勝負にならない
サラルは既に立っているのが困難な様子で、谷の岩壁に左手をついてやっと立っている状態だが、対する大鬼はしっかりとした足取りでサラルに一歩一歩近づいていく。
「勇者の坊主、そんな体では俺が楽しめんではないか。その酒に弱い体質を治してこい。」
「うっさい大鬼様!わはひはふつーですー。あんたがぁザルなだけぇ~!」
その前にお前は酒を飲める年齢に達していないことを忘れてないか?忘れてるんだろうな。
大鬼が片方のみに刃がついてある剣をサラルの肩へと降り下ろす。サラルはよろよろと後ろに下がって際どいところでその攻撃をかわす。
「ん。刀を使うのは危ないな。拳でいくか。」
そう言った大鬼は腰の鞘にその奇妙な剣を戻すとサラルに向かって殴りかかる。サラルはまたしもそれを避けたが大鬼の拳が壁に当たると谷の岩壁にとてつもなく大きな亀裂が入り、大岩が頭上から大量に降りかかり、地面が大きく揺れ動く。 もちろんその岩は俺達観客にも降りかかってくるので目の前に落ちてくる大岩を回避しながら他の者達はどうしているのかと周囲を見ると鬼達は自分の剣や拳、鉄で出来た棍棒などで降りかかる岩を打ち砕いていた。男のみならず女もだ。平然とした顔でやってのけているところを見ると岩が落ちてくることは彼らにとって日常茶飯事なのかもしれない。
真下にいたサラルと言えばなんと紅ノ剣を盾にして岩を防いでいた。流石は紅ノ剣というか刀身に触れる岩を悉くまっぷたつにしている。
岩の落下がかなりましになるとサラルが大鬼へ紅ノ剣を引きずりながらよろよろと歩く。
「鬼達様ばっかじゃなくて、私もぉやるもんねぇ~!」
大鬼へと剣を構えるが構えた途端に地面に両手をつき、胃の中のものを吐き始めた。
「……手合わせはできなさそうだな。次回にしよう。」
「さっきまで我慢できてたのにぃ~!すっごい地面が揺れるから我慢できなくなっちゃったじゃん!!」
見ていて情けない図だな。大鬼が慰めるようにサラルの頭を撫で、サラルは吐瀉物を撒き散らしながら大泣きをしている。これが我らの勇者かと思うと……友として少し悲しく思う。
「もう嫌だああああああ!!!」
サラルはドロドロとしたものを口から垂らしながら紅ノ剣を遠くへ投げ飛ばす。どうして剣を投げる!?剣が折れたらどうするんだ!
案の定、紅ノ剣は谷の奥の先程まで宴を開いていた場所の最深部へ飛んでいく。ワルトの安全が心配になり、急いで駆け寄るとワルトと女のいる個室は何ともなく相も変わらず女の喘ぎ声が部屋から漏れている。どうなっているのか心配で中をそっと覗くとなんと女とワルトの態勢が逆になっており、ワルトが女の上に跨がっている。ワルトが積極的に行為に及んでいる気が……この短時間で何があった?いや、これ以上は考えないでおこう。俺の精神的負担が増えるだけだ。
紅ノ剣が突き刺さっていたのはなんとも高価そうな、しかし趣味の悪いおどろおどろしい色をした玉だった。鬼の一人に肩を貸されてようやく紅ノ剣まで辿り着いたサラルは玉から剣を抜き取った。
「これ大事にされてるみたいだけどひび割れちゃった。ごめんね?」
謝るサラルだったが寧ろ大鬼は嬉しそうな顔をしている。
「なに、気にすることはない。べリアルが我々を封じ込めている玉なのだから。完全に破壊されていないことが残念だ。」
「え、何?あの糞野郎の玉なの?壊していい系?壊していいの?」
「壊せるものならそうして貰いたいが、それは我らの剛力でもっても砕くことのできぬ……」
「じゃ、壊すね。」
サラルは大鬼の言葉を遮ると紅ノ剣を躊躇なく玉にぶつける。すると小さくひびの入っていた玉は粉々に割れてしまった。
玉がバラバラに砕け散った時、鬼達の身体がボウッと青白く光りだした。どんどん彼らを包む青白い光は大きく膨れ上がり、谷底が青白い光で満ち溢れたかと思うと鬼達の身体から一斉に空に向かって飛んでいく。空に滲むかのように消えると空に突然現れた膜のようなものが真ん中から徐々に青白い光に焼かれるかのようにめくれあがっていく。光に焼かれた膜の向こう側には星の瞬く夜空が広がっていた。
「封印が破れただと……!?」
「おおっ!やっと外に出られるぞ!」
周囲の鬼達は一様に驚いた顔をしている。中には涙を流している者もいる。
「星を見ることが出来るとは……。五千年ぶりだ。」
大鬼はそう言うとサラルの頭を撫でくりまわす。
「しかし、あの玉はお前達人間が信仰するべリアルの物だったが本当に良かったのか?それにお前達にとって我らは恐ろしい異形の存在なのだろう?」
「そりゃあ神様を信じてる人もいるだろうけど私元からそういう類いのことは信じないしぃ。私が見た限りじゃぁあなた達はたぶん悪い人じゃないだろうしぃ?それに誰があんな糞不審者信仰するかっつーの。なんで自分を殺したやつを拝まなきゃならないわけ?するわけないじゃん。むしろ死んでほしいね!」
「お前も何らかの形でかの神に被害を被っていたのだな。」
しみじみとした顔でそう言う大鬼にサラルは笑いかける。笑うのはいいが、いい加減口元の吐瀉物を拭ってほしい。
「でもこれで大鬼様はこっから出られるじゃん!よかったね!」
「そうだな。だが呪いの影響はまだ続いている。現に我らの額には角が残っている。これは他の我が兄弟達の封印を解かねば解けんのだ。」
「そっか……。じゃあ、私が他の人達の封印とかを解くね!どうせあの糞野郎のことだから、自分が気に入らなかったり容姿が良くないってだけで切り捨てたんでしょ?紅ノ剣は神の剣とか言ってる人もいるけど、今は私の剣なんだし?あいつを殺すのに仲間が増えるんならちょうどいいわ。俺がやる。必ずやってみせる。」
……先程神を殺すと言わなかったか!?勇者が倒す標的は魔王の筈なんだが、サラルは大鬼達の感情に感化されてしまっているようだ。本来のこの旅の目的を忘れてしまっている。
「それでは俺達の本来の目的に反することとなるぞ!一時的な感情でそのようなことを軽々しく言うんじゃない!」
「……カイル、俺がこんなことを冗談半分で言うわけねぇだろ?この人達はなんにも悪いことをしてない上に俺達よりも強い力を持ってるのにず~っと長い間ここに閉じこめられて自分達に理不尽なことをしたやつに刃向かえもできないんだぜ?そんな人達をほっておけるかよ!」
「お前は鬼達に良くされたせいで鬼達の話を信じすぎている。第一かのべリアル神がそのようなことをするとでも?確かに美女を好むきらいはあるが紛いなりにも俺達の祖先を魔王の軍勢から救って下さったじゃないか。それにお前は今、勇者だ。勇者が神と敵対する者達になってどうする!そんな者は勇者ではあるまい!」
感情的になってしまった。最後の方はほぼ叫んでいた。俺をどこか冷めた目で見ているサラルは馬鹿にしたように笑っている。
「悪いなカイル。俺はその神とやらを信じていないんだ。お前がそんなに神を信仰していたとは思ってもいなかったからついつい自分の意見をお前に押しつけちまった。そうだな。さっき言ったことはただのひとりごとだ。気にするな。」
先程の言葉が独り言のはずがないっ!
「まぁそう怒んな。信仰なんて人の自由だろ?俺もカミサマなんて信じてないぜ。俺は産まれた時から顔は良くないからカミサマには助けてもらえないだろうしな。自分の腕と運を信じてるね。」
「そうだよカイル。僕だって神様は信じてないもん。僕が辛い目に合っていた時、どれだけお祈りしたって神様は僕を助けてくれなかったからね。」
ワルトとコブノー殿の声が俺の背後から俺に呼びかける。
「……勇者の仲間達でここまでべリアルのことを信仰していないのは珍しいのでは?」
「そうかもしれないな。だけど1つの考えだけでまとまってる集団よりはマシじゃねぇ?」
「そうかもしれん。では約束通り、太刀を2本やろう。だがこれだけでは封印を解いて貰った礼にはならん。何か他に欲しい物はないか?」
「いらねぇ。これ以上荷物が増えたら大変だしな。じゃ、みんなも集まってきたしそろそろ上に登るよ。」
「そうか。達者にな。次回こそは存分に戦おうぞ。」
「そうだな!あんたが満足できるかはわかんねぇけどな!」
大鬼がサラルに鬼達が持っている2本の妙な剣を渡し握手をする。サラルの背後で恐ろしい形相をした女がいるがサラルは気づいていない様子。
コブノー殿も酒を共に飲んでいた鬼と何やら力比べのようなことをしていたがあっさりと負けてしまっている。だがその後には名残惜しそうに鬼と話している。ワルトは未だに目を覚まさないミンユ様を背負ってこちらに来るとワルトは人指し指で俺の眉間を突く。
「カイルは怖い顔しちゃだめだよ?君は元から怖い顔なんだからね。それとさっきの信仰についての話だけど、そんなに気にすることじゃないと思うよ。封印の話だって、そこに封印されているのが今回みたいにいい人達じゃなかったら僕達がサラルを止めればいいじゃないか。この人達の角は消えないことになるけど。」
ほら行くよ、と空に浮遊しワルトはミンユ様にも浮遊魔法をかけて上へ上へと上昇していった。彼に続くかのようにサラル、コブノー殿、大鬼率いる鬼達も飛んでいく。サラルはきっと何か勘違いをしているのだろう。後でじっくり童話や神話でも聞かせてやろう。俺も鬼達に混ざって地上へと向かった。
勇者一行(勇者のぞく)が山裾の街を立ち去り、祭りの後のような気持ちになっていた街の住人達は朝方山の空を見て驚いた。先頭には昨日見送った勇者一行が飛び、後に続くようにこの街に言い伝えられている伝承とここ何百年と噂されている鬼達が街に向かって飛んできていたからだ。一目散に逃げ出した住人達が大半だったが街の老人達とその老人達の話を信じる若者達は鬼達を快く街に迎えた。のちに街を訪れた者は鬼と人が街で共に暮らしているのを見ることになった。




