別れ
仕留めたクラーケンは堅くて食えたもんじゃなかった。リルに止められたけど一回食べてみたかったので無理を言って調理してもらったのを食べると口の中でなんとも言えない化学反応が繰り広げられた。コリコリとした筋と異様にでかい吸盤のブニブニした感触が口内に感じられると同時に苦い汁が広がり何かが腐ったような強烈な腐臭が鼻につく。……そう言えばこのクラーケン、人を食ってたんだ。そう考えたら食欲が無くなってきたので箸を置いて出されたお茶を飲んでいるとワルトに心配そうな顔をされた。
「サラルが僕よりも早く食べ終わるなんて珍しいね。お腹壊しちゃった?」
「はっ、サラルならあり得ることだな。これは何の魚類を用いた料理なのですかリル殿。」
「これはねぇ沖の深海で採れる貝を使っているの。この街の漁師はそこまで深いところでは漁をしないからあんたは知らないと思うわ。」
俺の右横で上品に刺身の盛り合わせを食べているカイルはリルと魚の話で盛り上がっている。
おっさんはリルが用意した料理をガツガツかっ食らっていておっさんが食べてる間かまってもらえないトゥランはおっさんのあぐらを組んだ膝の上で寝ている。おっさんがこぼした料理が頻繁に体に落ちてきて寝心地はよいとは言えなさそうで何度も食べ物が体に当たらないように避けようとしているけど避けられていない。
見ていてかわいそうになってきたのでおっさんのところまで歩いてトゥランを俺の手の上に移動させる。いきなり背後から俺にトゥランを取られたおっさんは口に食い物を含んだまま俺を睨んでくる。
「ほぉい、フランに何ふるすほりだ。フランもおはえのところにいはくないだろうはら早く返せ。」
「ごめん何言ってんのかまったくわかんねぇわ。おっさんが料理を食い終わったらトゥランを返すよ。だってそうじゃねぇと寝ようとしてんのにおっさんがボロボロ食い物を落とすせいで寝られないトゥランがかわいそうだろ。何もしないからさ。膝の上に乗せるだけだから。」
もぐもぐと咀嚼をしたまま無言で俺をしばらく見つめていたおっさんは1度頷くと俺のことは気にせずに再びガツガツ食べることを再開した。
トゥランは俺の掌の上でしばらく居心地悪そうに身じろぎをしていたけど俺が元の位置に座って膝の上に乗せるとくぁ、と欠伸をして目をとろんとし始める。その姿からは動物の赤ちゃん特有の可愛さが溢れていて思わず指でつつくと鬱陶しそうに指を噛まれた。痛くはない。
ミンユさんはおっさんの隣でちまちまと料理を食べている。なかなかこんな新鮮な料理は食べれないだろうにリルやリルの奥さん達、リルの部下達にすっかり萎縮してしまっている。あれじゃあ料理を堪能できねぇだろうな。
ミンユさんと言えば。クラーケンを仕留める時、俺にしこたま矢を当ててくれた。あの時は俺がかなり動き回っていたせいだろうけど13本も矢が当たるなんて相当だ。ほんと、魔法があってよかった。魔法がなかったら俺は矢で死んでただろうな。最初の1本が背中に当たった時は息が止まりそうになった。飛びながらヒーリングをかける作業は予測以上に大変だった。クラーケンの触手も切りながら、だ。その後も矢で射られたお陰で目にたどり着いた時には腕を動かすのもやっとのことだった。クラーケンを仕留めてミンユさんに話を聞いたところ矢には毒が塗ってあったんだそうだ。何度もその小さい頭を下げられて怒る気も失せたけど仲間に当たるかもしれない状態で毒矢を放つのは止めてくれとは言っておいた。普通の矢が1本命中するだけでも死ぬんだから。俺が今生きてるのは単に運がよかっただけ。今回のような奇跡的なことがいつも出来るわけがない。二度と矢が体に刺さる感触は味わいたくないな。魔法で治してもらったけどまだ矢が突き刺さっている感覚が抜けれないでいる。治ったっていうのにな。
ワルトの魔法も当たったけど俺に当たる寸前に威力を弱めてくれていたので大した怪我にはならなかった。1度手元から放れても強さを変えられる点が矢と魔法の差だ。でも威力を変えるなんていうハイレベルなことはかなり器用じゃないとできないことだからワルトは学園に居続けたら天才とか言われることになったかもしれない。今さら何を言っても仕方ないけど。
おっさんとカイルが食べ終わるまでじっと待っている気にもならないので寝ているトゥランを起こさないように肩にそっと乗せてリルの家を散策する。海の中に橋があっても意味ねぇ気がすんだけど。もたれるのにちょうどいいので橋の手すりに背中を預ける。
上を見上げると淡い黄色の帯が海上から射し込んでいる。潮や雲によって不安定に揺れたり消える様は綺麗だ。儚い物は脆い分だけ美しいのか。美しいものにも色々種類があるもんだな。
カイルとおっさんがそれぞれ満足しミンユさんが胃を痛めて青白い顔になったので旅を続けるために地上に戻った。ムールさん家に行き、顔を出すと5日間何をしていたのか、とムールさんの奥さんに怒られた。今回は5日間もリルのところにいたのか。そんなに時間が経ったとは思えないのは相変わらずだな。
ここ数日ろくな睡眠を取っていないので部屋の一室を借りて寝させてもらう。やっぱ布団っていいね。
布団の上でうつぶせになっているとベットの横に誰かが立っていることに気がついた。顔を見ると複雑そうな顔をしたムールさんの奥さんだ。この人は俺を寝かせてくれないのか?
「その……クラーケンの討伐、ありがとうございますわ。」
「俺はあんた達のためにやったんじゃねぇって何回言わせりゃ気が済むんだ?俺は飯のためにだなぁ」
「分かっておりますわよ、そんなことは。しかし貴方の活躍でクラーケンがガザリアから居なくなったことは事実ですわ。ですから改めて感謝の念を伝えているのではないですか。」
「俺一人でクラーケン仕留めたわけじゃねぇんだぞ?俺以外のコブノーとかワルトとか……カイルだって頑張ったんだぜ?褒めてあげたら?」
「他の方々やカイルにも既に礼は言っておりますわ。」
そーかいそーかい。俺は眠いんだ。寝させてくれ~
「ところでカイルの件ですけれど、ちゃんと考えているわよね?」
「は?カイルの件?なんだそりゃ。」
奥さんはグシャリと顔を歪ませると何かをこらえているような低い声で話し出す。
「貴方の行いには感謝しているけれどやはり今王妃に目をつけられている人物とカイルを一緒にはいさせられないのですわ。現に貴方、騎士による貴方の捜索が昨日から開始されましたわよ?ガザリアに配置された騎士達は今のところ口を閉ざしているけれどそれもいつまで保つかなど底が知れていますもの。
貴方が王妃殿下のおっしゃるような狡猾な人物であり得ないことは重々分かってはいるのだけれどカイルまであの王妃に目をつけられればゼッツア家も被害を被るの。だからカイルが寝ている間にここを発ってちょうだい。旅に必要なものがあれば言って。換わりと言っては何だけれどそれぐらいはいくらでもするわ。」
そういえば風呂に入らせてもらった時にそんなこと言ってた気がすんなあ。あの時より口調が柔らかいだけマシだと思った方がいいのか。言ってる内容は相変わらずひどいけど。
「なんでわざわざカイルが寝てる間に出発しなきゃダメなんだ?俺だって別れの挨拶ぐらいはしときたいんだけど。奥さんの話を聞くかぎり俺ってば騎士さん達に追いかけられるっていうかなりヤバい状況じゃん。次はいつ会えんのか分かんないし。」
「カイルにここに留まれと言ったところそんなことはしないとの一点張り。普通にガザリアから発てばカイルも着いていってしまうの。それでは意味がないのですわ。」
悔しそうな顔をしてるあたり、カイル結構粘ったんだな。
「それじゃあ俺はなんとも言えねぇ。だってカイルに関することなんだからカイルの意見が一番尊重されるべきだろ。カイルが嫌がってんならやめとこうぜ。」
「だから!カイルの将来を考えなさい!よくてカイル及びゼッツア家の評価が地に落ち、最悪カイルは貴方との共犯ということで騎士に連行されてしまう!貴方だけでなくカイルも、なの!これ以上あのクソババアの好きなようにさせてたまるものですか!」
あの~?クソババアって誰のこと?よく分かんないけどカイルの将来を心配するのが半分、自分の家の地位を守るためが半分ってとこか?貴族って互いに失敗するのをじっと待っている感じだもんな。俺には関係ないけど。
「カイルと旅をしたところで俺には害がない上に魔獣と戦う時間がスゲー短縮されんの。俺にはカイルを拒む理由がないんだぜ?」
「ではカイルを拒む理由があればいいのですわね?」
少し考えた後、奥さんはにっこりと笑う。
「では貴方がカイルを拒まないと言うのならば貴方がガザリアにいるということを騎士達に通達することにしましょう。カイルが貴方達を追いかけようとする場合カイルはその間何処に閉じ込めておくので貴方達だけが捕まる算段ですわ。」
「……それだと俺以外にもワルトとか捕まるじゃん。」
「家のためですわ。利用できるものは利用するに越したことはありませんもの。ですから皆様にはお礼と共に頭を下げておりますわ。」
「……」
「貴方は指名手配されているのですからガザリアを出た後はお気をつけになって。見つかり次第牢獄行きですわよ。」
「……ご忠告どうも。」
俺ってかなりヤバくね?騎士さんに追っかけられてんだぜ?しかも牢獄に入れられるんだってさ。俺なんもしてねぇんだけど!!そんな状況で通報されたら俺一発アウトじゃん!カイルには悪いけど……置いていくしかねぇな。
「でも今晩はゆっくり寝させてくれ。疲れたんだ。」
「ええ。いいですとも。ただし明日にはお願いしますわ。できるだけ早い方がよろしいですもの。」
「わかったわかった。お休みなさ~い。」
奥さんを部屋から締め出してほっと一息つく。あの人がいると不快感しか得られないな。とりあえず、寝よ。
翌日カイルを除いた旅のメンツにカイルを置いていくことを話すとすでにみんな知っていた。
「騎士を呼ばれたら僕たちおしまいだもんね。ラムさんも痛い所を突いてくるね。」
「騎士どもに追っかけられるってかなり大事だぞ?俺達大丈夫なのか?」
「え?そんなに大変なことなのか?」
「当たり前だ!この国の武力面での精鋭達なんだぞ。どうせ追っかけてくる騎士は騎士って言ったって城にいるお飾りの騎士じゃねぇ。国境付近を警備している猛者達だろう。あいつらは他国では軍がしている役割をしているんだからな。呼称は騎士だがありゃ軍人だぞ。」
……どうも俺は俺の知らないうちにスゲー面倒な状態になっている。隣国に逃げればいいか、とか考えてたけどそもそも隣国まですぐに行ける距離じゃなかったしそんな怖い騎士達が国境を守ってるんだったら簡単に隣国には行けないだろう。なんか詰んだ気がする。ヤバくね?これ。
「とりあえず今晩この街を出発するからみんな荷造りしといてくれ。その後のことは街を出てから考えようぜ。」
その晩、俺達はカイルを残しガザリアの街を後にした。カイルの口煩いほどの注意が聞こえないことは思っていた以上に寂しいことだった。




