第3話 水浴びとはそのままの意味だよ
くすんだ水色の髪は肘の辺りまで伸びており、金色の瞳には未来への希望なんてものが全く無い。
着せられているのは最低限の――布切れと形容しても問題はないような服だった。
年齢は十四歳くらいだろう。
まだ未発達――もとい発展途上な身体付きをしているが、奴隷として生きている限りはどうなるか分からない。
他の奴隷と変わらない、見ているのが辛くなるような姿。
でも。
だけど。
彼女の容姿的特徴は、姉さんにそっくりだったのだ。
今思えば、その後の行動はもう無意識下の衝動的なもので。
「すいません、この子いくらですか?」
壁に背を預けて体育座りをする少女は、膝の間に顔を埋めて目元だけでこちらを伺っている。
奴隷商人は僕の視線に気が付き、即座に紹介をしてくる。
「リオネーラですか。こちらへ来なさい」
奴隷商人の言葉を受けたリオネーラなる少女は立ち上がり、僕等が立つ側まで来て礼をしながら言った。
「初めまして、リオネーラです」
平坦な声だった。
彼女が姓名を名乗らず名前だけを告げたのは、それが奴隷のルールだからだ。
姓名を名乗る事が出来無い、というか、奴隷は姓名を剥奪されるらしい。
こんな下らないルール、誰が考えたんだか。
奴隷商人はそんな彼女を細い目で見た後に続ける。
「彼女は年齢が一四歳と若く、処女ですが――」
「そんな事はどうでもいい」
思わず低く少しドスが聞いた声が出てしまった。
興味無えんだよそんな事は。
リオネーラと名乗った少女は僕の発言に心底驚いたような表情を浮かべている。
だが、奴隷商人的にはそれなりに重要な話だったらしく、
「いえ、実はリオネーラは呪術に掛かっておりまして。魔力が扱えない――魔術が全く使えないのですよ。性奴隷として売ることも考えたのですが、身体に多くの傷があるので……。それらが理由でほかの奴隷より安いですが……」
「……、」
「あ、後々いちゃもんを付けられるのは、コチラとしても迷惑ですので……」
奴隷商人は僕の顔色を伺いながら歯切れ悪くそう言った。
そう考えれば確かにそうだが、僕はまずそんな事しないだろう。
する必要もない。
呪術ぐらいどうとでもなる。
それが理由で安くなっているのなら好都合だ。
「なんでもいい。早く値段を教えてください」
「き、金貨二十五枚、二五万レギンでございます」
「分かった」
それによって残金が五〇〇〇〇レギン弱になることを理解した上で、構わずに金貨二十五枚を奴隷商人の掌に乗せる。
頭の中には、その後の事なんてこれっぽっちも浮かんでいなかった。
――そして今、リオネーラを泊まっていた宿の自室に連れ込み、頭を抱えていた。
マジで何やってるんだ僕は……。
そうだよ、彼女の名前はリオネーラであって、リリアン=ウェスペルなる姉とは頭文字の『リ』しか合っていないような他人なのだ。
あの奴隷商人にも紹介されたし、彼女自身にも名乗られたじゃないか。
僕の姉とは全くの別人なんだ。
そもそもここはあの時から三〇〇年後の未来で、そもそも死んだはずのリリィ姉さんがこんなところにいるわけがなかった。
――でも僕はきっと、リリィ姉さんにそっくりな彼女を見捨てるなんて事は出来なかっただろう。
……。
抱えていた頭を上げてリオネーラの方を見る。
彼女の状態は奴隷商の館にいたときと何も変わっていない。
栗色の布服を着ていて、水色の髪は汚れの所為で、瞳は奴隷という身分の所為で、それぞれくすんでいた。
表情はほとんど無。
奴隷として人に買われても尚表情一つ変えないというのは、もう自分の人生というのを諦めてしまっている証拠なのだろう。
なるようになる。
どうせ自分にはもう、自由なんて無い。
彼女の態度は、そう言った感情をありありと映し出していた。
これも何とかしなきゃいけない事の一つだろう。
勢いで買ってしまった事を嘆いても意味はない。
僕は取り敢えず、極めて優しい口調を心がけてリオネーラに声を掛ける。
「え、えーと……」
……まず、どうすればいいんだ?
彼女に対してやるべき事が多い所為か、最初に何をすればいいかが纏まらない。
ええい、ままよ。
「破壊」
右眼を閉じた僕がそう呟くのと同時に左の瞳に口では形容し難い違和感が走る。
続けて身体中を駆け巡る軽い痛み。
そして、左眼から何かが流れ頬を伝う感触。
僕があるものを手放して手に入れた力の一つ。
『破眼』。
別名『悪魔の瞳』。
あらゆる魔力に纏わる事象を破壊する、諸刃の剣――もとい諸刃の瞳だ。
左眼から流れる赤い液体は血。
身体を襲う痛みも含め、破眼を使う際の代償である。
「ご主人様、眼が赤く……血も……」
突如眼から血を流したり瞳が赤くなったりする事で瞳を揺らして微かに驚くリオネーラを無視して、僕はその力を行使する。
目標は奴隷商人が言っていた、彼女に掛けられた呪術の破壊。
魔力を操作できなくなるという、過去に何度か聞いた事があるソレを解くことだ。
「……ッ」
左眼を中心にズキリとした痛みが走る。
少し頬が引き攣ったが、それを無視した僕がリオネーラに掛けられた呪術を視て、それを標的として力を展開した。
直後、パリンッというガラスが割れる様な音が宿の中に響く。
――呪術の破壊に成功したようだ。
「……っ!?」
きっと魔力の感覚を取り戻したのだろう。
言葉にならない小さな声を出して自分の身を確認する。
……いくら身体を見回しても何も手掛かりは出てこないよ。
僕はまだ痛む左眼を閉じ、配備された布で流れた血を拭う。
元々傷ついていた身体を余計悪化させてしまったけど、まあ別にいいか。
本当は奴隷紋――別名隷属術式も破壊してよかったのだが、今の状態で変な気を起こされては対処に疲れる。
変な気を起こされずとも、『破眼』を使用するのは身体が堪える。
結局、疲れるわけだ。
おそらくリオネーラはそんな事をしないだろうけれど、念のためだ。
「ふぅ」
身体に大きな怠さが出初めて息をついた時、ようやくリオネーラに見つめられていることに気が付いた。
……女性が意中の異性に向けるようなものでは勿論ない。
純粋に、この現象に対する疑問だろう。
「お言葉ですがご主人様」
「どうしたの? それとご主人様じゃなくて……ああ、まだ自己紹介もしてなかった」
リオネーラを買って宿に着くまでの間はずっと無言だったし、宿の部屋に入って正気に戻った途端に頭を抱えていたのだ。どこにも自己紹介を割り込ませる余地はない。
「えー、と」
そしてここで、本名を名乗ることを躊躇った。
これは非常に自分で言う事が憚られる内容だが、ヴァルクロア=ウェスペルと言う名は過去三〇〇年前、それなりに通ったものだった。
『第一級冒険者』だったという事もあるし、何より僕が所属していたクラン『陽無き世界の支配者』がそれなりの功績を残しているからだ。
まさか自分が三〇〇年後も名前を知られている有名人だ、なんて調子に乗ったことは考えていないが、微粒子レベルでもしかしたら、知ってる人もいるのかもしれない。
そも、そんな過去の人間の名前を名乗るとか痛すぎる。
まああまり深く考えるものじゃないな。
「僕の名前はヴァル。よろしく、リオネーラ」
「はい、ヴァル様。よろしくお願いします」
様付けされるのは非情にむず痒い状況なのだけれど、それをやめろといってもリオネーラは断りそうだから、頃合を見て伝えよう。
なんてことを考える僕にリオネーラは平坦な声で続ける。
「今のは一体何なんでしょうか?」
答えるのは少し難しい。
ペラペラ話す内容じゃないと言うのはもっともな理由だが、何より伝えた所で彼女は知らないだろう。
破眼――これを使える人は、僕が知る限りでも四人だけしかいない。
もっとも、それも三〇〇年前の話だから今はもう確実に死んでいる。
まあ、教えてあげるくらいならいいか。
「……原理は僕でも知らないんだけど、これはあらゆる魔力に関する事象を破壊することが出来る力だ」
痛む左眼を指で差しながら伝える。
「君に掛けられていた呪術は魔力――『障器』によって出来ていた。だから、僕の左眼で破壊できたってこと」
相変わらず無表情なリオネーラだったが、信じられないという感情がよく伝わってきた。
クールビューティというやつなのか、奴隷としての身分の所為で情動が死んでしまっているのか。
前者であって欲しいと思いつつ、僕はそれを見て苦笑を浮かべるしかなかった。
「さて、と」
考えることは他でもない、リオネーラについてのことだ。
ほとんど勢いで奴隷商から買い連れてきてしまったが、はたして僕は彼女をどうしたいのか。
僕は彼女をどうするべきなのか。
奴隷として連れると言うのは端から選択肢に入っていない。
魔力を扱えないという呪術を破壊した今、彼女は頑張れば魔術を行使できる状態にある。
とすれば取り敢えずは、彼女が一人でもこの過酷な世界を生きていける様に鍛えるべきか。
分からない。
でも、それが一番有力な手段なのは確かだ。
『魔抗の首飾り』を売ったことで纏まった金は出来たが、それだっていつかはなくなる。
奴隷だったリオネーラに居場所なんてものはない。
彼女を食べさせてあげるのにも金は必要だ。
きっと最低限の食事しか取れてなかったのだろう、身体はやせ細っている。
それもなんとかしなくちゃな。
取り敢えず……
「その格好を何とかしよう」
彼女が着ている布服もその身体もかなり汚れている。
まずは風呂に入れてそれを綺麗にするべきだろう……と思ったのだが、この宿は銀貨十五枚と格安の値段で泊まれる場所。
ほとんど寝床としての役割しか果たしていない。
部屋に風呂、もしくはシャワー室なんてものはなかった。
だが、聞いたところどうやら下に水浴び場があるらしい。
そこを使わせてもらうか。
「じゃあリオネーラ、今から水浴びをするからついて来て」
「分かりました。紹介された通り初めてですので拙いかもしれませんが、精一杯ご奉仕させていただきます」
「違う」
あまり感情を表に出さないと思っていただが、こんな台詞さえも表情を変えずに言うのだから内心少し驚いた。
勿論、僕はそんな事をさせるつもりはない。
……いや、そりゃあ僕だって男だからそう言った欲はある。
でも今のリオネーラに欲情するほど、人間ができていないつもりはない。
「僕はそういうことを君に強要しない。取り敢えず今は、その汚れた身体を綺麗にしてもらう。分かった?」
「……はい、分かりました」
そんな驚いた表情をするってことは、やっぱり女の奴隷には性的な扱われ方をする、というのが常識として植えつけられているんだな。
考えるのはよそう。
気分が滅入るだけだ。