あなたの未練 お聴きします 第二部
「これは一体どうしたことだ?」
目を覚ました先輩の第一声はそれだった。とっさに意味が図りがたく、
「ど、どうしました? 何か不手際でも」
おずおずと聞くと、
「床が見えてるじゃないか」
「当然でしょう、掃除したんですから」
呆れ声で私はそういった。
実際、掃除は大変というわけでもなかった。
床に落ちている書類をかき集めて、ファイルキャビネットの中にしまいこみ、本は本棚に、洗濯物は汚くて触りたくなかったけど、何とか我慢して折りたたんでおいただけだ。
それだけで、かなり部屋は整理された。むしろ、この程度のことをやらずにずっと過ごしてきたその神経の図太さが信じられないくらいだ。
「実習生」
「遊馬です」
「珈琲を入れてくれ。インスタントでな」
「はいはい」
珈琲を持っていくと、一口すすって、満足げな息を吐き出した。
「うまい。やっぱり珈琲はインスタントに限る。実習生、お前、なかなか見所がありそうだな。いい家政婦になれる。見直したぞ」
「インスタント珈琲なんて、誰が入れても味は一緒じゃないですか。それに、私は家政婦になるために来たんじゃありません」
「じゃあ、何のために来たんだ?」
「茶化さないでください。死活問題なんです」
むきになって言い返すと、先輩は肩をすくめた。
「そんなに肩の力を入れてやるもんじゃない。気楽に、気楽に」
「気楽になんかできません。私の将来は、実習期間にかかっていると言っても過言じゃないんですから」
「だから、優をやるといっているだろう」
「そんなの……ずるいです。私は、ちゃんと自分の力を確かめたいんです」
先輩はやれやれと言うように息を吐くと、デスクの椅子を引っ張って腰掛けた。
「俺は優しかやらない。良でも可でも不可でもない、優だ」
「何でですか? 私は自分の力量に対する正当な評価が欲しいんです」
食い下がると、先輩はじっと私の瞳をみつめてきた。困ったやつだな、そういいたげな目だった。
「俺がそうしたいからだ。単なるわがままだよ。それとも、実習先を替えるか?」
そうしようかしら。ふと思ったが、口に出したのはそれとは別の言葉だった。
「……先輩は、一級エージェントなんですよね?」
「くだらないな」
「一級エージェントなんですね?」
語気を強めて繰り返す。
「肩書きではそうなってるな」
ため息をつくと、先輩は言った。
「それなら、先輩のところがいいです。一級エージェントのところに実習にこれるなんて、幸運以外の何者でもありませんから。一級エージェントの何たるかを精一杯盗ませてもらいたいと思います。なんといっても、一級エージェントは、私たちの憧れですから」
「一級ねぇ……」
一級を連呼する私に、先輩は頭をガリガリと掻いて答えた。
「一級がどれほどのもんか知らないが、まぁ、好きにするさ」
「ありがとうございます。二階堂遊馬、誠心誠意、全力投球で頑張ります!」
深々と礼をすると、先輩は苦笑して肩をすくめた。
「まぁ、ほどほどにな。頑張りすぎてもろくなことがないぞ、この職業は」
「それでも、頑張ります」
先輩は珈琲をすすりつつ、のんびりした声で言った。
「まぁ、最初は戸惑うことも多いかもしれないが、そのうち慣れてくるだろう。慣れたくなくても慣れてくる。でも、絶対に慣れたりするな。それが第一の指導だ」
「? それは、どういう……」
その時、デスクに置かれた電話がなった。先輩は電話を引き寄せながら、やれやれと言った体で、苦笑いして見せた。
先輩は二言三言電話口で話すと、
「ほらきた、仕事らしい。これからは、俺について仕事を覚えてもらうが、同席するか?」
「は、はひっ! ぜひ!」
上ずった声で、私は頷いた。