第22話 獣との遭遇 前編
本日更新三話目
緑が生い茂る深い樹海だった。
太く背の高い樹木が幾つも伸びていて、表面にびっしりと苔を生やしたソレは空中で畝っている。
近頃雨が降ったのか地に生える短い草の表面を水の雫が滑り、木の葉の隙間から差し込む陽の光によって輝く。
そんな、どこを見ても緑が広がる樹海の中で、一際目立つ建造物があった。
古く朽ちた遺跡だ。
「……リリィ、本当にここ入ってくの?」
そんな遺跡の前には二つの人影が存在した。
溜め息混じりな声を出したのは十代半ばの少年だった。
この世界では珍しい黒い髪に黒い瞳を持ち、フード付きの黒いコートを羽織った中肉中背の体格、両手には黒い手袋と全身を真っ黒で覆っている。
ヴァルクロア=ウェスペル。
全く別の世界の日本という国で生まれたが、事故で命を落として気がつくとこの世界で転生していたという奇妙な過去を持つ少年である。
どちらかといえばインドアだが、陰気ではない、落ち着いた雰囲気を纏う少年。しかしその実態は僅か十五歳で『高位術式』の一端を扱う凄腕魔術師だ。
「入るに決まってるでしょー、こんな面白そうなところ! 絶対になんかお宝が眠ってるって!」
心踊るのを顕著に表す声音でそう答えたのは、ヴァルクロアより二つ年上の実姉にあたる少女。
艶のある綺麗な水色のショートヘアに金色の瞳。真っ白い陶器のような肌が特徴的だが、その格好はアマゾネスという単語を彷彿とさせるような扇情的なもので、黒いパレオと胸巻きそれだけだった。
リリアン=ウェスペル。
体質的理由が働いて魔術を扱う事は出来ないが、上等な魔力操作技術によって身体強化を自在に操る前衛職だ。
「ぶっちゃけ僕はもう帰りたいんだけど……目的の薬草だって全部集めただろ。しかも足元とか濡れててブーツの中まで湿ってきてるし」
「いやねー、ヴァルは男の子でしょ? そんな事くらいでグチグチ文句言わないの」
「でもさぁ……この崩れた壁の瓦礫で閉じられた入口はどうするんだよ?」
そう言いながらヴァルクロアは周囲を見渡してみるも、目の前の瓦礫で封じられた入口以外にそれらしきものは見当たらない。
「瓦礫退ける為に魔術なんて使いたくないよ?」
「じゃああたしが何とかするからいいよーん」
リリアンはそう告げるのと同時、魔力操作による身体強化を行った。
体に流れる魔力を強化したい部位――今回は脚へと集中的に送り込む。
ドクン、とリリアンの中で身体強化の際特有の感覚が巡った。魔力と言う神秘的なエネルギーによって強化された部位に力が漲る。
同時に、地面を蹴った。
「セイッ!」
一直線に山積みにされた瓦礫の下へと跳躍した彼女は、鋭い掛け声と同時に空中で一回転――回し蹴りを繰り出した。
ゴバッッッ!!! と、馬鹿みたいな轟音が炸裂する。
勢い良く振り回された脚、その踵が瓦礫の山の中心に激突したのだ。普通の人間の膂力をはるかに超えた威力の蹴撃は手で押すくらいじゃビクともしない山を粉砕し、吹き飛ばす。
大量の土煙が巻き上がる中、ヴァルクロアは目を閉じて口元を手で覆った。
しかしそれだけではガードしきれずに小さく咳き込む。
「ちょ……リリィ」
流石にうざったく感じたヴァルクロアは汎用の下位術式を演算。続けて展開する。
「風流」
発生したのは渦状の風。それは音を立てて宙を舞っていた煙を払い飛ばした。
汎用風属性下位術式。
風属性魔術の中で最も簡単な術式で、その効果は単純に『風を生み出す』。
「……そんな強引な退け方するなら先に言ってよ。結局魔術使っちゃったし」
煙が晴れた先には、回し蹴りによって前方へと吹き飛んだ瓦礫の跡と、シュタッ! という効果音が付きそうなポーズ――回し蹴り後の着地による――で構えるリリアンの姿があった。
溜め息混じりで言ったヴァルクロアに振り向いた彼女は笑いながら、
「ヴァルならそれくらいの魔術どうってことないでしょー? 聞いたよ、噂。黒フードの凄腕魔術師! あたしが怪我の療養で休んでいる間に、可愛い女の子を助けたって言うじゃない。ひゅーひゅーかっくぃい!」
口の横に両手を当ててヴァルクロアを煽るリリアン。続けて、あたしはあれくらいの怪我で戦えなくなるほどやわじゃないのに、と愚痴る。
「べ、別人だろ」
「えー絶対ヴァルでしょう! 黒フードなんてそうそういないよ? なんだっけ、髪の毛と瞳が黒いのが珍しくて目立っちゃうから被ってる、だったっけ?」
「……そうだよ」
溜め息混じりで朽ちた遺跡の入口奥に立つリリアンに続いて中に入っていくヴァルクロア。
樹海ということもあって、天井は太い樹の幹や木の葉によって覆われており、差し込んでくる陽の光は少ない。
その上での遺跡という事で薄暗い周囲を見渡したヴァルクロアは、即座に術式の演算に入る。
「光球」
汎用光属性下位術式によって出現した光の玉、その数は計四つ。
それを自分の周りに浮かばせ、その状態で保たせる。
「……人目が多いところだと、フードが無ければ目立つからね。あまりそういうのは得意じゃないんだ。まあ、これをしててもよく見たらすぐバレるけど」
言いながら今は下ろした状態のフードを触る。
リリアンは徐にヴァルの隣へ移動し、その黒髪を撫でて微笑みながら、
「そっかぁ。あたしはヴァルの黒髪、綺麗で好きだけどなあ。わざわざ隠す必要ないと思うけど」
「――っ、だから、リリィしかいない時は極力フード外してるだろ!」
唐突に発せられたリリアンの言葉に吃りながらも、ヴァルクロアはそう言い放った。
この姉は唐突に恥ずかしい事を口にする。
そんな事を思いながらヴァルクロアは遺跡の奥へと向かって歩き出す。
「ほら、行くならさっさと行って、早く迷宮都市に戻ろう」
「ふふふ、照れなくてもいいんだよーんヴァル」
「照れてないし!」
プンスカという擬音語がつきそうな様子で奥へと歩いていくヴァルクロア。
そんな彼の後を、表情に優しい微笑みを浮かべたリリアンは続いていった。
※ ※ ※
遺跡の中を動き回っている間、魔物との遭遇は一切なかった。
不気味なくらいに、一度も。
道中、天井が崩れて道が塞がれている場所は、例によってリリアンの回し蹴りによって粉砕。強引な手法で開通させて進んでいく。
中にはこれといって目を引くものはなく、ただ暗い道が続いているだけだった。
「……リリィ」
「な、なにかな」
「……何もないんだけど」
「そ、そうだね……」
短い会話だったが、ヴァルクロアが不満を募らせ、リリアンが申し訳ない気分になっているのが分かるものだった。
本当に何もない。
「この道の先が最後だぞ」
「き、きっとそこにお宝が眠ってるんだよ」
まだ諦めていないのか、とヴァルクロアは大きな溜め息をついた。
相変わらず暗い遺跡内を光球の光で照らしながら二人は道を進んでいき、調べていない最後の場所、大きな広間に出る。
直径四〇メートル近くある円形のホール。
その円周を囲う様に円柱の柱が幾つも立ち並んでおり、上を見上げれば外と同じ木の葉のカーテンが広がっていた。
天井は崩落した等ではなく、元々無かったらしい。
そして中央には如何にもお宝がありそうな祭壇がある。
一通り見渡したリリアンは興奮した声音で、
「ほらほら、だから言ったでしょ! 絶対お宝が眠ってるって! ここなんか明らかにそんな感じじゃん!」
「……腑に落ちない」
むくれた表情でそう言うヴァルクロアは、一旦光球を解術した。
リリアンはまるで子供の様に両手を広げてくるくると回りながら探索を開始する。
ヴァルクロアもそれに習って何か無いかと探し始めた。
しかし十数分後、
「なーんかお宝がありそうには見えないんだよなぁ。天井の抜けた広いホール。中央の祭壇。まるで何かの儀式を行う場所だったかのような……」
件の祭壇を除いて粗方調べ尽くし、結局何も見つける事が出来なかったヴァルクロアは顎に手を当てて思案する。
彼の感想には今更だがリリアンも同感の様で、
「うぅ、絶対何かあると思ったんだけどなあ」
肩を落としながら、最後まで調べなかった祭壇へと近づいていく。
「ここに何もなかったら本当の意味で無駄足だね!」
「リリィの所為だからね!?」
「まあまあ。折角冒険者になったんだから、冒険しないと損でしょ?」
「開き直るし……」
「だ、だって皆、お金稼ぎしか考えてないから全然冒険者っぽいことしないじゃーん!」
「そ、それはクラン設立の為に仕方なく……」
確かにリリアンの言う通り、早くクランを設立する為に報酬効率の良い依頼ばかりを選んでいた。
今回はたまたま、何時もより遠くに出掛ける依頼をリリアンが見つけてきて、その報酬も良かった事から依頼を受ける事となったのだ。
ヴァルクロアは後頭部を掻きながら、
「ま、まあいいや。それじゃあさっさとその祭壇を調べ――」
言葉は最後まで発せられなかった。
歩んでいた足は突如ピタリと止まる。
「何ー? どうしたのヴァ……ル……?」
急にヴァルクロアの動きという動きが全て止まったのを見て不思議に思ったリリアンも、ようやく『場の異常』に気がつく。
空間に滞留する魔力の中の一つ――『障器』が一点に集中していくのを、ヴァルクロアとリリアンは肌で感じとった。
直後。
ヴォン! と。
まるで空気が爆発したかのような音が炸裂し、続けて耳にノイズの様な雑音が届く。
肌にヒシヒシと伝わってくるのは酷い悪寒だった。
決して快いものには感じることのない悪感。
それは二人の全身を粟立たせ、その身体を硬直させる。
祭壇の真上。
そこの一部だけ、空間が黒く歪んでいた。
――顕現する。
「魔王……ッ!」
歯を食いしばったヴァルクロアが絞り出す様な声を紡いだ。
本能は今すぐ逃げ出さなければいけないと、警報をガンガンと打ち鳴らしている。
だが、肝心の体が言う事を聞かない。
あの光景から、視線を外すことができない。
歪んでいた空間に黒にも紫にも見える何かが姿を現し、磁石に引き寄せられる砂鉄のように集まっていく。それは徐々に形を象っていき、やがて明確な輪郭を生み出す。
その光景は『悍ましい』の一言で片付ける事が出来るだろう。
ぶるりと身体を震わせた二人は、そして見た。
およそ二メートルはあるだろう全長。
その全身に茶色い体毛を生やした、一見猿にも見えるような容姿だった。
だが、身体の骨格は明らかに猿のそれではなく人間のもので、挙句顔面は狛犬のようである。
浮かび上がったのは、一言。
「"獣"――」
(全体的に改訂予定。エピソード自体がらりと変わる予定。まあ内容は変われど、エピソードのラストは変わりません。)




