あなたの未練 お聴きします 第八部
先輩は、相変わらず硬い表情と姿勢をした紫苑ちゃんをソファーに座るよう促すと、
「報告が二つあります」
いつもの気だるげな口調でさらりといった。
紫苑ちゃんに死刑宣告にも等しいことを告げると言うのに、まるで気負いがない。
「一つ目は、あなたにとって残念なことに、祐二くんは、あなたのことが好きではなかったと言うことです。……まぁ、恋愛感情は人から押し付けられるものでもなし、仕方ないでしょうな。あなたの思いはわかりますが、祐二くんに好きになれともいえませんしね。ご愁傷様です」
(……!)
なんてデリカシーのない人なんだろう!
淡々と言う先輩を、私は憎々しく睨みつける。
同じ告知をするのでも、もうすこし、紫苑ちゃんを思いやった言い回しができないのだろうか?
「そうですか……残念です……」
そうポツリと呟くと、紫苑ちゃんは言葉をなくしてしまった。そのまま、机に身をうずめて、嗚咽を漏らす。
「紫苑ちゃん……」
私がいたわりの言葉をかけて肩を抱こうとすると、先輩は冷たく言い放った。
「どいてろ、まだ報告が済んでない」
「でも、先輩!」
目の前で年端の行かない少女が泣いているのに、慰めの言葉のひとつも言わない先輩に、本気で腹が立った。
「紫苑ちゃんは、今、傷ついているんです! ずっと思いを寄せていた人が、自分に振り向いてくれなかったって……先輩には、そういう気持ちがわからないんですか!?」
激情に駆られて叫ぶ私を、冷たく一瞥して、先輩は口を開いた。
「二点目は」
紫苑ちゃんにティッシュの箱を押しやりながら、先輩は続けた。
「あなたにとって、いい事とも悪いことともいえるかもしれません。祐二くんですね、美紀さんに告白したのですが、あなたの気持ちを知っていた美紀さんは、祐二くんの思いを断りました」
先輩は、そう言うと、面倒なことを話しているかのように肩をすくめた。
「美紀さん自身も、祐二くんには思いを寄せていたようです。親友のあなたならご存知でしょうね。二人が相思相愛であったことは。しかし、美紀さんは、あなたへの親友としての義理立てために、あえて断った」
「そんな!」
紫苑ちゃんと私は同時に叫んでいた。そんなこと、先輩は一言も言ってくれなかった。あずかり知らぬところで先輩は調査を進めていたのだ。
しかし、問題はそんなことではなかった。自分のせいで親友の恋が破れてしまったことに関するショックを、紫苑ちゃんは身体いっぱいに表現していた。
「そんな……私のせいで……私のせいで、美紀と祐二君が……。誰が見てもお似合いの二人だったのに……私、知りたくなかった。どうしようもなかったとはいえ、こんな残酷なこと、私がしていたなんて、私、もう死んでしまいたい」
紫苑ちゃんは、口に手を当てて嗚咽を漏らした。
「心配要りません。もうあなたは死んでいます」
先輩がのんびりと言う。
怒りに満ち満ちた目で先輩を一瞥すると、私はどうすることもできずに、ただ、紫苑ちゃんの小さな身体を抱きしめた。
「大丈夫、紫苑ちゃん。あなたのせいじゃないわ。仕方のないことだったのよ。誰も悪くない。ただ、運命の巡り会わせが、少し悪い方向へ進んでしまっただけ。誰も悪くないのに、みんな優しいのに。どうしようもなかったのよ」
「どいてろ、と言ったろう」
大して動揺も見せずに先輩が言った。
「さて、紫苑さん、今の気持ちはどうですか? これがわれわれの調査結果ですが」
可愛そうに、紫苑ちゃんは何も言えずにただ泣いていた。先輩はなおも続けた。
「複雑な感情でしょうね。してやったり、という感情と、美紀さんにまたやられたと言う感情の狭間でゆれてるのでしょうか?」
先輩がなにを言い出したのか、とっさに理解できなくて、私はきょとんとしてしまった。言葉の意味がわかるにつれ、憎しみの炎が先輩を貫かんばかりになっていた。
「先輩! なにを……!」
「紫苑さん……」
先輩はそんな私のほうは見向きもせずに、ただじっと紫苑ちゃんに、心を見通すようなまなざしを向けた。
「私はね、あなたの依頼を受けたときから引っかかっていたことがあるんです。幼稚園時代からの大親友、一片のそつもなく、容姿端麗、成績優秀、性格にも非の打ち所のない優等生。あなたが手放しで美紀さんのことを誉めるとき、同時にその奥に潜む暗い感情のことを思わずにはいられなかったのです」
先輩は同情するような、大きな息を吐き出し、
「美紀さんはいつもあなたと一緒にいた。あなたは常に紫苑ちゃんと比べられて生きてきたといってもいい。まるで、太陽と月のようにね」
先輩は頭をぼりぼり掻くと、続けた。
「でも、そんなことを気にせず、大親友のままでいられればよかった。しかし、そこに、祐二くんという男性が現れる。美紀さんと祐二くんが相思相愛であったことは、一番近くで見ていたあなたがよく知っていたはずだ。親友の美紀さん、そして、あなたの好きになった祐二君のことであるのだからね」
少し辛そうに、先輩は数瞬、目を閉じた。
「それなのにあなたは、親友の恋の成就を祈るのではなく、祐二くんの君への愛を確かめようとした。どう見ても完璧なカップル。でも好きという感情はどうしようもない。仕方がない感情といえばそうなのかもしれない」
そこまで言うと、先輩は居住まいを正した。
「でも、引っかかったんですよ。あなたが美紀さんを賞賛するときは、必ず、自分との比較が入っていた。美紀はすごい、省みて、自分はダメだ。そういった感情表現です。もとより、美紀さんとあなたとでは比べようもなかった。そこで、思ったんです。あなたは本心では、美紀さんに嫉妬していたのではないだろうかと」
断言する先輩に、
「違う……」
紫苑ちゃんの嗚咽が止まり、腹の底からの呟きが口をついて出た。
「違う、違う、違う、違う……」
先輩はかまわず続ける。
「あなたにとって、美紀さんは、いつも遠い存在だった。近くにいながら、決して届くことのない太陽の輝きです。顧みて、あなたは、美紀さんという太陽に照らされている月に過ぎなかった。本当は、わかっていたのでしょう。どう足掻いても美紀さんが自分の手に届く相手でないということは。そして、それが嫉妬に変貌して、憎しみの感情へと変わった」
「違う……」
「しかし、ここからがどう判断していいかわからないのです」
先輩は参ったと言うように肩をすくめた。
「あなたのことを思って祐二君の告白を断ったとしても、それは『大親友のことを思って自ら傷つくことを選ぶ』という悲劇のヒロインの仮面をはがすことにはならない。結局、美紀さんは完璧なのです。非の打ち所のない親友。あなたは死んでもなお美紀さんには勝てないんですよ」
先輩は頭をボリボリ掻いて、
「あなたは何とかして、美紀さんのほころびを見出そうとしたが、それすらできなかった。あなたが本当に心残りだったのは、祐二くんのことじゃない。常に比較されてきた美紀さんへの気持ちです」
「違う!」
紫苑ちゃんは悲鳴のような叫び声を上げた。
「私は本当に祐二くんのことが好きだった。美紀なんかに負けたくなかった!」
数刻の沈黙が流れた。私はもうなにを言えばいいのかわからず、ただ口をつぐんでいた。
「……ええ、あなたの祐二くんへの思いは、本当だったでしょう。ただ、あなたの心の声が聞きたくて、このような物言いになってしまいました。申し訳なく思っております」
優しさと慈愛に満ちた声で、先輩が言った。
慇懃な姿勢で謝る先輩に、紫苑ちゃんは毒気を抜かれたように、ふっと笑った。
「美紀は……美紀は……なんでも持っているの。私の欲しいもの全部。幼稚園の頃からそう。私がやることは、親友だからという理由で、美紀がやり始めた。始めに私がやっていたことですら、後から真似て、すぐに追い越してしまう。スポットライトを浴びるのは、いつも美紀だった。クラスでの話題の中心はいつも美紀だった。スポーツの花形は美紀だった。優しい優等生は美紀だった。私は美紀につき従う暗い影として生きるしかなかった」
紫苑ちゃんは、自嘲気味に笑うと、肩を落とした。
「私が美紀の自慢話をするとき、どれほど劣等感を抱いていたか、わからないでしょうね。生まれついて、こんなに差がある親友と、いつも比べられる……いや、比べられすらしない。私は美紀の引き立て役にすらなれなかったの。祐二くんにも相手にされてない、ただの美紀の付属物にしか見られていないことはわかってた。でも、自分の中の暗い感情が、どうしても整理できなくて。それで……それで……」
「紫苑ちゃん……」
私はどうすることもできずに、紫苑ちゃんの長い髪をなでてあげた。
「わかります。祐二くんと美紀ちゃんとはいつも一緒だった。親友だったからこそ、嫉ましく思う気持ちに歯止めが利かなかったのでしょう。美紀ちゃんが他人だったら、ただの羨望の的として諦めもついたはずです」
先輩は、ふーっと息を吐くと、またいつもと変わらぬのんびりとした口調で言った。
「紫苑さん、それで、どうしますか? あなたの未練は断ち切れることがない。このまま親友である美紀さんを恨み続けて、魂のままさまよいますか?」
未練のある魂は天上へと移送されることはない。私は悔しさに歯噛みしながら、紫苑ちゃんの横顔をみつめていた。
「私……私……どうすれば……?」
紫苑ちゃんは先輩にすがるように言った。
「さあ、あなた自身が決めることです。ただ……」
先輩は手に持ったペンをくるくる回しながら言った。
「美紀さんは、あなたのことをただの影ではない、かけがえのない大親友、如月紫苑として見ていたようですよ」
紫苑ちゃんははっとしたように顔を上げた。
先輩の言った『大親友』という言葉は、固く、冷たく閉ざされた、紫苑ちゃんの心を暖かく溶かしていく『太陽』のように、私には感じられた。
……私にも、他のどんな人から罵倒されても、決して裏切らず、傍にいてくれている親友がいる。
だからわかる。
「友」と呼べる人が一人でもいるとき、人は決して絶望なんてしないのではないのだろうか?
どんなに孤独で、どんなに絶望的な状況でも、友達が居るということは、人の心にとって大きな支えとなる。
それが「友達」というものではなかろうか?
紫苑ちゃんはそれからしばらく考え込むと、ひとつ頷いて、涙をぬぐい、意を決したように顔を上げた。
「お願いがあります」