初めてのお風呂
カイルの兄貴ん家へ着くとミンユさんとロテカさんが玄関にあるホテルにあるようなソファに座っていた。ミンユさんは俺を見るとパァァッと顔を輝かせて俺の方に走ってきてくれる。童顔なだけあってその顔は喜ぶ子供そのもので百何歳とは思えない。両手を思いっきり開いてミンユさんを抱き止める準備をしたのに、肝心のミンユさんは俺の横を通ってコブノーのおっさんにダイブする。
「コブノーさん!お帰りなさい!本当に心配したんですよ!」
おっさんの腰の辺りに抱きついたミンユさんはおっさんを見つめながらぷ~っと頬をふくらませる。ミンユさんに抱きつかれたおっさんはおっさんで
「海に落ちちまってなぁ。海蛇のカミサマに助けてもらえなかったら今頃死んでただろうな。」
「海蛇様に会ったのですか!いいですね。私ももう一度あの白い大蛇の神にお会いしたいものだ。」
「海蛇のカミサマはもう蛇の姿ではなく、髪の長い綺麗な男の姿になったぞ。奥方もみんな綺麗だったな~」
「また女の人のことばかり話しますね。私達はとてもコブノーさんのことを心配したのですからね!」
「そうだよ。ミンユちゃんなんて街を徘徊してたもんね?ロテカさんはずっと玄関に座って待ってたけど。」
「そう言うお前こそコブノー殿の心配ばかりしていたじゃないか。」
「カイルだってずっとイライラしてたじゃん!」
おうおう、俺抜きで仲良く喋りやがって。話の内容を聞いてたらコブノーのおっさんの心配ばっかしてたってのがよくわかるな。俺悲しい。
カイルの兄貴は俺達6人の中に溶け込んで違和感なく話せている。ミンユさんが彼にビビらないってことは俺がいない間に仲良くなったんだろう。俺は未だに警戒されているのにな。
この差は……そうだな、コブノーのおっさんは面倒見がすごくいいし機転がきく。ちょっと抜けている部分もあるけど頼りになるおっさんだ。
対して俺はどうだ。旨そうな匂いにつられてフラフラする。ロテカさんに失礼なことをした。魔物と戦う時だって基本的に単独で動く。
考えてみると俺ってほんと嫌なやつだな。集団行動ができないってやつ?これって旅をする上で重要なことじゃね?そりゃあ俺よりもおっさんの方が好かれるよな。
「勇者様もお帰りなさいませ。貴方のその海水でカピカピの衣服を侍女達に洗わせますわ。話の輪にも入れていないようですし、この際我が領自慢の風呂に入ってはいかが?」
カイルの兄貴の奥さん-つまりムールさんの奥さん-が一人で突っ立っていた俺に声をかけてくれた。風呂あるのか。いつも水で濡らした布で体を拭くだけだったから湯船に入れるって嬉しいな。
「お言葉に甘えて風呂に入らせてもらってもいいですか?」
「もちろんですわ。」
にっこりと笑ったカイルの兄貴の奥さんは数人の侍女さん達を引き連れて屋敷の奥へ向かう廊下を歩き始める。途中、玄関の広間でムールの奥さんと一緒にいたのにいつの間にかいなくなっていた数人の侍女さん達が白い布を持って風呂場に向かう列に加わった。
「風呂なんてものは話に聞いたことはありましたけど、実際に湯船に浸かることができるなんて思ってもいませんでした。こうして奥様とお話しできるのもカイルのお陰ですね。対して俺はカイルに迷惑をかけてばかりですが。」
敬語使うの久しぶりだな。いつも話してるメンツはため口だし旅をしていたらそんなに他人と話さないし。たまに会う商人とかも一緒にワイワイやりながら過ごすからな。
語尾が苦い口調になったけれどこればっかりは仕方ねぇ。本当のことだから。
「あら。貴方、ちゃんと話せるのね。汚い言葉遣いしか使えないのだと思っておりましたわ。何故普段からさっきのような話し方をなさらないの?貴方損をしているくってよ?」
扇で口元を隠しながらそう言ってくれる奥さん。なかなか手厳しい。はっきり言ってくれるじゃねぇか。でもこういうのは嫌じゃない。
「あの話し方の方が楽なんですよ。今の話し方だって完璧な話し方ではありませんしね。俺は軽率な人間ですから。」
こっちに生まれてからそりゃあ怖いこともあったけど、それなりに楽しく生きてきたからな。浮かれすぎてたってのもある。
「自覚はなさっているのね。自分で自覚をしているだけましですわ。これ以上ゼッツア家に被害をかけないで下さいまし。」
「被害?俺、何かしましたか?」
奥さんの声が一段階低くなった。心なしか彼女の眉間には皺がよっている。
怖い。この街に来てからコブノーのおっさんと飲んだっきりで酒は飲んでねぇんだけどな。それともロテカさんにやったみたいな無意識のうちに失礼なことをやったのか?そんなことじゃないことを祈りたい。
「貴方は今何故かは知らないけれど王都で盗みの疑いで容疑にかけられているの。被害者は王妃様なのよ?貴方がここにいるということだけでなく、弟のカイルが貴方の仲間というだけで私達は不利な状況に立たされるのかもしれないの。私達が力を落としてみなさい。今まで以上に王妃様方の勢力が力を増していく。それはここの領民だけでなくキオワ国の民達に甚大な被害を及ぼしてしまうということを指すわ。貴方はそれを分かってカイルと共にいるのかしら?」
……意味わかんねぇんだけど。いつ俺が人のモノを盗んだって言うんだ?そこまで俺、手癖悪くねぇぞ。それに今の話を聞いてるとまるでカイルの実家が王妃の権力を抑えてるように聞こえんだけど。
「カイルの実家……ゼッツア家は何かしらの力を持っていると言うんですか?」
「それはそうに決まっているでしょうが。キオワ国三大勢力のうちの1つであるゼッツア伯爵家なのだから当然に決まっているでしょう。お義父様一代でのしあがったと言われているようだけれど我が家からは有能な騎士を排出しておりますもの。早々に力が衰えるはずがないでしょう。」
……カイルって伯爵家の息子だったんだな。初耳だわ。俺ビックリ。だから王様とかとも面識があったのか?ワルトの世話を任されるぐらいなんだからそれにふさわしい家の子供なんだろうな、とは考えてたけど伯爵家とはな。この国にある伯爵家って3つしかないんだっけ。そう考えると俺ってそれぞれの伯爵家のうちの二人と会ってることになるのか。チュライ先輩とカイルと。世の中は狭いもんだなあ。
つまりは、だ。奥さんの言葉を言い換えると名家の家柄の名に傷をつけるなってことだ。それは当然のことだ。俺だってそんなことをするつもりは鼻からねぇ。でも。でもだ。
「返事がないということは理解して頂けたということでいいですわね?そういうことですので明日にはここを発って下さいね。勿論カイルはここに置いてですが。」
「……待って下さい。私がいつ人の物品を盗んだと言うのですか?私はただ旅をしていただけなのですが。」
反論すると俺の何かに気圧されたのか奥さんは、はたりと扇いでいた扇を止めたけれどすぐに同じように扇を扇ぎだす。
「そのようなことを言われても貴方に犯行をしていないという証拠はあるのかしら?仮にあったとしても王妃様に握り潰されるだけだと思うわ。」
「証拠なら私と旅をしてきた者達に聞けばいいこと。彼らと一日中共にいたのだから彼らに聞けばいいことでしょう。その上で私が盗みを働いたというならば彼らも盗みを働いたことになりますがね。」
暗にカイルも関わっていることになるぞって言ってるつもりなんだけど。真面目なカイルが自他共に悪事を許す人間じゃねぇことは長い間一緒にムールさんを仕事に向かわせるのに苦労している仲なんだから奥さんが一番よく知っていることだろうしな。
「も、もし貴方が盗人ではないとしても私達は貴方を庇いませんわよ!?貴方は私達に何の利益もないのですからね!」
「そんなことは心配しなくともよろしいですよ。貴女のお望み通り明日にはこの土地を離れますので。」
自分がしていないことで責められるのは気分が悪い。ちょうど風呂場のある部屋についたのか部屋のドアの隙間から温かい湯気が漏れてきている。布を持っている侍女さんに布をもらう。俺が笑いかけるとひきつった笑みを返してくれた。侍女さん表情筋大丈夫?
「明日までお世話になります。風呂、入らせてくれてありがとうございます。」
部屋のドアに手をかけてから部屋の前に立っている奥さん達に少し会釈してから部屋に入る。もちろんお辞儀する時にはニッコリスマイルを忘れずに、だ。笑顔は大事だからな。
塩水でカピカピの服を手早く脱いで風呂場に突撃する。確かに海水で濡れたまま過ごすのは衛生的にも悪いし周りの人も臭いだろう。この世界で風呂に入れるなんて天国だ!
シャワーはないけど少し熱いお湯を頭からかぶって床に置いてある石鹸を使って体を洗う。あ~気持ちいい!
思う存分体を入念に洗った後、お待ちかねの湯船に浸かる。ジーンと熱い湯が身体に染みる。溜まっていた疲労が湯に解きほぐされていくみたいだ。頭の上に布を乗っけてぼんやりと湯船を堪能する。い~い湯だ。
風呂場は白い蒸気に包まれて俺が入っている周りの視界は白い靄に囲まれている。湯をザバザバとかき分けて奥へ進むと突然周りの視界がクリアになり、海が一望できる所に出た。露天風呂みたいだな。いつの間に夜になったのか藍色の空に星が瞬いている。潮風が湯から出ている顔や腹部に柔らかく打ち付ける。そういや今日の晩飯食ってない。腹減った。海で食べたリルのところの飯は美味かったなあ。リル元気かな?海にいるんだから見えるかもしれない、と目を凝らして海を見たけど黒い大海原が広がるだけで何もなかった。ちょっとガッカリして湯船に腰を下ろす。
すると耳元でバシュッという鋭い音が響いたかと思うと俺がさっきまで手を置いていた木目の板の所に矢が刺さっていた。ゾッとして矢の飛んできた方向を見るけど白い空気の壁に阻まれて何も見えないまま。俺が音を起てずにじっとしていると今度は弓矢が3本俺を掠めていく。音で判断したけどいつまでもこのままだったらまずい。今の俺は丸腰の上、素っ裸。明らかに俺を狙っている弓の狙撃手の人数を確認しなきゃ何も始まらない。
「突風!!」
魔法のかけ声なんざなんでもいい。要するに自分がどんな攻撃をだしたいかを考えればいいだけだから。もっと確実にデカイやつを出したかったらワルトやミンユさんみたいにちゃんとした詠唱を唱えなきゃダメだけど俺はそこまでする気はねぇ。ぶわっと一気に白い蒸気を風で吹き飛ばすと俺を狙っていた奴らの姿が丸見えになった。黒いフード付きのマントをかぶった人物が5人。姿が見えたことで慌てたのかそれらの5人は蜘蛛の子を散らすかのように姿を消した。呆気ない終わりかただけど、さっさと逃げるなら最初から攻撃なんてしかけないでほしかった。こっちはひさしぶりのお風呂を楽しんでいるんだぜ?それにあんなことをする時ってターゲットに姿を見られたらダメなんじゃね?捕まえときゃよかったかな。
はぁ、と溜め息をついて湯船の縁に腕を組んで顎を乗せる。
それからかなりの時間を湯の中でボケッと過ごしたけど流石に逆上せそうになってきたので風呂から出る。これでコーヒー牛乳があれば最高なのにな~!ワシャワシャと髪を拭く。髪が短いと乾くのも早い。生前は腰まで髪を伸ばしていたから髪を乾かすのも一苦労だったな。ならショートカットにすればいいって話なんだけど髪を切る気にはならなかったんだよ。せっかくここまで伸ばしたしなって感じに。一緒なのは黒髪なところだな。どうせなら金髪がよかったな。髪色の種類はたくさんあるから街を歩いている人の群れを見ると目がチカチカしてくるぐらいだ。緑とか紫とか。
籠の中には脱ぎ捨てた海水で濡れたシャツの替わりに黒いTシャツとズボンが置かれてあったので遠慮なく着させてもらう。シャツは石鹸の匂いがしていてパリッとしてある。ここにいるのは明日までだけどなんか悪いなぁ。かといってどうもしないけどな。
元日本人からすると湯船にドップリ浸かれたっていうことは本当に嬉しかった。だってずっと風呂に入らないで身体を拭くだけなんだぜ?清潔っていいね!!!
そう言えばなんだか玄関の方が騒がしい。誰かが言い合っているみたいでだんだんヒートアップしていくのが2階の風呂場にいる俺にもわかる。どれだけでけぇ声なんだ?もう夜なのに迷惑な人間がいるもんだな。
ちょうど2階から1階の玄関を見下ろせるところから階下を見ると二人の鬼が言い合いを通りこして乱闘を繰り広げていた。
男と女の鬼なんだけど二人が暴れた玄関は悲惨な状態だ。あのフカフカしたソファはバッキリ真っ二つに割れてるし窓ガラスも所々割れている。あ~男が投げられたせいで今度はドアが犠牲に……おい。人の家をどれだけ壊したら気がすむんだお前ら。
「蕗啼霞!!私と契ろう!」
「何故私よりも弱いお前と契らねばならない!するわけがないだろう!」
「じゃあ私が蕗啼霞に勝てばいいのですね!いざっ!!」
「お前が私に勝てるわけがないだろうがあぁ!!」
女の鬼がめり込ませたパンチに仕留められた男の鬼はピクピク痙攣しながら伸びてしまった。ねぇ、俺が風呂に入ってる間に何やってんの?やっと1階の被害現場に駆けつけてきたこの屋敷の奥さんの表情は鬼のような形相だ。俺を見つけてキッと睨み付けてくるけど俺、関係ねぇからな。ホント。




