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あなたの未練 お聴きします  作者: 小山洋典
最終話 君の笑顔に花束を(上)
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君の笑顔に花束を 第二部


「小早川秀雄さん、享年27歳。つい先日、帰宅途中に居眠り運転のトラックにはねられ、即死。どうもこちらの情報部が送ってくる情報は断片的なので失礼ですが、一応、間違えはないですね?」

 先輩は、いつものとおり、のほほん、といった口調で切り出した。

「あ、はい……。そうですね……そうですよね、俺、死んじゃったんですよね。まだイマイチ実感がわかないというか、『死後の世界』なんてものがあるとは思わなかったから……」

 先輩は、「わかります」と同調し、ガシガシ頭を掻くと、

「まだ慣れない感じがあるのはわかります。あなたが亡くなったのも、昨日の今日の出来事のようですしね。突然自分が死んだと言われても、受け入れるには時間がかかる……そうでしょうね。私共は、そういった事をひっくるめて、あなたに死後のサポートをしていく――つまり、『納得づくで死んでいただく』為の存在です。困惑するのが当然ですから、困惑したままで、あなたの『未練』となっている出来事をお話いただけませんか?」

 柔らかい口調で言った。

 小早川さんは、困惑に共感してもらえたのに安堵したのか、少し肩の力を緩めて、

「ありがとうございます。『未練――』俺の『未練』ですか。わかりきってはいるんです。ただ、それは聴いていただくべきものなのか、そうではないのか……まあ、ざっくばらんに言うと、俺がこんな目に遭っちゃったことで、残してきた紗奈は……俺の彼女の紗奈のことばかり、頭に浮かんでくるんです。最後に、一言でも言葉を交わしたかった。きちんとお別れを言わないと、あいつに謝らないと、俺は死んでも死にきれない」

 そう言って小早川さんは悔しそうに歯噛みし、下を向いた。

「確かに、俺にはおかしいところがあったかもしれないけど、あいつの幸せを台無しにする権利なんかなかったはずです。紗奈はわがままなところもあったけど、とても素敵な子だったんです。彼女を一人にしてきて死んでしまうなんて、俺は……、俺はなんて罪深いことを……」

 矢継ぎ早に独白すると、小早川さんは嗚咽を漏らした。

 先輩はティッシュの箱を涙する小早川さんに差し出しながら、

「落ち着いてください。誰も急かしませんから、ゆっくり、順を追って話してくださいね」

 と、柔らかく諭すように言った。

 小早川さんは差し出されたティッシュで鼻をかむと、少し落ち着いた様子になって、

「ありがとうございます」

 と丁寧に礼を言った。

 先輩は頷くと、

「それでは、少し整理させてください。まず、紗奈さんというのは、あなたの恋人のことですか? どうも情報部の方がやっつけ仕事で、今回は資料が少ないのです。手前勝手で申し訳ありませんが、我々にもわかるように、ひとつずつ教えていただけると助かるのですが」

 ゆっくりとした口調の先輩に小早川さんは首肯して、

「そうです。紗奈は俺の彼女です。とても大切な――彼女を一人残してきたのが、俺の悔しさ――心残りなんです。彼女は、俺がいなければ生きていけるとは思えない」

「とても大切に思われているんですね。ところで小早川さん、あなたがいないと生きていけない、そう思うのはなぜですか?」

「彼女自身が、事あるごとに俺にそう言っていましたから。それに実際、その通りなんです。あ、いや……でも、もちろん、全く正反対のことを言われたこともありますが……それは、俺自身が精神病というか、何かおかしいところがあったせいでもあるので……」

 先輩は、「ふむ」と頷くと、

「しかし小早川さん、あなたに精神科の通院歴はないみたいですね。情報部の資料ではそういったことは特に言及されていませんが」

「あ、いや……精神科からは、『あなたにおかしいことはありません』って言われて、どこに行っても門前払いだったんです。でも、紗奈――彼女は、事あるごとに『あなたは頭が少しおかしい』と言って怒っていましたから――」

 先輩は、眉をひそめた。

「――彼女が、彼女だけがそう言っていたのですか?」

「あ、はい。彼女は――紗奈は紗奈でおかしいところがあって、自分もおかしいのは分かっているはずなのに、何か、俺が悪いことをさせられた気分になっていました。確かに、俺に何か悪いところがあったのでしょう。でも、紗奈はひとりで生きられるほど強くありません。俺が隣にいて、支えてあげなければいけないんです」

「――」

 小早川さんの要領を得ないその言葉を聞き終えると、その時先輩の態度に、一瞬空白が生じたように感じられた。

 私が訝しげに「先輩?」と声をかけると、

「あ、ああ――、失礼。あなたは自分が病気というより、彼女が事あるごとに、あなたが病気だと言っていた。それで自分がおかしいのではないかと思い悩んでいたんですね。彼女――紗奈さんが、あなたなしでは生きられるほど強くないというのは?」

 小早川さんは、その質問に、言い出しにくそうに答えた。

「彼女ね、あいつ……よくやるんですよ」

「なにを、ですか?」

「自殺未遂です」

「――」

 何事があってものほほんとしているはずの先輩に、大きな動揺が見受けられた。

 なんだろう? 確かに話はショッキングなものだけど、ここまでの動揺を見せる先輩の方が意外だった。

 私の心配そうな視線に気づくと、先輩は大きく息を吐いた。

「続けてください」

「自殺未遂って言っても、必ず予告してくるんですけどね。深夜3時とか、時間に構わず。リストカットや首吊りが多かったです。俺が情けないから、頼りないから、ちょっとしたことで彼女を傷つけて、彼女は私を罵って、そういうことをするんです。それが何度も繰り返されました。でも、最後には彼女は――紗奈は、『ごめんなさい、あなたなしには生きていけない』って泣くんです。俺も、そんな弱々しい訴えを聞くと、自分が彼女を傷つけていた罪悪感と一緒に、『守ってやらなきゃ』っていう庇護欲みたいなのが湧いてきて……ずっとそんなことを続けてきました」

 先輩は、腕組をすると、右手の人差し指で、神経質そうに組んだ腕をとんとんと叩いた。

「――なるほど。それで、あなたの未練ですが……」

「はい、彼女が独り立ちして、幸せになれるようにして欲しいんです。本来それは俺の役目だったんだと思うんですが、俺、死んじゃったし……せめて、彼女が俺なしにも生きていけるというきっかけみたいなものでもあれば、安心して逝く事ができると思います」

「――なるほど」

 先輩は唸るように、あるいはため息をつくように吐き出すと、

「お話はよくわかりました。この未練について、私どもが最適の道筋を示せるよう、少しお時間を頂きたいと思います」

 私は自分の耳を疑った。

 

 ――『あの先輩』が、未練を受け付けることに即答しなかったのだ。

 


***


「どうぞ」

「おう、ありがとう」

 面接後、先輩にインスタントコーヒーを入れて持っていくと、私は躊躇しつつ、先輩に語りかけた。

「先輩……どうしちゃったんですか? いつもなら、どんな未練でも受け付けていたじゃないですか。弥生さんの時も、修斗くんの時も、いえ、それ以外のどんな時だって、先輩は自信を持って……いえ、自信があったかどうかはわかりません……でも、決してクライエントの未練を拒絶することはなかったのに、今回は一体……」

 先輩は、コーヒーを一口飲んで、ため息を漏らした。

「実習生、俺はな、俺のことをお前より少しはわかっているつもりだ。俺にだって、得手不得手や、限界はある。全てのことに全知全能でいられると思っているほど青くはないんだ」

 私は少し戸惑って、

「でも、小早川さんのあんな断片的な情報で、何がわかると――」

「――境界例だ。それも、重度のな」

「? キョウカイ――」

 先輩は力なく頭を掻くと、

「俺の対処能力の限界を超えた症状だ。小早川さんの彼女、紗奈さんの病気だよ。境界性人格障害。『善い』と『悪い』の両極端な感情の揺れ動き、理不尽な怒りと賛美の繰り返し、病的な見捨てられ不安、激しい自傷行為の行動化――小早川さんが言ってたろ? 自殺未遂を繰り返し、夜中の三時に電話をかけてきて、わざわざしを予告していた、と。リストカットに首吊り。――そして、小早川さんは、自分自身が病気じゃないかという錯覚さえ覚えるほど紗奈さんに振り回されていた。典型だよ。典型的な重度の境界例だ」

「でも、それは先輩の推測です。実際に紗奈さんに会ってみなくちゃわかららな――」

「わかる」

 先輩は、苦虫を噛んだような表情で言い切った。

「わかるんだよ、俺には。痛いくらいにな」

「……先輩」

 私は本当に苦しそうにしている先輩に、なんと言葉をかけるべきか見失っていた。

 ふと、記憶の奥底に沈んでいたひとつのことが浮かび上がってきた。『あの時』見た女性、激しいリストカットとアームカットの痕、確か名前は――。

「先輩、それは、『春日恭子さん』のことと、何か関係があるんですか? 先輩の過去に、何があったんですか?」

 先輩は、驚いて私を凝視した。

「なぜ、その名を知っている?」

 私は、問い詰める先輩の視線から一瞬目をそらしかけたが、きちんと先輩と向き合って、『あの時』のことを話した。

「先輩が酔いつぶれていた時、ファイルの中にあったのを、偶然見つけてしまったんです。でも、詳しいことは知りません」

 先輩は、しばらく私の瞳を覗き込み、探るような仕草を見せたが、糸の切れた操り人形のようにカクカクと首肯して、

「――そうか」

 とだけ呟いた。

「先輩……」

 私が気遣って言葉をかけようとすると、先輩は、それを手で制し、何かを思い出すかのように、辛そうに言った。

「少し――少し、一人にしてくれないか?」

 私は、苦渋を吐き出す先輩の姿に、それ以上の言葉をかけることはできず、「……はい」と頷いて、執務室を後にした。



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