自意識過剰に罰当たり 7
エイラはライマールに手を引かれて、再びソファーに腰掛ける。
そうして言われた質問に対してしばし考え込んむ。
「心当たりと言われれば、香ぐらいしか思い付かないのですが……」
「香?」
「叔母……リル・シルディジアが、領地で最近になって量産するようになったという香木を、献上品として納めたんです。下層地区に住む、以前旅をしていたという方から譲り受けた物らしくって……。竜の国のでは樹木自体が珍しいものですから、香木ともなると更に値が張ります。それをなんとか量産できないかとシルディジア領で試行錯誤を繰り返して、ようやく形になったと自慢げに話していました」
初めは不快感など感じなかった。
ほんの少し、サンダルウッドの匂いが強いなと思う程度で、寝る前に少し焚いておけばぐっすりと眠れてむしろ気分が良かったくらいだ。
「……それが習慣になった頃には何故か頭がぼーっとして……いつの間にか香の匂いが微かにするだけでも目眩を起こすようになっていたんです。それに気が付いてからは香を捨てるようにしてたんですが……。あの姉弟が目敏く見つけてすぐに香を炊き直してしまうんです」
あの匂いを思い出して、エイラは思わず口元を押さえる。
ライマールは青ざめるエイラを見て、なにも言わずにテーブルに置かれたお茶をそっと差し出し、エイラに飲むように促してくる。
差し出されたお茶をゆっくりと飲めば、あの薬を思い出す、ミントの爽やかな味が口の中に広がった。
エイラがホッと息をついてお礼を言おうとすれば、ライマールは片手でそれを制止して、なにか思考を巡らし始める。
「サンダルウッド……白檀…………違うな。それじゃない。香はあくまで催眠作用しかないはずだ。……それとも寝ている間になにかされたのか?」
ライマールの呟きに、メルが真っ青になってまた立ち上がる。
「な、なにかって……なにかって何ですか!? ……そんなっ! まさかっ! よ、よ、嫁入り前のお嬢さんなのにっ! どどど、どうしたらっ!?」
青くなったり赤くなったり忙しいメルに、呆れ気味にライマールは肩を落とした。
「何を考えている? お前は少し落ち着きというものを身につけろ。リータは嫁になど行かんぞ。嫁ぐというのであれば俺の方だろうが」
「それは、そうですけど………。今、そこ、問題じゃないですよね!? てってっっていっ貞操……っ」
貞操の危機だと言いたいのだろうが、メルも流石にそれ以上口にすることができないらしく、そのまま真っ赤になって言い淀む。
どうやらライマールはそこでようやく合点がいったらしく、メルの後頭部を思い切り叩いて、不機嫌そうに怒鳴りつけた。
「馬鹿をいうな! 俺はそういうことを言ってるのではない! 余計な心配をして話を逸らすな!」
二人の言葉にエイラもまさかと顔色を失くしてしまう。
ソルテは同性だし、ロアもまだ幼いので、メルが危惧するような心配は流石にないと思うものの、我が身に起きたことを考えると、知らぬ間になにかしらのよからぬことをされていたとしても、何らおかしくはないかもしれない。
その結果があの状態だったのであれば、やはりあまりいい気はしない。
「……問題ない。メルの杞憂だ。……それに俺は…………」
落ち込むエイラに気がついて、ライマールが何かを言いかけたものの、途中でモゴモゴと言い淀む。
長い前髪の隙間が少し朱に染まっているような気がした。
エイラがどうしたのだろうと首を傾げると、ライマールは居心地が悪そうにゴホンと咳き込み、立ち上がる。
幾分体調がよくなったのか、後ろの机から一つの瓶を手に取り、お茶の並んだテーブルの上に置いて、ライマールは表情を改めた。
「……俺が知りたいのはコレだ。お前を蝕んでいたこの薔薇の実がいつ、どのタイミングでお前の体内に入り込んだのかが知りたい。香以外になにか勧められて口にしたものや、触れられて呪文を紡がれたような記憶はないか? 見覚えのない魔法文字を見たとかでもいい。思いつく限り話してくれ」
そう言われても……とエイラは困惑した表情で首を捻る。
「香以外にとなると全く思いつかないです。それに……」
言いかけて、エイラは続ける言葉に逡巡する。
この実を取り出された時は、脱力感が酷くてて気が付かなかったが、今はソレの気配に心当たりがあるような気がした。
ただ、割と国家機密に触れる部分だったので、この場で話すのは……とエイラは逡巡する。
エイラの困惑した様子にライマールも頬を歪ませ、エイラの顔を覗き込んできた。
「もしかして……コレ自体がなんなのかを知っているのか?」
「……おそらく、ですが……。でも……あの……言わないと駄目ですか?」
「絶対に知られてはマズいものなのか?」
訝しげに腕を組むライマールに、エイラは戸惑いがちにコクリと頷く。
予感が当たっているなら、うっかり他国に知れてしまえば、おそらくソレを手に入れようと、竜の国へ侵略にくる国が現れたとしてもおかしくない。
ハズレてくれていればいいのだけれど、気配だけは確かにソレだと主張しているし、自分の中にあるはずだったソレの気配は、懸命に今気配を追ってみても、感じることがまるでできない。
苦悩するエイラをどう思ったのか、ライマールはフーッと息を深く吐き出して深呼吸をすると、なにか呪文を呟いて、両手をパンッと一回叩く。
すると部屋の中に薄い結界が張られ、驚いてエイラが見渡していれば、今度はおもむろに立ち上がって、アダルベルトとメルの頭を乱暴にがっちり掴んだ。
『難聴の調べ』
ライマールの声が部屋に響き渡ると同時に、アダルベルトとメルは平衡感覚を失い、ぐらりとソファーに手をついてしまう。
その様子を確認すると、ライマールは何事もなかったかのように、元の席へとどかりと座り込んだ。
「おいっ! 貴様! っ今、今なにをした!?」
「…………!! ライマール様! 酷いです! あんまりです!! こんなことされるくらいなら、出て行けと言われた方がマシです!!」
「こいつらのことは気にするな。五月蠅ければ黙らせる。とにかくそれがなんなのか話せ」
「えっ……? あの、一体なにを……」
困惑するエイラを余所に、ライマールは隣でぎゃあぎゃあと騒ぐ2人に苛立ちを見せ、ギアダルベルトとメルをギッと睨みつける。
その殺気に押された二人、はゴクリと息を飲んで押し黙った。
「結界は防音魔法だ。こいつらにかけたのは一時的に耳から音を奪う魔法だ。俺以外にお前の話を聞ける奴は今は誰もいない。どうせ俺が婿に行くんだ。気兼ねなく話せ」
踏ん反り返って言うライマールに、エイラは少しだけムッとする。
国を救うためとは言え、やはりその件に関してはエイラは納得がいっていなかったのだ。
「……まだ正式に婚約もしていませんし、婚約したとしてもまた破棄することは可能です。聞くだけ聞いて結婚しないということだって出来ますから、おいそれと話すわけには参りません」
「無用な心配だ。俺は必ずお前と結婚する」
ライマールはライマールで、エイラの言葉がカチンときたのか、少々意地を張ったような返答が返ってきた。
どこからそんな自信が湧いてくるのかわからないが、いい加減とも取れるライマールの発言に、エイラはついカッとなってテーブルを叩いた。
二人の会話が聞こえていないであろうメルとアダルベルトは、突然激昂したエイラの様子に、ギョッと身を竦めた。
「例えそうであったとしても離縁の可能性も考えられます! 簡単に話せるような内容ではないんです!!」
真っ赤になって言うエイラに、ライマールは眉を顰め、心底不思議そうに首を捻った。
「……何をそんなに怒っている? 離縁の心配も必要ない。俺はお前以外に好いた女は居ないし、この先もそのような存在は現れない」
ライマールが釈然としない様子で当然のように答えるのを見て、エイラはいよいよ顔を赤らめ、ライマールに向かって怒鳴り声を上げる。
「からかうのはやめて下さい! ご自身の探究の為に仰っているのであればあんまりです! 確かに私達の間には、以前より婚約の話が持ち上がっていました。ですが顔を合わせたのは今回が初めてなんですよ? なのに貴方はずっと名を明かさずに謁見室まで私を連れて行った挙句、ただ話を合わせろと、私の意思も無視して話を進めて……。助けてもらっていることは本当に申し訳なく思っていますし、深く感謝もしています。そのために婚姻が必要だと言うのならば甘んじてそれも受け入れましょう。ですが、説明もなしに一方的に……こんな…………」
こんな状況で"好いた"なんて、どうしてそんなことが言えるのか。
きちんと説明をして、信頼を取り戻そうとするどころか、浮ついた言葉で誤魔化そうとする彼の態度は、どう考えても馬鹿にしているとしか想えない。
その理由を想像すると、怒りを通り越して失望する気持ちの方が強くなってくる。
あんなに綺麗な澄んだ目をしていたのに、彼がこんなに打算的だったなんて……。
そんな人だとは全く思ってもいなかったのに。
エイラはとうとう言葉を失って、堪えていた涙をポロリと落とす。
まさかエイラが泣き出してしまうとは思っていなかったらしく、ライマールは狼狽した様子で慌てて立ち上がり、エイラの頬に手を伸ばしてきた。
「リータ、違う! 俺は……」
「っ!! 気安く呼ばないで下さい!」
エイラはパシリとライマールの手を払い除けて立ち上がると、半ば自棄気味に涙を拭って、出口の方へと足早に歩き出す。
エイラは部屋を出る直前、ライマールの方を振り向こうともせずに、震える声で暇を告げた。
「……すみません。今は冷静になれそうもありません。……少し、頭を冷やしたいので、部屋に戻らせて下さい」
エイラはそれ以上はなにも言わず、静かにその場を後にする。
対してライマールはよほどショックだったのか、エイラの後を追い掛けることもできず、ただただその場に立ち尽くしていた。




