ツナガルナニカ 第五部
「娘さんに会ってきました」
先輩は、いつものように飄々と話を切り出す。
「そう、それで?」
弥生さんはタバコを指にはさむと、ライターで火を付けた。
どうも弥生さんを見ていると、横柄で教養のない、場末のスナックにいそうな女性を連想させる。実際、弥生さんはスナック嬢だったのだから、当然かもしれないが。
とにかく、私には苦手なタイプだ。
「まだ中学生だというのに、しっかりした、良い子でしたよ。養子だとわかっても、今が幸せだと言ってました」
実際、弥生さんと明日香ちゃんの違いは、実の親子だというのにギャップがありすぎると思う。中学生であれだけしっかり、礼儀正しく毅然としていられる子はそうはいない。
真面目で素直な明日香ちゃんに比べ、弥生さんはといえば、大人の薄汚れた雰囲気を内面から醸し出している……ような印象を受けざるを得ない。
その弥生さんは、先輩の短い報告を聞くと、視線を宙にさまよわせ、
「そう――」
紫煙を吐き出しながら、繰り返し言った。
「――そう」
少し間を置いて、先輩が続けた。
「あなたのことを伝えようと思いましたが、拒絶されました。今が幸せ、本当のお母さんのことは聞きたくない、と」
弥生さんは、肩をすくめると、
「いいことじゃない。幸せでよかったわねー。こんな母親でも、良いことができるのね。あんだけ虐待して、棄ててやった。そしてもらわれた家庭で娘は幸せ。母親であることを放棄して、本当によかったわ」
無責任な物言いに、私は思わずカチンときた。
今まで自制してきたが、もう、我慢の限界だ。
何も言わない先輩、横柄すぎる弥生さん、どちらに怒りを向けていたのかはわからない。
だが、思わず私は先輩と弥生さんの話に割って入っていた。
「弥生さん、あなたは本当に明日香ちゃんのことをどうも思ってないんですか? 自分のお腹を痛めて、産んだ子供でしょう? 私、理解できません。産んで、虐待して、棄てて、良いことをしたなんて、本当に母親といえるんですか!?」
しかし、私の乱入に少しの動揺も見せず、弥生さんはタバコの煙を吸い込むと、嘲笑うかのように私の顔に紫煙を吹き付けた。
「箱入りのお嬢様ね、あんた。あたしが娘の今の幸せに感動して、ごめんなさいとでも言うと思っているの? あの子を愛したことなんて、ただの一度もないわ。ガキ一人産んでない小娘に、育てた苦労も知らない小娘に、説教されたくないわね」
私は言葉に詰まった。人生経験や生きていくための苦労の何たるかなんて、到底私の口を挟める余地がないはずだ。
だが、悔しい思いはどうしようもない。私はこの人を受け入れられない。理性より、激情が勝る。
押し黙った私を無視するかのように弥生さんは短くなった煙草を灰皿に押し付けると、
「で、もう終わりなんでしょ? 明日香は幸せ。そりゃようござんした。これであたしの未練も終わりね。っていうか、さっさと終わらせてよ。面倒くさい」
私は投げやりな弥生さんの態度にカッと来て、感情を抑えきれずにまた口を出してしまった。
「そうですね、あなたみたいな最低の母親から離れられて、明日香ちゃんは本当に幸せだと思います。あなたの言う通り、さっさと未練を断ち切ればいいじゃないですか。それとも何ですか? まだ明日香ちゃんを苦しめなければ、気が済まないんですか?」
「すまないわよ。あの子には、もっと不幸になってもらわなきゃ」
「――な!?」
私は絶句した。そんな私に、先輩が、
「実習生、言葉を控えろ」
と言い、軽く弥生さんに頭を下げた。
弥生さんは紫煙を吐き出すと、私に向けてか、けらけらと笑い声をあげた。
「冗談よ。あの子が幸せなら、万々歳じゃない。さて、こんな無意味な話し合いもおしまい。さっさと私を天上とやらにつれてって」
「申し訳ありません、こちら側が分をわきまえず、感情的になってしまいました」
私が弥生さんを憎々しげに睨みつけると、先輩が私を嗜めるように言った。
先輩はどこまでいっても冷静そのものだ。
しかし、その冷静さが、今の私には憎さとしてしか捉えられなかった。
先輩、何か言ってやってください。
私を失望させないでください。
少しでも、弥生さんに親というものの意味を、親と子というものの価値を教えてあげてください。
そんな心の悲鳴を、私は上げていた。
「すみませんね、こいつ、まだ実習生でして、すぐ感情的になってしまうんです。ご要望通り、あなたの未練を断ち切って、天上へと送ろうと思います。あなたはもう天上に行く資格がある。――しかし、これが結末で、本当にいいのでしょうか?」
しかし先輩は、あくまでも冷静に言った。
「あなたにとっても、明日香さんにとっても、こんな結末でいいのでしょうか」
弥生さんははっとしたように身じろぎすると、二本目のタバコに火をつけた。
「――いいわよ。最初から言ってるでしょ? 私には何の未練もないって」
先輩は、じっと弥生さんを見つめると、私に言った。
「わかりました。実習生、弥生さんを天上に送る手続きをして来い」
先輩はのんびりというと、
「あなたの魂は、2,3日中に天上界に送られることになると思います。手間取らせて申し訳ありませんでした」
「――そう、さっさとしてよね」
けたけた下品な笑い声を出しながら、3本目のタバコに、弥生さんは口を付けた。
そんな弥生さんの姿を、先輩はただ、じっと見つめ続けていた。
それは、哀れみでもない、同情でも、見下すでもない、沈痛な表情だったように、私は感じた。
***
「先輩! 私、今回ばかりは、弥生さんには同情できません。あまりにもひどすぎます。身勝手すぎます」
面接が終わった後、私は語気荒く、先輩に憤りをたたきつけた。
「んー?」
先輩はのんびり答える。
「親子の絆って、もっと固く、優しいものだと思ってました。私は弥生さん、あの人を受け入れることなんて、到底出来そうもありません。なのに……なのに、なんでそんなに先輩は冷静に弥生さんと接することができるんですか?」
先輩は肩をすくめただけで、私の入れたインスタントコーヒーを行儀悪くすすった。
私は感情の赴くまま、激情を吐き出した。
普段の私だったら、なけなしの抑制が効いていただろう。先輩には、何か考えがある。
先輩は信頼できる、紛れもない特別なエージェントなんだ。そう思っていた。
――だからそれは、自分自身に対しての、そして先輩に対しての怒りだったのかもしれない。
「あんなクライエントでも、私たちは受け入れなくてはいけないんですか? 生きてるときからいい加減、死んでもいい加減。娘さんのことを考えもしないで、自分の死にも責任を取らない。そんな人を受け入れるなんて、私にはできません」
頭をがりがりかくと、先輩はこちらの心を見通すように言った。
「実習生、お前、何様のつもりだ? 思い上がるな。クライエントの心のドアを開くのは俺たちじゃない」
決して叱りつけるでもない、諭すような、柔らかい言葉だった。
「お前のためにクライエントがいるんじゃない。クライエントのために、俺たちがいるんだ。そこを履きちがえるな」
先輩の言葉は、私の心を悲しく突き刺し、思わず私はたじろいだ。
――でも、沸き起こる感情が、私に言葉を続けさせた。
「……じゃあ、私たちは、クライエントのためなら何でもする、小間使いですか?」
「ああ、それで間違ってない。教授たちに教わっただろう?」
先輩は、ため息混じりにそう答えた。
――先輩の言葉に、私は自分でも思ってもみなかったほどのショックを受けた。
ほとんど泣きだしそうな声が、私の口から絞り出された。
「……先輩は……先輩は教授たちとは違うと思います。私の一方的な押し付けかもしれないけど、先輩なら、わかってくれると思いました。それは……それは、私の勘違いなんですか!?」
先輩は、困ったやつだな、というように肩をすくめた。
「勘違いだな。俺はそんな高尚な存在じゃない」
「……そんなこと……そんなこと、言わないでください。失望したくありません。私は先輩を……先輩のことを信用したいんです。信用させて欲しいんです」
先輩はため息を着くと、
「実習生、俺にそういう感情を抱く必要はないよ。その必要があるのは、俺ではなくクライアントに対してだ――もっとも、向けるのは信用ではなく信頼だがな」
先輩はやれやれ、といったふうに肩をすくめると、
「弥生さんを天上に送るのに、何日かかると言っていた?」
「……2日だそうです」
先輩はコーヒーに口をつけると、のほほんと言った。
「――後2日か」
何かを考えるように、ぼーっと視線をさまよわせると、先輩は私に向き直った
「――もう時間がない。もう一度、明日香さんと接触するぞ」
意外な言葉に、私は、驚きの声を上げた。
「――え? だって、明日香ちゃんは、付きまとうな、と……もう弥生さんのことを忘れたいと……」
「明日香さんはな。だが、弥生さんはそうじゃない。歪んだ未練を持っていたら、天上に行っても、送り返されるのがおちだ。その前に、やらなくちゃいけないことがある。弥生さんという人間に関わった、俺たちの責任がな」
先輩は、そう言って、冷めたコーヒーを飲みほした。
***
「わからない、わからない、わからない!」
「まあまあ、遊馬、落ち着きなさいな」
いつものファミレスで、わめきたててテーブルの上に突っ伏した私の方を、秋葉がポンポン、と叩く。
「だってさあ」
私は、頬をテーブルにつけたままで、唇を尖らせる。
「……先輩のこと、もう訳がわからないよ。エージェントの常識を破ってクライエントの周囲の人達と直に接触を持っちゃうわ、それでいて、養成機関の教授たちと同じように、クライエントのリクエストを叶えるために私たちがいるとか杓子定規なことを言ったり、何を信じたらいいのか、もう分からない!」
「よしよし、遊馬は良い子良い子」
機嫌の悪い赤子を宥めるように、秋葉は優しく頭を撫でてくれる。
「……でも、その新藤教官って、私は好きだな」
秋葉は、少し私が羨ましそうに言う。
「えー、どこが?」
私が上体を起こすと、秋葉は「だってさ」といいながら、軽く微笑む。
「遊馬の話では、遊馬は、そのクライエントを、どうしても受け入れられない感じなんでしょ? でも、そのクライエントが、いかに自己卑下してるように見えても、いかに無責任のように見えても、決して見捨てたり、評価したりしない。ただ、クライエントのことを信頼する――信用ではなくてね。それってすごいことじゃない?」
「――あっ」
『信頼』と『信用』。この前先輩にも言われた組み合わせだ。
「ねえ秋葉、信頼も信用も、同じことじゃないの?」
「全然違うわよ?」
よく考えてみて、と優しく想像を促すと
「『信用』は、なにか担保をとった上での言葉。つまり、『もし、あなたが何々な状態なら、私はあなたを認めます』ってこと。対して『信頼』は、無条件に『あなたという存在がどのようなものであっても、私はあなたを認めます』っていう態度。ねえ、遊馬。あなたの今とっている態度は、どっちかしら?」
ハッとして目を見開く私に、秋葉はコロコロと笑う。
秋葉は、時々本当に洞察力が鋭いときがある。だから、こういう言葉をかけられると、私より、よっぽどエージェントに向いているのではないか、と嘆息する。
「……つまり、私がしてたことは、信頼ではなく信用だってことね? クライエントが私の思い通りに感じてくれないから、それで苛立っちゃってる。そういうこと?」
「そこらへんは私もよくわからないけど。少なくとも、新藤教官の教えは、そんなふうに聞こえるよ」
「……うう、そこまで深く考えてなかった。やっぱり秋葉はすごいな。それでなんでエージェントを目指さないかな?」
要は、同い年なのに秋葉は私よりずっと大人なんだなと思わされれる。
「あはは、ありがと。でも、私にエージェントの洋服を着せたら、大きすぎて入りきらないのが、自分でも理解できてるのよ。……むしろその、遊馬がクライエントの理想を想う、期待することの方が、押しつけにならない限り、大切なことだと思うよ。それは、クライエントに関心を抱いて、『幸せになってほしい』って思うことの裏返しでもあるものね。理屈じゃないんだよ。つまりはそういうところが、『エージェントの素質』なんじゃない? でも、それに歯止めがきかなくなっちゃうのが、遊馬の傾向かな。そういうところを、新藤教官も見抜いてるんじゃないのかと思うよ」
難しいわね、と言って、秋葉はほろ苦い顔を見せた。
――確かに難しい。でも、秋葉のおかげで少し、わかった気がする。受け入れることや受容すること。
それは私が選択権を握ってるわけではなく……。
「秋葉」
「ん?」
「……ううん、何でもない。今日は奢るね」
私は秋葉に感謝を込めて、そう言った。やっぱり、持つべきものは友だ、と実感する。
秋葉は、どういう風の吹き回し、などと呟きながらも、得心したように頷いた。




