亡霊の唄-2-
「こんばんわ。今晩ここで演奏させてはくれないかい?」
そう言って戸口から入ってきた若者に酒場はざわめいた。金髪の肌は白い青年。右目には眼帯をしている。
「ありゃあまるでニーゲハルンだ。」
「ニーゲハルンったあなんだいじいさん。」
他の客と同じように戸口に目を向けた常連客がぼそりと呟いた言葉を隣の客は聞き逃さなかった。年齢は30~40の間ごろだろう。
「誰だお前は。」
老人は不機嫌そうに客に話しかける。狭い集落が彼の世界のため見知らぬ人間を不審に思っている傾向がある。
「見ての通りのただの冒険者だ。で?ニーゲハルンってのは何なんだ?」
冒険者は老人のぶしつけな眼差しをものともせずにおどけた様子で槍の柄でコンコンと軽く酒場の床を叩く。
なるほど、それなりに場数を踏んできているのか槍は使いこなされたそれの色を持っている。
あまり話したくはない話題なのか、老人は黙りこんでいたが自身が"ニーゲハルンのようだ"と例えた青年が琴を奏で始めると口を開いた。
「旅をする者なら知らないかもしれないがニーゲハルンというのはここ数年の間であの森に出るようになった化け物のことさ。」
老人は一旦酒の入ったグラスを机に置くと窓の外を示す。そこには鬱蒼とした森が広がっている。
「ほぉ~?だがあの兄ちゃんは人間じゃないか。どこが化け物なんだ?」
「ニーゲハルンは人間のような姿をしているんだ。それこそ見分けがつかないほどに。あやつを見分けるには耳と髪色だけなのじゃ。」
「耳と髪?」
琴を奏でる青年の髪は酒場の灯火の光を反射して蜜のような金になっている。
「耳が尖ってはおらぬからあれはニーゲハルンではないがの。
ニーゲハルンとはさっきも言ったが森に住み着いている化け物じゃ。恐ろしい化け物で人間を襲うんじゃ。
春の今は森に食糧があるのか村には来ないが冬の夜になれば夜な夜な村の道を歩き回る。夜の道であやつにおうたらそのままポックリ逝ってしまうんじゃ。昨年もそれで二人死んでしもうた。……そのうちの一人はわしの孫じゃった。」
背中を震わせる老人の背を冒険者は撫でる。
「お孫さん、残念だったな。」
「ほんに、ほんにそうじゃ。あの子は来月子供が産まれる予定じゃったんじゃ。それが夫婦共々襲われて……」
「無理すんなじいさん。」
琴を弾く青年が歌いだす。哀しい響きの唄は酒場に飲みに来ていた客達の深みに染み入った。
**----
「今回も外れだったみたいだな。森にいるのはニーゲハルンとかいう怪物らしい。人を襲うんだと。」
明け方に酒場から出てきた二人は話す。一人は老人にニーゲハルンと言われた青年、もう一人は槍の冒険者だ。
「そっか。この7年で変わったとしてもあいつは人食べないんじゃない?」
青年は金貨の入った袋を琴を入れてある袋に収める。袋がいっぱいに膨らんでいるところからすれば昨日の稼ぎはそれなりに儲かったようだ。
「そうでないと俺が困るぜ。久々に再会したらぱっくり食われちまうなんてな。」
「それにしても凄く身を隠すのが上手になったよね。一年も探してるのに見たっていう情報さえないんだもん。」
朝は早いが農作業のために早朝から起きていた人は二人の容姿に驚いたという。世界にはあんなに肌が褐色の人間と肌が白い人間がいるのだな、と。対称的でとても印象深かったらしい。
「一応森に行ってみよう。もしもサラルが食人鬼になっていた場合のために、ね。」
「ぜってぇ違うと思うんだがなぁ。」
二人は森に入っていく。村人はニーゲハルンを恐れて森に近づかないのか森の入口付近から蔦や雑草でおおわれている。森特有のひんやりとした空気が頬を撫でた。
「人が全く入ってねぇのな。獣道しかねぇ。」
森の奥までわけいると鬱蒼と草木が繁る森には不自然な空き地が二人の前に広がった。草は1本も生えておらず、ならされた砂地である。
「なんでここだけ……」
青年が指で砂を触っていると冒険者の懐から声がする。
「お父ちゃん!木の上から何か落ちてくる!」
「!ありがとよトゥラン!正確には俺達に向かってきてるだな!」
砂地に砂煙をあげて着地したモノは手にした短剣を振り回してくる。背中には籠を背負い草を入れており、髪は青年のものよりも色素の抜けた金色で耳の先端は尖ったもので普通の人よりも長い。これが老人の言っていたニーゲハルンだろう。
「ねぇ君!エルフだよね?なんで僕達を襲うの?何もしてないよね僕達!」
ニーゲハルンと呼ばれるモノは一体だけではなかったようで木々の間からぞくぞくと出てくる。食人鬼の正体が森の民、森の賢者と呼ばれるエルフとは皮肉なものだ。
「お前達に話す義理はないっ!姐さんを傷つけた人間なら尚更な!」
「姐さん?誰のこと?」
「俺達に会ったのが運のつきだったな!ヤアァッ!!」
短剣で斬り込んでくるエルフ達に戸惑いながらも対応する二人。エルフ達の中では唯一二人に話しかけてくるエルフの青年がこの集団をまとめるトップのようで、なかなかに手強い。なによりエルフ達の連携が素晴らしいために二人は後手にまわりがちだ。
木から木へと飛び移り様々な角度から射られる矢。毒でも塗られていれば元も子もない。
槍を回転させて矢を叩き落とす冒険者の後ろで吟遊詩人の青年はエルフの青年に問いかける。
「だから!なんで僕達を襲うのさ!僕達は君達と何の接点もないだろ?それに村人を襲うのやめなよ!理由がまったくわかんないもん!って痛っっ!」
エルフの青年にナイフで切りつけられて腕を押さえる青年に更なる追撃が降りかかる。
「お前のせいで姐さんの美しいご尊顔に傷がついたんだ!それと俺達は基本肉は食べない!村人など襲うわけがないっ!」
唾をとばしながら憤怒の形相で斬りかかるエルフの青年を氷の壁で防いでいる吟遊詩人の青年に背後で矢を処理している冒険者はため息をついた。
「姐さんのご尊顔、か。お前心当たりあるのか?」
青年は顔をしかめて氷魔法を強化する。エルフの青年は分厚い氷に手が出ない。
「一応。エルフで会ったことあるのってあの人だけだし。それならお互い様だよね?どちらかっていうと僕の方が最悪なんだけど。だって右目を取られたんだよ?よっと。」
青年はエルフの青年を氷の壁で囲っていく。エルフの青年は逃げようとしたが登る壁はツルツルと滑る。だが諦めない彼は振り回していた短剣と予備に持っていたナイフを壁に突き刺して登っていく。
「こういう時に魔法が使えないっていうのは悲しいね。学校にいた時は知らなかったけど普通人間ってあんまり魔力を持ってない生き物だったんだよね。
だからと言って僕が何もしないわけないけど。」
そう言い放つと彼は氷の壁でエルフの青年の四方を囲み完全に氷の中に閉じ込める。氷の箱に閉じ込められたエルフの青年は壁の上まで辿り着くが出られない。壁と同じく氷で蓋を作られてしまったのだ。
エルフの青年はドンドンと壁を叩くが氷の壁はビクともしない。
兄貴分であるエルフの青年が危機に陥っていると知り仲間のエルフ達が助けようと木から地上へと降りると足に太いツルが巻きついた。
なんだこれは、と驚くエルフ達をよそに空き地の中心に立つ青年。
「君達が君達の姐さんへの復讐に僕達を襲うっていうのなら僕は君達に何もしないというわけにはいかなくなるんだよね。」
青い稲妻が青年の手から伸び、ツルで拘束しているエルフ達を感電させる。
ぐったりと伸びたエルフ達を見て一層強く壁を叩くエルフの青年を吟遊詩人の青年は笑う。
「僕は君達の復讐とかいうものに付き合っている時間はないんだ。
君がここから出れたとしても僕を襲おうなんて考えない方がいい。もし今度同じようなことをすれば生きてはおけないと思っといて。君と話していても君ったら人の話を聞かないし。
結局外れだったねコブノー。サラルはいなかった。」
森に退避していた冒険者の元へ向かう青年は残念そうに肩を落とす。
「人探しなんて一年やそこらでできるもんじゃねぇんだ。次は南に行ってみるか。」
森を出ていった二人の後に残されたエルフ達は傷を負いながらもなんとか立ち上がろうとしていた。ガサリと藪が揺れ、何かと見たエルフはサッと青ざめた。
「魔熊が……!!」
後日、やんちゃ盛りの村の少年達が森に迷いこんだ時に少年達はニーゲハルンの死体が積まれているのを見たそうな。
**----
夏。ヨーゥイ帝国の夏はキオワ王国ほど乾燥しているわけでもなく湿度とよいバランスをとっている。
「あっぢ~なんとかなんねぇのか夏ってヤツは。」
「コブノーったら暑がりすぎだよね、トゥラン?」
「あたちも暑い。」
槍を担いで歩く冒険者の右手をつないで歩いている少女-というより幼女-は目を気だるげにトロンとさせている。
「トゥランは元々水の中で生きる子だから仕方ないか~可哀想だからひんやりする魔法をかけておくね。」
さっと指を回すとふわりと白い霞が幼女の回りに浮かび上がる。
「これ、気持ちいい。」
目を細めてふにゃりと笑った幼女に吟遊詩人の青年は笑う。
「そっか~よかったよ。」
眩しい笑顔はこの暑さの中でも爽やかである。そのキラキラとしたエフェクトが街行く女性の目線をかっさらう。
「なあそれ俺にもやってくれ。」
頭に被っていた布はすでに頭にはなく体や額の汗を拭く布へと変わっている。もう汗でぐしょぐしょになっていて布だとわからないほど水分を取りすぎて原形を留めていない。
「コブノーはまだ元気そうだから大丈夫だよ。」
涼やかに歩く青年とは対称的に一歩一歩が酷く重そうな冒険者。暑さにとことん弱いようだ。
「……なんでお前は汗をかかないんだ?」
ぐったりとした冒険者に青年は笑いかける。
「何言ってるの。僕だって汗かいてるよ?ほら。」
羽織っていた上着を脱ぐと上着の下の白いシャツは汗で濡れている。夏用の生地の薄いシャツであるためうっすらと肌が透けている。通りを歩く女性達の視線がさらに釘付けになる。
「お前そこまで汗かいてんのになんで我慢してんだ。上着さっさと脱いじまえばよかったのに。」
冒険者も汗だくだがむさ苦しい。木綿のシャツが体にぴったりと張りついて分厚い筋肉が丸わかりである。
「だってなんか汗をいっぱいかいてるのがわかったら嫌じゃない?」
青年は上着を羽織る。
「そうか?ずっと旅してると肌見せようがどうとも思わなくなっちまったからなぁ。キオワの習慣は肌見せたがらねぇもんな。」
冒険者は街中でさえなければ前のボタンを外し出しそうな勢いである。
「お兄ちゃん、喉渇いた。」
青年の上着を引っ張る幼女に青年は一旦休もうか、と幼女の頭を撫でる。
「どこに入ろっか?」
昼下がりの街には色々な店が開いている。小洒落た喫茶店など女の子が喜びそうな店がたくさんある。
「あの店にしよう。」
冒険者が指し示した先は小汚ない店。
「酒場じゃない。まだ昼だからお酒飲んじゃだめだよ。それにトゥランちゃんも嫌でしょ?」
「あそこでも、いい。」
青年が冒険者の腰あたりに頭のある幼女を見るとそこまで嫌がっている様子でもなかった。むしろ口角が普段よりも上がっている。
「……よかったねコブノー。トゥランちゃんが嫌がらなくて。」
一行は酒場に入っていく。昼間だからか客はほとんどおらず酒場のおやじがカウンターの向こうで煙草を吸っているのみである。
「オレンジジュース1つと水2つ。」
「あいよ。」
おやじも暇なせいかすぐに注文したものが出てくる。じっとメニューを見ていた幼女は席に飲み物を持ってきたおやじに視線を移す。
「おじさん、これちょうだい。」
「おいおい、ちっこい頃からこんなもん食わせやがって。親父の好みが移ってるじゃねぇか。」
幼女の頼んだ注文を見たおやじは水を飲んでいる冒険者に注意をする。
「知らねぇ。トゥランの好みと俺は関係ないだろ。」
「お前が酒飲みでこういう店によく来るからじゃないのか?まだまだ小さいんだからあっちの若い姉ちゃんが喜びそうな店に連れていってやんなよ。」
くいっと顎をしゃくる先には若者で賑わう喫茶店が。
「そんなもんなのか?」
「そんなもんでしょ。」
コトリと幼女の前に置かれた皿にはスルメが乗っている。
美味しそうにスルメをむさぼる幼女を複雑そうに見守る酒場のおやじと青年。
「イカさん美味しいよ?」
イカを冒険者に差し出す幼女からスルメを受けとる冒険者の頭を盆で叩く酒場のおやじ。
「いってぇな。俺は客だぞ?」
頭をさする冒険者と胸をはるおやじ。
「こんな甘えたい盛りだろうに母親から引き離しやがって。可哀想に。」
「可哀想なんてあんた個人の観念だろ?勝手に決めつけるんじゃねー!だいたいあんただって奥さんいねぇんだろ?あんたにどうこう言われる筋合いはねぇ!」
不機嫌になる冒険者の口にスルメを突っ込む幼女。酒場は一旦静かになる。
「言っておくが俺には美人な奥さんと可愛い子供が3人もいるんだ。」
「嘘だろ?嘘じゃないって言うなら奥さん連れてこいよ。」
「いいぞ。」
そう言うと店の奥に引っ込んだおやじはスレンダーな美女を後ろに連れてくる。手足は細長く、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる。そして額の角。もう一度言おう。角。
「あれ?ロテカさんじゃない?」
「久しぶりだな。ところでさ、そのおやじと夫婦って本当なのか?」
着物ではなくヨーゥイ帝国の若い女性が着る服を着たロテカは角も気にならないほどの麗人である。
「わたしがこの男の妻だと?ふざけたことを抜かすな。わたしの夫はこいつだ。」
またもや店の奥に引っ込んだロテカが連れてきたのはふくよかなおばさんと気の弱そうな優男だった。2皿目のスルメを食べていた幼女はぽとりとスルメを落とす。
「お姉ちゃん、その人女の人だよ?」
幼子特有のぷっくりとした指をおばさんに向けると指された本人であるおばさんが笑い出す。
「ロテカちゃんの嫁さんならよかったんだけどねぇ。あたしはそこにいる馬面の嫁なんだよ。」
「私が蕗啼霞の旦那です。」
ふわりと笑う男の額にも角。
「お前さん達くっついたんだな。え~っとホウランだっけ?」
「!はい!もしや貴方達はサラルさんのお仲間の……」
旅のことで話が弾む。話に入っていけない酒場の夫婦と幼女はおばさん特製のアイスクリームを試食している。
話に一段落ついた頃、おなかがいっぱいになって寝てしまった幼女に布団をかけるおばさん。
「あんた達一緒に旅をしていたんだねぇ。今じゃあバラバラっていうのはなんだか悲しいもんだね。」
気持ちよさそうに寝息をたてる幼女の顔を見ながら呟く。青年はそれを聞いて自嘲気味に笑った。
「サラルの行方を追っているんだけどまったくわからなくて。ここ1年ずっと探してるんだけど噂もちっとも聞かなくてね。早く剣を渡したいのにこれじゃあ埒が明かないよ。」
「サラルなら数週間前までここで働いていたけど?」
「え?」
突然のロテカのカミングアウトに呆けた顔をする青年。口がどれだけ開いていても様になるのだから顔が良いというのは罪である。
「数週間前までここで働いていたんだよ。ロテカちゃんと喧嘩もしていたけど見た目に反して真面目な子だったね。
それがこの間酔った客に水をかけられた際に服を脱いじまって、元奴隷ってことが客にバレちまってねぇ。
あたしらはそんなことは承知で雇ってたんだけど客からの風当たりが強くなったのを悪く思ったのか自分から辞表をだして辞めちまったんだ。」
良い子だったんだ、辞めちまったのが残念だ、と続けるおばさんをよそに青年はがっくりとうなだれる。
「あと数週間前ここに着くのが早ければサラルに会えたってこと?そんな……もう消息もわからないし、でも近くにまだいるはずだから周辺の村を当たってみるか……」
ぶつぶつと呟く青年に鬼の男が肩を叩く。男は力加減をしたようだが鬼の力が強すぎて青年は肩が抜けそうになった。
「大丈夫。きっと今回は今までのようにまったく情報がないわけじゃないです。」
「どういうこと?」
「サラルさんを追いかける人物がいましてね。まだ14の子供なのですがやたらとサラルさんに決闘を申し込みたがるのですよ。サラルさんは剣を持つのがどうも嫌らしくずっと断り続けていたんですが子供は諦めずにずっとサラルさんを追いかけているんです。
どうやら隣街で子供が家の壁を壊したことで1週間前に話題になっていましたからまずは隣街に行ってはどうでしょう?」
鬼の男が話し終える頃にはすっかり生気を取り戻した青年はやる気を出して店から出ようとする。
「おい、金はらってけ。」
「ごめんごめん。今払うね。」
背負っている袋から巾着を出して金を払う。巾着の中をこっそりと見たおやじはふへぇ!と目を剥いた。
「お前まだ若いのになんでそんなに稼げるんだ。」
「人気の楽士だからかな?」
眠っている幼女を背負い店を出る冒険者に続いて青年も店の外に出る。
「おじさん、おばさん!ロテカさんにホウランさん!ありがとう!」
隣街に向かう一行の足取りは軽く。照りつける太陽は再び槍の冒険者を苦しめた。




