あなたの未練 お聴きします 第六部
「……春、それは新しい命の芽吹き。冬の静謐を分け入って、鳥たちがさえずり、新しい命を賞賛する。それはあたかも……」
「そこまででよろしい、完璧だ」
英語教師が舌を巻くほどの和訳をし終えた美紀ちゃんはこともなげに椅子に座る。
「すごい、美紀、今のところ、すごく難しかったのに」
席が近くのクラスメイトたちが賞賛の声を送る。
「そんなことないよ。たまたまできただけ」
美紀ちゃんは笑顔で答えた。
「すごいですねぇ、美紀ちゃん」
「完璧だな」
私たちは教室の後ろのほうに立っていた。もちろん、他の人たちからは、姿を消している。人間の目に見えないままそこにいることも、私たちの能力の一つだ。
「さっきの体育では、バレーボール部顔負けのアタックを決めてましたよね。紫苑ちゃんが言ってた通り、成績優秀、容姿端麗、運動神経抜群なんですね」
「完璧だな」
先輩は繰り返した。
「人当たりもいい。自分ができていることを鼻にかけない性格だな。まさに、学校のアイドルと言うほかはないな。俺があと5年若かったら……」
「20年の間違いじゃないんですか?」
「俺はまだ若い」
憮然として、先輩は唸った。
いけない、いけない。年齢の話はタブーだっけ。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、美紀ちゃんの周りには人だかりができていた。
「美紀、宿題見せて」
「美紀ってさぁ、なにやらしてもそつがないって言うか、なんでも器用にこなしちゃうんだよね」
「美紀ってきれいな髪してるよね。どうやって手入れしてるの?」
美紀、美紀、美紀……。美紀ちゃんを呼ぶ声は絶えない。どうやら美紀ちゃんはクラスの人気者らしい。そのひとつひとつの言葉に、美紀ちゃんは愛想よく対応していた。
「この友達の輪は、紫苑さんがいたころもできていたのかな?」
先輩が呟いた。
「そうなんじゃないんですか? まだ紫苑ちゃんが死んでから間もないし、こんなに打ち解けられるわけありませんよ」
「そうだよなぁ……」
先輩は腕くみして、美紀ちゃんと美紀ちゃんを囲む友達の輪を見ていた。
「紫苑さんはクラスのみんなと打ち解けられていたのだろうか?」
私ははっとして、美紀ちゃんのほうを見た。
「そういえば、祐二くんが、紫苑ちゃんは美紀ちゃんとしか話してるのを見たことがないって言ってましたね」
「そうなんだよなぁ……」
先輩は頭をぼりぼり書くと、言った。
「太陽と月か……」
クラスの後ろのほうの席にある、紫苑ちゃんの席にあった花瓶に生けてあった花の花弁が、ひらりと一枚舞い落ちた。
放課後、私たちは美紀ちゃんを待つべく、校門の前に立ち尽くしていた。
生徒たちが私たちを見て、ひそひそと話しながら通り過ぎていく。
「ねぇ、あの人たち、恋人かしら。妙にはまってるわよね。あんなところで、何をしてるのかしらね」
そんな声が聞こえた。私たちの耳は人間の聴覚より鋭いのだ。
「ちがっ」
否定しかけて、赤面して俯く。普通の人間には聞き取れない声を聞き取れてしまうのが恨めしい。
しかし、恋人同士とは。
うう、はずかしいなぁ。
先輩との立ち位置距離を置こうとしたその時、
「誰かと待ち合わせですか?」
訝しげにこちらを見ながら、女生徒の集団が話しかけてきた。よく見れば、美紀ちゃんと紫苑ちゃんのクラスメイトたちだった。
「え? ああ、美紀ちゃんを待っているんです」
突然話しかけられるとは思わなかった私は動揺を押し隠して言った。
「美紀を? 彼女、生徒会があるから遅くなりますよ。」
「あなたたち、誰なんですか? 美紀の知り合い?」
「いえ、私たちは、如月紫苑と知己にあったものです。紫苑ちゃんの親友だった美紀さんと、ぜひ話しをしたいと思いまして」
先輩は、落ち着きを払って言った。
女生徒たちは、円陣を組んでなにやら話し合うと、
「美紀を動揺させるのはやめてくれませんか? そうでなくても、ようやく立ち直りかけてるって言うのに、如月さんの話なんてしたら、また落ち込んじゃう」
「そうよそうよ、如月さんのことをやっと忘れかけてるのに。いつもの明るい美紀じゃなくなっちゃうじゃない」
「紫苑ちゃんが死んだのは、先月ですよ。まだ、忘れるのには日が浅すぎるんじゃないですか」
ピーチクパーチクといった感じに喋る女生徒たちに、私は困惑して言った。
「如月さんのことなんか、どうでもいいんです。如月さんはしょせん美紀の付属物だったんだから。美紀だって、もう十分明るく振舞ってますよ」
「そうそう、美紀の友達じゃなかったら、如月さんなんて、誰も相手にしなかったよね。暗いし、無愛想だし」
「ちょ、ちょっと! そこまで言うことないじゃない!」
死んだ者の陰口とは言っても、余りにもあけすけで、度も過ぎている。私は激怒した。
「な、なによ。私たちは美紀のことを思って言ってるの! 美紀は私たち全員の美紀なの。如月さんになんか、独占されたくなかったわ」
「なっ!」
身勝手な言葉に、怒りで言葉を失う私の肩に先輩の手がぽんと置かれた。
「皆さんは、美紀さんのファンなんですね。紫苑ちゃんがいるから、いつも美紀さんのことを取られたような気がしてた。ちがいますか?」
うっ、といったように、彼女たちは押し黙った。
やがて、集団のリーダー格のような少女が口を開いた。
「美紀、誰にでも優しいから。頭脳明晰で可愛くて、優しくて……私たち女子の、憧れの的なんです。男子にもそうじゃないかな」
少女は一息つくと、
「確かに私たち、如月さんに嫉妬していました。でも、それが悪いことだとは思ってません。如月さんは、顔も十人並みだし、成績もいいほうじゃなかったし、何より私たちが話しかけても、全然打ち解けようとしなかった。美紀とは正反対。それなのに、美紀の友達だと言うだけで、祐二くんとも付き合っていて。嫉妬するなと言うほうが無理じゃないですか」
「でも、あなたたちはクラスメイトでしょう? もう少し、紫苑ちゃんのことを思いやってあげられないの!?」
私は、その言葉を紫苑ちゃんが聴いたらどんなに悲しむかと思い、悔しさと憎々しさの気持ちをありのままにぶつけた。
「クラスメイトだからですよ。輪の中に入れてあげようとしても、気のない返事で、美紀とばかり話していた。おまけに、祐二くんまで巻き込んで……。美紀も祐二くんも、あんなにいい人なのに、如月さんは一人だけ浮いた存在でした」
「なるほど、そうだったんですか」
先輩は鷹揚に頷くと、
「今日は出直すことにします。ですが、私たちは、紫苑ちゃんの親友であった美紀さんに、ぜひとも話をうかがわなければいけないんです。どうか、ご了承いただけませんか?」
『親友』という言葉を強調して、先輩は言った。何事も言い返せないような迫力をこめた物言いに、女生徒たちは後ずさりして、
「と、とにかく! 美紀を傷つけたら許さないんだからね!」
そういって、去っていった。
***
学校近くの公園。
そのベンチの一角で、私は子供のように泣きじゃくっていた。
悔しい。
悔しい。
悔しい。
心には怒りと悲しみとが渦巻いていて、自分では制御できそうになかった。
「ほれ、実習生」
先輩が、自動販売機から買ってきた缶コーヒーを差し出した。
「遊馬です」
ハンカチで涙をぬぐいながら、私はコーヒーを受け取った。
よっ、と声を上げながら、先輩が隣に座る。
この悔しさはどこから来るのだろう。
紫苑ちゃんをあれほど馬鹿にされたから?
同情心?
それもある。
でも、とめどなく溢れ出す涙の出所は、それだけではないことを知っていた。
先輩は何も言わなかった。ただ、涙に暮れる私の隣で、静かに自分用の缶コーヒーを飲んでいた。
どれほどの時間が過ぎたかわからない。涙が乾き、私の気持ちも幾分か落ち着いてきた。
「先輩……」
「んー?」
先輩は、いつもと変わらない調子でのんびりと答えた。
「先輩は、落ちこぼれの気持ちってわかりますか?」
「……」
先輩はちらりとこちらを一瞥すると、また無言で視線を元に戻した。
「私はDランクです。養成機関で、『落ちこぼれの遊馬』って呼ばれています」
私はコーヒーの缶を弄びながら、続けた。
「嘲笑と嘲り。私の周りはいつもそうでした。もちろん、自分なりに頑張りました。でも、評価はDランクのままで……。……先輩、落ちこぼれは、落ちこぼれのままでしかいられないんでしょうか?」
答えを求めているのかどうなのか、私にもわからなかった。
「紫苑ちゃんが馬鹿にされているとき、私、紫苑ちゃんと自分を重ねていました。落ちこぼれ同士の共感なんでしょうか? ただ、悔しくて、悔しくて仕方なかったんです。紫苑ちゃんのために怒ったんでしょうか? 自分でもわからないんです」
先輩は聴いているのかいないのかわからない様子でボーっと目の前のジャングルジムを見ていた。
「私、周りの人たちがねたましくて仕方なかった。私はどんなに頑張ってもDランク。周りのみんなは、どんどん先に行ってしまう。一人だけ取り残されたようで、周りの人たち全てを憎みました。落ちこぼれと言われながら、花形のエージェントという職業を進路選択したのも、そのせいかもしれません。落ちこぼれであることに劣等感を感じ続けていたんです」
私は、半ば自分自身を振り返るように続けた。
「だから、一級エージェントの先輩の元に実習が決まったときは、とても嬉しかったんです。これでみんなを見返せるようになるかもしれない。何かが変わる。そんな淡い期待がありました。先輩の下でしっかり勉強して、私を馬鹿にしてた人たちをあっと驚かせたいんです。もう落ちこぼれの遊馬なんて呼ばせない。そんな気持ちで、実習に来ました」
先輩は何も言わない。
何も言わないけど、けれど、ただ、傍に居てくれている暖かさが心地よかった。
私はその心地よさに身を任せるように、しばらく口をつぐんだ。
先輩は、ただボーっとしているようにしか見えなかった。
それがなぜだか嬉しくて、私は先輩からもらった缶コーヒーを味わいながら飲んだ。
「先輩」
「んー?」
「私、もう大丈夫です。取り乱してすみませんでした」
「ああ」
先輩は残りの缶コーヒーを飲み干すと、近くのゴミ箱に投げた。空き缶の軌跡は先輩の期待を裏切って、ゴミ箱の縁で乾いた音を立てた。
「なぁ、実習生」
「遊馬です」
「実習生、俺たちの仕事は、依頼人の未練を晴らすことだが、同時に自分と向き合うことなんだ。その上で、依頼人の心を汲み取っていかなければならない。最初の指導を覚えているか?」
「この仕事に、慣れるな、でしたっけ?」
「そう、俺たちは常に変わっていく。慣れるな、と言うのは、依頼人を一辺倒に見るなと言うことだけではない、常に変わっていく自分をみつめ続けろ、ということだ」
「そういうことだったんですか」
「そういうことだ」
私は零れ落ちた空き缶を拾って、ゴミ箱に捨てた。
「先輩」
「んー?」
「私、変わっていけるでしょうか?」
「もちろん。だから優しかあげたくないんだ」
人も、もちろん私たちだって、変わっていく。変わりたくなくても、変わってしまう。
その時、『落ちこぼれの遊馬』は、優をもらえるくらいに成長しているだろうか?
否、成長していかなければならないのだ。依頼してくる人間たちのために、私たちは、常に「優」でなくてはならない。
――ひとつだけ、確信したことがあった。
新藤先輩は、養成機関の教授達とは全然違っている。
私は、張り詰めていた肩の力を抜くと、全身で、「はい」と答えた。