あなたの未練 お聴きします 第五部
中盤からボールを支配した彼は、華麗なフェイントでディフェンスを二人抜きすると、敵陣深くまで攻め入っていたフォワードにパスして、リターンを受け取り、体勢をうまく立て直して、ボールをゴールへと蹴りこんだ。相手のキーパーは動くことすらできずに、ボールの行方を見守った。
ゴール。
これで彼が入れたゴールは三本になる。
「かっこいいですねぇ、祐二くん」
校舎の屋上から校庭を見下ろしながら、私は嘆息した。ゴールを決めた彼は、さして喜ぶでもなく、また部内対抗試合の練習へと黙々と戻っていった。
情熱的なプレイに、クールな態度。グラウンドの脇に、女子の集団ができていて、キャーキャーと黄色い声を出していた。祐二くんのファンクラブだろう。
それくらい、彼はグラウンド上で輝いて見えた。
「ああ、俺の若い頃そっくりだ」
先輩が言った。あえて聞かなかったことにして、私は風になびく髪を軽く撫で付けた。
「でも、取り巻きがあれだけいれば、祐二くん、女の子は選り取り見取りですね。紫苑ちゃんのことを少しでも想っていてくれたのかしら……?」
「紫苑さんとは仲がよかったといっていたじゃないか。取り巻きとは、また違うよ。紫苑さんが祐二くんにとって、特別な存在であったかそうでなかったかが、重要なんだ」
「そうですね」
私は深く頷いた。紫苑ちゃんは仲良し三人組だと言っていたのだ。チャンスは、十分にある。
祐二くんの相手側のチームがファールをして、フリーキックとなった。壁を作る選手に物怖じもせず、ゴールを狙う。
ボールはゴールをわずかにそれたが、弾丸のような、いいシュートだった。
「いい選手だ」
先輩はうなった。
「しかし、まるでプレーに迷いがない」
「クレバーなんですね。もてるのも頷けますね」
「そうじゃない」
先輩はかぶりを振った。
「しかし、気に食わん」
「もしかして先輩、嫉妬してるんですか?」
「何であんな若造に嫉妬しなければいけないんだ? 所詮、大人の魅力にはかなわんよ。年齢とともに滲み出す男気と言うのがだな……」
「先輩のは、おやじ臭じゃないですか。いったい、いくつなんですか?」
「まだ若い」
憮然として、先輩は言った。
「年齢に関してはタブーなんですね……」
笛の音が響き、コーチらしき人物が解散を告げた。時刻を見ると、もう六時を回っていて、たそがれ時の空は、蒼い夜へと姿を変えつつある。
「紫苑さんにとっては、酷な報告になるかも知れんな」
先輩がそう一人ごちた。
「どうして、そんなことが言えるんですか?」
私は聞きとがめて、疑問をぶつけてみた。
「プレーに迷いがない、と言ったろう。紫苑さんがなくなったのはつい先月だ。思いを少しでも寄せていた女性がなくなったとして、あれだけ冷静にプレーできるか?」
私は言葉を失った。確かに、その通りだ。
「まぁ、推測に過ぎないがね。サッカーをしているときは、君が言ったようにクレバーに徹することができるのかもしれないし、サッカーをすることで、紫苑ちゃんのことを忘れようとしているのかもしれない。早合点は失敗の元だ。さて、彼にじきじきに接触してみようか」
「はい」
私は不安でいっぱいになる胸を押さえて、そういった。
***
祐二くんの帰宅ルートはおさえてある。私たちは先回りして、部活帰りの彼が来るのを待ちわびた。
「でも先輩、じきじきに接触するって、いったいどうするつもりです? まさか、私たちが紫苑ちゃんの願いを聞いて来て、祐二くんに好きだったかどうか聞かせてくださいって言うのもおかしいですし。大体、彼、自転車通学ですよ。呼び止めて適当に名乗るんですか」
「どうとでもなるさ」
先輩は下手な口笛を吹きながら答えた。
「来ました、祐二くんです」
祐二くんは自転車に乗りながら、こちらへと向かってくる。十字路の電信柱の陰に隠れながら、私はどう声をかけていいのかわからないでいた。
「飛び出せ」
先輩がぽつりと言った。
「え?」
「飛び出せと言っている。ほら!」
言うが早いか、先輩は私の背中をドンと押しやった。
たまらず、道路に倒れこんでしまう。
「うわぁ?」
「きゃあ!」
祐二くんの自転車は、危うく私を轢きそうなったところで止まった。もう少しスピードを出していたら、私は間違いなく轢かれていただろう。
「だいじょうぶか!?」
先輩が駆け寄ってきて、私の身を起こす。自分から突き飛ばしておいて、白々しい。
「す、すみません! 怪我はありませんか?」
祐二くんが心配そうに聞いてくる。
「え、ええ……」
「大丈夫です。こいつ、おっちょこちょいで、何もないところでいつもこけるんです。むしろこちらのほうが申し訳なかった。驚かせてしまったでしょう?」
先輩はいけしゃあしゃあと言う。人に殺意を覚えたのは、これが初めてのことだった。
「本当に、怪我はありませんか? すみませんでした」
裕二くんは自転車を降りて、深々と礼をする。この律儀さのかけらでも、先輩には見習ってもらいたかった。
「いえいえ、本当に大丈夫ですから……おや?」
先輩は芝居がかった仕草で祐二くんを見た。
「ひょっとして、祐二くんじゃないですか?」
「え、ええ」
祐二くんは、これは本当に驚いて、先輩と私を見やった。
「どちらかで、お会いしましたっけ?」
「いえ、初対面です。実は私たち、如月紫苑の親戚のものでして。祐二くんのことは、紫苑ちゃんからよく聴かされていました」
「如月さんの……?」
「はい、仲のいい友達だと言うことで、写真を見せてもらったりして。こいつが、あまりにかっこいいと言うんで、憶えていたんです」
そういって、私の頭をぐりぐりと押さえつける。これも仕事のうちなのかしら。否、いつか復讐してやる。私は心に誓った。
「そうだったんですか」
祐二くんの表情が暗く翳った。
「どうですか、ここであったのも何かの縁だ。紫苑ちゃんがどういう友達と付き合っていたのかにも興味があります。少し、話しませんか?」
「え、でももう遅いし……」
「なに、お時間は取らせませんよ。あそこの喫茶店でお話しましょう。実は、ぜひ聞いて欲しいこともあったのです。奢りますよ」
祐二くんは逡巡した後、頷いた。
「紫苑ちゃんにはよくしていただいたようで」
先輩は珈琲をまずそうにとすすると、そう切り出した。
「いえ……ただ、遊ぶ機会が多かっただけで……今回のことのようになってしまい、お悔やみ申し上げます」
祐二くんは珈琲の湯気をあごに当てながら、居住まいを正した。
律儀と言うか遠慮がちと言うか、頼んだのは店で一番安いブレンド珈琲だ。ちなみに先輩もブレンド珈琲だが、これは単に味の違いがわからないだけなのではないかと踏んでいる。私の前にはシナモンティーが置かれていた。
「これはご丁寧に」
先輩はのほほんとした体で言った。
「紫苑ちゃんからは、あなたのこと、よくうかがっていました。かっこよくて、頭もよくて、誰にでも優しいって」
「如月が……?」
祐二くんは訝しげに形のよい眉をひそめた。
「何か?」
「いや、意外だなって。如月さんは僕のことをそんなに持ち上げて言ってくれた事、なかったですから。そこが好きだったんです。他の女子は、あけすけなおべっかを使ってくるから……。好意を持ってくれるのはいいんだけど、あまりにあけすけな好意は、こちらもうんざりしてしまいますから……」
祐二くんはそこまで言うと、赤面して俯いてしまった。
「すみません、自慢にしか聞こえないですね」
「いや、もてると言うのは悪いことじゃない。そうすると、紫苑ちゃんは、あなたにとって、どんな存在でしたか?」
「どんな存在と言われても……。あまり話すほうじゃなかったし、寡黙な子でした。ただ、こちらの言うことに、『うん、うん』って頷いてくれるんです」
そんなところに安心させられてました、と言って、裕二くんは先を続けた。
「美紀と……如月さんの親友なんですが、美紀と三人で遊ぶことが多くて、それでも、ほとんど話しかけたりはしてくれませんでした。だから、僕のことをそんな風に言ってくれていたなんて、意外です」
先輩はうんうん、と頷いて、
「美紀ちゃんとも仲がいいんですね」
「はい……。美紀が太陽だとしたら、如月さんは月でした。二人とも、とても仲がよくて。ただ、如月さんは、さっきも言ったとおり、寡黙な子でしたから。僕ともあまり話す機会がなくて。無理やり話題を作って、僕が話しかけるといった感じでした。それでも、あまり素っ気のない返事で」
「女心と言うのは複雑ですよ。その気遣いが、紫苑ちゃんも気に入ったのかもしれない。なあ?」
先輩は珈琲を飲み干すと、私の髪をぐちゃぐちゃとかき回した。突然そんなことをいわれても、恋などしたことのない私にはわからない。でも、何か言わなければいけない状況のようだった。
「紫苑ちゃん、本当にあなたのことが好きみたいでした。美紀ちゃんのことも。仲良し三人組だって、そういってました」
当たり障りのない発言としては、このあたりが妥当だろう。先輩は珈琲のお代わりを注文すると、私に頷いて見せた。
「ええ、僕たちはいつも三人で遊んでいました。クラスメイトの男子と遊ぶよりも多かったんじゃないかな? 如月さんと知り合ったのは、高校に入学して、クラスメイトになってからです。たまたま僕が教科書を忘れてとまどっていたら、すっと脇から無言で教科書を見せてくれたんです。でも、お礼を言うと、黙り込んでしまって。恥ずかしがりやだったんですね」
「なるほど」
と相槌をうって、先輩が続きを促す。
「美紀以外の友達と話しているところも見たことはないし、美紀の周りに友達がいるときはいつも所在無さげでした。そんなところが気にかかったんです。放っておけないというか、そんな感情です。でも、笑顔がすごく素敵な子でした」
「そんなところが好きになったんですね」私の声ははずんだ。少しでも好きであってくれたら、という紫苑ちゃんの思いは、通じていたのだ。
「好きというか、放っとけないというか……」
祐二くんは言葉を濁した。
「祐二くん」
二杯目の珈琲をすすりながら、先輩は言った。
「少し気になったんだが、君は紫苑ちゃんのことを如月さんと言うのに、美紀ちゃんのことは呼び捨てだね。何か、他意はあるのかい?」
「あ、自分でも気付きませんでした」
珈琲のスプーンをもてあそびながら、祐二くんは唸った。
「なんと言うか、美紀とは気軽に付き合えるんです。肩肘張った関係でないというか……二人の性格の違いでしょうね。如月さんには、いつも壁みたいなのを感じていました。なんか、踏み込んじゃ行けない領域というものを持っていたように感じます。それで、自然と呼び方も、美紀は美紀、紫苑ちゃんは如月さんと呼ぶようになってしまいました」
先輩は軽く眉を顰めた。
「紫苑ちゃんとは先に友達になったのに?」
「確かに先ですが、美紀がいなかったら、顔見知り程度の関係だったでしょう。美紀と如月さんは、いつも一緒にいて、それで仲良くなりました。如月さんは、なんと言うか、美紀に付き従っているような感じを受けました。失礼ですが……」
「いえ……、率直に言ってくれたほうが、紫苑ちゃんも浮かばれることでしょう」
先輩は思案した表情を作ってから、言った。
「でも、こんなことを言うと失礼かもしれませんが、あなたは立ち直りが早いですね。紫苑ちゃんは無二の親友だったんでしょう?」
祐二くんははっとしたように顔を上げた。
「気分を損ねたようなら謝ります。では、率直に言います。今は美紀のほうが心配なんです。気丈に振舞ってるけど、如月さんがなくなった後はぽっかりと穴が開いてしまったようで……」
裕二くんは、自分の非力さを噛み締めるように歯噛みした。
「……まるで姉妹のように仲がよかったですからね。美紀が姉で、如月さんが妹。半身を失った美紀の悲しみを受け止められるのは、誰もいないんじゃないかな。僕じゃ力不足だ。如月さんの穴は、如月さんにしか埋められないんです」
先輩は、なるほど、と重く頷くと、
「今は紫苑ちゃんのことよりも、美紀ちゃんのことが気にかかるのですね」
「はい……生きているものは、どんなに辛くても生きていかなければ行けない。ご親族の方に過去と言うのは酷かもしれませんが、それでも、過去に縛りつけられては生きていけないと想うんです。何より、今は美紀のことを大切に思ってあげたいと考えています」
「そうですか、そうですよね」先輩は、落ち着いた声で答えた。
「最後に、変な質問をしてよろしいですか?」
「はい」
「単刀直入にお聞きします。紫苑ちゃんに恋愛感情は抱いてましたか?」
「恋愛感情?」
きょとんとして、祐二くんは目を丸くした。
「ああ、それはなかったです。如月さんもそうじゃなかったのかな? とにかく、そんな思いよりも、僕たちはただ、いい友達としてやってきたんです」
「美紀ちゃんにも同じ感情をもって接してきたんですか?」
先輩がそう言うと、裕二くんは俯いて、耳を赤くした。
そうして、しばらくの沈黙のあと、
「美紀は……僕にとって特別な存在です。如月さんともいつも一緒にいましたが、美紀とは妙に馬があって。美紀は……学校のアイドルだし、高嶺の花かもしれないけど、僕の憧れなんです」
裕二くんはきっぱりと言った。
ああ……その言葉に、私の肩は沈んだ。
***
「調査はここで終わりですね。紫苑ちゃんにとっては残酷な結果になってしまいましたけど……」
「んー?」
先輩は心ここにあらずといったように、間延びした声を出した。
「でも、紫苑ちゃん、これで納得できるのかな? 浮遊霊になったりしませんよね?」
「一人の男性を未練として思い続けるのは労がいるものだし、それに、祐二くんは女生徒の憧れの的だといっていただろう? 本人もそんなに気にしていなかったんじゃないかな? 大丈夫だろう」
「そんなもんですか?」
「そんなもんだよ。一時の淡い感情なんて、時が経つにつれて消える。でも、今回のケースは……」
「何か気にかかることがあるんですか?」
「祐二くん、美紀ちゃんと紫苑さんは太陽と月のようなものだといっていたな」
「それが、なにか?」
「んー……」
先輩は頭をぼりぼり掻いた。
「美紀ちゃんの調査も行ってみよう。なに、時間はまだある」