君の笑顔に花束を 第七部
笹峯さんのオフィスを訪れると、前回のように笹峯さんは大仰に喜んで私を迎えてくれた。いつぞやの小さい一角に案内され、心地よく香るミルクティーが振舞われる。笹峯さんはというと、紅茶を前にして、季節感のないアロハシャツにいつものサンダル姿で両手を広げ、私に向かって満面の笑顔を浮かべていた。
「やあやあやあやあ、遊馬ちゃん、来てくれたんだね、嬉しいよ。あれから、新藤のことは何かわかったかい? え、大体は? そうか、それならもうわかるよね、僕が何を言いたかったのか。まあ、それはそれとして、今日は何の用だい? いや、用がなくては来てはいけないなんて決まりはないし、用がないのに来てくれる方が僕の下心も嬉しいんだけど、つまりはそういうことだと期待していいのかな? ――違う? そうか、残念だな。 それで、今日は僕の矮小とは言わないが、コンパクトに洗練された脳細胞のどの辺りを必要として来てくれたのかな?」
相変わらず立て板に水だ。
私は少し気圧されながらも、苦笑して、手短に要件を話すことにした。
「春日恭子さんのことです。笹峯さんは、一体どうやって、恭子さんの未練を晴らしてあげたのかと思いまして……先輩の言うところだと、今回のケースは長期戦になる――私の実習中には到底終わらないケースだということでした。でも、それならそれで、こういったケースはどういうふうに取り扱えばいいのか後学のためにもお聞きしたいと思いまして……」
笹峯さんはついこの間見せたような残念そうな顔をしてみせると、「やれやれ、今度はそんなことか」と呟き、
「それにしても、君は口調まで新藤に似てきてるねぇ……まあ、悪いことだとは言わないけど。エージェントには個性があっても、まあ、別にかまわないからね。僕はその点に関しては中立だよ。要は、有能かどうか、危険かどうか、それ以外に興味はない。まあ、とにかく遊馬ちゃんは僕が春日恭子をどうやって天上へ送ったのか、その方法はどうだったかを知りたいわけだ? 今回のケースでも、それを活かすつもりだったのかな? でも、だとしたら的を外してるな。僕が春日恭子を天上へ送れたのは、彼女が、彼女自身がクライエントだったせいだ。今回のケースのクライエント、こ、こ、こ――えーと?」
「小早川さんです」
「そうそう、コバヤカワさんね、その恋人が、紗奈さんだっけ? 女性の名前は覚えられるんだ、これが。まあ、とにかく、その『紗奈さんをクライエントのコバヤカワさんが』どうにかしようとしているという依頼なら、これには僕は答えられない。大人しく委託でもするさ。このケースで『亡くなったのが紗奈さんで、クライエントの紗奈さんを僕たちがどうにかする』なら、やりようはあるんだけどね。さて、それを知った上で、僕が春日恭子を天上へ送った方法に興味があるのかい? 何の役にも立たないと思うけど?」
私は、そうきっぱりという笹峯さんの言葉にやや落胆したが、それでも今まで知ることのできなかった恭子さんの行く末や、どういう過程で未練を断ち切ったのか、笹峯さんと先輩との関係性について知るのは無益なことではないと思い、深く頷いた。
「はい。それでも、恭子さん――違いますね、今回は紗奈さんとの接し方をどうすればいいのか、何かつかめることはないかと思って、笹峯さんの助言を頂きに来たんです。もしかしたら――単なる自己満足……実習が終わるまでに、未練が解決しないことへの私自身の心の埋め合わせのために来たのかもしれませんが、どうしても聴いておきたいんです」
笹峯さんはその言葉を聞くと大きなゼスチャーで肩をすくめてみせた。
「それが、新藤と僕の関係性――新藤が僕を憎んでいることに関わることであっても、かい?」
「――え?」
笹峯さんは驚く私にカラカラと笑うと、右手の人差し指を立てて、それを前後させながら続けた。
「新藤は僕を憎んでいる。それは間違いないんだ。でも、僕はいったよね? それは逆恨みに過ぎないって。あえて言うなら、『未練の晴らし方』が、新藤にはどうしても納得いかなかったんだろうな。さて、そこでこちらから質問だ。新藤に毒された君には受け入れがたい事実かもしれないが――もっとも、そのこと自体が意味不明なんだけどね、それでも、僕が春日恭子を天上へ送った方法を知りたいかい? おそらく聴いたら、君は選択を迫られることになると思うよ? 新藤の、『異端』の側につくのか、それとも僕の元へと、まっとうなエージェントとして『戻って』くるのか?」
私は眉をひそめた。笹峯さんの、重大なことを語っているのに、やけにもったいぶったような口調が少し気に障った。しかし、それがなんであれ、私は聴かなければならない。
――もう、後戻りはできないところまで来ているのだ。
そんな本能じみた衝動が、その答えを是とした。
「……教えてください。笹峯さんが、どうやって春日恭子さんを天上へ送ったのか。そして、なぜ先輩が笹峯さんを憎んでいるのか」
笹峯さんは、しばらく私の目を覗き込むと、「うん」と頷いて、ランチのメニューを選ぶくらい簡単に、衝撃の言葉を発した。
「それなら答えは簡単だ。僕は、春日恭子が僕に恋するように仕向けたんだ。そして、徹底的に惚れさせて、手酷く振った。『生への未練も残らないくらい』の絶望に落とし込んだんだ。巧い手だろう? これもいわゆる、『一級エージェントの手口』ってやつだよ」
――私は絶句した。
「そんな……」
笹峯さんは、そんな私を諭すように、
「でも、それがエージェントのなんたるかなんだよ? クライエントの『未練を断ち切り、天上へと送る』――僕たちの存在は、そのためにあり、それ以上ではない。養成機関で学ばなかったかな?」
「――でも……でも、そんな!」
私は、取り乱してほとんど叫び声をあげていた。
「ひどすぎます! そんな……そんなやりかたって!」
笹峯さんは肩をすくめた。
「やれやれ、嫌われたものだな。そんな風に遊馬ちゃんから言われると、さすがの僕も傷つくよ」
笹峯さんは、ティーカップを弄ぶと、角砂糖を3つ、縦に並べて、順番にひとつずつ、紅茶に落としていった。
ぽちゃん。ぽちゃん。ぽちゃん。
角砂糖が紅茶に落ちる音が、やけに大きく響いた。
「遊馬ちゃん、君は考えたことがあるかい? 天上へ行ったら、人間の魂はどうなるか? ――もちろん、偉い学者でもわかっていない。でも僕はね、思うんだ」
笹峯さんは、また人差し指を立ててみせた。
「――天上に行ったら、人間の魂は浄化され、『無』になる」
あっけらかんと言う衝撃の発言に呆然としていると、笹峯さんは紅茶を一口飲み、先を続けた。
「だからこそ、僕たちが生まれたんだ。そう、人間の最後のあがきとして我々が生み出された。――遊馬ちゃん、人間たちはその思考の進化とともに、『死んだらどうなるか』という事を思い悩み、死に対する途方もないくらい膨大かつ無秩序な『恐怖』を持つようになった。人間は『無になる事実』に耐え切れないんだ」
「…………」
話終えてもなお反応を見せない私を見て、笹峯さんはミルクのポットとスプーンを手に取り、「じゃあ見てて」と言うと、
「『死』をミルク、『恐怖』をスプーンとしよう。紅茶という人間に『死』というミルクが訪れると、同時にスプーンという大きな『恐怖』も生まれる。人はそれに抗おうとあらゆる手段で逃れようとするが、ただミルク――『死』が結局スプーンにかき混ぜられ――『恐怖』に踊らさせるばかりだ」
だからね、と笹峯さんはかき混ぜる手を止め、スプーンをミルクティーとなった紅茶から取り出した。
「こうして、スプーンを取り出してあげる役目が必要なんだよ。いつまでもかき混ぜていたってしょうがないだろ? 『死』というのは絶対なんだから、あがいてどうこうなるものじゃない。訪れたらそれでおしまいだ。それならせめて『恐怖』というものは取り除いてあげようと、そういう役目が必要になったわけだ。それが――」
「……私、達」
「ご明答」
ようやく私の返答が聞けたことに、笹峯さんはにっこりとほほ笑んだ。
「この世に残る『未練』を断ち切り人々から『恐怖』を取り除く、それが僕らの仕事であり、僕らの存在意義だ。スプーンを取って口元――天上にまで運び」
笹峯さんはティーカップを口に付け、ゴクッゴクッと喉の奥を数度鳴らし、
「――空っぽに、してあげることがね」
カップの中を、底を私に見せつけた。
先程までたっぷりと入っていたミルクティーは一滴すらも残っておらず。
何もない――『無』だった。
「まったく馬鹿げているよ、まるで赤子のおもりだ。遊馬ちゃんもそうは思わない?」
私は、余りにも突飛な話に、言葉を失っていた。
――私たちの生まれた理由。私たちの存在意義。
それが、突然眼前に投げ出されて、私は蒼白になり、唇を強くかんだ。
「――笹峯さん、極論過ぎます。それは……仮説に過ぎません」
笹峯さんは、「そうだね」とつぶやくと、人好きのする笑みを浮かべた。
「そうだね、仮説はあくまで仮説にすぎない。けれど、今のは多分、他の一級エージェントたちも、身近な例で言えば――新藤ですらも、そう思っているんじゃないかな? だから、新藤も、僕のやり方を否定できないんだと思うよ。結果的に、天上に送られてしまえばすべてが同じ。同じなら、方法はどうやったっていい。要は『どの温度でミルクティーを飲むか』という問題さ。だったら僕は出来たての熱い時に飲むよ。その方がおいしいからね」
言い終えると、笹峯さんは再び紅茶をティーカップへと注いで、ミルクティーを作り始めた。
「でも……でも……」
私が食い下がると、笹峯さんはとどめの一撃を放つかのごとく、さらりと言った。
「――それなら君は、僕の考えを否定できるかい? まあ、無理だと思うけどね。そもそも答えがないんだから。無益だし、無意味なことに過ぎないからね」
そう言うと、笹峯さんは、いつもの通り、陽気にカラカラと笑い声をあげた。
「まあ、過程はどうだっていいんだ。それが『生者にとって危険』ではなく、死者の未練を晴らし、天上へ送ることができればね。だから、遊馬ちゃん、僕は君のことを買ってるんだよ」
私が何よりも憧れ、望んでいた、「一級エージェント」の正体……、それは――
私は泣き出しそうな衝撃を受けながら、何度もかぶりを振り――
――ただ、自分の中の何かが壊れていくのを感じていた。




