あなたの未練 お聴きします 第三部
その部屋は、飾り気のない、しかし居心地のいい簡素な部屋だった。
部屋の隅には観葉植物が置かれ、壁には無名だが、リラックスさせてくれるような小さな森の絵が飾ってある。
床はふさふさの絨毯張りで、部屋の中央には背の低いテーブルとソファがあり、こぢんまりとした部屋の大部分のスペースを占めていた。
少し居心地が悪そうに、ふかふかのソファに腰をかけたクライエントは、情報部の事前資料によると、名前は如月紫苑、「元」高校生だったらしい。
資料には16歳とあるが、年頃の女子高生の活発さのかけらも感じられなかった。背はそれなりに高いのだが、それも痩せていて骨ばった印象を強調している。
前髪が顔にかかり、表情はうかがい知れない。かわいそうなくらい身体を緊張させて、ソファに腰掛けていた。
もっとも、緊張している度合いから言えば、私だって大差ない。初めての陪席ということで、両手と両足が一緒に出てしまうのを直すのに必死だった。
「さて」
紫苑ちゃんの対面のソファに腰掛けると、先輩は口を開いた。
「如月紫苑さん。あなたは先月第4週の金曜日、交通事故にあわれました。そして、手当てのかいもなく亡くなられました。ここまでは既に納得されていることと思いますが、あなたは死ぬには未練があるとおっしゃいました。私どもは、その未練について、誠心誠意サポートさせていただくためにやってきました。担当をいたします、新藤と二階堂です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
俯いたまま、紫苑ちゃんはぼそっと呟いた。
「事前に聞いていることとは思いますが、人間の魂は、未練を残したままでは、天上界へと送られることがありません。その場合は、自縛霊か、浮遊霊になって、現世をさまようことになります。そういった出来事を避けるためには、あなたに、納得づくで『死んで』もらう必要があるのです。ここまではおわかりですか?」
『死んでもらう』という言葉に怯えたのか、紫苑ちゃんは小動物のように身体を震わせた。
「そのためには、未練となる出来事の詳細を、何でも話してもらう必要があります……。まあ、難しく考えないで、思ったことを思ったように言っていただければ結構です。いわば人生のアフター・ケアなのですから、機会がもらえたことをラッキーと思って、気軽に話してください」
言葉の後半は飄々とした感じでいい、先輩は紫苑ちゃんに笑顔を向けた。
「緊張してますね。私もね、この話をするときには緊張するんですよ。死の自覚を持ってもらい、未練と言う人生の最大事について聞かせてもらうなんて、おこがましいことこの上ないですからね。この仕事はいつまでやっても馴れません。だから、お互い緊張したまま話しましょう。そのほうが公平だし、おあいこですからね」
大げさに肩をすくめてみせる先輩に、紫苑ちゃんはクスリと笑いを漏らした。張り詰めていた緊張感が少し解けたようだった。
「それに、男の私に言いにくいことでも、こちらにいる二階堂がお聞きします。年も大して変わりないし、いい友達だと思って、気軽に話しかけてください」
「は、はひ! 頑張ります!」
突然話をふられて、私は意味不明な言葉を口走ってしまった。紫苑ちゃんが怪訝な顔を向ける。
「すいません、こいつ、新米でしてね。冷凍ペンギンのように緊張してるんですよ。でも、大先輩である私がきちんとフォローしますんでその辺はご心配なく」
「そうなんですか」
紫苑ちゃんがにこりと笑顔を返してきた。
「そ、そうなんです。ふつつかものですが、よろしくお願いします」
くすくすと紫苑ちゃんが笑った。恥ずかしかったが、同時にこちらの緊張も抜けてきた。もしかして先輩、私にも気を使って、わざとこんなことを言ったのかな?
ひとつ発見したことがある。この子、笑うとかわいい。
おどおどした態度とは似つかない、こちらを包み込んでくれるような笑顔だ。
いつも笑顔でいれば、もっと魅力的な子になれるのにな。
「では、紫苑さん、本題に入ってよろしいですか?」
先輩は頭をぼりぼり掻きながら言った。
「あなたの、未練と言うのは?」
「あ、はい……」
紫苑ちゃんの表情が再び翳った。
「好きな人が、いたんです……」
「ほう、好きな人が」
「祐二くんって言います。サッカー部の副キャプテンで、かっこよくて、勉強もできて、女子生徒の憧れの的なんです。本当は私なんか相手にしてくれない人なんですけど、美紀と三人でよく遊ぶようになって、他の子達よりも近い距離で接することができたから……」
「失礼、祐二くんと美紀さんというのはこの人ですね?」
先輩は一枚の写真を取り出した。
「あなたの遺品……財布の中に入っていた写真です。何か役に立つかもしれないと思って、複写させていただきました。こちらが祐二くんで、こちらが美紀さん」
「はい、美紀は私の親友です。美人だし、成績もいいし、性格もよくて、生徒会の副会長をやっています。私と違って、友達も多いし、明朗活発で、後輩たちの面倒見もいいんです。私の唯一の友人で、自慢の友達です。幼稚園時代からいつも一緒なんです。そうでなかったら、私となんか友達になってくれるとは思えないくらいいい子なんです」
「自慢の友達なんですね」
「ええ、本当に、私と付き合ってくれるのが嘘みたい。私のことをいつも気にかけてくれて、引っ張っていってくれて……私、性格が暗いから、友達もいないんです。でも、美紀はそんなこと気にせずに付き合ってくれます。美紀は誰にでも優しくて、可愛くて、運動もできて……なにをやらせてもすごいんです。先生たちの評価も高くて、私、いっつも、美紀みたいになれって親に言われていたんです。でも、無理ですよね、美紀みたいにはなれない……。顔も不細工だし、成績は十人並みだし、運動音痴だし、口下手だし……」
言葉の最後のほうは、聞き取れないくらいぼそぼそと言う呟きになった。
「あなたにはあなたの魅力があると思いますよ。笑顔になると、とてもチャーミングだもの」
落ち込んできた紫苑ちゃんを見ているのにいたたまれず、思わず私が助け舟を出すと、
「ありがとうございます。そんなこといわれたの、はじめて」
弱々しく微笑んでくれた。
「続けてくださいね」
先輩が、のんびりと言った。
「はい、それで美紀が……じゃないですね、未練のことでした。未練と言うのは……」
そこまで言うと、紫苑ちゃんは口を閉ざした。好きな人がいる、というからには彼……祐二君のことなんだろう。
しばらく逡巡する様子を見せたあと、紫苑ちゃんは意を決したように頷いた。
「祐二くんの気持ちを確かめて欲しいんです。私たち、いつも三人で遊んでました。美紀がいて、祐二くんがいて……どうせ好きでいてくれたわけはないけど、少しでも私のことを思っていてくれたかが知りたくて、それが心残りなんです」
「なるほど」
先輩は思案した表情をみせると、
「遊ぶと言うのは、いつも三人で?」
「あ、はい……。三人のときがほとんどでした。カラオケに行ったり……音痴だから、歌えないんですけど。ゲームセンターに行ったとき、クレーンゲームで祐二くんが取ってくれた携帯のストラップが、今でも私の宝物です」
「仲良し三人組だったんですね。祐二くんとの出会いはどうでした?」
「はい……祐二くんとは席が近くて、高校生になってすぐ友達になりました。そこに美紀が加わって、すぐ打ち解けて、三人で遊ぶようになりました……。美紀がいてくれたからだと思います。私、暗くて、口下手だから……美紀がいなかったら、単なる顔見知りで終わっていたと思います」
「自慢の大親友と言うわけですね」私が笑顔を見せると、紫苑ちゃんはぎこちなく微笑んだ。
「はい、美紀にはいつも助けられていました」
先輩は腕を組むと、何度かうんうんと頷いて、
「わかりました。祐二くんの気持ちを確かめてきます。調査結果は後日お知らせします」
先輩のその言葉で、面談は終了した。