ツナガルナニカ 第二部
「――橘弥生さん、享年34歳。生前の職業はスナック嬢。かねてからストーカー行為を受けていた店の男性常連客にナイフで刺され、刺殺。ここまでは、間違いないですね?」
先輩は、事務的な口調で確認していく。
イライラした表情で、足を組み、ソファに乱暴に身を沈ませていた弥生さんは、
「そうよ。何度同じこと言わせるのよ? 死んでみてわかったけど、地獄っていうのもお役所仕事なのね。あちこちたらいまわしにされて、こっちはもう、うんざりしてるんだから。ちゃっちゃとやっちゃってよ」
と、バサバサとした髪を無造作に肩まで流し、眉間に寄せた皺を表情全体にひろがせた女性は、言葉通りうんざりした声を出した。
今回のクライエント――弥生さんは、女性にしては長身の、骨ばった印象を受けるような容姿の持ち主で、それを覆い隠す濃いメイクが、少し女性としての品位を下げている――しかし、見る人によっては、そのような『独特な雰囲気と魅力』に惹かれるものもあるだろうか? ――そんな感じの人だった。
「お役所仕事だというのは、私も同感です。手間取らせてすみません」
先輩は、大して悪びれた風もなく答える。
そんな先輩ののんびりした態度にイライラを増大させたのか、弥生さんは眉を吊り上げて、忌々しげに言葉を吐き出した。
「ここ、禁煙じゃないわよね? 地獄でも、タバコを吸う権利くらいはあるわよね? 別になくてもいいけど」
先輩は私に目くばせして、灰皿とタバコを持ってくるように促した。私たちの衣食住はもとより、クライエントの生前の習慣に関する商品のストックや遺品の複製などは、総務部の事前の用意により、事務所に備えられているのだ。いわば、これこそが人知を超えた事務所の機能といえるだろう。
私がタバコと灰皿をテーブルに置くと、弥生さんは礼一つ言わずに、せかせかと煙草の封を開け、一本取り出して火をつけ、深々と紫煙を吐いた。
「でも、死神っていうのも大変よね。こんなあっぱらぱーな女を捕まえて、いろいろ手続きをしなければならないんだから」
あっけらかんと笑う。
私は少しカチンと来たが、先輩は、気にした様子もなく、のんびりといった。
「私たちが俗に言う死神という存在としてとらえられるのはあながち間違ってはいません。たいして認識の差はないと思います。ただ、ここは地獄ではないですよ? そこは勘違いされては困ります。あなたには、納得づくで死んでもらう必要があるんです。いわば、死後のアフターサービスだと思っていただければ、間違いないと思います」
「――あ、そ。あはは、あたし、死んだら絶対地獄行きだな、って思ってたから」
弥生さんは下品に笑った。
「で、死後のアフターサービスって何よ? あんたたち、私に何かしてくれるの?」
その問いかけに、先輩は、いつも飄々とした口調で答える。
「私たちの仕事は、死者の未練をお聴きし、それを終結させることによって、魂を天上……つまり、魂の集まる場所にお連れすることです。そのために、あなたにお話をうかがう必要があるのです」
「未練? 私に未練ねぇ……」
弥生さんは少し思案するような表情になったが、すぐにけらけらと笑いだし、タバコにむせながら、可笑しくてたまらないというように吐きだした。
「あなたたちも知ってるんでしょう? あたしが子供のころから勉強も出来ない、のーたりんの、のー天気で、てきとーな男見つくろって18で駆け落ちしたら、親にも縁を切られて。そしたら、そいつ、ひどいヒモでさ。お水の世界に入れられて、毎日殴る蹴るの暴行三昧。そいつから逃げ出したのはいいものの、運からは全然見はなされて、結局やれる事って言ったら、水商売しかなくてさ。何にも考えずに、無責任に生きてきた。殺されても仕方ない人生だったわよ。そんなあたしに、何の未練があるっていうの? ねえ、本当はできるんでしょう? 未練だの、なんだの言ってないで、あたしの存在なんて、さっさと消しちゃってよ。最初からなかったことにしてさ」
そんな自暴自棄なセリフを吐かなければやってられないのであろう弥生さんに、私は胸を締め付けられた。
しかしながら、私は同時に言いようのない憤りを感じていた。
もう終わってしまった自分の人生を、ここまでないがしろに語る弥生さんに、もう少しだけでも、『自分の人生への責任』というか、『生の素晴らしさへの執着』を感じていてもらいたかったのかもしれない。世の中には、『生きたくても生きられなかった魂』がごまんとあるからだ。
もっとも、クライエントにそんな感情を持つのが、私のDランクの所以なのであろうけど。クライエントに対しては、無条件に、非審判的に積極的な関心を持たなければならない。これは、養成機関で教わったことだ。腹は立つけど、ちゃんと受容してあげなければ。
どんなクライエントであろうと、こちらから心を閉ざしてはいけない。
クライエントに自分がどんなに反発を覚えても、こちらから積極的に受容しなければならない。
これは、エージェントとしての基礎中の基礎だ――と、机上では教わっている。
弥生さんの言葉を受けて、先輩は、困ったように頭をかくと、
「それはできない相談ですね。確かに、未練がない人間というのも、いらっしゃいます。しかし、あなたは現にここに来られている。それは、生きていたころに未練が残っていたという、間違いようもない証拠なのですよ」
「だったら、私の未練って何なの? わけわからない」
眉間にしわを寄せて、ぶっきらぼうに弥生さんは尋ねた。
「それは、これから明らかにしていくべき点です。ただ、事実として、今現在、あなたの魂が天上に送られることがない、これには、『未練』がかかわっているということなのです」
先輩は、噛んで含めるように説明した。
弥生さんの無礼な態度に全く動じていない。淡々と事務的に会話を進めていく。
先輩は、頭をぼりぼりとかくと、
「弥生さん、これは未練に関係あるかどうかわからないのですが、あなたの遺品で気にかかったことがあるのです」
「なによ」
2本目のタバコに火をつけると、訝しげに、弥生さんは先輩を見やった。
「――絵、ですよ。子供の書いた絵です」
そう言って、古びた一枚の画用紙を差し出した。
「あなたは、意図的に生立ちをはしょりましたね? この絵の裏面に書いてある名前、『たちばな あすか』というのは、あなたの娘さんのことです。 これについて、何か心当たりはありませんか?」
「――」
弥生さんは先輩と画用紙から目をそらすと、忌々しそうに煙草の煙を吐き出した。
私は、はっとして、画用紙に描かれた絵に見入った。
そこには、角を生やし、狐のように吊り上ってこちらを睨みつける、赤い鬼の絵が子供の拙さと純真な生々しさで、見る者の心を痛みで突き刺すように描かれていた。
「――ないわよ。それ、あたしの絵なの。あたしの子が描いたにしては、うまく描けてるでしょう? 娘にとって、私は鬼だったみたいね。まあ、あんだけひっぱたいて、親としてかまいもせずにいたんだから、当たり前よね。今はどこで何をしてるかすら分からないけど」
「それは、調査部の者が調べてあります。今、娘さん……明日香さんは、椎名という方の家に養子として引き取られています。今年中学三年生になられたようですよ」
「――あ、そ。中学生やってんのか。受験生で大変ねー、っと。私に似て、頭の中空っぽじゃないといいけど」
そういって、自己を嘲るように笑い声をあげた。
――自分の人生がどうだったからといって、子供に罪はない。それは、あまりにも無責任な母親の言葉ではないだろうか?
反射的に、そう思った。思ってしまった。名状しがたい、わだかまりが胸を伝ってくる。
自分の子供のことなのに、まるで他人事のように言う。私は抗議しようと口を開きかけた。
……が、それを察したのか、先輩は鋭い目くばせで私を制止した。
私は吐き出しかけた言葉を危うく飲み込んだ。
クライエントを説教するなんて、愚の骨頂だ。エージェントとしてあるまじき行為だということは分かっている。しかし、こんな人でも、先輩は受け入れられているのだろうか?
笑い声がタバコの紫煙とともに霧散した後、しばらく、沈黙が訪れた。先輩も弥生さんも何も言わず、ただ、無言の時が流れた。
今回の先輩は言葉が少ない。以前陪席したときには、もっとしゃべっていたはずだが、この投げやりなクライエントの言葉を待っている感じを受ける。
――でも、なんとなくわかる。
先輩は弥生さんをただもてあましているのではなく、このクライエントに対して、話をひきだそうとしている。私の中に渦巻く感情はともかく、頭ではそう理解できた。先輩はそういったこまごまとした技法については何も教えてくれないが、先輩のそばで先輩のやり方を信頼しつつある私にとっては、学ばせてもらうには得難い機会だった。
実際に、やがて、そんな沈黙に耐えきれなくなったのか、弥生さんは口を開いた。
「――未練、未練ね。あたしはあの子を恨んでいるの。あんな最低な男の子どもとして生まれてきて、あたしの人生を狂わせた。あの子を養うために、私がどれだけ犠牲を払ったと思う? 朝から晩まで母親を強制されて。養育費を稼ぐために、男に媚び売って。家に帰ればピーピー泣き出すのをぶったたいて黙らせて、それでも、『ママ、ママ』って。うんざりだったわ。なんで産んじゃったのかしら? あんな生活、望んでもいなかったのにね。だから、棄ててやったのよ。もうあたしに母親を強制しないでねって。あんたはあんたでうまくやりなさいよって。こんな最低な母親から離れられて、よかったじゃない。そう思わない?」
先輩はその言葉を、肯定も否定もせず、じっと弥生さんを見つめ続けた。
言葉を100尽くすより、沈黙のほうが、かえってクライエントの心情を促進させることができる。養成学校で習ったことだが、それを実践できる先輩はやはりすごいと思う。
……思うが、直情的な私にはなかなか難しいことだ。こんなときは、人としてのありようの一言でも、投げかけてやりたい。まだまだ若輩者の身で、生意気にもはなただしいかもしれないけど。
やがて、心を見通すかのような真剣な眼差しの先輩の瞳にたじろぐように、弥生さんはため息をついた。
「はいはい、それが私の未練なのね。あの子のことが心配? あたしはそんないい母親じゃないわ。最低女の末路としては、わが子を恨むのが最後の未練だって、笑えるわよね」
ここにきて、私はとうとうカチンときた。でも、先輩が私の発言を暗黙のうちに抑えているのがなんとなくわかって、むずがゆいことこの上ないが、何も言わずにいた。忍耐だ。受容しなければ。
つまるところ、私は先輩を信頼しているのだと思う。いつもはつかみどころのないというか、突っ込みどころ満載な先輩だが、仕事の時は、いつも真摯な姿勢を保っている。そんなギャップが、時に私への問いかけとなって、言葉に出して言われなくても、跳ね返ってくる。
先輩は、視線をそらす弥生さんを深く見通すようにじっと見つめると、ややあって、かぶりを振った。
「――私どもは、娘さん……明日香さんと接触してみようと思います。あなたの未練は、娘さんのことのようです。それが、善かれ悪しかれね」
その言葉に意表を突かれたように、明らかに弥生さんはたじろいだ。
「――な!?」
言いかけて、弥生さんはソファに腰掛けた腰をやや浮かしかけたが、またうんざりしたように溜息をついて、乱暴にソファに座りこんだ。
「――いいわ、もう、好きなようにやってよ。あたしの未練、断ち切ってよ。ちゃっちゃとね」
無責任な口調で無責任に丸投げする。
――私、この人にはやっぱり抵抗感を覚える。それがはっきりした。
しかし先輩は、しばらく無言だったが、珍しくしっかりとした声で言った。
「はい、それが我々の仕事です」




