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あなたの未練 お聴きします  作者: 小山洋典
最終話 君の笑顔に花束を(上)
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君の笑顔に花束を 第一部

 笹峯さんと秘密の相談があってから数日が過ぎた。

 私は、いつものように執務室の片付け、先輩に強めのブラックコーヒーを入れると、見慣れた執務室を、何とはなしに見渡した。樫の木でできた先輩のデスク、奥に置かれたソファー、時をカツカツと刻む古びた時計。

「実習生」

 先輩が、ぼんやりといった感じの私に声をかけてきた。

「遊馬です」

「実習生、お前の実習はもうすぐ終わりだよな。記憶違いだったかな?」

「いいえ、記憶違いじゃないですよ。あと2週間です」

 そう、愛着がわいているここの光景にもうすぐ、私はお別れを言わなくてはならない。感慨深さと同時に、一抹の寂しさ――いや、もっと大きな、別れの時のことを思うと泣き出しそうなほどの寂寥感が湧き上がってくる。

 先輩は、「そうか」と呟くと、

「実習生、お前は、まだエージェントになる気はあるか?」

「え……? もちろんです。何を言っているんですか?」

 質問の意図をはかりかねて、私はキョトン、としてしまう。

「そうか、それならいいんだ。この実習で『エージェント』の実情を少しでも知って、心変わりしたんじゃないかと思ってな。まあ、そう言うのはわかっていたが、あくまで確認だよ」

 先輩は、僅かに目を細めて、コーヒーを一口口に含んだ。いつものごとく、それがインスタントであることは言うまでもない。

「それにしても、早いものだな。今まで、いくつもの事案を通して、お前を指導してきたが、今までの実習生の中では、まあ、中の上くらいの成長を見せている。まあ、成績は『優』のわけだが、自己採点としてはどうだ?」

 ――え? そんなことを突然言われても……今まで、自分なりには、それなりに頑張ってきたつもりだが、自分に自分で点数をつけるとなると、どうも悲観的要素が入ってきて、かと言ってある種のうぬぼれがないといえばその点は嘘になって、漠然としている。先輩はどんな答えを期待しているんだろうか? 多分、私が困るのを見越して、からかってるだけだと思うけど。

「そ、それは、あのー、まだ自分で言うのはおこがましいと言うか……」

「ほほう? 言うのがおこがましいような点数なのか?」

 先輩はくっくっく、と喉を鳴らして畳み掛ける。

 私は耳の先まで赤くなった。本当にもう! 意地悪なんだから!

「まあ、なんにせよ、だ」

 そんな私に構わず、先輩はコーヒーをもう一口口に含むと、

「これからお前は、本格的にエージェントの道に入っていくわけだ。俺のところで学べたものがあったのなら、それはそれで嬉しいが、具体的にはどんなエージェントを目指すつもりだ?」

 『どんな?』、と言われても困る。どんなエージェントでも、エージェントには違いない。その中で、自分なりの何を付加するというのか、ということだろうが、今の私にはそれに応えるだけの準備が出来ていない。

「――あ、うーん……考えてはいるんですが……」

 思考の網を紡いでいくと、ひとつの可能性に思い当たった。まだ記憶に新しい、笹峯さんのスカウトだ。私が一級エージェントになれるという、あの蠱惑的とすら言える提案。だが、あの時笹峯さんに止められていたので、そのことは口にしないことにした。

 しかし、笹峯さんと先輩の関係って、結局のところ、どういうものなのだろう? あまり触れないほうがいいのだろうか? 好奇心には駆られるが、尋ねるべきこととそうでないことがある。

「……正直なところを言うと、まだ、よくわかりません」

 情けない気持ちで肩を落とすと、

「――そうか」

 そんな私の心情を思ってかどうか、何でもないように先輩はいい、コーヒーカップを口に運んだ。

「まあ、あと2週間か。それまでは、お前がしたいように、やりたいように、ここにあるもの、俺が持っているものから奪い取っていけばいい。それがお前の将来の糧になるなら、俺は協力するのにやぶさかではないぞ? もっとも、交換条件が一つあるがな」

 先輩は、鋭い目つきになって、声のトーンを落とした。

「交換条件……ですか? それは……?」

 真剣そうな先輩に、私は湧いてきた唾を飲み込もうとして失敗し、喉をかすかにこくんと鳴らした。

「それはな……」

 そんな私に、先輩は重々しい表情でコーヒーカップを差し出すと、

「コーヒをもう一杯だ。もちろんインスタントの美味いやつをな」

「……はいはい」

 また遊ばれてしまった。脱力しつつ、私はカップを受け取った。

 ――やっぱり、先輩にとっての私の価値って、家政婦並みなのだろうか?

 そう自虐じみた考えが私の脳裏をよぎった時、デスクの上の電話が鳴った。

 先輩は軽く舌打ちすると、

「やれやれ、仕事はコーヒーを飲む時間をも奪っていくものなのかな? 商売繁盛で何よりだ。まあ、内容を聞いてから、コーヒーを飲む時間くらいは与えられてるだろう。実習生、コーヒーを入れてくるように」

 『コーヒー』という単語を連呼しつつ、そう毒づきながら、私を促した。


 ――実習終了まで残り2週間。

 もしかしたら私のこの実習において、最後のケースになるかもしれない依頼の電話を、先輩は実に面倒くさそう取りあげた。

 

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