港町でのハプニング
(今回の)人生で初めて入った風呂から出た俺は修羅場を見ることになった。ロテカさんとなぜか谷の街で別れた以来久々に見るホウランさんがバトッてた。結果はロテカさんの圧勝。ホウランさんはみぞおちを殴られてゼッツア家の侍女さんのうちの一人に介抱されている。なんとか周りで見ていたワルトやカイルの言うことを信じてくれたのか奥さんは俺を睨むことをやめてくれた。可愛い弟とその友人の言葉だもんな。なんで俺を疑うかな。俺もカイルの友達なんだけど。(仲間かな?)俺ってとことん信用されてねぇのな。
騒ぎを起こしたうちの一人であるロテカさんはさっきから気が立っているようで、机をコツコツと叩くついでに机自体を粉々にしてしまっている。
机を粉々にされた持ち主のムールさんは気にしないから大丈夫だよ~と笑ってくれているけど奥さんの顔が。元が綺麗なお嬢様って風だから、ムールさんと一緒にウフフと笑っているのはいいんだけど目が笑ってない。机だけでなく窓や椅子、ソファや棚に置いてあった数々の装飾品をホウランさんとの乱闘で壊されたんだから奥さんが怒って当たり前だ。やっぱ領主様ってだけあって飾ってあるモノは高価そうな物品ばっかだしな。
まずなんでここにホウランさんがいるのかが謎すぎる。だいたい谷の街からこの港街につくのに俺達は2ヶ月かかった。そう考えると俺達が谷の街を出た数日後に街を出たってことだ。そうでもなけりゃここで再会することはなかったはずだ。それかとんでもなく足が速いとか。……あり得そうだ。鬼達の筋肉は普通の人間とは構造が違いそうだしな。
「とりあえずなんでロテカさんとホウランさんがここで戦ってたんだ?」
「それはよくわからないんだけど僕達がコブノーとお話ししていたらいきなり玄関のドアが僕達の方に飛んできたんだ。ずっと座って僕達の話を聞いていたロテカちゃんが咄嗟に飛んできた扉を叩き落としてくれたから誰も怪我をせずにすんだのだけど、ホウランは扉を叩き割ったのがロテカちゃんって気づいたらしくて『蕗啼霞!私と契ろう!』って叫んでロテカさんに抱きついたんだ。そうしたらロテカちゃんは『誰がお前としなければならないのだ!』って叫び返してね。あの男の鬼さんを投げ飛ばしてさ、そこから契る・契らないの殴りあいが始まって今に至るんだ。
それにしても部屋がボロボロになっちゃったね。僕部屋がこんな風になったのを見るの初めてだな。それと二人の言い合いを聞いていて不思議に思っているんだけれど契る、ってどういう意味なんだろう?」
「さぁ?俺も知らねぇ。それは本人達に聞くしかねぇだろ。」
契る……高校か中学の古典の授業で聞いた気がするな。すでに内容は頭から抜けちゃってるから意味ねぇけど。
「御二人の様子からして求婚のようなものではないか?
ところでお前は俺達が話している間どこにいた?途中からいなくなっていたが。」
カイルは気づいてたのか。てっきり他のメンバーと一緒で俺がいなくなってたことに気づいてないもんだと思ってたよ。
「お前の兄ちゃんの奥さんにお風呂はどうですかって言われて入ってきたんだよ。気持ちよかったぜ?」
「それはなによりだ。では聞くが、風呂に入る前に何かしたか?」
「風呂に入る前?服を脱いで体を石鹸で洗って湯で流してから湯船に入ったぞ?なんか風呂に入ってる途中で妙な5人組に矢を射られたけど避けたから問題ねぇ。あれ誰だったんだろうな。」
「お前は風呂の入り方を知っていたのだな。前回この家に招いた客人は風呂に服のまま入ってな。それはもう大変だった。それにしてもお前が風呂の入り方を知っていたとは意外だ。風呂の存在さえ知らないと思っていたのだが。」
おいカイル、失礼だろそれは。ちょっと馬鹿にされすぎて笑えてくるんですけど。
「俺だって風呂の入り方ぐらいは知ってるに決まってるだろうが。」
「そうかな?キオワ国内にはあまり風呂っていう設備さえ整っていない地域が多数なんだ。それを知っていないということはどちらかと言うと当然で知っている人の方が少ないものなんだよ?それを知っているということは以前にサラルは風呂に入ったことがあるんだね。」
「……まぁな。そう言うワルトは風呂に入ったことはあるのか?」
「あるよ。僕は王宮で毎日嫌でも入らされていたかな。」
ワルトが王子ってこと忘れてた。王族貴族は別としてまさかそこまで風呂が普及していないとは思ってなかったぞ。俺が風呂に入ったのは転生する前だけど嘘はついてねぇぞ。あの頃は毎日入ってたからな。
体と言えばあっちの世界の俺の女の体はどうなってるんだろう?なんか不審者は魔王倒すまで俺の存在は消しておくとか言ってたけど……あの男のことだから絶対にいい加減にされている気がする。本当はあの女の体のままこちらに来るはずがどこでとち狂ったのか転生してしまって今に至るのだから。
つーか魔王を倒せば俺は元の世界に帰れるのか?そこんとこよくわかんねぇんだけど。なんだかんだ言ってもこちらの世界にも13年しかいないけど愛着はあるし好きだけど、さ?やっぱあっちの方が断然命の危機にさらされる確率は低いじゃん?どっちを取るかって言われたら確実に安全に暮らせていける方を選ぶだろ?
「おいおい、三人とも軽く流してるがサラルは風呂場で何者かに襲われたんだろ?怪我はしてないのか?」
「大丈夫だおっさん。湯の蒸気をはらったら俺に姿を見られたのがダメだったのかあいつらさっさと逃げてった。俺はゆっくりしていたかったんだけどあいつらのせいで台無しだった。まぁその後ゆっくりできたからよかったけどな。」
「ちょっと待て。お前まだ13だろ?どうしたらそれだけ落ち着いてられるんだ。お前ぐらいの年頃のガキは風呂場でなくとも知らない人間に襲われたらもっと怖がるだろ。
それとおっさんじゃないって言ってるだろ!やっと直ったと思ってたのに」
「それを俺に言うのならカイルやワルトだって13だろうが。13でこんな旅をしてる時点で他のやつらと比べたら異常だと思うぜ?」
おっさん呼びが直ってたと思ってたのか。おっさん呼びは直ってねぇのにな。愚痴が長くなりそうなのでおっさんの言葉を遮って話を進める。
「僕達は親の立ち位置からよく他の人から狙われていたんだ。僕の場合は普段のお母様の嫌がらせの方が身に堪えたから刺客達は特に怖くなかったかな。小さい頃はお母様が一番怖かったから。
最近は僕を拐っても効果がないってことが分かってきたのかまったく襲われなくなったね。
それと僕の誕生日は先月だったからもう僕は14歳なんだ!」
「ごめん。誕生日知らなかった。」
「いいよ。僕気にしてないから!」
ワルト~?ごめんって、そんな黒い笑顔を浮かべなくってもいいじゃねぇか。
「……これからもそのような刺客は来るだろうがな。俺も幼少期には何かと拐われたりしたものだ。俺の場合この赤い髪が目立つのもあってよく標的にされたものだ。」
おい!お前だってワルトの誕生日忘れてただろカイル!何俺は関係ありませんって顔してんだよ!
それにしても偉いさんの子供は大変だねぇ。ワルトは王子だしカイルはなんかいい役職についてる伯爵家の子供だから親の隙を突こうと子供を狙う人間が存在するのは必然的とも言えるものか。
「おっさんは風呂に入ったことあんのか?」
「おっさん……もういい、華ノ国で数回。あの国は自然に湯の湧く場所が多数あるからこの国の屋台で売っている安い飯よりも安い値で風呂に入れるんだ。他の人間も大勢入っていたのには驚いたもんだ。」
たしかにこの国で素肌を人前で晒すことは、はしたないっていうかダメって考えが民衆には広がってるっぽいから素っ裸を他人に晒すなんてことは考えられねぇことなんだろうな。俺からすれば暑苦しくて仕方ねぇんだけど暑い夏でも大抵の人は薄い布を頭から被っている。なんかインドっぽいな。
俺は暑いのにわざわざ暑苦しいことをしたくないので一応布を被ってはいたけど体の周りに冷気を漂わせて夏を乗りきった。クーラーがないのはあの暑さではきつい。現代っ子の俺は到底我慢できねぇわ。
「ふ~ん。華ノ国いいな。行ってみたい。」
「どうせ嫌でも魔王城に行くための道中で通過する。華ノ国は魔王の支配する領域と隣接しているゆえ華ノ国を出るとすぐに魔王の地だがな。」
「それ聞くとなんかなぁ……そういえばミンユさんがいないな。どこ行ったんだ?」
「サラルはここ数日いなかったから知らないんだったね。
ミンユちゃん王都で働いていた頃にお世話になった人と手紙のやり取りをしているんだ。この港町は他の街に比べて環境が整っているからこの街にいる間にミンユちゃん自身が安全に過ごしていることと、探している弟さんが見つかったかを毎日手紙で情報交換しているんだって。弟さんは残念ながらまだ見つかっていないそうだけれど。
ちょうど今頃の時間帯に伝書竜が来るからそれを迎えに行ってるんだと思うよ。」
「伝書竜!?王都とこの街まで結構な距離があるだろ!1日かけずに王都からこの街を往復するなんて竜ってすげぇ速いんだな!」
「サラル伝書竜知らないの!?」
「知らねぇ。てか竜なんて生物が本当に存在してることに感動だな。物語の中でしか存在しないと思ってた。」
竜ってつまりはドラゴンってことだろ?やべぇドラゴンってやっぱ火とか吐くのかな?もし乗れるのならドラゴンの背中に乗ってみたい!それで空の上から街とかを見下ろしてぇ!つーか王都からここガザリアまで1日で飛べるのならわざわざ馬で来ずにドラゴンに乗ってくればよかったんじゃね?でもなんでドラゴンとかでかそうな生き物に今まで気づかなかったんだろう。普通気づくよな。
「ちょうどミンユちゃんも伝書竜の所に行っていることだしサラルも見学ついでに伝書竜駐屯所に行ってみる?伝書竜は可愛い生き物なんだ!」
「……可愛い、だと?」
ドラゴンが可愛いとか考えられねぇんだけど。カッコいいやつじゃねぇの?そもそも可愛いってドラゴンに使う言葉だっけ?俺の中での可愛いってもふもふしたちっこい生き物とかなんだけど。ちょっとこれは見てみないと気がすまないな。
「伝書竜駐屯所?だっけ。そこにドラゴンがいるんだよな?」
「いや、いるのは竜だ。ドラゴンというのは魔王領付近で見られる大型種のことだ。竜はドラゴンに比べ小型なのでその点が相違点だ。この辺りにドラゴンが出没すれば街は踏み潰され住んでいる場合ではないな。とは言えドラゴンはほとんど人里に降りてこないのでその心配は皆無に等しいがな。」
「稀にドラゴンが突然暴れだしたりした時はギルドに入ってるやつらが討伐しに行くんだ。あれは大変だったぞ~?ドラゴンは図体がでかいだけでなく動きもあの巨体からは考えられないほど素早い。それに知能も持っているから下手をすると俺達人間よりも長く生きている分、俺達人間よりも賢い。あれを倒すのは至難の技だったなあ。あれは12年前の春、華ノ国の辺境の町で」
「さあ!伝書竜駐屯所に行こう!」
……ワルトってこういう武勇伝とか好きそうじゃないもんな。ワルトによってぶったぎられたおっさんの武勇伝は伝書竜駐屯所に着くまで俺とカイルの二人で聞いてあげた。
ロテカさんも誘ったんだけど足をコツコツ貧乏揺すりをしながらギロっとこちらを睨まれたから返答はNoってことでロテカさんはムールさん家で待機ってことになった。これ以上奥さん怒らせないでね。
ワルトはおっさんの肩に乗っているイルカもどきの赤ちゃん-トゥラン-と遊びながら歩いていた。ワルトは俺達の中で一番魔力の量が多いから水の玉とかを出してトゥランを喜ばせていた。イルカに似ているだけはあって水が好きらしくヒュピヒュピと謎な声をあげていた。水の玉に夢中になりトゥランはワルトの手の甲に移って空に浮かぶ泡を追いかけていた。
「ついた!伝書竜駐屯所だよ!」
ワルトが笑顔で指し示した先には確かに『ガザリア伝書竜駐屯所』というしっかりした看板が建物の門前に掲げられていた。
ワルトがずんずんと建物に入っていくので俺達も慌ててついていく。建物の閉ざされていた扉を開けると途端に辺りが暗くなった。光が入りにくくしてあるのか入ってきた扉から細く漏れている光の筋が1本床に延びているだけ。その筋も後から入ってきたカイルによって扉が完全に閉ざされてなくなる。なんかお化け屋敷に来たみたいだな。お化けは信じないけどドラゴンさえいる世界なんだからもしかすると…いるかも。ああいう類のやつ、俺大っ嫌いなんだ。できれば出ないでほしいな~
「可愛い坊やだねぇ。」
噂をすればなんちゃらら。冷んやりと湿った冷たいものが女の人の声と同時に腕に当たる。思わず隣を見ても真っ暗で何も見えない。焦った俺は冷たいものに掴まれている腕を振りほどこうとする。何となく引っ付いているものに触るのには気が引けたし、もしも危険な生き物であれば利き腕の右手まで無くすことになるので全力で左腕を振る!振る!振る!
でもそこは流石幽霊。振り払うどころかどんどん他の体の位置を触れていく。腕から上に上がって胸に触ったかと思うと今度は腹、太股と下に感触が降りていき、最終的には背中をまさぐられて腹に触られている感触が戻った。
不快、嫌悪、寒気、動揺、憔悴。気持ちわりぃ気持ちわりぃ気持ちわりぃ。
なんとかして振り払おうと体を闇雲に揺らす。腕を壁にぶつけたようで凄く痛い。真っ暗で何もわからないことがムカつく。
「あら?どうしたのかしら?ああ、こんな暗がりじゃ私の顔が見えないものね。」
パチンという指を鳴らす音と共に暗闇の中、俺の左隣に女の顔が浮かび上がった。
「うわあああ!!やっぱ出てたああああああああああ!!!」
「五月蝿いぞサラル!静かにしろ!」
パッと辺りが明るくなりあまりにもの突然の光の眩しさに目をしばたかせていると後ろにいたはずがいつの間にか前にいるカイルに頭を叩かれる。
「いてっ!んだっ、だってお化けが出たんだよぉ!ほらまだ俺の左隣にいるしって、いってぇっ!!」
カイル今本気で殴っただろ!すげぇ頭痛いんですけど!
「失礼にも程がある!このお方はここガザリア伝書竜駐屯所の館長であられるぞ!」
「え?このお化けが?」
幽霊は俺の隣にまだ立っている。俺が彼女をはっきりと指して断言すると幽霊は悲しそうにゆらりと体を揺らす。これで幽霊じゃないとか信じらんねぇ。
「そうねぇ、私は幽霊ではないわ。ウフフ♪久しぶりに若い男の子が来てくれたものだから触りたくってねぇ。ごめんあそばせ?ほら、脈が打っているでしょう?」
手を引っ張られて嫌々ながらも彼女の腕に触ると確かにドクンドクンと血液の流れる振動が指先に伝わって来る。マジで幽霊じゃなかったんだ、この人。
「叔母上、いつも申し上げますがやたらと男に触れるのはお止めください。このようなことをするからここに地元男性客が来なくなるのですよ!」
「奥様方の溜まり場になっているわね。お喋りするの、楽しいわよ?時々ワルト君みたいな可愛い子も来てくれるしね。」
「ありがとう館長さん!」
お、叔母上だと!?カイルの家系って真面目なイメージがあるんだけどこの人ただの変人だよね!?変人というよりか変態か!……真面目なのはカイルだけか。兄貴のムールさんは仕事できるけどやりたくない人間だしな。今日だって伝書竜駐屯所に一緒に行くって言って奥さんに引きずられてたし。ザ・尻に敷かれる旦那だな。
「だってねぇ?カイルちゃんやムールちゃんに触ろうとすると貴方達逃げるじゃない。」
「当たり前でしょう!気色悪い!」
ばっとカイルは身構える。もしかするとカイルの女嫌いはこの人が発端なのかもしれない。
「ミンユさんは?」
「エルフの女の子なら3階の受け取り口にいるんじゃない?何も異常がなければ今頃王都から飛んできた伝書竜が到着しているはず。理由を聞いたけれど、本当に毎日健気よね、あの子。」
ふっ、と柔らかな目をした館長さんは2階に素早く上がっていったワルトを追って階段を上がっていく。館長さんを先頭にしてコブノー、俺、カイルの順に階段を上がる。
「ここってなんで最初、あんなに暗かったんです?」
「伝書竜は暗闇を好む生き物なの。竜が好んで住むのが洞窟ということも関係があるのかもしれないと考える人もいるわ。だからなるべくお客様がいない時は竜達がリラックスできるよう部屋を暗くしているの。お客様が来れば扉に取りつけてある鈴が鳴るからすぐにわかって光を灯すから問題はないわ。」
「へぇ。竜って暗い場所が好きなんだ。館長さん一人だけでここの仕事をしているんですか?さっきから俺達以外の人を見ないですけど。そうだとしたらお一人でお仕事大変ですね。」
「アハハ!ここの仕事は私一人で出来るような仕事ではないのよ。
一人の女の子は2階に問題児の子竜の世話係でね、その子の世話にかかりっきりなの。あと5人いるのだけれど一人は本部の会議に代理として行ってもらっていてあとの4人はちょうど休憩時間で出払っているの。
それでも私を含めて7人なのだけれど。ねぇカイルちゃん、せっかくだしこの子達も含めて貴方もうちで働かない?伯母さん大助かりなんだけどな~?」
「叔母上の所に居ては身の安全が保障されん!」
「酷いわぁカイルちゃん。小さい頃は叔母上~!って駆けてきてくれたのにねぇ。」
石造りの階段を上りきるとカウンターのようなものしかなかった1階とは違い、棚がずらりと壁際に並べられている。一つ一つの棚には暗幕のように黒い布が垂れ下がってある。そのうちの1つ2つは布が上がっていて中を覗きこんでみたけれど藁がこんもりと盛られているだけだった。
じゃあ布がかかっている所はどうなんだろう?布を捲ろうとすると館長さんに手を掴まれて部屋の真ん中まで連れて行かされる。
「貴方何をしているの。せっかく眠っているのだから無闇に竜を起こすような真似をしないでちょうだい。また寝かせつけるのは大変なのよ?」
「すみません。」
赤ちゃんが寝ているのを邪魔するな、って言われているのと同じようなもんか。一回赤ちゃんが起きたら泣いて大変だもんな。
「エルフの女の子はこの上の三階にいるはずよ。三階は手紙置き場になっていてね、そこに直接お客様が手紙や物品を取りに来たり私達が届けたりするの。もちろん三階の部屋には防犯のためスタッフと同行しなければならないわ。」
「ワルト走っていったけど?」
「部屋にスタッフが一人いるから大丈夫。さっき問題児の小竜の世話をしている子がここにいないということは三階に行っているということだから。ちょうど小竜も寝ているようだしタイミングがよかったのね。」
じっと館長さんが見ている棚の一区間は何かがかじった跡や棚の素材である石が黒くなっていたりしている。他の棚にも同じような箇所はあったけどそこは特に酷かった。
「小竜のうちにしっかりと育てておかないと成長した後に処分されてしまうの。毎回あれは育ててきた側とすればとても辛いことなの。でも処分をしないと伝書竜として活躍できないのみならず、近隣に迷惑がかかるからね。仕方がないことなのよ。この子はそうはなってほしくないのだけれど。」
殺処分、か。まだ犬や猫は貰い手がいれば助かるんだけどこいつは竜だから一般人じゃ飼えないよな。殺すしかないのか。
「この子のことについて貴方に語っても仕方のないことね。さあ、三階に行きましょうか。」
今度の階段は短かった。少しすると青空が見えてくる。お?なんか面白い造りだな。止まり木みたいな棒が何本か床から伸びていてそこに手紙を結わえたちっさい竜が何匹か止まっている。床の四隅には四角い穴が空いていて背中に結びつけられている手紙をぼとりと止まり木に置かれてある籠に落とすと竜達は四角い穴に翼を広げて入っていく。
「あの四角い穴は何です?竜が入っていきますけど。」
「あれは2階の彼らの巣に戻るための通路なの。匂いで自分たちの巣を特定してあるから間違えることはないわ。竜は怒らせさえしなければ比較的温厚な性格なのよ。」
初めて竜を見たけど確かにワルトが言っていたように可愛い、の部類に入るな。目はトロンってしていて頭から短い角がピョコッて出てて。これじゃあカッコいいとは言えねぇ。俺の中のドラゴン像とはまったく違う。ちょっとがっかりだな。
金色の長髪を肩の位置で束ねている小さなエルフは海に面した止まり木の前に立って手紙を読んでいた。ちょうどこちらに背を向けていたので彼女の肩を軽く叩くといつものようにビクンッと体を震わせて俺達と顔を合わせた。俺達の顔を見ると少し驚いた顔をして目線を下に下げる。
「あ……すみません。忙しい時に勝手に抜け出しちゃって。」
「これぐらい謝るようなことじゃない。弟の安否が心配なのはよ~くわかる。それにうちのメンバーにはサラルっていう勝手に何処かへフラフラする餓鬼がいるんだ。こいつに比べたら姉ちゃんの行動は迷惑の数に入らねぇよ。」
いつも思うんだけどコブノーのおっさんって悪い例に俺を上げて話すよな。確かにフラフラしていて方向音痴だけどさ。……どうしよう。何も反論できねぇよ。
「それよりも知り合いが弟の報告書と共に同封してくれた貼り紙なのですけれど……サラルさんが盗賊だと言われているのです。これは……どういうことなのでしょうか。」
彼女が見せてくれた少し黄ばんだ紙には目つきの悪い黒髪の男と共に赤い剣が描かれてあった。え?もしかしなくてもこれって俺?ムールさんの奥さんからは聞いてたけどこんな手配書っぽいやつまで出されてるなんて思ってもなかったぞ!
「なんだよこれ!まるで俺が悪いことして追われてるみたいじゃねぇか!」
「実際追われているのですよ?サラルさん。」
「えぇっ!奥さんが言ってた内容は俺が容疑にかけられてるってことだけなんだけど!しかもそれ昨日聞いた内容だぜ!?」
「審査の結果は一日で変わる可能性が十分ある。本人がいないのであれば尚更のことだな。」
「でも僕達ずっと一緒にいたけどサラルはそんなことをしている暇がなかったよね!?」
「なぜサラルにそんな疑いがかけられてんだ?こいつはそんなこと考える程金に困ってねぇだろ。」
「国からの支援金で食べていっていると言っても過言ではないものな。だが手配をしているのであれば何故支援金を止めないのだ?金を送ることを止めれば我々は生きていけないだろうに。」
「サラルさん盗んでないですよね?ロテカさんへの行いだけでは飽き足らず盗みまでしようって言うのですか!」
「ロテカさんのは本当に謝り倒しても足りねぇぐらいだけど俺、誰の物も盗んでねぇから。」
それぞれの個性が滲んでいる意見だな。ロテカさんに俺がしたことは俺の人生の中での汚点だ。蛮行ということだけでなく俺自身も身の毛のよだつことだったから。
「とりあえず、ミンユさんとも合流できたし伝書竜駐屯所み見学できたから、ロテカさんとホウランさんに事情を聞かなきゃな。今どうしようもないことよりも先に解決できるかもしれないことに集中しなきゃな!」
「それって現実逃避じゃ……」
「聞こえない聞こえな~い!」
「「「「……」」」」
館長さんにお礼を言ってムールさん家に帰っているとなぜかたくさんの人達が港のある方面から走ってくる。
一組の若い子連れの夫婦を呼び止めると親切なことに何があったのかを教えてくれた。
「港に突然大きな蛸のような魔獣が表れ辺りにいた女達をその触手で絡めとっていくのです。若い女性ばかりなので皆必死に助けようとするのですが逆に足を絡めとられてしまったりと太刀打ちできないのです。私も加わりたいのですが如何せん妻子がいるものですから……」
「それが正解ですよお父さん。早く逃げてください!できれば事態に気づいていなくて避難できていない人達に声をかけてくれませんか?」
「それぐらいなら!しかし貴方達は逃げないのですか?」
「他のみんなはともかく俺はとってもよく切れる剣を持ってるんでこういう時に抜けるワケにはいかないんですよね。お気をつけて!」
「こらサラル!待て!」
タコだかイカだか待っとけよ!俺がすぐに捌いてやるからな!
しばらくして港に近づくと家々の間から高く空に伸びたかつてはそこに存在しなかった異物が俺に向かってしなやかに重量感を感じさせる風切り音と共に落ちてきた。




