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あなたの未練 お聴きします  作者: 小山洋典
最終話 君の笑顔に花束を(上)
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君の笑顔に花束を 第四部

 笹峯さんはお墓に案内してくれたことの他は、結局のところ、口を開いていた十分の一も情報を与えてくれなかったので、さらなる疑問とじれったい気持ちを抱きながら、私は事務所に戻った。

 執務室の扉を開くと、むっと鼻をつく匂いの向こうに、酒精を纏った先輩がウィスキーの小さなボトルを傾けている光景が目に入った。

「先輩……お酒、飲んでるんですか……?」

 たしなめるというよりも、ショックに駆られて、私は確認した。

 あのいつも不遜なほど飄々とした先輩が小さなボトルに頼っている姿は、やけにその存在を小さく感じさせて、私の胸をギュッと締め付ける。

「見ればわかるだろう? 悪いか?」

 先輩は、ギロリと私に一瞥くれると、アルコールの混じった熱い息を吐いた。

「コーヒーはいらんぞ。今はこれがあれば十分だからな」

 幾分ろれつの回らない声で、ボトルを前後に揺らす。

 そんな先輩の姿に胸の奥から悲しくなり、私は小さな声を叫び声を上げた。

「先輩、しっかりしてください。こんなの……こんなの、いつもの先輩じゃない。昔の先輩と春日恭子さんとの間に何があったのかは知りませんが……」

 『春日恭子』という名前を口にすると、先輩が鋭く睨みつけてきたので、僅かな恐怖心を覚えつつ言葉を切ってしまったが、しかし私は続けて言った。揺れる内心の吐露と言ったほうが正確だったかもしれない。

「先輩がこんなんじゃ……先輩はいつもの先輩じゃなければ、私は落ち着いて実習を終えることができません」

 先輩は、そんな私にまたウィスキーのボトルを傾けてみせると、

「たまには酒くらい飲んでもいいだろう?」

「でも……」

 その先にかける言葉などわからない。でも、そう反発する言葉が口をついて出た。

「……でも、放っておくなんてできません。私は、先輩にはいつもの先輩でいてほしいんです。そうじゃなきゃ、先輩がいつもの先輩でいてくれなければ、私は私であることにも自信が持てなくなっちゃう……そんな気がするんです」

 その言葉に「……やれやれ」と揶揄するような口調で肩をすくめると、先輩はじろりと私を睨みつけ、吐き出すように言った。

「実習生、お前、何様のつもりだ? 俺の世話女房にでもなったつもりか?」

 私の戸惑いに追い討ちをかけるように、先輩は畳み掛けるように言った。

「――お前は、俺の何なんだ?」

「――ッ」

 先輩はいつもの先輩じゃない。そんなことは分かっている。だからその質問も、ただの戯言に過ぎないのだろう。

 しかし、そう面と向かって言われると私は何も言い返せない。先輩は、私にとって『先輩』以上の存在で、ただの『教官』という立ち位置を超えているほどに大きく、心の奥深くにいる。

 いつも隣に居てくれているのに、決して手の届かない大きな存在。近く過ぎて、遠すぎる距離。

 そして、ひとりの女性としては――。

「……私……私は……」

 半ば泣き出しそうな、弱々しい自分の声を感じながら、私はその先の言葉を模索した。

 先輩にとっての私。私にとっての先輩ですら、言葉にすると曖昧で嘘になってしまいそうな関係なのに、そのような先輩の質問は私にとっては卑怯としか言いようがなかった。

「私は……」

 ――そのあと、何を言おうとしたのか、自分でもわからない。

「すまん」

 唐突に先輩が苦虫を噛み潰した表情で謝罪し、私の言いかけた言葉は、先輩の酒精を破ることなく、中途半端な形でピリオドを打たれたからだ。

 先輩は私の困惑を知ってか知らずか、熱い息を吐くと、

「少し、飲みすぎたみたいだ。やはり、酔い醒ましにコーヒーの強いのを頼む。もちろん、インスタントでな」

 自分の頬をペシャリと叩くと、頭を降った。

「……はい」

 結局、重要なことは何一つ言うことができなかった私は、そう頷いて、キッチンへと立った。


***


 結局、迷った挙句私が相談相手に選んだのは、またまた東雲秋葉だった。

 この私の親友は洞察力が鋭く、並のエージェントよりも鋭く、また私の親友という間柄から、真摯に話を聴いてくれる。

 事務所から逃げるようにして出てきて、今日の実習終了時刻に秋葉といつものファミレスで待ち合わせをして、待つこと5分。秋葉は、「ごめーん、ちょい遅刻」と笑いつつ私の対面に腰掛けた。いつものようにドリンクバーを頼み、少し席を外すと、今日は得体の知れないブレンドの紅茶を作ってくる。

「で、今日は新藤教官がどうしたの?」

 柔らかい笑顔で、秋葉が問いかけてくる。

「ちょっと、なんで先輩のことだって決めつけるのよ」

 少し赤面して口を尖らすと、秋葉はおどけてみせた。

「最近の遊馬からは、新藤教官絡み以外の悩みを聞いたことないもの。ああ、いいわねー。青春してるわよねー。お姉さんひがんじゃうぞー」

「……馬鹿。まあ、先輩の事だっていうのは合ってるんだけどね」


 それから、私は今回のクライエントのこと、先輩の反応をかいつまんで秋葉に伝えた。


 秋葉はひと通り私の話に耳を傾け、ふうん、と頷くと、

「それで、遊馬」

 と切り出した。

「ん?」

「――あなたはどうしたいわけ? 結局重要なところはそこでしょう?」

 直球だ。

「どうって……私は、先輩にいつもみたいな元気を出してもらいたいだけだよ」

 私はやや狼狽して答えた。

「それは嘘ね。遊馬は、新藤教官に対して、もはや『師弟関係』以上のなにかを感じ始めている。だからこそ、今の苦しんでいる新藤教官を見ることが耐え切れないのよ。まあ、それをあえて『恋』とは呼ばないけどね」

 またまた直球。

 秋葉は確かに優しい。

 だが、気のおけない友達であるが故に、ズバズバと核心をついてくる。

「……それはよくわからないけど、秋葉の言うとおりかも知れない」

 だから私は素直に自分の気持ちを認めた。

 秋葉に対して自分の気持ちを繕い、嘘をつくには、私は疲れすぎていた。

「それで、最初の質問に戻るんだけど――結局、これは、遊馬が解決しなきゃいけない問題だよ。今まで、一番近くで新藤教官を見てきて、その存在が大きくなりすぎて、今、一気に崩れた。そんな新藤教官に遊馬は失望してる? ……ううん、あなたはそんな娘じゃないよね。むしろ、それだからこそ、自分の力を尽くしたい。力になってあげたいと思う。遊馬はそんな女の子だよ」

 秋葉は、ズバズバと心に入り込んでくる。

 それを、一首の爽快感すら覚えて受け入れると、しかし私は、唇を噛んだ。

「でも、私は余りにも無力で……私に何ができるっていうの?」

「それはわからない。その答えは、遊馬、あなたにしか出すことができないものだから。新藤教官の下で、どんなことを学んできたの? それを思い出させてあげられるのは、あなた以外の誰もいないのよ」

 先輩のもとで学んできたこと。

 その言葉を聞いて、私は、あることに思いついた。

「秋葉」

「ん?」

「――私ね、先輩と出会った最初の日に、ある『教え』を受けたの。『この仕事には慣れたくなくても慣れてしまう。だから、絶対慣れるな』って」

 秋葉は小首をかしげて、「どういうこと?」と私を促した。

「それは、『変わっていく自分と向き合い続けろという意味だ』、と先輩は言ったわ。でも、今回の先輩は自分の言ったことから逃げてる。逃げ続けてる。そんなことが、私には許せないのかもしれない」

 私は、自分用のミルクティーを一口飲むと、

「確かに、私の中で、先輩の存在は、大きく――すごく大きいものになってる。先輩はいつも、私の隣にいてくれて、どんなことがあっても私を守ってくれた。だから、私は、そんな先輩に報いたいの。実習が終わる時、胸を張ってお礼が言えるよう、先輩にはいつもの先輩に立ち直って欲しい。それは、『助ける』とかじゃない。自分勝手だけど……『自分勝手に』、少しでも、『力になりたい』の」

「……それが、新藤教官の望まないことであっても?」

「……そう。私が『私』として、先輩と関わりたい。そう思える」

 秋葉は、「そっか」と呟くと、笑顔で、

「強くなったね、遊馬」

 と頷いた。

「そんなんじゃないよ。……でも、秋葉」

「ん?」

「本当に、ありがとう。いつもいつも、私の話聞いてもらってばっかり。言葉では言い尽くせないけど、ありがとう」

「馬鹿。親友のつもりだからね、私も」

 秋葉は珍しく照れ笑いを浮かべた。


 

 ――先輩の過去に何があったのか?

 先輩も笹峯さんも教えてくれないことなら。

 自分で調べるだけだ。あてなら、無くもないのだ。


 いや、私は知らなくてはならない。


 先輩にとっての私が、私にとっての先輩が、何であるのかを知るために――。


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