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あなたの未練 お聴きします  作者: 小山洋典
第四話 巣立ちの頃
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巣立ちの頃 第三部

『これはお前の受け持つべきケースだ』


 そう言われたものの、さて、一体何をどうすればよいのか?

 先輩は何か用事があると言って事務所を出て行ったので、私は一人、執務室の、カツ、カツ、カツと無機質に時を刻む時計の音にぼんやりと身をゆだねながら、思案に暮れていた。

 

 ――あいつらに復讐して欲しい。

 

 修斗くんの無垢な、切実な暗黒に触れ、私は思い悩んだ。

 『落ちこぼれの遊馬』――そう言われ続け、罵倒され、嘲られた私だからできること。

 ――いや、しなくてはいけないこと。

 それは何だろう?

 修斗くんの闇を介して、自分自身と向き合うこと。そんな中で得られる答えに、先輩は期待しているのだろう。勝手な思い違いかもしれないが、私はそう確信していた。先輩は、いい加減そうに見えて、いつも私の『成長』を促すように配慮してくれている。今回の難解なケースを私に委ねたのも、そんな思いがあってのことなのだろう。

 正直、私一人では分不相応であることは重々承知の上だ。しかし、私は私なりの答えを出さなければいけない。そして、その過程で得たものすべてを使って修斗くんの『未練』と向き合わなければならない。

 ――私は、教授たちや、同期生たちに復讐をしたいのだろうか?

 そう問いかけてみる。

 確かにそう思っていたこともあった。しかし今の私には、そんな考えも、どことなく自分自身の醜さに赤面するような感じになっていることも確かだ。

 一番初めのケースで、先輩に言われたことが、今になって胸を突く。

『俺たちは常に変わっていく。慣れるな、と言うのは、依頼人を一辺倒に見るなと言うことだけではない、常に変わっていく自分を見つめ続けろ、ということだ……』

 そう、私たちは常に変わっていく。そんな中で、絶えず自分を見つめ続けること。自分を知ること。修斗くんは『クライエントの一人』ではない。かけがえのない、一個人として存在するのだ。そんな修斗くんに、変わり続ける私ができること。そして修斗くんの変わっていくであろう『心』の末端にでも触れさせてもらうこと。『未練』の行く末に、寄り添わせてもらうこと――。

「……復讐、か」

 私は、それがどことなく異世界の出来事のように、ため息混じりの言葉を吐き出した。

 『復讐』って、何なんだろう? 物理的には、とても簡単なことかもしれない。修斗くんがやられたことを、仕返してやればいい。例えば――姿を消し、学校に侵入して、あの三人の誰かの靴を隠す。誰がやったかもわからないように菊の花を机の上において葬式ごっこ。そして人を信じられない状況に追い込む。……そうすれば、彼らはいじめられる立場を少しでも知って、反省するかもしれない。彼らを疑心暗鬼に追い込むだけで、修斗くんの感じていた何百分の一かのわずかなものであっても、少しは苦しむだろう。

 だが……彼らが、昨日までの仲良くしてた友人に疑心暗鬼になって、仲違いして、誰が救われるだろう?

 ただ、虚しいだけだ。

 人が人を信じられなくなって、それがあの子の望みを叶えることになるのだろうか?

 私はかぶりを降った。

 ――とどのつまり私は、人間を信じたいのだ。

 いじめをしてた彼らが、心から反省する。そしてあの子が、いじめをしていた彼らを赦すことを信じたいのだけなのだ。そんなありえないハッピーエンドを、勝手に夢に描いている独りよがりなのだと痛感させれる。

 私はどうだろう? 皆から落ちこぼれ呼ばわりされ、「見返したい一心で」エージェントという職を選んだ。それは、復讐のためだったろうか? そうかもしれない。この仕事に直接関わるまでは、そうだったかもしれない。

 でも、そんな思いは、今はただ無価値な、空虚なものに思ってきている。この仕事を知れば知るほど、うまく言葉にはできないが、別の感情が私を「エージェント」という職業に就きたいという気持ちを掻き立てている。

 それなら、私に出来ることはひとつしかない。復讐が何の意味もなさないのであれば、残る道はひとつだけ――修斗くんと真正面から、向き合わせてもらうことだ。

 

 どのくらい考え込んでいたのだろうか。気がつけば黄昏時になっており、透明感のある斜陽が窓から差し込んでくる。静かに事務所のドアが開き、先輩が帰ってきた。

「すまんな、ちょっとあの笹峯の馬鹿に付き合わされて、帰るのが遅くなった。留守中、何かあったか?」

 私は、戻ってきてくれただけで安心感を与えてくれる先輩に、嬉々とした気分を悟られないように、「特になにもなかったですよ」と答え、私の決意を手短に述べることにした。

「先輩」

「何だ? 何か思うところがあるようだな」

「はい」

 私は、息を呑み込んで、

「修斗くんと面接をさせてください。今回のケースは、私が私だけで――いえ、『修斗くんと一緒に』、答えを見つけ出さなければならないのだと思います」

 先輩は、真剣な表情の私を一瞥すると、「ほほう」と呟いて、

「そうか。それなら、面接の手続きを取れ。今回、俺はあくまでバックアップに徹する。背中は支えてやるから、思ったようにやってみろ」

 そう言って、私の頭をくしゃくしゃとかき回した。

「実習生」

「遊馬です。――コーヒーですね」

「……よくわかるな。そのとおり。この前見つけてきたうまいやつを頼む」

 先輩は、わずかに相貌を崩すと、

「――それにしても、初めにお前が来た時は、気負いばかりであんなに頼りなかったのに、なかなかどうして――いい顔つきになってきたじゃないか」

 嬉しそうに、再び私の頭をくしゃくしゃとかき回した。



***


 私は、修斗くんと真向かいに座った。

 先輩は緊張した面持ちの私を支えるかのように、右隣にゆったりと鎮座していた。ただ、隣にいるだけで先輩は安心感を与えてくれる。私が巣立つのを見届ける親鳥のように、静かに寄り添ってくれる。たったそれだけのことが、臆病な私に勇気を与えてくれていた。

 面接が始まると、前回と違っていくらか居心地が悪そうにしている修斗くんが口を開いた。

「それで……奴らに仕返しはしてくれた? 本当に殺しちゃったの?」

 私は、そんな怯えに満ちた声に柔らかに応じることにした。

「いいえ、何もしてないわ」

 すると、修斗くんは少しホッとしたような表情を見せて、しかし次の瞬間には、険しい顔付きで、声を荒らげた。

「なんだよ、結局なにもやってくれないの? 僕がどれだけ苦しんだか、あいつらに思い知らしてくれるって約束したじゃないか!」

 私は、努めて平然とその言葉を受け止める。

「そう――その通りね。でも、修斗くん、これは月並みな言葉だけど、復讐は何も生み出さないわ。あなた自身、本当にそんなことを望んでいるの? それが、本当にあなたの『未練』なのかな?」

 すると、ぴくり、と眉を上にはね上げて、修斗くんは怒気を吐いた。

「なにも生み出さなくたっていい! そんな綺麗ごとなんか聞きたくないよ! 僕は、僕の感じた絶望の何百分の一でもいいから、あいつらに味あわせてやりたいんだ!」

 私は、ふぅ、と息をついた。やり場の無い怒り、誰にも聞き届けてもらえない、受け止めてもらえない闇の感情。ここに実習に来る前、ほんの少し前まで私を飲み込んでいたその痛みは、修斗くんを介して、私自身に跳ね返ってきた。しかし、今の私は、今の私だからこそ、その言葉を痛みとともに受け止めることができた。

「それで満足する? 未練は消える? 本当に、そう思ってるの?」

 修斗くんは、ぎくりとした表情で、ふと視線を床に落とした。

「消えるに……決まっているだろ?」

 私は、そんな修斗くんを諭すように問いかけた。

「修斗くん、君は復讐のために生きてきたの? その為にだけ生まれてきたのだとしたら、あなたの人生は本当に無意味なものになってしまうんじゃないかな?」

 修斗くんは『復讐』することを『未練』としてしまった自分の愚かしさを知っている。そんな確信に似た直感に導かれた言葉だった。

「……それでも、僕は復讐しなくちゃいけないんだよ。そうでないと、僕が生まれて生きてきたことに、何の意味もなくなっちゃう。復讐のためだけに生まれてきた。そんな人生に何の意味もないって言うけど、それならどうしろって言うの? このままじゃ、僕は何のために生まれてきたか、本当にわからなくなっちゃうよ」

 悲痛な叫びにも似た、消え入りそうな声に胸を打たれながら、私はそっと言葉を紡いだ。

「私もね、周りのみんなから――先生からもだよ? 『落ちこぼれ』ってレッテルを貼られて、ひどいことを言われ続けてきた。だから、こんなことを言うと不愉快かもしれないけど、修斗くんの気持ちは少しはわかるかなって思う。私も、皆を恨んでいたから。傷つけられて、笑いものにされて、それで『復讐』を考えないなんて、そんな立派でも偉くない」

 私は、私自身に問いかける。周りを恨むことで、何が変わるだろう。『復讐すること』が何も生み出さない自己満足に過ぎないことは分かっている。それでも、恨まずにはいられない。その気持ちは痛いくらいに分かる。

 ――でも。

「……でも、最近思うんだ。復讐することなんかより、もっと重要なことがあるって。どんなに嘲りを受けようと、どんなにひどいことをされようと、しっかり前を見て、自分と向き合うこと。そうして初めて、どんなにひどい人生でも、『自分の人生』として、受け入れられるんじゃないかな? ひどい人は、確かにいる。でも、そんな人たちにコントロールされていると思う人生より、自分の足で、自分自身で歩いて行ける人生の方が、よっぽど意味があるんじゃないかな?」

 修斗くんは、ギリっと歯噛みをして、

「でも、僕はもう死んじゃったんだ。自分の人生なんかもうない。将来なんか、ないんだ。そんな状況の中で、僕は何を考えて、自分自身の足で歩いて行けるようになっていけるって言うの? もう、何もかも『終わったこと』なんだよ! まさか、『終わりの始まり』なんて、どっかの漫画で書かれているような薄っぺらい説教をするつもりじゃないよね。そんな綺麗事ばかり聞きたくない!」

 修斗くんの怒りと絶望の奔流が身体を通り抜けていくのを感じながら、私は、軽く息を吐いた。

「そうね、すぐにはわからないかもしれない。私自身、わかっていないのかもしれない。だから、ゆっくり行きましょう。短いけど、今回はここまで。でも、この面接が、修斗くんが、自分のことを、自分の人生を考えるきっかけになってくれればいいと思ってる。道のりは、まだまだ遠く続いているけど、あなたと一緒に、ゆっくりでいいから歩いていきたいな。忘れないで、修斗くん。あなたは『単なるイジメられっ子』なんかじゃない、かけがえのない『伊藤修斗』というひとりの人間なんだよ」

 修斗くんは、泣きそうな顔で、私を見つめた。自分でもわかりきっていることを言われ、それでももがかざるを得ない、希望のない底なし沼で喘いでいる、そんな動揺が、今の私には手に取るように分かった。

「よく……よくわからないよ、僕。僕は……」

 修斗くんは、蚊の鳴くような声で、この面接を閉じる、最後の言葉を紡いだ。

「復讐……したいんだ。もう、どうしようもない……」

 私は、全身で耳を傾けながら、「そう」とだけ、口にした。

 面接をしながら、ひとつだけ、確信めいたものを感じていた。

 修斗くんは、この小さな少年は、『復讐』を『未練』にするには優しすぎる。その心の根底に『暗い感情のみ』がわだかまらせているのには、余りにも幼すぎ、純粋すぎるのだ。その無垢な想いが『言葉』として行き着いた先が、『復讐』の二文字に過ぎないのではないだろうか。

 私は、そんなことを考えながら、

「そう」

 再びそれだけ口にして、面接を終えた。

 

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