巣立ちの頃 第一部
「伊藤修斗くん。享年14歳ですね。君は、クラスメイトのいじめに耐えかねて、2か月前、自分の住むマンションの14階から身投げして亡くなられた。おそらく笹峯にも確認されたことで、どうにもお役所仕事ですが、間違えてませんね?」
先輩が、気だるげに口を開いた。
「キョウネンって何?」
修斗くんが口を挟む。
「ああ、死んだときの年齢ということですよ。君は、マンションから飛び降りて――」
「うん、間違えてないよ。僕、自殺したんだ」
修斗くんは、年の割に華奢な体格をしており、小学生といっても通じそうなほどあどけない印象を受ける。愛くるしいと言っては語弊があるかもしれないが、弟にすれば何かと構ってあげたくなるような、庇護欲を掻き立てられるというのだろうか――そういう雰囲気をまとっている少年だった。その修斗くんは、好奇心旺盛といったような瞳に、爛々とした光をたたえながら、事務的な口調で確認する先輩と私を交互に見やっていた。
「それで、あなたの未練なのですが……」
先輩は、のんびりと口を開きかけたが、それを遮るように修斗くんが身を乗り出した。
「笹峯のおじさんに言われたよ。ここに来れば、僕の『未練』を晴らしてくれるって。そうなんでしょ?」
私は、いじめによって自殺まで追い込まれながら、こんなにも嬉々として話をする修斗くんに戸惑いを覚えたが、先輩はといえば、いたってのほほんとしながら、しかし、しっかりとその言葉に応えた。
「――はい、それが私たちの仕事です」
「それじゃ、僕の未練は簡単だよ――僕をいじめてた奴らを、同じ目に合わせてやりたい」
「――っ!」
修斗くんの声は途中で音量が落ちたりすることはなく、最後まで楽しそうに言い切っていたが、それが逆に彼の発言の怖さを助長させていた。
「僕がどんなに苦しんだのか、あいつらにも味あわせてやらないと、死んでも死にきれないよ」
先輩は、じっと修斗くんの目を覗き込みながら、厳かに言った。
「……でしょうね。死んでも死にきれない。だからこそ、君はここにいる。その恨みを晴らさないでいることが、君の未練だということですね」
突飛な話だと突っ張ねられず、先輩が素直に自分の『未練』に聴き入る姿勢に気をよくしたのか、修斗くんは舌をさらに回転させた。
「うん、とにかくあいつら、卑怯なんだよ。つるまないと何にもできない奴らなくせにさ。僕は何も悪いことしてないのに、靴を隠されたり、机に葬式の花を飾られたり、無理やり万引きさせられたり、夜中に呼び出して殴る蹴るしたり。お金を取られたり……だから、僕の苦しみを少しでも教えてやりたい。どうせ僕が死んだことに罪悪感を感じることもないんだ。僕は年が経てばどうせ忘れられて、『ああ、そんな奴もいたな』くらいにしか、きっと思わないんだ。僕は、それが許せない。僕という存在がいたことを、知らしめてやりたい」
先輩はぼりぼりと頭を掻くと、
「なるほど。とどのつまり、我々にしてほしいことというのは――」
「復讐だよ」
修斗くんはやっとそれが現実になるのだと思ってか、とても嬉しそうに続けた。
「奴らを殺してやって欲しい。それも、ただ殺すんじゃなくて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、僕の痛みの少しでもわからせてやりたいんだ」
「ちょ、ちょっと……修斗くん」
嬉々として話す修斗くんに、私は待ったをかけた。……いくらなんでも、簡単に「はいそうですか」とは言えない『未練』だ。こんな流れで、その『未練』を是認することができるエージェントなんて――
「そうですか、わかりました」
――いた!?
「せ、先輩……?」
慌てて静止に入る私を手で制して、先輩は続けた。
「それでは、どのような苦しみを与えましょうか? 何も悪いことをしていない君へ、理由もなくひどいことをしていたのですから、罰せられて当然ですよね。どんなことをしたいですか?」
修斗くんは、目を輝かせて、だが、少し考え込むようにして、
「うーん、まずは、殴る……とか?」
その答えに、先輩は大仰に驚いてみせた。
「おやおや、そんな程度でいいのですか?」
信じられない、というようにかぶりを振る。
「……君は、自殺に追い込まれるほどひどいことをされてきたんですよ? 奴らに復讐しなければなりません。違いますか?」
「うん」
嬉々として、修斗くんは目を輝かせる。
「そうですね、まずは例えば、ライターで耳を炙るとか」
「……うひゃあ、痛そうだね」
修斗くんは、少し眉をしかめた。
「あるいは、手軽に、爪と指の間の隙間に、ゆっくり針を刺していくとか」
「……なんか、僕の方まで痛くなってくるよ……」
ゾッとする様子の修斗くんには構わず、先輩はなおも続ける。
「――と、自分で言っておきながらなんですが、針というのはいいアイデアですね。身動きできないように体を固定して、目を強制的に開かせて、ゆっくり針を眼球に近づけていく。そう、ゆっくりとね」
先輩は、事務的な口調で乾いた言葉を紡いだ。
「針が目に届いたら、さらにじわじわと眼球に差し込んでいって、たこ焼きに指す楊枝のように、最後には手にスナップを効かせてえぐりとる。片方の目が終わったら、次は、もう一方の目またゆっくりと針を近づけてくなんていうのはどうです? もちろん、発狂するまで、ゆっくり時間をかけて恐怖を味あわせます」
「……」
修斗くんは押し黙った。
「私どもなら、巨大な圧縮ローラーを用意することもできます。それを使って、両足の先から少しずつ、パスタの生地を作るように、ゆっくりゆっくり、発狂するような痛みと恐怖を味あわせながら、徐々にペッタンコに押し潰していく……、肉も骨も、少しずつ押し潰されていく。心地よい悲鳴を上げるでしょうね。身体の全てがいい具合にぐじゃぐじゃになって、元の形がわからなくなるようにします」
そうつらつらと、淡々と話す先輩に、あきらかに修斗くんは鼻白んだ。
「……そ、そこまではやらなくていいよ」
「なぜですか?」
先輩は小首をかしげる。
「なんでって……なんででもだよ。僕はそこまでひどい奴じゃない」
修斗くんは、先程までの陽気な調子から、トーンダウンして、消え入るように言った。
「僕は、そこまでひどくない……」
先輩の意図がようやく分かって、私はその手法の妙に舌を巻いた。先輩が修斗くんの『復讐して欲しい』という未練に即答した時にはどうなることかと思ったけど、こういう意味だったのか。
かわいそうに、修斗くんは顔を青白くさせて、俯いてしまっている。まるでこちらが彼を虐めてしまっているようで、少し心が痛んだが、修斗くんも、自分が口にした『復讐』の意味に、気づかされるところがあったのかもしれない。身体を震わせ、目に涙を貯めながら、それでもいじめられてきた悔しさに歯噛みする音が聞こえる。
「僕は……僕は……」
しばらく俯いていた修斗くんは、自分でもどんな言葉を続けていいかわからない様子で、肩を落とした。
「――はい」
先輩は、修斗くんの動揺に構わず、無機質に応じる。
そんな先輩に、修斗くんは、しかしひと呼吸置くと、決心したように言った。
「やり方は……任せるよ。とにかく、僕をいじめた奴らに、僕と同じ苦しみを与えたい。それが、僕の『未練』」
一気に吐き出し、疲れたように、緊張した身体をソファーに投げ出した。
先輩はしばらくそんな修斗くんを感情を伴わないような瞳で眺めていたが、一息つくと、
「わかりました。死者の未練を聴くのが私たちの仕事です。報告はちゃんとしますから、あなたの未練が晴れるよう、尽力致します」
のほほん、といった感じに初回面接を終えた。




