プロローグ
『━━━━尚も事件は続いており、『神隠し事件』の真相は謎を深めるばかりのようです』
テレビからアナウンサーの無機質な声が我が家のリビングに届いてくる。
この事件を聞いて、思わず顔を歪めてしまうのは、多分、身内にそうなった人物が居るからだ。
俺の名前は景村曖斗、『今は』普通の高校二年生だ。しかし、これが三年前までは『普通』じゃなくて『異常』だっただろう。なにせ、俺はこの事件によって一度、妹である結華を失いかけていたのだから。
「……ご馳走様」
隣で静かに立ち上がった結華は、そそくさと二階に上がっていく。
景村結華、『神隠し事件』の第一被害者にして、唯一の帰還者。結華は失踪から三年後、俺が高校一年生を終えようとしていた頃に、ふらりと戻ってきた。俺は勿論、両親も驚いて、結華を出迎えた。結華は三年間の記憶を失っているのか、故意に話したがらないのかは分からないが、明細に話をしようとはしなかった。
「(……犯人は、まだ彷徨いているんだ…)」
何時も食べていた朝食、それが最近やっと味が分かるようになってきた。
結華が消えてから三年、俺は犯人を見つけたら斬り殺す勢いで自己鍛錬に励んだ。
まずは形からだが、剣道部に入部した。その後空手部も掛け持ちし、尚且つ週末の短い時間ではあったが合気道も習った。兎に角、身につけられる範囲での武道には手を出した。お陰で鈍りきっていた体は今やスポーツマンのそれと遜色ないレベルまで鍛え上げられた。
そんな生活に一年間程で慣れて、俺は夜中も見回りに勤しんだ。
『神隠し事件』の犯人が犯行を行う時間帯は、割と夜中が多かったからだ。
受験を含めて俺に難関は何度も立ち塞がったが、俺は結華の為に必死に努力した。
剣道では全国大会三位、空手部では団体で全国優勝、合気道は黒帯まで上り詰めた。ストイックなまでに俺は自分を痛めつけた。それは結華を失ってしまう原因が、少なからず俺にもあったからだ。
「(そうだ、俺があの時結華と喧嘩なんかしなければ…)」
結華が失踪する前日、俺は結華と珍しく喧嘩をした。
普段は結華と仲の良い俺だが、その時ばかりは激しく怒った記憶がある。喧嘩した内容は直後の事件のインパクトによって掻き消され、今では『珍しく喧嘩して、珍しく怒った』程度の記憶しかない。
怒られた結華は、夜にも関わらず家を飛び出していった。
「(……ヤツを探さなきゃいけない。犯人から、全部聞き出してやらないと…!!)」
自分に対する落とし前、結華に対する償い。
俺がすべきことはただ一つ、犯人を追求し、地獄の果てまでも追い詰めて、この手で捕らえる。
「…ご馳走様」
「はいはい、お粗末さま。結華の分も下げてくれる?」
「ああ、分かった」
母の静江に命じられるがままに、大分中身の残ったお椀を重ねて運ぶ。
結華が戻ってきて三ヶ月が過ぎた。父さんや母さんは特別意識したりしないよう、結華がいた頃と同じように接している。結華も結華で、編入という形で高校へ入学した。全てが元通り、というわけではないが、俺達家族が送っていくはずだった日常に、より近しい形にはなっているはずだ。
だが、それでも。
「(……今夜も、また探しに行かなきゃな)」
復讐、いや、贖いに近い、自責の念を振り払うべく。
かつて俺と結華が送った日々を取り戻すべく。
俺は今夜もまた、犯人を捜す為に、捕らえる為に。
竹刀を背中に背負って、街中を駆け回る。
◆ ◆ ◆
午後十一時半 俺は何時も通り軽いストレッチをして街を駆け巡った。
ここ数年同じ活動を続けていたせいか、異様にスタミナが付いてしまった。
同じルートを何度も何度も往復して行く。例え苦しくても辛くても、立ち止まってはいられない。
「(……必ず、見つける!)」
俺は重くなった足を無理に動かし続けた。
既に全力疾走で街中を幾度も駆け巡って三十分が過ぎた。後二時間程走って、見つけられなければ一度家へ帰宅する。その後四時間程度の睡眠を取り、早朝の見回りを行う。
つまり、残された時間の中で、どれだけ相手に近づけるかがキーポイントなのだ。
「……クソ!」
思わず言葉にして苛立ちを吐き出した。
結華を攫い、見ず知らずの中高生をその手で消し去った謎の犯人。別に俺は正義のヒーローじゃないけれど、見え透いた悪に対して何の制裁も加えない程臆病でもなければ、小心者でもない。
結華に対する罪の意識だけが、俺の身体を覚醒させていく。
そうして走り続けて一時間が経過した。
久々にフルで一時間半駆け回り続けた結果、疲れてしまった俺は近くの公園のベンチに腰を下ろした。
この公園は自宅から二キロ程度の距離にある。
「(…後、一時間)」
ぼーっとしていく意識を覚醒させるため、携帯したスポーツドリンクを勢い良く飲み干す。
それから数分間、ただ目を閉じて疲れを取り除く。
その時だった。
「こんな夜中に出会すなんて……これは運命なのでしょうかね?」
「!?」
目を見開き、ギンッ、と鋭い眼光を向けた。
公園の入口に、ぼんやりと長い人影が見える。
アイツは何者だ? などと悠長に構える事はしなかった。
何せ、結華から唯一聞き出せた特徴が、ピッタリとこの不明瞭な存在に当てはまったからだ。
「…神隠し事件の犯人、だな?」
「ご名答。私も有名になったものですねぇ……今まで何人消してきたことか」
「…そうか、それさえ分かれば良いんだ」
「何が━━━━」
瞬間俺は、自分でも驚く速度で相手の懐に沈み込んだ。
背中に背負った竹刀をスラリと引き抜き、相手の右肩に打ち付ける。
だが。
「危ない危ない」
渾身の一撃は見事に外した。相手はいつの間にか俺の背後に回っていたのだ。
俺は振り向きざまに相手の顔面目掛けて鋭く一撃を放つ。
それも、ひょい、としゃがみ込む動作であっさりと躱されてしまう。
しかし、俺はその間に出来たラグを利用して即座に距離を取った。
「クッ…!」
「おやおや、近頃の高校生は竹刀なんて携帯してるんですかねえ? 全く物騒ですよ」
そう言うと、相手は高笑いを始めた。まるで狂ったかのように、ケタケタと。
俺は初めてその人物に対して明確な恐怖を覚えた。コイツは、普通じゃなく、圧倒的に異常だ。
そして、それ故に身体が強張り、相手の放った拳が右頬に鋭く刺さった。
「ぐあッ!?」
「…余所見しないでくださいよ。折角血湧き肉躍る、そんな闘いが出来ると思ったんですから」
「ク……ソがぁぁぁぁぁぁ!!」
倒れた状態から俺は飛び起きた勢いそのままに鋭く竹刀で顔面を突く。
しかし、それを指一本で止められ、竹刀の先を人差し指でくしゃりと曲げられてしまう。
俺は咄嗟に折れた竹刀を横一閃に薙ぎ、そのまま左手で顔面を抉るようにして殴る。
「!」
この行動には驚いたのか、相手はノーバウンドで1m以上は軽く吹き飛んだ。
「はぁ……はぁ……」
その代償として、俺の体は極限まで疲れきっていた。
今まではやっと見つけた怨敵を前に、アドレナリンが溢れるほど分泌し、過度の高速移動をしても、体への負担は少なかった。しかし、相手を殴り飛ばし、決着が着いたとなると、流石に体から力が抜けていく。全くもって不愉快だ。
「クソ……野郎が…! だけど……勝った、勝ったぞ…!」
それでも、俺の全てを大きな多幸感が包んでいく。
やってやった。この手で、ヤツを裁いてやったんだ。
その意識に囚われるまま、俺はその場で天を仰いだ。
だが。
「…ク、クク…。近頃の高校生は、腕っ節まで強いですかねえ…ククク…!」
「な、に…!?」
俺は反動的に体を無理に引き起こした。
よく見れば、暗闇の中で人影がゆっくり、じっくりと蠢いている。
「甘いですねえ…! その程度で、私を倒せるとでもお思いですかぁ…!? このクソガキめ…! 私に一発くれやがって……万死に値する!!」
語尾荒く、相手は突進してくる。
しかし、既に力を失った俺の体は、まともな防御姿勢を取ることもできず。
ボキリ、と肋骨を折りながら、俺の腹部に拳がめり込む。
「あ……がァ……!?」
「アハ、アハハハハハ!! いい音ですねえ! 愉快愉快! アハハハハハハハ!!」
苦しい、辛い。折れた肋骨部分を抑えつつ、蹲る。
そんな俺を見下すように、相手はギロリと睨みつけた。
「ククク、いいですねえ。貴方のような人材をお待ちしてたんですよ…!!」
そう言うと、鉄仮面か何かを脱ぎ捨てた。
その下に表れたのは、その犯人の表情、だが、俺は言葉が出なかった。
「女……!?」
そこにいたのは、狂人のようなイカれた男ではなく、愉悦に満ちた笑みを浮かべる女だった。
ボーイッシュにワックスで若干固めた髪型は、夜の闇に溶け込むような黒色。瞳だけは血のように濃い赤色。体型はどう考えても男性なのだが、身長が今思えば若干低い。
「アハハ…! 実に面白いですよ、貴方。そこまで狂ったような剣を振り回すのはどうかと思いますが、またこれも一興…! 貴方の存在が、私の中で愉悦になるのは目に見えて分かる…!! ククク、アハハハハ!! これで貴方も、『英雄』の仲間入りだ!」
「なに、を……!」
「苦しいんでしょう? 喋らない喋らない……ククッ!! なぁに、大丈夫ですよ。これから痛みも次期消えていきますから。と言っても、殺すわけではないですがねえ」
「……! ま、さか…!」
「そうそう、その目です…! あぁ、イイですねえ、快感ですよ…!! こうやって絶望した瞳を私に向けながら消えていくんですよねえ! 貴方の存在もそうです……大切な人を守れず、そして剰え大切な人を一度『消した』相手に消される…! 身悶えしそうですねえ、どうですかぁ、今の気分は…!」
目の前の女は、やはり狂人だった。
瞳孔が開き切り、口元から涎を垂らし、まるで溢れ出る快感に耐えられないかのように狂った笑いを夜空に響かせる。敵を跪かせ、抵抗できない相手に向けて消失の恐怖を植え込んでいく。
「…クソ、野郎だな。全く、……気分が悪い…。こんな、生き遅れの、ゴミに、俺が…!」
「ゴミ、クソ…? 先程から口が悪いですねえ。少し耳障りですし、さっさと消してしまいましょう」
そう言うと、女は右手の手袋を外した。
そして何やらボソボソと呟くと、右手の甲にある何かが紫色に妖しく輝き始めた。
「さぁ、さようなら。名も無き勇者……」
何故か、最後につぶやかれた言葉は、今までと違い慈悲に溢れるような優しい声だった。