“呪”という名の魔法文字 4
「待って下さい」
エイラは混乱する頭を押さえ、メルの話を制止する。
"呪"というのが死を司る禁断の魔法文字だとするならば、何故自分からそのようなものが出てくるのだろうか?
そもそもその"呪"を開発したのが昔のデール帝国だというのならば、何故それが山脈を隔てた竜の国に存在するのだろう?
エイラが考えあぐねていると、メルもエイラの疑問を察したのかエイラを気の毒そうに説明を続ける。
「禁忌と言ってもですね、用途は限られてるんですよ。死した肉体への反魂と使役。兵力を減らさずに戦争を行う為の魔法でしたから、それ以外で使う事はありませんでした。ですが……正直ボクも初めにお嬢さんを見た時は驚きました。生きた人間からあれだけ大量の"呪"が出てくる事なんて本来あり得ませんから。いえ、"呪"自体が出て来る事がまずあり得ないんですが、お嬢さん、話を聞くに竜の国の人でしょう? 他国の人間からこの文字が出てくる事もまたあり得ない……いえ、あってはならない事です」
メルにそう言われてエイラは顔を青くして先程メルやライムに言われた言葉を思い出していた。
「あの、"呪"は完全に解けていないって……まだ私の中にあの文字があるという事ですか……?」
エイラが尋ねれば、またメルは眉を顰めてギュッとエイラの両手を握ってくる。
「ネクロマンサーの残党が勝手に広めてしまった"呪"とはいえ、酷い事をするものです……お嬢さんの状態はですね、生きたままでありながら、魂の使役を行おうとした結果だとライム様が仰っていました。生きているけど死んでいるのと変わりがないあやふやな状態なんです。僕、そちらの方は専門ではないので、経験則でしか言えませんが、それが半年も続いたとなると、かなり時間が掛かると思いますよ。解呪を行わないと魔法を掛けた人間が何処へいてもお嬢さんを追って来ようとするでしょう」
「そんな!一体どれ位で解けるものなのですか!?私はゆっくり寝ていられないんです!急いで帝都へ向かわ……ない、と……大変な……事、に……」
エイラは思わず叫び声を上げると、頭がくらりと傾くような感覚に襲われる。
膝にあったトレイが食事を乗せたままガシャリと転げ落ち、メルは慌ててエイラを抱えた。
「駄目ですよ、そんなに興奮したら。本当に"呪"は抜け切ってないんです。お嬢さんがこうなった理由とか色々気にはなりますが、まずは治す事を考えて下さい。食事を作り直して来ますから、横になって待ってて下さいね」
「でも……本当に……いそが、ないと……」
メルに身体を横たえられたものの、先程叫んだ所為だろうか?
エイラの頭の中にまたぼんやりとした靄が掛かってくる。
不快ないつもの感覚によって、エイラの額からまた汗がぽつぽつと噴き出し始める。
メルは転げ落ちたトレイを椅子の上に置くと、慌ててエイラの額の汗を拭い、机の上から薬を取るとエイラの口に流し込んできた。
ミントのような清涼感が口の中に広がる。
しかし薬の味を確かめる間もなく、エイラはまた意識を手放した。
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ぼんやりした意識と覚醒した状態を幾度も繰り返し、エイラはなす術もなく更に二週間近い時間を質素なベッドの上で過ごす事になった。
目が覚めればメルが食事を運んで来て、まどろんだ状態の時はあのライムと呼ばれた青年が必ず呪の処理の為に現れる。
不思議なのは、エイラが目を覚ますとライムはすぐにいなくなってしまう事だ。
これだけ長い時間ここで過ごしているのに、毎回ともなれば、まるで自分を避けているような気になってくるのも、おかしくはないだろう。
「私はライムさんに何か失礼な事をしてしまったのでしょうか?」
食事中にエイラがそう呟けば、メルがキョトンとして首を傾げる。
「失礼な事をする程会話をしている所を見ていませんが……何故そう思ったんですか?」
「寝ている間は確かにいらっしゃるのに、目が覚めると直ぐにいなくなってしまうので……何か、気に障るような事をしてしまったのではないかと……」
会話らしい会話どころか、挨拶すら殆どした記憶もない。
それとも単純に女性が苦手なのだろうか?
せめてきちんとお礼くらいは言いたいのだけど……。
エイラが悶々として黙り込むと、それを否定する様にメルがアハハと笑い返してきた。
「違いますよ。あれでいて割と忙しい方なんです。最も自分で忙しくなるように自分を追い込んでるんですが……。ダメなんですよね〜。いくら言っても聞く気がないんですから。一つの事に夢中になると、目もくれずにそっちに没頭してしまいますし、ちょっと目を離した隙にフラリと居なくなって、数日帰って来ないなんてザラですよザラ! でも目下お嬢さんの具合が悪くなりそうになるとちゃんと帰って来てますから、これでもかなり珍しい事なんですよ? ボクの見立てではあれは間違いなくーー」
「……どけ」
噂をすればとばかりに、メルの話を遮る形で、エイラも起きているというのに、珍しく件のライムが部屋の中へとずかずかと入ってくる。
慌ててメルが席から離れれば、むすっとした様子で、ライムはどかりとメルが座っていた椅子へと座り、がっしりとエイラの頬を掴み、またいつかの様にエイラの目を覗き込んできた。
(あ、髪が目の中に……)
つい気になって、エイラがまた手を伸ばせば「止めろ」とライムは嫌そうに手を払う。
ライムはエイラから手を離すと、こちらの気も知ったことではない様子で、腕を組んで何かを思案し始める。
エイラとメルが暫くその様子をじっと見守っていると、徐に机の上から幾つかの薬を手に取り、慌ただしく部屋を出て行ってしまった。
ライムの行動の一部始終を見守り、エイラがぽかんと呆気にとられていると、壁際に立っていたメルが、はぁ……と溜息をついて肩を落とした。
「すみません。ボクの勘違いだったみたいです……お嬢さん今、確実にライム様の研究対象になってます……」
「はぁ……」
エイラは魔法の事は最低限の知識しかない為よくは分からないが、どうやら彼らはそれなりに高度な魔法を使える魔法使いらしいという事だけは、ここ暫く彼らと一緒に過ごして理解は出来た。
もしかしたら彼らなら帝都へ行かなくても……いや、いくら高度な魔法を使える魔法使いがいると言ってもたった二人。
城の人間を相手にするには流石に人数が少なすぎるし、きっと手に余るだろう。
やはり帝都へ向かう他ない。
しかもここで世話になってもうだいぶ日数が経ってしまっている筈だ。
もしかしたら頼みの綱のマウリも既に……。
そこまで考えて、エイラはぶんぶんと首を振る。
(しっかりしなければ。今行動を起こせるのは私しか居ないのですから……)