第12話 朝を奪いし夜之王
「おっと」
「これは……」
僕とリオネーラの声が重なる。
同時に、二人して現れた巨体を見上げていた。
僕の二倍以上の全長を持つソレの顔面を見上げるのから、リオネーラはきっと首が痛いことだろう。
なんて呑気な事を考えている間にも、ソレはのっしと重々しい動きで脚を一歩踏み出す。
巨大な熊だった。
身体を焦げ茶色のパリパリとした硬い体毛で覆い尽くした、全長およそ四メートル程の大熊。
腹回りには山吹色の体毛が転々と見られ、それは何かの模様を象っているようにも見えた。
人間の脆い身体なんて容易く吹き飛ばしてしまいそうな、木の幹程ある太い腕や脚。
指先に伸びる鋭い爪は夕暮れの光をギラリと反射させて僕等を威嚇する。
どこを取っても『デカい』の一言で表せそうな巨体。
顔面では荒れ狂うような金色に輝く鋭い瞳と額に同色の角、そして最近付けられたのだろう真新しい目の上の傷が目立っている。
隻眼っていうやつだね。
「どうやら、僕等は知らぬ間に森の深い所まで来ていたらしいね」
「そのようですね」
僕の言葉にリオネーラが間髪いれずに肯定する。
あんな巨大な熊を見ても彼女の言葉に気負いや緊張、恐怖といった感情は見られない。
今まで通りのフラットな声音。
まったく、肝が座っているというのか、ただ単に敵の強大さを理解出来ていないのか、はたまたそういった感情がもとよりないのか。
個人的には前者の方がありがたいのだけれど。
「どうするのですか、ヴァル様?」
「何が?」
「相手は強力な魔物だと思われますが」
「そうみたいだね。少なくとも、第二級以上の冒険者じゃなければ単独撃破は難しい相手かな。武器も……それなりの業物じゃなければ攻撃を通すのは難しそうだ」
見た感じ、あの身体を覆っている体毛はちゃちな刃のナイフとかは弾きそうだ。
体皮に関しては攻撃してみなければ分からないけれど、容易く切り避ける程やわではないと思う。
なんて冷静に考えている間にも、視線の先の大熊は僕等を標的に定めてゆっくりと動いている。
――すぐに走り出さないのは、最近付けられたらしい目の傷が原因かな。
大方、相手を格下だと思って油断しているところをグサッとやられた、そんな感じか。そりゃあ注意深くもなる。
でも今は殺気とかの類は全部消してるから、そこまで警戒する必要もないとは思うけれど。
頭の弱い魔物なら直ぐにでも襲いかかってきて、油断しているところをぶっ殺してやる様な状況だよ、今の僕は。
「戦うのですか?」
「……うん。ウェアウルフみたいな相手だと少し物足りなく感じてたんだ。丁度良い、今の状態の近接格闘で何処までやれるか、試してみるかな」
その場で軽く飛び跳ねて身体の調子を確認する。
うん、ヘマして殺されるような事はまず無い位には体調も回復してきている。
大丈夫だ、問題ない。
とは言え、勿論人間の通常強度やら通常攻撃力やらでは、あの大熊にダメージを与える事はまず無理だろう。殴ったとして、自分の手首とか腕とかが逆に折れるのが安易に予想できる。
「身体強化」
身体強化中位術式。
魔力操作による身体強化とは違って使い勝手の良い代物だ。
属性魔力を行って演算する術式だが、使用属性はその効力に全く影響を与えない。
炎器を使おうとも、水器を使おうとも結果は同じなのだ。
だから僕は取り敢えず、今一番滞留量の多い『土剛器』を利用して準備を進める。
続けて、
「剛石の籠手」
術式の展開と同時に、僕の両手――肘より手前までを覆うほどの籠手が出現した。
その名が示す通り、灰色の石によって作られた籠手だ。
ただ言うほど簡素な見た目ではなく、緑色の紋様が刻まれ淡く輝いている。
魔術によって顕現する魔法具。
刻印魔術を使って魔術的な施しを受けた物――つまり、媒体となる本体がある魔法具には威力・効力共々劣るものの、身体強化と共に組み合わせれば十分に扱える術式だ。
「さて」
低い呻くような威嚇の声を聞きながらも、僕はその場で半身になって大熊を睨みつけて挑発するように指をクイッと動かす。
「始めようか」
※ ※ ※
「グォォォオオオオオオオ!!!」
低く、重く、腹に響くような咆哮が炸裂し、挑発に乗った大熊が両前足まで地面に付けて四足で全速疾走を繰り出した。
元々僕と大熊の距離は数十メートルしかなかった為、あっと言う間にそれを詰めてきた奴は、走っていた勢いに乗せて巨大な掌を振り上げる。
腕を破壊する事は容易だ。
それどことか、奴を一撃で殺すことさえ容易である。
でも、それじゃあこの戦いの意味がない。
あくまで腕ならし、感覚を取り戻すための戦いだ。
一撃で殺してしまうような術式を使って倒してもなんの意味もない。
「何処までやれるか、耐久レースだ大熊君」
轟音が炸裂した。
振り上げられていた大熊の掌が地面を砕き、粉砕された地面の破片が周囲へと吹き飛ぶ。
右にステップする事で攻撃を回避していた僕は、飛んでくる破片を剛石の籠手で弾き落としながら、大熊の真横へと移動する。
そのまま身を捻るようにして剛石の籠手が嵌められた左腕を真横に薙いだ。
籠手が大熊の左横腹を背後から殴る。
ドッッ!! という身を叩く鈍い音が響き、重ねるように大熊の悲鳴が轟いた。
「まさか、この程度でギブアップとかないよね?」
一応手加減はしたつもりだけど……如何せん最後に戦ったのが『獣』だし、それ以前もある程度強い魔物しか相手にしてこなかったから、力加減がイマイチ上手くいってないかも。
「それとうるさい」
言いながら、その場でしゃがみこんだ僕は右脚を伸ばしてその場でターン。
大熊の太い脚を払った。
盛大に転けて地面と熱いキッスをする大熊。
物理的に悲鳴が籠って小さくなる。
軽い調子で後ろに跳ねて距離を置いた僕は、呻きながらも起き上がろうとする大熊を見据える。
「凄いですね」
後ろからの声。
リオネーラだ。
「……そう? ありがと」
謙遜は時に嫌味になる、という言葉を思い出して僕は微笑みながらそう返した。
実際、褒められて悪い気分はしない寧ろ気分が良くなるのは事実だ。
これは決して異世界転生による恩恵だとか、神様がミスしてしまって「ゴメンネ、お詫び」みたいな感じで貰ったチートだとか、そういうものではない。
僕が自分の力で。
自分の意思で手に入れた力だ。
アドバンテージは幼い頃から十七歳の知能を持っていた事だけ。
それに加えて僕は、姉さんを守りたいという一心だけで己の力を高めてきた。
努力してきた。
後ろめたい事なんてある訳がない。
「やっと立ち上がったか」
やっぱりダメージが強すぎたのかな?
よろめきながら立ち上がる大熊の姿は大きなダメージがあるように見える。
「苦しそうですね」
「そうだね」
「まだトドメは刺さないんですか?」
「魔物に対して『早く楽にしてあげよう』とか思うほど甘い人生を送ってきたつもりはないからね」
自分と、そして自分の大切な人の命に危険を脅かす者は排除する。
あの時にそう誓ったんだ。
「……おい、おいおいおい」
大熊の様子を静かに見据えていた僕は、目の前の光景に思わずそう声を漏らしていた。
よろめきながらも完全に立ち上がった大熊は怯えるような眼で僕の方を見た後、背中を見せて一心不乱に森の奥へと逃げ出した。
今の少しの間だけで僕の実力を測りとったのか。
その能力だけは認めようと思うけれど、折角の腕ならしの場をぶち壊しにされるのは少々納得がいかないな。
それに、
「逃がすと思った?」
全力で前方に跳躍した僕は、逃げる大熊の真横を一瞬並走する間にそう語りかけると剛石の籠手で大熊の右胸を殴る。
巨体が勢い良く吹っ跳んだ。
僕と戦っていた位置まで転がっていった大熊は、砂煙を撒き散らしながらその場でピクピクと痙攣する。
……それにしてもリオネーラ、少しは驚いたりたじろいだりしてもいいんじゃないかな。
あの巨体が自分の方に向かって跳んでくるんだよ?
避けるなりなんなりの回避行動をしてくれないと、万が一の確率であたっていたかもしれないのに。
そんな事はしないだろうと信頼されていたのだとしたら、僕はデレッと破顔するのだろうけれど。
無表情だからそこまでは分かりっこないよ。
「危なかったです」
「……そう思うなら少しは逃げようとしなよね」
フラットな声に返しながらも、起き上がろうとしない――もしくは起き上がれない――大熊の元へと歩み寄る。
これはもう、無理だね。
「仕方がない。最後にアレ、試してみるか」
空を見げながら呟く。
視線の先では黄昏に染まる雲の少ない空が広がっていて、それがもう夕刻だと示している。
樹々も赤く染まり、周囲の光器はその滞留量を減らし相対的に闇器の量が増してきている。
初めての魔術行使でリオネーラも顔には出さないが疲れているだろう。
早く帰って夕飯にしよう。
「獲物は慎重に選んだ方がいい」
夕暮れ空の下、量の少ない雷器を使って術式を演算しながら言う。
「僕に刃を向けたのが間違いだったね」
「『夜之王』、敵に慈悲無し」。
よく言われてきた言葉を思い出しながら、僕は言霊を紡ぐ。
「『雷撃の槌』」
轟音と共に、雷撃が大熊の身を打ち抜いた。
「――お前にもう、朝は来ないよ」




