第1話 勘弁してくれ
「……ハッ!?」
とかいうテンプレ起床ボイスと共に僕は目を覚まし、勢い良く起き上がった。
同時にミシミシと身体が軋みを上げる。
「ギャッッ!!??」
主に脇腹の辺りと肩の付け根、そしてふくらはぎの三箇所にビキリとした酷い鈍痛が走った。
超痛え……。
そう言えば最後、普通は一人で行使するようなレベルじゃない術式を一人で展開したんだった。
正確に言えば最後は別の術式だけれど……むしろアレがトドメを刺してきた感じだ。
――動く気力も無く、鋭い痛みが走る身体を丸めて痛みに耐えること数分。
ようやく痛みが収まってきた。
脇腹を手で撫でながらゆっくりと態勢を戻して僕は周囲を見渡す。
そして唖然とした。
目を覚ました場所は、自宅でも、クランホームでも、あの『獣』との戦闘があった荒野でも無い。
――何処かも分からない、森の中だった。
背の高い樹木が立ち並ぶ若干薄暗い森。
無数に生える樹木の奥を見ようと思っても、何処までも続く薄暗闇がそれを遮りよく見えない。
暗闇には慣れているから大丈夫だけれど、そうじゃない人なら間違いなく心細くなるような、静寂に包まれた暗い世界。
とは言え木の葉のカーテンの奥には青空が広がっていて、陽射しもあることから、今がまだ昼間だということはすぐに分かった。
「……一体、どうなってるんだ?」
視線だけで辺りを見渡しながらボソリと呟く。
最後の記憶は……間違いない。
無理して神威術式を一人で行使した代償として身体を痛めつけ、あの死ぬほど憎い『獣』をこの手で殺し、支える事も出来ずに地面に倒れた。
あの場所で気を失ったんだ。
ともすれば。
導き出される結論は……僕を除く四人の内の誰かがここまで運んできた、のか?
でも、何の為に。
常識的に考えれば、あんな軍勢と戦って疲れた仲間逹はすぐにでも宿に帰りたいと言うだろう。
何より、疲労困憊で倒れる僕をいつ魔物が現れるかも分からないこんな森の中に寝かせておく様な奴らではないはず。
辺りには仲間逹の気配は存在しない、欠片も感じ取ることができない。
少なくとも周囲近くにはいないようだ。
だとすれば余計におかしい。
理解のできない不可解な現象を突きつけられて、頭の中が疑問符で一杯になっていく。
ふつふつと。
嫌な予感が湧き上がっていく。
額に汗を浮かべて思考の海に浸かっていると、右方向からまるで狼の唸り声の様な耳障りな音が聞こえてきた。
他に何かをしていても、並行的に索敵へと意識を配分しているため、熟練者が気配を消しでもしない限りは何かが引っかかるのだ。
本来は、ね。
今はちょっと、難しいけれど。
その気配は僕を標的として捉えたのだろう。
ザッと土を蹴る音が聞こえ、その気配が飛び掛ってくる。
――鬱陶しい。
「死ね」
右手の人差し指を向けるだけ。
そんな簡単な動作と共に、向けた人差し指の先を小さな旋風が包み込んだ。
続けて、その渦の中から無色透明の刃が出現し、風切り音を発しながら空中を疾駆する。
触れただけで指が飛んでしまうのではないかと思わせるような『風の刃』は、高速で回転しながら対象の気配を通過した。
『ギャイン!?』
悲鳴が聞こえる。
放った風の刃に身体を真っ二つにされたのだろう。
切れ味の程は理解している。
おそらく断面図は鮮明なものだ。
チラりと視線を向けると、その先では既に身体を灰のような残りカスへと豹変させた対象が……風に流されて消えていった。
魂石。
まあ、魔物にとっての心臓に当たる核のことだね。
奴らはこれが破壊されれば例え肉体に傷がなかったとしても、全身を灰に変えて消えていくのである。
ちなみに今僕が使った術式。
風撃の刃。
風の属性を持つ魔力『風器』を使用して演算する汎用風属性中位術式。
分かりやすく言うと『カマイタチ』を放つ魔術だ。
いくら疲労困憊で傷ついていようと、流石にそんじょそこらの魔物に殺されるほどやわじゃないよ。
今の一連の事態で逆に頭が冷静になったのだろうか、思考の海から引き上げられる様な感覚と共に冷や汗が引いていく。
「……ふぅむ」
このまま考えてても真相にたどり着ける気はしないし、座り込んでいても何も始まらないから取り敢えず移動する事としよう。
まずはここが何処なのかを確認して、次に何とか仲間逹と合流したい。
「よっ、と」
膝に手をついてゆっくりと立ち上がる。
こうでもしなきゃ結構な痛みが来るからね……森を出られるのはいつになることやら。
痛みとまではいかないがミシミシと嫌な音を鳴らす身体に舌打ちしつつ、僕は移動を開始した。
道中、先程襲いかかって来た狼の魔物――『ウェアウルフ』に何度か襲われたが、全て風撃の刃一撃で葬りつつ歩む足を止めなかった。
でも、やっぱり怪我の存在は大きい。
移動にかなり時間をかけてしまった。
傷の治りを促進させる治癒の術式もあるけれど、如何せん僕には適性がないから使えない。
もどかしい気分になりながらも、右足を引き摺りつつ歩き続けてようやく森を抜けた。
それにしても深い森だったな。
太陽は真上にあったと思っていたのにもう夕方だよ?
薄暗い森の中を淡々と歩き続けていたお陰か、突き刺さってくる夕暮れの陽射しが目に痛い。
「……町だ」
森を抜けて、丘の向こうに目を見やるとそこには小さな町があった。
それにしても、ここから結構な距離があるね。
まだ歩かなければいけないのかと重い、長い溜息が口からこぼれ出た。
いい加減身体が痛いし、ついでに貧血気味なのか凄いダルい。
そもそも僕は一体どれくらいの間眠っていたんだ?
少なくともあの辺境の荒野、その近くにこんな森は無かったから、一日以上は経過してそうなんだけれど。
もう訳が分からない。考えるのは止そう。
……どうせあの町に着けば、ここがどこで一体いつなのか聞ける。
身体の状態だって果てしなく悪い。
早く柔らかいベッドの上でたっぷりと睡眠をとって身体を休めたい。
安眠に対する執念の様なものが作用したのか、足を引き摺りながら道を進む事何十分か経過した。
時間を数える事に力を割く気など無かったから、どれくらい経ったのかわからない。
気が付けば僕は町の前に立ち尽くしていた。
「ついた……」
きっとベッドに倒れればそのまますぐにでも眠りに落ちてしまうだろう。
そろそろ夕食時だろうが、到底そんな事をしている余裕も気分も無い。
腰のベルトに金が入った袋があるのは既に確認済みだ。
宿の一部屋くらいは普通に取れる――と思う――額が入っている。
立ち止まっていた僕は、寝床を求めて町の中へと足を踏み入れた。
目の前に広がる町の風景。まず初めに視線を惹きつけるのは赤煉瓦の屋根と石材建築の家々だ。
イメージ例を上げるなら、地球で言う現代ヨーロッパの建物とか。
……ただ、何か妙な違和感を感じる。
建物のデザインというか特徴というか雰囲気が、僕が知っているものとは若干違っている気がするのだ。
でもまあ、ここが辺境の小さな町だというならそれだけで説明がつく。
町往く人々はごく一般的な布の服を身にまとっている。
これもまた、自分の知識と違ってデザインが豊かになっている気がした。
おかしい。
おかしいぞ?
一体なんなんだこの違和感は。
奇妙に思いつつ、それどころではないと思うくらいにはベッドが恋しい僕は宿を探して歩き回る。
そして十分ほど歩いた頃、宿を見つけた僕はその扉を開く。
ドアに取り付けられたベルの心地いい音に反応した宿主らしき老婆が現れた。
「こんばんわ、お一人様で?」
「はい。取り敢えず一泊したいんですけど……」
「では一五〇〇レギンとなります」
銅貨一枚一〇レギン、銀貨一枚一〇〇レギン、金貨は一〇〇〇〇レギンとなっている。
僕は女将さんの言葉に従い、ベルトに吊るされた布袋の中から銀貨を一五枚取り出して、差し出された手のひらの上にそれを乗せた。
途端に、女将さんが目を細めた。
「申し訳ありません。こちらの銀貨は現在使われておりません」
「……え?」
意味が、分からなかった。
女将さんはまるでそれが常識的な反応とでも言うかのような自然な発声でそう言った。
目元に掌を近づけて銅貨を確認しながら。
「これは……かなり古い貨幣ですね」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「?」
「あの……それって一体どういう意味なんですか? 『かなり古い貨幣』って。ちょっと、上手く言葉の意味を理解できなかったんですが……」
口の端が引き攣っているのがわかる。
森の中で目を覚ました時よりも明確で、且つ大きい嫌な感覚が、再び足元から這い上がってくる。
僕が持っていた銅貨が、古い?
だって、だってそれじゃあ、その言い方はつまり……、
「いえ、これはおそらく三〇〇年程前の貨幣でしょう?」
「……、」
開いた口が閉まらない。
三〇〇年程、前?
ちょっと、待て、まてマテまテ待TE。
なら僕は、あの『獣』と戦った後に三〇〇年間もの間眠っていたっていう事になるんだよ?
常識的に考えてそんなことはまず有り得ないだろう。
人間って言うのはそんなに長い間眠りに付く様な生き物では無い。
こんなことは、態々確認を取るまでもない常識である。
まさか、まさかまさか。
……おそらくこの推測は、間違っていないことだろう。
天を仰ぎたい気分になって上を見上げたが、屋内だったため目に付くのは天井のみ。
それでも構わず上を向いたまま僕は、呻く様な小さい声で呟いたのだった。
「――転生の次は、タイムスリップかよ」