ。ちいと待て。」
コトリと戸から音がしたかと思うとドッと鎧を着た武士達が部屋の中に雪崩れ込んできた。暑苦しいおっさんばっかだな。
「獣人を引っ捕らえろ!」
確かにじいさんの言うとおりにうるさい武士達だ。これじゃあじいさんの研究の邪魔だろう。
「臭い!わしの部屋から出ていけ!!」
怒鳴ったじいさんが指をペイと振れば武士達は何か巨大な見えないものに運ばれるようにして室外に放り出される。戸を壊そうとしているのか戸の向こうから戸を蹴ったり何かをぶつける音がする。またもじいさんが指を鳴らすとそういった音はピタリとしなくなる。
「もうよいわ。ここにいる間はわしの部屋で過ごせ。あんな者達を相手にしてはお主の気が持つまい。」
広い部屋の隅にはいくつかの布団が敷いてあってそこには既に何人かの人が熟睡している。
「こ奴らはわしの弟子じゃ。気にせんでもよい。お主の仲間との連絡はわしが取り持ってやろうぞ。それぐらいは造作もないしの。」
お言葉に甘えて寝かせてもらう。もちろん俺を実験体にしたいと言っていたじいさんだ。いつも以上に気を張って寝た。
 




